予想外な訪問者
今回から新章『婚約破棄編』開始です。
また長くなるかと思われますが……今度ともよろしくお願い致します。
「ん……」
生まれ育った公爵家から、女神を祀るラ・ルオッタ・デーラ教会で生活を始めて早3年が経過した。つい最近11歳になったファウスティーナはすっかり見慣れた天井を見上げ、視線を横にずらすと此方も3年の間で見慣れた美貌の男性の顔があった。美の神がありとあらゆる美しさを詰め込んだ人――シエルが椅子に座って寝顔を眺めてくるのは毎日の事となっていた。
「おはようファウスティーナ様」
「おはようございます……司祭様」
慈愛に溢れた美し過ぎる顔をこうやって毎日拝めるのは、シエルを慕う多くの女性に知られたら恨まれるだろう。3年間で数度過激な女性に危害を加えられそうになり、その度にシエル達が助けてくれた。モテるのも大変だと知った。
頬を指で触れられ、擽ったくて目を細めた。
「まだ眠そうだね。もう少し眠るかい?」
「うーん……」
起きた時刻はいつもと変わらないだろうが眠い。シエルに問われると更に眠い。こしょこしょと鼻頭を擦られ、やはり擽ったい。
「起きます……」
眠いながらも上体を起こした。起きてしまえば、後は時間の問題となり、眠い頭もじき覚めてくる。思い切り伸びをして改めてファウスティーナはシエルに向いた。
「寝てて良かったんだよ? 今日はゆっくりする日だから」
「いえ。そろそろ朝食の時間になりますし、メルセスが起こしに来ますから、起きてます」
「はは。真面目だね。そうだ、私も今日は司祭の仕事オズウェル君に押し付けるから、街に行かないかい?」
「いいのですか……?」
「いいのいいの」
シエルが良いと言うから良いのだろう。誕生日の祝福を授かりに貴族が教会に来るが誕生日ではない日もある。そういう日は、シエルの仕事も減り、オズウェルに仕事を押し付けファウスティーナと遊ぶ。仕事人間だからとシエルが言うが、そうなっている主な原因は彼にある。
ふわり、ふわりと頭を撫でられる。優しく、暖かい手の温もりが心地よく暫く撫でられていれば、呆れた声が飛んできた。
「あのさあ……シエル様」
見ると壁に凭れたヴェレッドが声色と同じ感情を薔薇色の瞳に宿していた。
「早く朝ご飯食べようよ。お腹空いた」
「人の楽しみを邪魔しないの」
「いつもじゃん。なんで飽きないの」
「飽きないよ。私の楽しみなんだよ」
何が楽しいかはさておき。ヴェレッドの言う通り、起きたのだからまずは朝ご飯を食べたい。ベッドから降りたと同時にノックをされる。入って来たのは教会で生活するようになったファウスティーナに付けられた侍女。魅力的な紫水晶の瞳を見開くと頬を少し膨らませた。
「まあ! 朝から殿方が2人してレディの部屋に押し掛けるなんて!」
「レディって誰」
「お嬢様しかいないでしょう! もう坊や君ったら」
「坊や君って呼ぶのやめろって」
ぷりぷり怒りながらファウスティーナの前に立った女性はメルセス。現在1人しかいない女性神官。
当代の司祭シエルの圧倒的美貌のせいで女性神官達が仕事をしなくなるのを恐れた助祭オズウェルが各地の教会支部や修道院に転勤してもらうよう手配したせいでラ・ルオッタ・デーラ教会には女性神官が彼女しかいない。メルセスだけ残された理由を何度か訊ねてみるもはぐらかされるだけだった。ファウスティーナなりに、彼女が高位貴族出身者だからと予想する。手入れの行き届いたプラチナブロンドに長い睫毛に覆われた垂れ目な紫水晶の瞳の美女。女性にしては身長が高いが、それすらも彼女の美を引き立たせる要素となっている。
外見的にフリージア公爵家の関係者かと抱いているが実際に訊ねてはいない。
「さあ、まずはお顔を洗いましょう。その後に着替え、朝食にしましょうね」
「うん」
「ほらほら、司祭様と坊や君は出て行ってください」
「だって」
「はーいはい」
シエルとヴェレッドを追い出すとメルセスはカートに乗せて運んだ器をテーブルに置いた。程よい温度のお湯が入れられている。
ファウスティーナが洗顔を終えるとシエルの屋敷にいる侍女がドレスを持って入室した。
朝の支度をメルセスと屋敷の侍女でやってくれるが1つ疑問があった。何故かメルセスは、着替えや入浴を手伝わない。
シエルに問うと役割を分担しているだけと答えられた。
それからは聞いてない。
「旦那様が本日は街に行くと仰ってましたので動きやすいドレスを用意しました」
「わあ、可愛い」
濃い青色と薄い水色で作られたドレスは、動きやすさを重視したデザインでシエルがファウスティーナの為に用意した沢山あるドレスの内の1つ。貴族学院入学までは教会生活であるとはいえ、衣装部屋一杯にあるドレスやワンピース、装飾品等を目にした時は驚き過ぎて言葉を失った。
着替えを済ませ、侍女に連れられて食堂へ足を踏み入れた。
(もう11歳になったのね……)
7歳の頃に前回の記憶が戻り、同じ道を辿らないと決意した。記憶を探っても11歳以降の記憶がほぼ抜け落ち、最後の部分だけ鮮明に覚えている。
ベルンハルドとの婚約破棄を望んでいると此処で知っているのはシエルとヴェレッドのみ。
しかし――
(司祭様もヴェレッド様も何も言ってこないのよね……)
知らない振りを通されていた。ベルンハルドが決められた日程で訪れても素振りは見せない。というか、シエルの場合は甥を揶揄って楽しんでいるし、ヴェレッドもベルンハルドを揶揄って遊んでいる。2人ともベルンハルドを揶揄うのが好きな気がする。
自身が最後に身を滅ぼした18歳まで後7年。時間はあると言えど、のんびりはしていられない。どこかでシエルに打ち明けねばと抱きつつ、必ず理由を問われる。何故ベルンハルドとの婚約破棄を望むのかと。前の記憶を持っている、なんて言っても信じてもらえない。疑われず、信用されるよう持っていかないと。
悩みながらもファウスティーナはシエルの前に座った。
すぐにメルセスが別のカートで朝食を乗せて入った。
並べられていくメニューに頬を綻ばせた。
「今日はトルタ サッビオーザというケーキを焼きましたわ」
南側の人々は朝にドルチェを食すのが多い。見目は素朴で、ほろほろしそうだが漂う香りに期待が高まる。紅茶好きなシエルの真似をして、今日はファウスティーナも紅茶にしてもらった。
「坊や君はお砂糖たっぷりのミルクコーヒーよ」
「いつか病気になりそうだね」
「ほっといて」
甘味が大好きなヴェレッドがコーヒーを飲むには、大量の砂糖を入れないとならない。ファウスティーナも甘い食べ物が好きなので、苦いコーヒーは飲めない。
ティーカップを持ち、朝の美味しい紅茶を頂こうと縁に口を付けた時だった。
慌ただしい足音が近付き、止んだと思えば焦りの様子を隠さない執事が入った。
「どうしたの。朝から騒々しいよ」
「そ、それが今外にお客様が……」
「客?」
朝からの訪問者にシエルの片眉が反応した。見るに訪問の知らせは来ていない。執事の様子を見る限り、只の客人でもなさげ。
「誰が来たの?」とヴェレッドがトルタ サッビオーザをフォークに刺したまま訊くと、何故かファウスティーナを見た。
え、と発すると執事は一同が喫驚することを告げた。
「ファウスティーナお嬢様の妹君――エルヴィラ様です」
口の中に何もなくて心底良かったと、年に何度か抱く感想が過ぎったファウスティーナであった。
初っ端から波乱の幕開けです。