さようなら、愛しい人 ―視線のすれ違い―
「君はそれでいいのかい? 公子」
「構いません。あの子が……ファナで笑っていてくれるなら。そして、王太子殿下が最後まで存命なら」
「やれやれ……憎まれているのか、好かれているのか」
「王太子としての殿下は認めます。その他に関しては、俺から何かを言うつもりは一切ありませんので」
「それで妹君が選ばれても?」
「ええ。父上や母上には、俺から話をつけます。特に母上に関しては、今までのファナに対しての行いがあります。それを責めれば言い返す余地なんてない」
「私も大概だけど、君もだね」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
【エルヴィラ殺害計画(仮)】とノートにデカデカと書いて暫く。ページを破り、丸めて捨てた。
仮に誰かに見られたら、計画が頓挫する。
ヴェレッドが提案した計画通りに事を運ばないと、もう他に手段がない。本気でエルヴィラを殺すわけじゃないと何度も何度も確認を取った。とても大事なことだ。途中、面倒くさそうにされても釘を刺した。どうでも良くはなっても死んでいい人間はいない。
これを言ったら、ヴェレッドは笑った。
『あはは! シエル様と違うね。お嬢様は優しいね。シエル様なんて、どうでもよくなった人間が苦しんでいようが助けを求めようが、そこにいないかのように踏み付けて行くのに』
『ヴェレッド様は司祭様を悪く言い過ぎです。司祭様はそんな冷たい人じゃないですよ』
『俺の方がシエル様と付き合いが長いんだよ? それに、シエル様が怖い顔をお嬢様に見せるわけないじゃない。お嬢様を怖がらせることも、悲しませることも、嫌われるようなことも絶対しない。シエル様が1番怖いのは、お嬢様に嫌われることだから』
『司祭様が私の事をとても大事にして下さるのは、7年前保護して下さったからですよ』
『お嬢様がそう思うなら、そう思えばいい』
ファウスティーナがシエルを嫌いになる日など、母が今までの行いを反省するかエルヴィラが真面目に勉学に励む確率と同じで到底有り得ない。有り得ないと首を振れば、笑みは深くなるだけだった。
明日はメルディアスに薬学について学びたいと、会ったら1番に言おう。ヴェレッドは既に話を通してあると言っていた。どの様に伝えているのか。正直にエルヴィラ殺害計画を偽造すると言ってはない。……と思いたい。
「明日にならないと分からないわね……」
ノートを机の引き出しに仕舞ったファウスティーナは書庫室に向かったのだった。
●○●○●○
翌日。
3年生になってからはジュードと護衛騎士を乗せての登校となった。
毎朝エルヴィラを迎えに来るベルンハルドと鉢合わせしないよう、早い時間から登校していたが今日はエルヴィラと合わせた。シトリンが気遣わしげに視線をやっていたが大丈夫だと、微笑み返した。淡々と食事を済ませ、ジュードと一緒に玄関ホールへ足を運ぶと。
丁度、エルヴィラを迎えに現れたベルンハルドがいた。
お互いの瞳が重なった。
ベルンハルドが微かに瞠目した様に見えた。気のせいだとファウスティーナは朝の挨拶を述べて横を通り過ぎた。
こういう時『愛に狂った王太子と捨てられた王太子妃』に登場する悪役の姉なら、思い付く限りの罵倒の言葉を主人公に浴びせるのだろう。
ヴェレッドから聞かされた計画に専念したい上にもうエルヴィラを態と虐げなくても事は運ぶと信じている。
「お姉様、強がりも過ぎますと見苦しいですわ」
エルヴィラが何かを言ってきたがどうでもいい相手はとことんどうでも良くなろうとシエルに教わった。ベルンハルドの腕に抱き付き、勝ち誇った笑みで挑発するエルヴィラを一瞥もせず。
「お気を付けて、殿下」
「……ああ……」
ベルンハルドに礼儀だけ見せて玄関を出た。苦笑を漏らしたジュードが隣まで距離を縮めた。抑揚のない声と死にそうな相貌を敢えて見ない振りをした。エルヴィラがどんな様子だったかは、興味のないファウスティーナだけが知らない。
「あはは……エルヴィラ様って、実はお嬢様や公子のことが好きなんじゃないですか?」
「まさか」
「だって、エルヴィラ様がああやって子供っぽく振る舞うのはお嬢様や公子の前だけのように見えるのです」
「そうかな?」
「僕の感想ですけどね。でも、エルヴィラ様も可哀想な人です。王太子殿下の目は、何時だってお嬢様に向けられているのに」
愛おしげに見つめ、時に額に口付けるベルンハルドは、何処をどう見てもエルヴィラを愛している。愛する女性が側にいながら、他の異性に目を向けるとは理解し難い。不可解と顔を歪ませるとジュードは更に苦笑した。
「お嬢様は気付きませんよ。だってお嬢様、殿下を見ようとしないでしょう?」
「……殿下が私を見る目は、毛虫でも見るような目でしたもの」
子供の頃がそうだった。盛大に拒絶し、憎まれるようになるまでは必死に縋り付く目をしていた。
「僕はお嬢様の邪魔をしません。司祭様のご命令ですから」
「司祭様には、いつか恩返しをしたいです。司祭様が貰って喜ぶ物ってやっぱり紅茶ですか?」
「お嬢様の気持ちだけで充分ですよ。司祭様は、お嬢様が笑っていらっしゃることだけで幸福なんです」
慈愛に満ちた、天上人の如き美貌の司祭は何時だってファウスティーナの味方。
間違った事をしたら叱られる。でも、母のように全身全霊から怒鳴りつけ、挙句頬を打つ暴力だけは絶対にしない。答えが見つかるまで丁寧にゆっくりと正解まで導いてくれる。シエルに家庭教師をされたら、勉強嫌いなエルヴィラも意外と上達したのではと昔抱いた。
ケインの意見を聞くと――
『エルヴィラが司祭様に教えを請うたら、間違いなく廃人にされるよ』だった。ヴェレッドと違って、付き合いはないと言い切れる兄はシエルをどう思っているのか。その片鱗を垣間見た瞬間だった。
馬車に乗り込み、馬の鳴き声のすぐに走り出した。
「ジュード君は司祭様が怖いですか?」
「怖いですよ。あの人以上に怖い人はいないですよ。人畜無害な顔をしていながら、裏では何をしているか分からない人ですよ?」
「うーん……やっぱり、私には司祭様は優しい人にしか見えません」
「お嬢様には、とびきり優しいですから」
皆、口にする。
ファウスティーナにだけ優しいシエルと。
優しくしてくれる理由が、やはり保護をしてくれた責任と女神の生まれ変わりだからとしか浮かばない。
悶々としている間にも馬車は学院に到着した。
「行ってきます」
「はい。行ってらっしゃいませ」
少し遅れてエルヴィラとベルンハルドを乗せた馬車も到着。先に降りたベルンハルドがエルヴィラに手を差し出していた。
「ファウスティーナ様」
意味もなく眺めていると年齢不詳な人間その3であるメルディアスが朝から輝かしい微笑でいた。
「おはようございます」
「おはよう。坊や君から聞いた?」
「はい」
「そう。まあ、なるようになればいいね」
「……あの、どういう風に聞いてますか?」
「此処で聞いちゃう?」
メルディアスの紫水晶の瞳が、愛しい人の腕に抱き付き少女の様に笑うエルヴィラを一瞥した。
「……ですね」
「ふふ。心配しなくても、悪い様にはしない。事実、此方側としても助かるからね」
「メルディアス様、お嬢様をお願いします」
「はいはい」
ジュードと別れ、メルディアスと校舎内に入った。
横の方から強い視線を感じても動じない。よくケインやアエリアから能天気と評される微笑みを浮かべながら歩く。
「授業の後に教壇においで。そこで言えばいいよ。席の遠い殿下に聞こえる様にね」
「はい」
「ファウスティーナ様は図鑑とかよく見るの?」
「とても好きですよ」
「そう。なら不審がられることもないか。公子や公爵の為に知りたいとも付け加えようね」
日々、公爵としての仕事を熟す父や父の仕事を手伝うケインの疲労削減を手伝うべく、疲労回復の効果がある薬草を探すのも目的。薬草を調べ、使用されているお茶があれば取り寄せてもいいとメルディアスから教えられる。
「はは……すごい目」
「え?」
「殿下がすごい目でおれを見てる。なのにエルヴィラ様は、気付かないんだね。いいよね、ああやって自分の世界で生きていける子は」
メルディアスはファウスティーナから視線を逸らしていない。見もしないでベルンハルドの視線の先が分かるのか。チラリと、ファウスティーナが見るも瑠璃色の瞳は愛おしげにエルヴィラを見つめていた。
「気のせいでは?」
「ふふ……まあ、そういうことにしておこう」
今日から1月が最後の機会。絶対に失敗は許されない。“運命の恋人たち”は、互いを愛し合っている。結ばれる舞台を用意するのが――彼をずっと不幸にしていた邪魔者が出来る償い。
秘かに燃えるファウスティーナとは異なり、意味ありげに違う方向へ視線を投げたメルディアスは、視線だけで人を燃やせる嫉妬心を隠そうともしない彼に口の動きだけで言葉を放った。
“可哀想に”
読んでいただきありがとうございます。
過去編もあと僅かですがお付き合い頂けたら幸いです( ノ;_ _)ノ