さようなら、愛しい人 ー悪党が用意するシナリオー
2年生の半分が過ぎた頃、ベルンハルドがやっとエルヴィラを受け入れた。
「おいで、私の可愛い妖精姫」
「は、はい……! ベルンハルド様!」
嬉しい、喜ばしい、やっと無駄な努力が実ったと達成感を味わってもいいのに――心に空いた大きな穴は塞がれなかった。
ファウスティーナが何度もお似合いだと嫌味を言おうが拒絶しようが絶対にエルヴィラを受け入れようとしなかったベルンハルドの変異。誰もが目を疑うも、次第に認識は変わっていった。王国は運命を大事にする。運命の女神が結んだ運命の糸に誰も疑問を持とうとしない。
ファウスティーナなりに、ベルンハルドがエルヴィラを選んだ日から会わないよう努めた。教室では無理だが授業以外なら、ベルンハルドとエルヴィラに遭遇しないよう考えるのは得意だったので人が来ない場所を徹底的に選んで居るようになった。
にも関わらず、“運命の恋人たち”は絶対にファウスティーナのいる場所に現れる。裏庭だろうと寂れた古い教室だろうと高確率で来る。恋人同士なら、もっと適した場所があるのに。考えるまでもない。ベルンハルドからの嫌がらせ以外ない。
今まで散々やり直しを希望していた気持ちを否定し続け、剰え、最後は誘拐犯に殺された方がマシだったと告げたファウスティーナに対する好意は砕け、代わりに憎しみを持たれた。嫌がらせ紛いにエルヴィラとの仲を見せ付けてくるベルンハルドに何度か突っ掛かったが――
『お前の望み通りにしてやっているんだ。これ以上何を望む』と澄ました様子で言い捨てられた。愕然とした。確かにエルヴィラを受け入れるよう望んだのはファウスティーナ。誰も目の前で仲を見せつけろなんて一言も頼んでいない。エルヴィラに至っては、両思いになったからかなり強気でファウスティーナを責めるが相手にされないとベルンハルドに泣きついた。ベルンハルドがエルヴィラを受け入れた今、エルヴィラが何をしようが興味が微塵もなかったから。
興味を無くした相手のことは、何があろうとこれから先興味を抱かない。ジュードに話すとシエルと同じだと苦笑された。常に物腰柔らかで誰に対しても優しいシエルが唯一嫌悪を隠さない相手は異母兄の国王だけ。シエルと同じで興味を無くした相手はどうでも良くなる。血の繋がりもないのに同じなんて珍しい、と不思議がると話を聞いていたケインに苦笑されたのが印象的だった。
何故、ケインは苦笑したのだろう。可笑しなことは言っていないのに。
ファウスティーナの唯一の味方と言ってもいいケインも春に卒業してもういない。
卒業式の日、はしたない自覚はあったが泣かずにはいられなかった。呆れるケインの傍らには、ファウスティーナと同じく泣いているルイーザがいた。
兄の卒業を悲しむ妹同士として、ルイーザと泣いたのを鮮明に覚えている。前の年に卒業したヒースグリフとキースグリフが何故かいてケインとクラウドに恨言を言っていた。理由は単に、ファウスティーナやルイーザといった、妹に泣かれる兄になれなかったというただの八つ当たりである。ラリス侯爵家の双子の妹であるアエリアは、ファウスティーナ達の近くにいたが聞こえないフリをしていた。耳が若干赤かった。
「あらあ、相変わらずですわね、あなたの妹君は」
窓の上から頬杖を突いてベルンハルドとエルヴィラを眺めていたファウスティーナは、分かりやすく嫌味たっぷりの声色で話しかけてきたアエリアに振り向いた。
「なんとかしなさいな、あのスカスカ妹。妹でしょう」
「……どうにもする資格なんて私にはないわ。良いのではないですか? 卒業までの火遊びだと思えば」
「そんな可愛い関係かしら?」
「学生生活が終わったら、皆それぞれの立場に戻る。思い出作りをする殿下の邪魔をする気はないわ」
「そう……あなたと結婚しても、関係を続ける気なのですかね」
「……どうでもいい。どうせ、もう終わる」
「?」
アエリアがどういう意味か訊きたそうにしているのを敢えて知らない振りを貫いた。ふわり、と微笑んだファウスティーナは窓から離れて行った。
……エルヴィラの相手をしながら、窓を見上げ睨むベルンハルドに誰1人気付かなかった。
「……泣いて縋りもしないのか……っ」
「ベルンハルド様?」
「……なんでもない」
帰るには気分が優れず、残るにしても図書室以外行き場のないファウスティーナ。気が向くままに歩いていると……突然背後から回った手で口を抑えられ、腹に腕が巻かれ近くの教室に引き込まれた。舞った香りに誰か判明し、パニックにならずに済むが心臓に悪すぎる。険しい顔付きで見上げると予想通りの相手――悪戯成功と言いたげな非常に麗しい美貌があった。
「やあお嬢様。ご機嫌斜め?」
「お、怒りたくなります……! ヴェレッド様……!」
ファウスティーナを引き止めたいなら安全安心な方法は幾つもあるのに、少数の驚きと恐怖に溢れた行動を選ぶヴェレッドの心情はどうなっているのか。ヴェレッドに腕を離してもらい、バクバクとうるさい心臓を落ち着かせようと深呼吸をした。
何度目かでヴェレッドと向き合った。
「今日どうされたのですか?」
「どうもこうもないよ。お嬢様、いつまで王様や王太子様が婚約変更を言うか待ってるの」
「それは……」
エルヴィラを受け入れ出した直後に訴えた。エルヴィラを愛するなら婚約破棄をしてほしいと。しかし、ベルンハルドからは結婚するのはファウスティーナだと告げられた。
受け入れておきながら、結婚する気はないと平気で口にするベルンハルドの神経を疑った。そうまでして王太子妃の仕事をさせたいのか。
シリウスの方も婚約については何も言ってこない。ヴェレッド曰く、ベルンハルドと何かやり取りをした節があると言う。言うがファウスティーナ達の卒業まで半年を切っている。
このままでは、本当に王太子妃になってしまう。
“運命の恋人たち”を引き裂いた悪女になる。幸福を齎す“運命の恋人たち”を引き裂いたのが女神の生まれ変わり。なんという皮肉か。
エルヴィラには一応嫌がらせを続けてはいるが、他人に悪意をぶつけるのが得意じゃないせいか、段々と疲れてきた。嫌がらせといっても成績の悪さをぶちまけ、近くに水があれば掛けているだけ。ただ、寒い季節が近づいてきているので最近は水掛けは邸内だけに留めている。濡れたエルヴィラをすぐ拭けるよう待機させているトリシャがいるからだ。
周囲に人がいる時だけ、2人に突っかかるようにした。人の目がある時に悪女を演じる方が効果的だから。逆に、誰もいない時は関わるのが疲れるのでベルンハルドに礼を見せてさっさと立ち去っている。
ヴェレッドが引いた椅子に座った。前にヴェレッドも座った。
「仕方ないな」
愉快な色を隠そうともしない薔薇色の瞳に真っ直ぐに見つめられる。
「協力してあげるよ。君と王太子様の婚約破棄」
「どうするの?」
「ふふ……今までの、君の考えた生温いやり方じゃない。本物の悪党が作るシナリオを用意してあげる」
「そうしたら、殿下は今度こそエルヴィラを選びますか?」
「うん。……強制的にね」
ヴェレッドは長い足を組んで説明を始めた。
「まず、お嬢様は一月の間、薬草に関する資料を読んで。そうだね、人体に悪影響のある薬草に栞を沢山挟んでね」
「はい」
「次に、メルディアス。あいつに薬学を学びたいって頼んで。王太子様の前で。あいつ自身には、もう話はしてある」
「メルディアス先生を巻き込むのですか……?」
お目付役のメルディアスを婚約破棄計画に巻き込むのは忍びない。困るファウスティーナはハッキリと言われた。
「王太子様と空っぽちゃんを正真正銘“運命の恋人たち”にしたいんでしょう? なら妥協はしない。それとも、お嬢様、このまま王太子様と空っぽちゃんがあのままで王太子妃になる?」
「……分かりました。続けてください」
覚悟を決めたファウスティーナは続きを促した。
「んで、一月経ったら実際に薬草を取り寄せてもらうんだ。これもメルディアスがする。次が大事」
ヴェレッドは懐から1枚の紙を差し出した。手配書だ。
「こいつは半年前から手配されてる。女を殺すことを愉しむ悪趣味な奴」
「ま、まさかこの人を使ってエルヴィラを殺させようというのですか?」
「ある意味ではね」
現在騎士団が捜索している男の行方は不明。しかし、男が毎月貧民街にある違法な地下娼館に現れると情報を仕入れた。
「俺が変装をしてこいつに接触したんだ。ある貴族の娘を殺してって。依頼料はたっぷり払ったし、ばっくれる心配もない。計画の内容も話してあるから、後はお嬢様が指示通りに動いてくれたらいい」
「確認ですが本気でエルヴィラを殺すことはないですよね!?」
「安心して。用が済んだら、娼館ごと潰す予定。後、お嬢様がこいつとやり取りをする必要もない。あのね、お嬢様は空っぽちゃん殺害計画を練る振りをするんだ。計画書は俺が書いたのをあげる」
「は、はい」
「で、ここからがとっても大事。王太子様が空っぽちゃん殺害計画を知るよう、態と資料を置いて行くんだ」
「殿下にですか?」
「そう。そして、殺害計画を知った王太子様は黙っていられないだろうね。手配中の犯罪者を使って恋人が殺されそうになるんだ」
婚約者の計画を知ったベルンハルドが父王に報告し、事実か確認した後、ファウスティーナを捕まえる。罪を犯す直前といえど、犯罪者を使って妹を害そうとした令嬢を見過ごすことは決してしないだろう。
「これで本当に殿下はエルヴィラを選びますか? 幸せになれますか?」
「なれるよ」
ヴェレッドは敢えてファウスティーナに告げていない隠し事があった。
(多分だけど……王太子様と空っぽちゃんはもう“運命の恋人たち”じゃない。糸が見えない。そう考えるとイル・ジュディーツィオが大怪我を負ったっていう話と辻褄が合う)
この日、ある訪問者を教会にある司祭部屋で待っていたシエルに待ち人到着の報せが届く。室内に入ってもらうと相手――ケインが礼儀上の挨拶を述べた。シエルがソファーに座るよう勧めたが先に大事な頼みがあると切り出された。常に冷静なケインから感じる違和感。気になるシエルが話を聞こうと続きを促した。
「どうしたの? 公子」
「司祭様……いえ、シエル様。あなたにしか頼めないのです」
「一体何の話かな?」
「……ファナ。ファウスティーナが卒業したら、あの子を守ってあげてくれませんか?
――ファウスティーナの実父であるあなたにしか、頼めないんです」
シエルの瞳から色が消えた。極秘事項であるファウスティーナとの親子関係を公爵にもなっていないケインがどうして知っているのか。誰をも魅了する微笑を浮かべながらも、一言でも間違えれば慈悲なき判断を下される、弱き者の立場に回ったケインは口内が乾いていくのを感じながら訳を話した。
シエルを味方にし、ファウスティーナの安全を確保したら。後はベルンハルドが自害しないよう、ネージュと裏で協力し合い、シエルの手を借りなければならない。
絶対に失敗が許されない取引を前にケインは毅然とした態度で臨んだ。
 




