愛憎の加速3
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1年前から続く終わりのない口論。どちらかが責めれば反論し、どちらも相手の言葉を受け入れようとしない。自分勝手なのは同じで、気持ちを一方的に押し付け合うのも同じ。感情のまま声を上げれば歪む表情。このままではまた同じ繰り返しだと、一旦思考を冷やした。
ベルンハルドも同じ気持ちなのだろう。ファウスティーナの言葉に反論はしない。代わりに憎しみと苦しさが混ざった複雑な瞳で見つめてくる。
(何を言ったら、今度こそ殿下は諦めるの……)
例の本の内容を今この場で必死に掘り起こす。悪役の姉と王太子が言い争う場面は少ない。主人公目線の小説だったので必然的に、姉と王太子が一緒にいる場所に遭遇する場面に遭うのがなかった。こんな時小説の姉なら婚約者にどんな言葉を掛けるか。彼女なら喜ぶだろうか、悲しむだろうか、怒るだろうか――。思考に螺旋が浮かび、回っていく。見つからない答えを永遠に探し続けるくらいなら、いっそのこと……。
「……なら……」
「?」
「こんなことなら……助からない方が良かったですわね」
「な……」
危険を冒してまで助けに来てくれたと聞いた時は喜びよりもベルンハルドの安否の心配をした。誘拐犯の仲間に頭を殴られ気絶させられたと言われた瞬間、全身から体温が消えていった。危険を承知で助けられる人間じゃない。少なくとも、ベルンハルドに助けられる資格のない人間。
心臓がうるさい、息が苦しい、体の奥が痛い。ファウスティーナは溢れる痛みと恐怖と悲しみを強制的に抑え込み、ほんの一瞬でも気が抜けないとベルンハルドを睨み上げた。
「そうではありませんか。結局のところ、殿下がエルヴィラを認めないのは私がいるからでしょう? なら、私があの時死んでいれば殿下は憂いもなくエルヴィラと婚約を結べたではありませんか」
「本気で言っているのか? もしも助からなかったら、今頃どんな目に遭っていると思っている!? 死んだ方がマシな扱いをされている可能性だって大いにあるんだ!!」
「仮にそうであっても、殿下やエルヴィラの顔を見ずにいられるなら本望でしたわ」
「っ!!」
信じられないと言いたげなベルンハルドが腕を掴む手の力を弱めた。離れた瞬間ファウスティーナは距離を取った。
「毎日毎日エルヴィラは、聞いてもいないのに殿下とお昼を食べた、殿下がわたしのことを愛していると言ってくれたと私に言いに来ますわ。あとなんでした? “私の可愛い妖精姫”と囁いて額にキスをしたのでしたか? そんなことをしておきながら、よくもまあ私とやり直したい、エルヴィラを好きじゃないなんて言えますわね」
「なんだそれは……私はエルヴィラに愛しているなんて言ってない、ましてや触れてすらいないっ」
昼食に関してだけ否定しないのは事実であるから。顔を蒼白にして違う、違う、と否定するベルンハルドは嘘は言っていない。全部あの本の主人公と王太子のやり取り。
「どういうことだろう……聞いてないしそんな報告もなかったよね……」とヴェレッドが小声で独り言を言っているが聞こえないファウスティーナは意識を逸らさない。
「殿下は嘘しか言いませんわね。嘘しか言ってくれない殿下を信用することは、この先絶対にありません」
「待て、待ってくれ! ファウスティーナの言ったような行動は何1つしていない! 学院内でエルヴィラと2人っきりになったこともない!」
一緒にいても場所は主に他の生徒がいる食堂や廊下、庭だけ。ベルンハルドもエルヴィラと2人になれば、更なる誤解をされると承知していたから人気のない場所には極力足を運ばないように心掛けていた。後もう少し、後もう少し強気で押せばベルンハルドもいよいよ諦める。次は大きな一手が欲しい。何を言えばベルンハルドが諦めるか――考える前に口は勝手に開いた。
「信用しません。エルヴィラから話を聞いた時、殿下、私は……あなたに助けられるくらいなら死んだ方がマシだと思いました」
「――――」
「王太子妃の仕事を熟せる私を片側に置いて、もう片手に愛する女性を置くようなあなたに助けられたくなかった。
もうよろしいでしょう? あなたが陛下に私からエルヴィラがいいと言えば、陛下はすぐにでも婚約変更をしてくださいますわ」
前以て準備をしていた言葉じゃない、勝手にすらすらと出てきた数々の言葉に自分自身が驚いていた。声を発するのは自分なのに、そこに自分の意思がない。勝手に口が動き、声が出てきた。言い終えると生気の抜けた亡霊の風貌が呆然と立ち尽くす。ここまで言ってしまったファウスティーナは後戻り不可能。小さく頭を垂れ早足で逃げた。
これでいい、これでいい、これで……
「これで……いい、のよっ。もう殿下も、私をちゃんと、嫌いになってくれたっ」
元から嫌われていた。幼い頃の嫌いな感情は再びベルンハルドの中に生まれ、最初と同じで全身からファウスティーナを拒絶するだろう。ベルンハルドが見えない場所まで走った。側にあった木に凭れ、ずるずると座り込み膝を抱えた。
「ああああぁ………っ」
ベルンハルドを傷つけ、拒絶した自分に泣く資格はないのに溢れ出る涙は止まらない。治らない心の痛みはこの先もずっと苛み続け、ファウスティーナは涙を流す。
「あ、あああ……っ〜……! ……て……生きてて、ほしいんですっ……あなたに死んで……ほしくないっ……」
涙と共に溢れた感情を吐露したファウスティーナは、この言葉がどういう意味を持つか考えない。無意識に紡いだそれは、深層心理の最奥に蓋をされた――――だから。
残されたベルンハルドは小さな背中が見えなくなっても凝視し続けていた。生気のない足を上げると感覚がなかった。地面に足をつけた感覚すら伝わらない。今まで以上の徹底的な拒絶と身に覚えのないエルヴィラとのやり取り。どんなに記憶を探ってもエルヴィラに触れたことも愛を囁いたこともない。
“助けられるくらいなら死んだ方がマシだった”
「……して……そうまでして……拒みたいか……っ」
抜け殻だった意識が黒に染まっていく。嘘を吐いてまで“運命の恋人たち”と認めさせたいファウスティーナに消しても消しても消えない憎しみが生まれる。駄目だと誰かが言うが愛しいと感じる気持ちが全て憎しみに変わっていく。
「そう……か。……分かった……お前がそういうつもりなら……お前の望み通りにしてやる……」
ファウスティーナが望むままにエルヴィラを愛すれば、本心を見せないあの鉄壁の仮面をきっと壊せる。
愛しい気持ちと憎む気持ち。
両極端な気持ちに揺られたまま、この場を後にした。
「……」
1人残ったヴェレッドは憎悪に燃えるベルンハルドを見送ると頬を掻いた。
「王様似というより、クソバ……前の王妃様似だったのかな……」




