愛憎の加速2
特別1人になりたかったんじゃない。誰かと昼食を食べるよりは1人でゆっくりと好きに時間を使って食べたくなった。ケインは今左腕に大怪我を負って利き腕が使えないクラウドの分の処理を熟していると聞く。ベルンハルドが朝ギリギリまで教室に来なかったのはそれもあるのだろう。人選に困るよ、と何度か苦笑混じりに話された。ファウスティーナが人員に入れられていないのはベルンハルドがいるから。ベルンハルドもファウスティーナがいると集中しづらいと判断されたのだ。今年からはネージュと1人が入ったと聞くが1年生には任せられない案件は沢山あり、元からいる人間で回していっている。クラウドの怪我の理由はケインにも分からないと。
本人曰く、転んだだけ、とふわふわした微笑みで言っていたらしい。転んだだけで左腕に包帯を巻く大怪我は負わないだろう。深く踏み込んだ先は彼の領域。ふわふわしている割に他者を絶対に踏み込ませようとしない威圧感を発せられ、誰もが微笑みの奥にあるクラウドの真意に触れようとしない。
ファウスティーナの昼食は公爵家お抱えのシェフ自慢のサンドイッチ。今日は旬のフルーツを贅沢に使用したサンドイッチ。1つを手に取ると――足音が近付いて来た。視界の前に現れた高価な靴。上へ視線を向けば、王国では他にいないであろう見事な薔薇色の髪と瞳の男性が軽い調子で手を上げた。
男性――ヴェレッドは変わらない不敵な微笑みを浮かべながらファウスティーナの顔を覗き込んだ。突然距離を詰められて驚き、つい後ろに体が動いた。背凭れに強く当たり「うっ」と顔を顰めた。
「あ、はは。何してんの」
「ビックリしたんです。急に顔を近付けてくるから」
「シエル様がしても驚かないのに」
「司祭様は慣れました。でも、ヴェレッド様はあまり教会にいらっしゃらないので慣れません」
「そうなんだ。でも、もう何処へでも行き放題なんだ俺。偶にシエル様のお使いをするだけで自由にしていいって」
「前から聞きたかったのですが何処でお仕事をされていたのですか?」
「内緒。お嬢様に深く話す必要ある?」
「そう言われると……」
クラウドと同じでヴェレッドも他人に自己領域に入られるのを嫌う。彼の場合は特に強い。自身が他人を引き入れようと態と誘惑するくせに、いざ足を踏み入れようものなら、強い力で押し返す。芳醇な香りに誘われて獲物を誘い込み喰らう捕食者、とは違う、徹底した拒絶者。困ったように眉を下げたらまた顔を近付けられた。
すぐの2度目に驚きはない。
「近いです」
「ここって他に人通らないの?」
「人が殆ど来ない場所を選んだので」
「そう。残念。誰かが今の俺とお嬢様を目撃したら、お嬢様も恋人を作ったって勘違いしてくれそうだったのに」
「恋人?」
ヴェレッドとの顔の距離は、どこをどう見ても婚約者のいる令嬢がしていい近さじゃない。仮に婚約者がいなくても年頃の娘が非常に見目麗しい男性と近距離で見つめ合っているだけで噂が生まれる。
今になって慌て出したファウスティーナを愉快げに笑うヴェレッド。
「今更だね」
「だ、だって、司祭様だったらこうはなりませんでしたから」
「シエル様は特別だもんね。お嬢様はシエル様の、王弟妃になりたいと思わないの?」
「思わないです。司祭様にはとても良くして頂いているのに、婚約者になってしまうと申し訳なさが山の頂上にまで達してしまいます」
「大袈裟。シエル様はお嬢様が婚約者になっても変わらないよ」
「司祭様はとても優しい人ですから。でも、これ以上気を遣ってもらうのはやっぱり申し訳ないです」
11歳の時、王城で泣き叫んでいた自分を助け、保護し、ずっと側で守ってくれたシエルに多大な恩を抱いている。“運命の恋人たち”誕生でもしシエルの婚約者にされていたら、きっと辞退していた。貴族の結婚に年齢差はつきもの。シエルとファウスティーナは20も違う。見目だけで言えば、40近い男性にはとても見えない。
ふと、ファウスティーナはヴェレッドを見上げた。
「……ヴェレッド様は司祭様より4つ下でしたよね?」
「そうだよ。33歳だったかな」
「…………若作りのコツを教えていただけないですか?」
記憶で覚えている限りではシエルとヴェレッドの2人は見目が変わっていない。彼等を知らない人から見たら20代に見えるだろう。
類まれな美貌を持つシリウスやシエラでさえ変化があるというのにこの2人に限ってそれがない。ただ、それを言うとメルセスは勿論、60代のオズウェルもかなり若々しい。メルセスに関しては年齢は秘密らしいので隅に置いた。そう考えるとオルトリウスも若々しかった。教会に属する人は若作りのエキスパートばかりである。
女神の生まれ変わりも人間。歳をとっていけば何れ老いていく。いいよ、と気紛れで他人を揶揄うのが好きで素直じゃないヴェレッドにしては珍しく素直に了承してくれた。
耳寄せて、と言われてその通りにした。
「きゃっ」
周囲に誰もいないのに囁く必要は皆無と抱きつつ、期待して耳を寄せれば。耳にキスをされた。反射的に距離を取るが椅子から落ちそうになった。ヴェレッドが呆れたように支えてくれなければ地面の上に転がった。
「何その間抜けな反応」
「ま、まぬ、間抜けとはなんですか……!」
顔をりんごみたいに真っ赤に染めて涙目で反論すれば、意地悪げに光る瞳があった。
「まあ……しっかり導火線には触れられたみたい」
ファウスティーナの怒りを爆発させるための行動かと勘繰るも別だった。
大きな足音と一緒に低く怒気に満ちた声色が容赦なくファウスティーナの神経を怯えさせた。
「ファウスティーナから離れろ」
どうしてここに……今の時間はエルヴィラと食堂で昼食を摂っている筈。
突然現れたベルンハルドは立腹した様子でヴェレッドを冷たい瑠璃色で睨んだ。
ヴェレッドは怯むこともなく、焦ることもなく、誰よりも余裕の態度で居続けた。
「やあ、王太子様。今年からずっとお嬢様の妹君と昼食を摂ってるって聞いたけど今日は一緒にいないの?」
「っ、あなたには関係ない。それより、さっきファウスティーナに何をした」
「何って、見たまんま」
「っ!」
歯を噛み締め、溢れる憎しみを全てヴェレッドにぶつけられる。散々嫌われてきたファウスティーナでさえ、向けられたことのない濃厚で強い憎悪。
ヴェレッドは先程、導火線に触れられたと言った。あれはファウスティーナではなく、ベルンハルドのことを指していたのかもしれない。ヴェレッドの言う通り、毎日エルヴィラと食堂で昼食を摂っていた彼がなぜ此処にいるのかは気になる。
「は……面白いね王太子様。自分は他の女と食事を楽しんだり、堂々と浮気をするのに、お嬢様にはそれを許さないんだ? 王侯貴族が愛人を持つなんて普通だよ。今の王様が愛人を持たないのは、前の王様を反面教師にしているから。高位貴族も愛人を持ってるのは少ないよね。皆、前の時代をよく知ってる。色恋に溺れて身を滅ぼした奴を沢山見ているから、他に相手を作ったりしないのさ。王太子様と違うよね」
言い返そうと口を開きかけたベルンハルドは悔しげに唇を噛み締めた。本心はどうあれ、毎日エルヴィラと昼食を共にし、且つ、エルヴィラと共にいるのが多い。夜会でもファウスティーナではなくエルヴィラをエスコートし、剰えファーストダンスを踊っている。婚約者よりもその妹を優先する男が誰を愛しているかなど一目瞭然。
「言い返す口もないんだ」
「……うるさい……少なくとも、私はエルヴィラをなんとも思ってない」
「だから? 王太子様があの空っぽ馬鹿をどう思っていようがもうどうでもいいの。大事なのは周囲の印象。……誰もが王太子様と妹君はお似合いだと信じている。だって運命によって結ばれているから。知ってた? 馬鹿でも王妃になれるよ?」
そんな話聞いたことがない。
「王妃のする仕事は全部優秀な側妃にさせればいい。実際、どっかの国じゃ、真実の愛を貫いたとかで平民の娘を王妃に迎えたはいいものの、王妃の役目を熟せなかった。そこで高位で優秀な娘を側妃に迎え王妃の代わりをさせたんだ。但し、王との子を生めるのは王妃だけだけど」
ヴェレッドが言いたいのはエルヴィラが王妃になっても子を生ませるだけの役目をさせたらいいということ。
「お嬢様の兄君みたいな変異種はそうそう生まれないだろうけど……周りがちゃんと教育すれば、少なくとも妹君みたいな空っぽちゃんにはならないよ」
「ヴェレッド様! お兄様を新種の生き物のように言わないでください! お兄様は普段から何事も何でもないようにこなしますが、子供の頃から惜しみない努力を続けている尊敬出来るお兄様なんです!」
「ねえ、妹君についてコメントは何もないの?」
「お兄様を変異種呼ばわりされて黙っていられません」
「あっそ。……はは……王太子様。これが“差”だよ」
ヴェレッドの言葉はどれも主語がない。何を意味し、何を理解してほしいのかが非常に難解。
けれど、嫌味を放たれているベルンハルドは意味を理解しているようで。憎しみを込めた瑠璃色でヴェレッドを……流すようにファウスティーナを映した。今の会話でベルンハルドの機嫌を損ねる発言はしていない。負けじと睨み返すと更に睨みが強くなった。
「ファウスティーナ」と無機質な声で呼ばれ、手を前に出すと腕を掴まれ強引に距離を離された。転びそうになったのをベルンハルドが支えてくれた。唐突な行動に非難の目を向けるとベルンハルドは苦々しく顔を歪めた。
「2度とその人に近付くな。1人でいる時は特に」
耳にキスをされた場面を見たことを言っているのなら恥ずかしい。誰に見られても顔を赤く染めてしまう。気まずげに目を逸らした。
「で、殿下が思っているような関係じゃありませんっ」
「私が言いたいのはそうじゃない。とにかく、金輪際この人に近付くな。あなたもファウスティーナに近付かないでもらおう」
「えー。俺はシエル様の命令でお嬢様を気に掛けてるだけだよ?」
「なら私から叔父上に頼んでおく。あなたにファウスティーナを近付けさせないでほしいと」
「無理無理。王太子様、王様や王妃様にもお嬢様絡みだと信頼ないでしょう? シエル様も同じ。妹君と“運命の恋人たち“に選ばれた当初ならいざ知らず、今では親しげにしているからお嬢様関連での王太子様の信頼はもうないよ」
「……っ、あなたが誘拐されたファウスティーナに何をしようとしたか、父上や叔父上に話したっていいんだ!」
シエルに頼まれ見守ってくれている彼が何をしようとしたというのか。2人を交互に見つめれば、堪えられないと噴き出した。誰が、とは見なくても分かる。
「あ、ははは! ねえお嬢様、王太子様はね、眠らされたお嬢様を俺が襲おうとしたって言うの。とんだ濡れ衣だと思わない?」
「殿下……ヴェレッド様は司祭様に対してもこんな態度ですが犯罪を犯すような方じゃありません」
国王に対しても不敬な態度を崩さないが間違った事に手を染めるような人じゃないと信じるファウスティーナが苦言を呈すれば、掴まれる手の力が増した。
「っ事実だ、私とこの人どちらを信じるんだ!」
「……」
嘘をどちらかが吐いているのなら、でも、どちらも事実を告げているだけかもしれない。
残るは両者の信頼性のみ。
ファウスティーナは――見るだけで愛しさが込み上がる瑠璃色の瞳と真っ直ぐ対峙した。
「ヴェレッド様は司祭様に嫌われるような行動は絶対しません。殿下が嘘を言っているとも思いませんが事実とは違……」
掴まれる手がより力を込めてきた。痛みのあまり顔を歪めた。
「っ……殿下……は……離して……」
「……王太子様、離してあげなよ。痛がってるでしょ」
皮膚が捻られ、骨が悲鳴を上げている。
「……だ」
「っ……殿下」
「何故私の話を信じようとしない……エルヴィラのことも、ファウスティーナと最初からやり直したいことも、さっきのも全部。……何1つだって聞く耳を持とうとしないなっ」
握られる力がベルンハルドの感情の昂りと同調し増していく。しかし、言われた言葉の意味を理解したファウスティーナは痛みを無理矢理忘れ声を上げた。
「だったらあなたは、殿下はどうなのですか。今まで散々エルヴィラの泣く姿だけを信じ込んで私を嫌っていたあなただって、私の言葉を何1つ聞こうとしなかったくせに。自分が同じ立場になればそうやって私を責める殿下の話なんて信じられますか!」
自分勝手なのは果たしてどちらか――。
……次回でサブタイ回収(予定)




