兄も妹もいつも通り
ヴィトケンシュタイン公爵邸に馬車が着いた。御者が扉を開け、先にシトリンが降りてファウスティーナが降りた。屋敷を包む雰囲気が心なしか重苦しい。生唾を飲み込むとシエルとヴェレッドを乗せた馬車も到着。丁度同じタイミングで屋敷の扉が勢いよく開いた。
馬車の音を聞いて駆け付けたのだろう。ジュードがシエルを目にするなり走り出し――目の前で土下座した。
「申し訳ありません司祭様っ、ぼ、僕、司祭様からファウスティーナお嬢様のことをちゃんと見ているように頼まれたのに……!」
「いいよジュード君。今回君は運がなかった、ファウスティーナ様は運が良かった。それだけのことだよ」
シエルなりにジュードを慰めているらしいが言葉の端に棘がある。が、シエルの瞳はジュードではなくヴェレッドへと注がれている。シエルへ舌を見せてリンスーに泣き付かれているファウスティーナの元へ。
「お嬢様あ……! 良かった、ご無事で良かったです……!」
「ただいまリンスー」
「お嬢様にもしものことがあったらと思うと……!」
「大丈夫だよ。眠らされてただけだったから」
ファウスティーナは実際、誘拐されたと言われても実感がなかった。長く眠らされていたせいで。泣くリンスーを慰めつつ、何故かこっちに来たヴェレッドに向いた。
「どうしました?」
「シエル様怖いからお嬢様のとこに来ただけ」
怖い?
シエルはジュードに怒っている風には見えない。どちらかというと、落ち込んで泣いている彼をファウスティーナ同様慰めている。またヴェレッドを見ても同じ。付き合いの長い彼だからこそ見えるシエルの感情の機微。ちょっとだけ羨ましい。
外に長くいては話が始まらないとシトリンが全員を屋敷の中へ勧めた。リンスーに応接室への案内を任せ、邸内に入った。一部の使用人を除き、皆ファウスティーナの帰宅を涙ながらに喜んだ。
途中リュンが現れ、リンスーやジュード同様泣いてしまうがケインに声を掛けられるとすぐに涙を引っ込めた。切り替えの速さに感心していると「ファナ」とケインに呼ばれる。
「おかえり」
「はい。ただいま戻りました」
「いやケイン様! なんで冷静なんですか!? そこはもっとこう、お嬢様の無事を喜んでは……!」
「喜んでるよ、これでも」
「全然見えませんけど!?」
1歳上の兄の冷静さはすっかりと慣れてしまったファウスティーナにとって、逆に取り乱す様を見せる姿に驚くだろう。いつも通りの態度にすっかりと安心してしまった。リュンを黙らせたケインが何枚もの書類を持ってシトリンに渡した。
「全使用人達の聴取を粗方終えました。1人1人の情報を全てここに」
「もう終えたのかね?」
「ええ。詳細な調査は明日以降となりますが……不審な点や目立つ点は今のところありません」
「そうか……ありがとうケイン。ご苦労様」
「いえ。これも公爵になる勉強だと思えば」
ヴィトケンシュタイン家に仕える使用人の数はかなりいる。それを今日でほぼ終わらせたケイン。優秀なのを差し引いても仕事が早い。
応接室へ向かう途中なのを思い出す。シトリンはファウスティーナをケインに預け、シエル等と共に応接室へ向かった。
残ったファウスティーナはケインを見上げた。
「お兄様、カインのことですが……」
「残念で仕方ないよ。こればかりは俺達じゃどうしようもない」
「カインはアーヴァ様に似ている私をずっと狙っていたと遺していましたが……アーヴァ様ってどんな方だったのでしょうか。お父様やお母様、リオニー様に聞いても誰も教えてくれないのです」
「俺も同じだよ。ただ、リオニー様と同じ赤い髪に青い瞳の女性だったとしか教えられていない。王妃様は知ってそうだから、今度会った時聞いてみれば?」
「そうですね」
今後、王妃に会う機会は1度は必ずあるだろう。それが何を意味するかは、今のファウスティーナには分からない。
ファウスティーナの部屋に行こうと促されると小さな声が2人を呼んだ。振り返ると2人揃って目を丸くした。
エルヴィラがいたが……心なしか、顔色が悪い上に目が暗い。「エルヴィラはファナが誘拐されたと聞いてずっと部屋に居させたんだ」と耳打ちされた。
「お姉様……」
エルヴィラは一歩前に出た。
「お姉様はこれでベルンハルド様の婚約者ではなくなりますよね?」
こちらも通常運転だった。エルヴィラがファウスティーナを心配する、殊勝な真似をするかしないかと言えばしないの方が圧倒的に高かった。高くとも表面上は心配するのが人間。直球にベルンハルドの婚約の話をするエルヴィラに苦笑した。
「私からは何とも言えないわ。お父様や陛下達が決めることだから」
「何故です! ベルンハルド様に嫌われ、挙句誘拐されたお姉様が未だに婚約者なのは可笑しいです!」
「あら? それなら、学期末のテストで下から数える方が遥かに早かったエルヴィラが殿下に引っ付くのはどうなのかしら?」
「な、そ、それは今とは関係ないです! 話をすり替えないでください!」
覚えのあるやり取りだと感じると……そう、母リュドミーラに3度平手打ちを受けた時の会話とほぼ同じなのだ。やはり2人は母娘だと改めて実感した。
「エルヴィラ」
「!」
静かな怒気を纏ったケインの声にエルヴィラだけじゃなくファウスティーナも肩を跳ねさせた。
「……はあ……いや、いい。行こうファナ」
「え……お、お兄様?」
普段ならキツイ説教を放つのにケインから零れたのは溜め息と諦めに似た声。諦観の浮かんだ紅玉色の瞳を見て悟った。今までファウスティーナが部屋にいろ、ベルンハルドに近付くな、と何度怒鳴っても懲りずに何食わぬ顔で現れ泣かされ慰められたエルヴィラ。エルヴィラを叱ってきたケインももう諦めている。エルヴィラを叱っても反省されず、同じことを繰り返される。ならどうするか。関わるだけ無駄。時間の浪費。関わらないようにすればいい。ケインが遂にエルヴィラを諦めた。後ろでエルヴィラが叫んでいるがケインは足を止めることも振り返ることもせず、ファウスティーナを連れて部屋へ向かった。
1人残ったエルヴィラは呆然とした。
「な……で、……なんで……お兄様はわたしの話を聞いて……くれないの……」
見る見るうちに大きな紅玉色の瞳から涙が溢れた。
「お姉様のせいよ、全部、全部、全部……! お昼寝で魘されたのもお兄様が相手をしてくれないのも全部……!!」
勉強が出来ないのもファウスティーナが屋敷にいるせい。何時部屋に来て邪魔をしに来るかヒヤヒヤした。勉強に身に入らない。トリシャが何度もファウスティーナは来ないと言ってもエルヴィラは信じなかった。
トリシャの言うことが正しいと信じていてもきっとエルヴィラは勉強に力は入れなかっただろう。ファウスティーナから屋敷で何かをするつもりもエルヴィラに関わる気がそもそもないと聞かされていたトリシャが必死に訴えても無駄だった。
成績の悪さをファウスティーナのせいにしたら、静かな屋敷の離れに勉強中だけ移動させられた。……が、結果はお察しだ。
エルヴィラが勉強しないのはファウスティーナのせいでも何でもない、彼女の意思の問題だった。
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