王太子の“運命の相手”
「っ! は……は、あ……」
苦しげに顔を歪めていたベルンハルドの体から力が抜けた。咄嗟に両隣にいたシリウスとシエルが支え、床に倒れることはなかった。ファウスティーナが顔から手を離すと汗に塗れながらも、先程までの苦痛が消えたベルンハルドの顔がそこにあった。
「どうした」とシリウスに問われると。
「い、いえっ、もう大丈夫です。痛みは消えましたっ」
「一体何だったのだ」
「分かりません。急に襲ったかと思ったら、また急に消えて……」
ファウスティーナは一瞬でもいいからエルヴィラを愛しいと思ってほしいとベルンハルドに訴えた。痛みが消えたのは彼がそれを受け入れたから? 怖くて顔を直視出来なかった。目が合うと気まずげに逸らされた。……つまり、ベルンハルドが痛みから解放されたのはそういうことなのだ。胸に大きな痛みが走るも、これでいいと無理矢理自分を納得させた。
「父上、叔父上、ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません」
「構わないよ。ただ今日は安静にしていなさい。誰か、王太子を部屋まで」
呼ばれた騎士が数名駆け付けるとベルンハルドに寄り添う。立てても足元が覚束ない。ベルンハルドを支え、騎士達は部屋を後にした。出る間際、ベルンハルドがファウスティーナを見た気がした。一瞬だったので確信を持てる自信もなかった。
「王様、シエル様」
静観していたヴェレッドがシリウスとシエルの間に入り、左襟足髪を口元へ持っていく。何かを囁く彼に2人の形相が変わるも。
シエルは「やれやれ」と肩を竦めた。
「どうして今更」
「シエル様と違って危機感を抱いてるからじゃない?」
「酷いな。私だって何も考えていない訳じゃないよ」
「嘘ばっかり」
「小僧。仮にそれが当たっていたとして、どう影響を与える?」
「様子見しかないんじゃない? こればかりは。これで何か良い方に影響があればね……」
何を話しているのか不明な3人を視界の端に置き、ファウスティーナは父シトリンへ駆け寄った。
「お父様……殿下は大丈夫でしょうか」
「顔色はまだ悪かったがさっきまでのような苦痛は感じていなかったから……安静にしていれば、じきに良くなるよ」
「一体、何だったのでしょうか」
「……ファナ。馬車に乗ったら、ちょっとだけ話をしよう」
神妙な面持ちのシトリンの言葉を怪訝に思いながらもコクリと頷いた。
――城を出てシトリンと同じ馬車に乗り込んだ。最後ベルンハルドに会おうと思うも、安静が必要な今、また、自分が行っても更なる負担になるだけだと言い聞かし言葉だけを侍女に預けた。向かい合って父と乗る馬車は随分と久しぶりだった。
思えば、シトリンと出掛ける回数はかなり少なかった。母とは、お茶会で一緒に馬車に乗るが息苦しさしかなかった。
今も息苦しいが母とは違う。
「お父様」
ファウスティーナは思い切って訊ねてみた。
「先程の話というのは……」
「そうだね……。ベルンハルド殿下とエルヴィラが“運命の恋人たち”に選ばれた“建国祭”だけど……僕は、間違いなんじゃないかと抱いているんだ」
「間違い……?」
心臓が嫌に鳴った。
「“運命の恋人たち”は幸福の象徴。彼等の幸福は周囲にも祝福を齎す。でもね……僕は、幸福なのはエルヴィラだけでベルンハルド殿下は全く逆だと思っているんだ」
「……」
シトリンの言葉に何も言い返せなかった。
シトリンの疑問は正しい。
ベルンハルドとエルヴィラは、リンナモラートとフォルトゥナの力を借りたファウスティーナが無理矢理“運命の恋人たち”に仕立て上げた。歪な恋人たちだ。
「仮に2人が真に結ばれた“運命の恋人たち”なら、周囲にも幸福が溢れる。でも、その気配が全くない。……それに、だよ。殿下にはちゃんと“運命の相手”がいるんだ」
「“運命の相手”?」
「そう。君だよ、ファウスティーナ」
薄黄色の瞳を開かせる。初めて聞いた事実に。
「ベルンハルド殿下が生まれた際、祝福を授けると女神の像が光ったんだ。殿下の“運命の相手”がいるというお告げにと言ったらいいのかな。王子の“運命の相手”が女神の生まれ変わりである確率は非常に高い。そしてその予想は当たった」
「私が……殿下の運命……?」
初めて肖像画を見たら、出会ってもないのに遠い昔から知っているような懐かしさと途方もない愛情が溢れた。
実際に会ったら、毛虫を見るような目で睨まれ続け、名前を呼ぼうものなら他者が震え上がる冷徹な声色で黙らされ、泣くことしか出来ないエルヴィラにばかりかまけた挙句――最後のトドメを刺したベルンハルドの“運命の相手”が自分?
ファウスティーナの瞳から涙が流れた。
「お父様……っ、私……ずっとお父様に心配をかけたくなくて、言いませんでしたっ。
殿下に嫌われていることも、殿下に認めてもらえないことも、でもこんなことを言ったら、お父様を困らせると思って……。今更、私が殿下の“運命の相手”だったと言われても……もう全部遅いのです」
「ファナ……」
「たとえ歪だろうと間違いだろうと、殿下がエルヴィラと結ばれた。王国中の貴族が集まった会場で証明されたんです。否を唱えたところで誰も信じない」
ベルンハルドが今更になって関係改善を望んでも、シトリンからベルンハルドの“運命の相手”が自分だと聞かされても、全てが今更。
何もかもが、もう遅い。
シトリンに今までの心情を吐露したのは初めてだった。母と違って、父なら辛く悲しいことを訴えても真摯に聞き入れ対応してくれたのに。優しく、いつも見守ってくれた父に心配をかけさせたくなくて我慢した。
「ファウスティーナ……今まで気付いてあげられなくて……ごめんね……」
前に座るシトリンが隣に移動し、声を押し殺し泣くファウスティーナを抱き締めた。
「私は……殿下と離れたい、エルヴィラやお母様とももう関わりたくないっ。
もっと我儘を言ったら……家を出たい、です」
「……難しいね。ファナはもう王妃教育を終えている上、公爵家の長女で女神の生まれ変わり。ベルンハルド殿下との婚約を解消しても……」
「……いいえ。解消では駄目です」
一旦、顔を上げたファウスティーナ。
「婚約、破棄を……されないといけません」
「何を言っているんだい。言葉の意味を分かっているのかい?」
「分かっています。でも、私が悪者になって婚約破棄をされ、それを餌に殿下とエルヴィラを婚約させれば……殿下も認めざるを得なくなります。婚約破棄される理由は十分にあります。学院での私の振る舞いや行動を振り返ってもらえれば……」
「……」
入学してからベルンハルドを避け続けたファウスティーナ。エルヴィラが入学してくるなり、ベルンハルドの寵愛を独占する彼女が邪魔だと周囲の目があれば虐げた。逆に、誰の目もなければエルヴィラにもベルンハルドにも関わらなかった。意味がないからだ。誰かいてこそ、ファウスティーナの悪い印象は植え付けられ、エルヴィラは姉に虐められる可哀想な妹になり、ベルンハルドは運命によって結ばれた恋人を愛したくても婚約者という枷がいるせいで結ばれない可哀想な王子様になる。
「お願いですお父様、家を出たら私はお父様が指示する場所へ何処へでも行きます。だから、どうかっ」
「……分かった」
娘の懇願に諦めたような、後悔の念をたっぷりと染み込んだ、声が紡がれる。
「今日陛下に掛け合った。殿下とファウスティーナの婚約解消を。ファウスティーナは誘拐されたと言えど、その日の内に救出され、何事もなかった。だが、誘拐されたという事実を突く人は大勢いるだろう。殿下には早々に婚約解消の話をすると仰って下さった」
未だベルンハルドとファウスティーナの婚約が解消されないのは、ベルンハルドの断固とした拒否の姿勢のせい。
今回ばかりはシリウスも強行してくれる。
そう願うしかないファウスティーナは、御者の一言で公爵邸に到着したと知ったのだった。
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