公爵令嬢誘拐 ー執事の迎えー
もう少し、あともう少し。
周囲の目の大半には、“運命の恋人たち”である妹に嫉妬し、醜く王太子の寵愛を得ようと必死になっていると映っている。ベルンハルドが言葉を紡ぐ前に、態と声を大きくエルヴィラへの愛を罵声代わりに放った。後からベルンハルドが何を言おうが、嫉妬に狂って毎日エルヴィラに暴言しか吐かないファウスティーナの言葉を皆信じる。ベルンハルドは愛しいエルヴィラを庇いながら、相手は婚約者であるから下手に手を下せないとされている。
早く終わって欲しい。
そうしたら、この苦痛から逃れられる。
ベルンハルドもいい加減に認めたらいいのに。
2年生になっても当たり前な話、クラスはAクラスなので別にならない。
席はメルディアスの提案でファウスティーナは最前列、ベルンハルドが最後列となった。曰く、座高の問題だと説明していた。
席が遠く離れたお陰で、休憩時間は鐘が鳴るとすぐに教室を飛び出し、静かな場所で時間を潰した。昼休憩も同じ。食堂へ行けばベルンハルドと出会す。また、エルヴィラもいる。ケインに我儘を言って、お弁当を持って生徒会室で昼食を済ませている。一緒に昼を食べるのは楽しい。最近ではネージュも混ざっている。
『ネージュ殿下は食堂で召し上がらないのですか?』
『うん。ぼくは、城の料理人の作った栄養満点のお弁当を食べなさいって医者から言われてね。ごめんね、兄妹の中に割って入って』
『そのようなことは決して……! ただ、その……』
『……ああ、ひょっとして兄上のこと?』
仲の良い兄弟。幼い頃、城で隠れて泣いていたファウスティーナを外に連れ出し、一緒に甘いお菓子を食べてくれたネージュは学生になったらベルンハルドと一緒に昼食を食べるのが楽しみだと話していた。兄王子を慕うネージュの楽しみを間接的にも奪ってしまい、どう謝ればいいか。俯くと苦笑された気配が。
『ファウスティーナ嬢』
名を呼ばれ、顔を上げた。
『気にしないで。ぼくは君やケインと食べるのも楽しいから。ちゃんとこの時間を楽しんでるよ』
『ネージュ殿下……』
『兄上が誰と昼を食べようが勝手だから、ぼくがああだこうだ言ったってしょうがないでしょう? 君もそう思ってエルヴィラ嬢には何も言わないんでしょう?』
ネージュの言っているような気持ちはない。
ベルンハルドといる所に突っ掛かっているだけ。貴重な昼食の時間を使ってまで演技をする元気がないだけ。
放課後、読書をしてから帰宅する予定だったのに、何故かやって来たエルヴィラ。毎日ベルンハルドといる所に態ときつい言葉を沢山投げつけているのに、性懲りもなく近付くのはどのような意図があってか。瞬時に思考を巡らせるも、何も浮かばなかった。エルヴィラの考えだけはベルンハルドとは別の意味で読めない。
ふと、ベルンハルドが近くにいるような気がした。なら、早々に引き取ってもらおうとファウスティーナは先に話される前にいつもの演技をした。思った通り、何かを言いたかったエルヴィラはすぐに涙目になり、涙声で反論した。
誰かに呼ばれたであろうベルンハルドが駆けつければ、後はいつも通りの振る舞いをした。
仲裁に入ったメルディアスに別室へ連れて行かれた。
『全く。君もベルンハルド殿下も飽きないね』
『運命の相手がいながら、私と婚約を継続する殿下が悪いのです』
『はは! 無理矢理殿下と妹君を“運命の恋人たち”にした君が言うと違和感がすごいね』
『だって……』
これが、ベルンハルドが唯一幸福になれる選択だと信じていたから。
『さっきはああ言ったけど、いい加減陛下も重い腰を上げるよ。殿下の我儘を聞くのもそう長くない』
『そうなったら……』
『君とベルンハルド殿下の婚約は解消され、新たに妹君と婚約を結ばれるだろうね』
もうすぐ。
シリウスが早く決断すれば、もうすぐ解放される。
ベルンハルドの婚約者から、未来の王太子妃、王妃の座から。
王妃教育を受け、既に最近王妃から教育の完了を告げられたファウスティーナを簡単に手放すとは思えなくても、ベルンハルドとの再婚約がない限りは、もう関係がなくなる。
エルヴィラを認めて心の底から結ばれて一生苦しみ続けたらいいと憎む心と、愛しているから王国で最も幸福な人になってほしいと願う心が争う。どちらに大きく傾くかはファウスティーナにも見えない。どっちに傾こうが、結局自分とベルンハルドが結ばれる未来だけは永劫ないということだけ。
学院の門に向かっていると。待っていた帰りの馬車の側に立つ男性に驚いた。
「あれ? カイン?」
「お嬢様」
執事のカインが立っていた。何時もならジュードがいるのに。ファウスティーナの疑問をカインは答えてくれた。
「神官様は、急な呼び出しを受け今は教会にいらっしゃいます。夜には戻ると聞いています」
「そうなんだね」
「はい。リンスーには買い物を頼んでいまして、神官様がいないと抜けていた私の失念ですので、本日は私がお嬢様のお迎えに参りました」
「ありがとう」
失敗をしない有能な執事には珍しいミス。一分も無駄のない動作で一礼したカインに荷物を預け、馬車に乗り込んだ。向かいにカインが座る。扉を閉めると御者に馬車を動かすよう指示した。
真ん中にあるテーブルには、ティーポットとティーカップ2個が置かれていた。
「お疲れのお嬢様にとご用意しました紅茶です」
「わあ! ありがとう! どんなお茶なの?」
「心身をリラックスしてくれるお茶です。エルヴィラ様が入学してから、気を休める日が少ないお嬢様を少しは癒してくれるかと」
「……気を遣わせてごめんね」
「何を仰いますか。お嬢様も坊っちゃんも休むことを知ってください。2人は幼い頃から、毎日過酷な跡取り教育と淑女教育、更に王妃教育を受けていらしたのです。2人の努力する姿を見てきたので休んでもバチは当たりません」
努力する姿を見てきた……。気遣いが伝わる声色。ファウスティーナもケインも幼い頃から決まった将来の為に勉強し続けた、努力し続けた。
何が違うのだろうか。
子供達を平等に愛してくれる父と自分に似た息子と娘しか愛さない母。
努力が足りないあなたを誉められない、お茶をする暇はない、もっと完璧にしなさい、と求めるくせにファウスティーナが求めたら徹底的なまでに拒絶し。いざ自分がファウスティーナを求め、拒絶したら、今までのは全部あなたの為だったと涙ながらに語り、受け入れられなかったら怒鳴る母。
ベルンハルドと同じだ。
エルヴィラとお似合いだと放ったのは、溺愛している母と同じ行動をしているから。
『ファナ。この方がファナの夫となる王太子殿下だよ』と父が見せてくれたベルンハルドの肖像画。初めて見た筈なのに、遠い昔に会った事があるような、この人なら自分を見てくれる、抱いた経験のない愛おしさが込み上がった。
カインが用意した紅茶はとても美味しく、あっという間に1杯目を飲み干していた。
お代わりを貰おうと顔を上げた時……
「あれ……?」
「どうしました?」
「なんだか……眠くなってきたの……」
「……お嬢様は、ご自分が思っている以上にお疲れのようですね。屋敷に着いたら起こしますから、眠ってください」
「うん……お願い……」
ティーカップをテーブルに置いた。急激に襲い始めた眠気に抗える術はない。ぼんやりと霞む視界で前にいるカインの唇が歪に動いた。
「ごめんね? お嬢様……」
最後に聞こえた声は、カインの声じゃなかった。
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