大嫌い
1日の半分を費やした話し合いも、リュドミーラがシエルに用意された自白剤を飲んだ直後、吐血した為、途中騒然となった。自白剤の効果を高める毒薬も混ぜられていて、毒の耐性がない彼女は自白よりも毒の効果が早く現れ急ぎ医務室に運ばれた。青白く恐々としていたのはシトリンだけ。シリウス、シエル、自白剤を用意したメルディアスは何事もなかったように話を再開させた。
ファウスティーナの為にしてきた行いが全て無駄になってしまった、王妃という未来が台無しになってしまった、あの子に厳しくしてきた辛い日々はなんだったのかと悲劇のヒロインを語って泣き出す姿が、いい加減苛々が最高潮に達していたシエルのご機嫌取りと、無駄な時間消費削減の目的で態とシエル用に準備した自白剤を出した。
リュドミーラの語るファウスティーナの為が偽りのない本音かどうか。躊躇うかと思いきや、彼女は一瞬の戸惑いもなく飲み干した。結果が悲しいかな、冷酷を極めし人間ばかり集まっているせいで吐血という最悪な事態となった。
そして、今までの行いを本気でファウスティーナの為と信じていたリュドミーラに大きな溜息が吐かれた。何も出来ないエルヴィラも本気で彼女を想って庇ってきたのかは兎も角、何故疑いを持たなかったのかが不思議だ。
――と、手紙でシエルとメルディアスに教えられたジュードは抱くのだった。
思い込みの激しい女性とは抱いていたが、今まで見てきたなかで頂点に立てる。王弟相手に平気で毒入りの自白剤を用意していたメルディアスも大概だが、普通の女性に飲ませ罪悪感を抱かない3人に寒気がした。冷酷な人達なのは承知なのに。自業自得とはいえ、若干リュドミーラとシトリンが気の毒。
手紙を箱に仕舞うと、そろそろファウスティーナとケインの登校時間になるなと椅子から立った。
「お嬢様は王太子様との婚約は既にないものと思っているし、エルヴィラ様はお嬢様を牽制したのは数日前の朝だけだったな」
●○●○●○
建国祭から数日が経った今日。学院登校日となり、普段通りケインと付き添いのジュードと馬車に乗り込み、学院へ向かう。春からはエルヴィラも同じ馬車に乗るのだと思うと気が滅入る。
エルヴィラも自分と同じ馬車に乗るのは嫌がるだろうから、先に手を打っておこうとケインに話し掛けた。
「お兄様。春からの通学ですが」
「どうしたの」
「エルヴィラとは、別の馬車でいいですか? 多分、エルヴィラも私と同じ馬車は嫌がるでしょうし」
「いいよ。俺とファナは変わらず、一緒の馬車で通学するよ」
「え」
何でもないようにエルヴィラは1人での通学と教えられ、予想していた反応と違い戸惑う。
鞄から本を取り出したケインはページを開いた。
「俺と乗るのも嫌がるだろうからね」
「そんなことはないのでは……」
「ファナが受けてきた王妃教育の量を1日熟してみなと言った日があったでしょう? 部屋に連れて行かれても泣いて暴れるって後からトリシャに助けを求められてね。学のない者を王子、ましてや次期国王である王太子の視界に入れさせられないって言ったら、大泣きされて部屋を追い出された」
「……」
建国祭翌日の朝食の場で、確かにケインはそう言った。後の出来事を知らなかった。
昼過ぎに戻ったリュドミーラが急な体調不良で暫く領地で療養すると聞かされた時も驚いた。死人と間違えるくらいに悪い顔色。気のせいか、口端に血が付着していた。持病を持っているとは聞いていない。シトリンの恐々とした表情も忘れられない。何があったか訊ねても、ファナは気にしなくていいと教えてくれず。王太子との婚約も取り敢えずは継続となった。
ベルンハルドの運命の相手がファウスティーナと引けを取らない才能ある令嬢ならば良かったのだが……。エルヴィラは無理。当然、自分がベルンハルドの婚約者になれると信じていたらしいエルヴィラにしたら信じ難い現実で。散々罵倒されるが、必要最低限しか関わらないと決めた相手に何を言われようとひよこ豆サイズの感情も抱かなかった。興味のない、無関心な装いで黙って聞いていると勢いはすぐになくなり、最後は縋るような泣き顔を浮かべるも……嫌っている相手に縋る意味が分からないと相手にしなかった。
馬車が学院に到着した。
ケインが先に降り、外から手を差し出した。
ケインの手を借りて降りたファウスティーナは、地面に足を着けた直後から多数の視線を受けた。
王国中の貴族絶対参加の建国祭で、妹が婚約者の運命の相手となったのだ。噂の格好の餌食だ。
「ファナ。堂々としていなさい」
「はい、お兄様」
俯く必要も、後ろ暗く感じる必要もない。
胸を張って、堂々と歩こう。
通り過ぎていく生徒の何人かが、噂を気にもしないファウスティーナを嘲笑うも、殆どが隣にいるケインを見上げる純美な微笑みに目を奪われていた。
ケインと途中別れ、1年生の教室のあるフロアに向かう。
ベルンハルドも登校する。
決して、感情を乱したりしない。姿を見たりしない。声も、必要最低限にだけ留める。
「――ファウスティーナ」
聞き間違えようのない、声。
心臓が大きく動き、一瞬息苦しさを感じるも、すぐに消えた。
ファウスティーナはあくまで平静を装って……振り向いた。
「っ……」
数日振りに会ったベルンハルドの顔色は良くなかった。青くはないが表情に濃い翳りがあった。
そんな顔をさせているのは、紛れもなく自分。
場所を移そうと、テスト期間になるとよく使用する図書室の個室に入った。
手を伸ばせば触れる距離に近付かれ――
「満足か?」
開口一番に放たれた低い声。見れば愛おしさが込み上がる瑠璃色の瞳に光がなかった。黒に近い、青がファウスティーナを見下ろす。油断ならない気配に緊張が走るも、冷静に、冷静に、と自分を奮い立たせた。
「満足だったか? 私とエルヴィラを“運命の恋人たち”にして」
「……そうですね。殿下がやっとエルヴィラを受け入れたようで安心しています」
「受け入れた?」
「ずっと呼び捨てで呼んでいたのを急に止めたのに、今殿下はエルヴィラを呼び捨てで呼んだではありませんか。お認めになったのでしょう?」
「は……」
ベルンハルドは自嘲気味に嗤った。見たことのない姿に突然背筋が凍った。
「認めた、か。そうだな……ファウスティーナには、もう何を言っても無駄だと思い知った。だったら、私は私の好きにさせてもらう」
「そう、ですか。なら、早く陛下に婚約者変更を」
「それだけは絶対にない」
「なっ」
“運命の恋人たち”は、王国の幸福の象徴。ベルンハルドはエルヴィラと結ばれる以外の道はない。言葉を失っていると、髪を一房掬われた。
「……婚約者の変更は絶対にない」
「何故ですかっ。運命の女神様は、女神の生まれ変わりが必ず王族に嫁ぐという誓約は今代だけなくして下さると仰ってくれました! 殿下が私に拘る理由はなんですか!? そうまでして、エルヴィラの代わりをさせたいですか!?」
「――クラウドに頼んだ」
クラウドに頼んだ? 今日の放課後、指定した場所に来てほしいとルイーザの名を騙って呼び出しを受けている。何を頼んだのかと問えば、イル・ジュディーツィオを知っているかと出された。
フワーリン家が中立を貫く姿勢を崩さない最大の理由。運命の女神が結んだ運命の糸を、否とするなら断ち切る力を持つ審判者の名。
今代の審判者がクラウド。
ベルンハルドは手中にある空色の髪を見つめながら言葉を紡ぐ。
「クラウドと約束した。卒業までに私とファウスティーナの婚約が継続されれば、エルヴィラと結ばれている運命の赤い糸を切ると。だから婚約解消だけは絶対にしない。お前がどれだけエルヴィラに嫌がらせをしようが絶対にだ」
「殿下がそう言っても、周囲の目には、妹を嫉妬から虐める令嬢が王妃に相応しいとは思われない。継続させるだけ殿下にとって不利になるとは考えないのですか」
「ならどうしろと? 何を言っても私の話を信用しないお前に何をどう言えば信じてもらえるんだ!?」
「私の台詞ですわ! 殿下だって、私が何を言っても信じるどころか聞く耳すら持たなかったくせに!
何十、何百だって言って差し上げますわ!! 殿下に相応しいのは、泣くだけでなんでも許されて愛されるエルヴィラです!! お母様みたいに、今までのように私を悪者にしたらいい!!
大体、あなたもお母様も、私が2人に関わらないようにしたら揃いも揃って関わろうとして何なのですか!!」
叫べば叫ぶ程、お互いの憎しみは増すばかり。言い返そうとしたベルンハルドが声を発する前により声を大きくした。
「私が娘として、婚約者として、愛してほしい時には強制するだけだったのに!! 私があなた達から離れたら、自分が被害者のように振る舞って近付いて……!! いい加減お母様にも殿下にも関わりたくないっ!!
――大嫌いよ!! あなたもお母様も!! 絶対にあなたの妃になんてならない、エルヴィラと結ばれるのが嫌ならそれがあなたへの私がする復讐です!! 無理矢理結ばれた“運命の恋人たち”として一生苦しめばいい!!!!」
行為にも、言葉にも、超えてはならない一線がある。今、自身は超えた。現実にしたら苦しむのは自分なのに。ベルンハルドに嫌がらせをしているつもりはなかった。“運命の恋人たち”に無理矢理しても、受け入れてしまえば幸福になれるのだからと。ベルンハルドの言葉を頑なに受け入れないのは、どうしてだろうと何度か自問自答した。答えはふこうになってほしくないから。これしか出ない。意図的に出そうとしても怒声というのは、発声させるだけで多大な体力を消費すると身を以て知った。
同時に、これまで自分に怒声を浴びせ続けた母の態度に失望とする。自分に似ていない娘が、そうまでして可愛く無かったのか、愛することが出来なかったのかと。愛せないなら、関わらなければ良かったのに。そうすれば、母は自分には無関心なのだと諦めもついた。
興奮していた気持ちが沈静化する頃には、冷静さを幾らか取り戻し。……人に言ってはいけない言葉を放ってしまったと顔を青ざめた。
「…………」
同時にベルンハルドの相貌を見て言葉を失った。深い絶望に叩き落とされた人そのもの。髪を掬っていた手も力無く垂れていた。
今更弁解なんてしない。したところで、1度放った言葉は戻らない。
瑠璃色の瞳が輝きのない、深海の底を宿した暗闇でファウスティーナを見つめ。徐に唇を動かした。
「それで……気が済むなら、そうしたらいい」
「っ」
「だけど……婚約解消だけは絶対にしない。ファウスティーナが私をどれだけ避けようが嫌おうが構わない。エルヴィラを愛することだけは絶対にない」
「何故ですか……っ、今までのどこかで……少しでもよかった……私を、婚約者として見てくれていたら……私は…………今のあなたを……信じられた……っ」
5年前の祝福された建国祭以降、離縁した夫婦が減少したと聞く。
今まで仮面夫婦だったのが心に秘める想いを花として具現化されたことでお互いの気持ちに気付き、寄り添う夫婦が増えた。中には変わらない夫婦もいる。だが、数だけで表すと良好な関係に転じた夫婦が多かった。
7歳から結ばれた婚約から、どこかでいい、ベルンハルドから好意を感じたら、必死にファウスティーナに償おうと歩み寄る彼を拒絶し続けなかった。
強い罪悪感を抱いた歪んだ表情。
視界が霞む。俯くとぽろぽろと透明な雫が落ち、床に水玉模様を浮かべていった。一歩踏み出された靴が見えると背中に温かいものが触れた。優しく背中を撫でられ、何度も謝られた。
声を殺して泣き続けた。
泣き止んでも暫くそのままでいた。
――どうやって別れたのか、そもそも何時教室に戻ったかぼんやりとしている意識の中、約束の時間になると指定された場所にファウスティーナはいた。
生徒会の役員が休憩用で使う小さな部屋に。
「ベルンハルドもだったけど、君もぼんやりしてるね。ファウスティーナ様」
ファウスティーナを呼び出した本人――クラウドがお茶の用意を持って部屋に入った。
運命の女神の下した運命を唯一否と覆せる力を持つ、今代のイル・ジュディーツィオはふわふわとした微笑みを浮かべたまま、席に座るよう促した。
いつぞやのケインが言っていたことかもです。




