運命の恋人たち誕生 〜もう戻れない〜
王宮舞踏会の前、学院の図書室で起きた時と同じで、空間に雫が落ちた波紋が全体に広がった。時間の止まった世界でただ1人、動くことを許されたファウスティーナは淡い光を身に纏ったリンナモラートの登場に驚きはしつつ、最初と比べると幾分か落ち着いていた。
空の髪と太陽を彷彿とさせる薄黄色の瞳は上座周辺の人達をさっと流し見、ネージュを長く見つめた後ファウスティーナの前に立った。
「約束だったもの。王子様と空っぽを結ばせると」
「本当に可能なのですか?」
「本来なら無理よ。だって、この2人は“運命の恋人たち”になる資格がないもの」
リンナモラートが左腕を薙ぎ払った。優しい風が発生した。ふわりと舞う空の髪。会場全体が淡い光に包まれると不思議な現象が起きた。何組かの男女の間に赤く輝く糸が出現した。
それはファウスティーナとベルンハルドの間にも。左手の小指に巻かれていた。
「これは……」
「“運命の恋人たち”になり得る男女の糸よ。あなたと王子様は生まれた瞬間から既に結ばれているのよ。見てみなさい」
「え? ――――ヒェ……」
リンナモラートが示した先には、多数の赤い糸がエルヴィラからベルンハルドに結ばれている、というより巻き付いていると表現が正しい。
「空っぽの一方的な執着の現れよ」
「な、ななん、ですかこれ? エルヴィラと殿下を“運命の恋人たち”には……」
「無理よ。本来なら」
多数の赤い糸と増殖するように咲く赤い花が結びついた。執着の現れならば、後ずさるベルンハルドを追いかけ増えていくのは納得だった。エルヴィラは呪いでも掛かっているのかと問えば、違う、とリンナモラートは否定した。愛される願望が常人よりも数倍も強く、婚約者を放置してまで自分を優先してくれた王子様と何がなんでも結ばれたい思いから生まれた糸と説明された。
何度も優しくされ、慰められ、婚約者がいるのに常に優先される行為をされ続ければ誤解が生じ、期待を抱いてしまった。
最初の自分が悪いせいだと言い聞かせるも、心の奥底ではベルンハルドが悪いと囁く黒い声が蝕む。
「王子様の本来の運命の相手はあなた。あなたから、無理矢理空っぽに繋げる方法はある。だけど、これをしたら最後――王子様と空っぽは“運命の恋人たち”になり、幸福の象徴として必ず一緒にならないとならない。いいのね?」
「……」
ベルンハルドとエルヴィラを“運命の恋人たち”にと企んだのは、シエルの助言とファウスティーナの償い。最初を間違えてしまったが為に、性格が最低な傲慢な令嬢と結ばれなければならないベルンハルドを気の毒に、罪悪感を抱いて。何をしても泣いたら許してもらえるエルヴィラを常に優先し、周囲が何を言おうとエルヴィラを気に掛け続けるのだから、エルヴィラと結ばれればベルンハルドも今までの時間を返上するように幸福となると踏んだから。一方的な恋情を差し向け、気色の悪い赤い花を増殖させるエルヴィラの愛は本当にベルンハルドを幸せにしてくれるのか。
ここにきて決心が揺らぐ。
答えあぐねるファウスティーナはベルンハルドを見つめた。
肖像画を見た瞬間から恋に落ちた。初めて見た筈なのに、もっと遠い昔から会っていた不思議な感覚に陥った。何度も後悔した。エルヴィラを無視していたら、今みたいに気にしたら時間の無駄だとあの時から心掛けていたら……きっと……ベルンハルドの隣に堂々と立っていられた。
『お前のような底意地の悪い相手が婚約者となった僕の気持ちにもなれ! お前は僕の唯一の汚点だ!』最後の止めの言葉。襤褸を纏って繋いでいた希望も跡形もなく消し飛んだ瞬間。
ベルンハルドの為……ベルンハルドの為……この執着もベルンハルドが受け入れさえすれば、いいだけ。
ファウスティーナを拒絶し続け、エルヴィラを優先し続けたのなら、多数の糸に巻き付かれる執着だって何れ愛を感じ受け入れる。
エルヴィラが王太子妃の役目を絶対に全う出来なくても……存在するだけで幸福を示す象徴なら、周囲も文句は言うまい。
「リンナモラート様」
決心がついたファウスティーナの瞳に揺らぎは消えていた。
「殿下とエルヴィラを“運命の恋人たち”にする方法を教えてください」
「……いいわよ」
リンナモラートは一段と輝く赤い糸を見せた。
「王子様と空っぽの糸をこの糸に結んで終わり」
「それ……だけなのですか?」
「そうよ。だけど覚悟しなさい。互いを強く思い合うことが必要な“運命の恋人たち”が片方の一方的な恋情から成立する歪さを」
「……」
「……王子様はあなたを求めている。前に言ったでしょう?」
「はい……」
「王子様はこれで逃れられない赤い糸に縛られ続ける。幸福とは真逆、不幸の底へ落とされる。それでも王子様と空っぽを結ぶ?」
「殿下がエルヴィラを受け入れたらいいだけです。……今まで散々エルヴィラを優先していたのだから、受け入れることだって容易です。これで殿下も観念するでしょう」
「そう……」
1度決心した事柄を決して曲げない頑固さは、嘗てリンナモラートを1人の女性として唯一愛したルイス=セラ=ガルシアと瓜二つ。王族の1度決めた意思を曲げない性質は彼譲りなのだろう。
ベルンハルドの右手の小指に持っていた糸を巻き、多数あるエルヴィラの糸を1つに集約し、太い糸に変えたそれにも糸を結んだ。
これでこの2人は時が動けば“運命の恋人たち”となり、周囲から祝福されるだろう。一部は反対しても、である。
「これでさすがの殿下も私との婚約継続は無理だと理解してくれる……」
ループする人生。4度目の今、姉神が重い腰を上げて契約をした人間に接触し様子を見させた。が、本当に様子を見ただけで何もしなかった。自身と同じく“運命の輪”を使った者に助言をしただけ。
運命が拗れた最初の原因は31年前のイレギュラー。ルイスの生まれ変わりが生まれる時期が早すぎた。リンナモラートの生まれ変わりが生まれるのは、恐らくヴィトケンシュタイン家の血を引く者との間から生まれる次の子供。フォルトゥナがルイスの生まれ変わりが生まれるのを16年遅らせた。これが2つ目の原因。
16年後、当時シエラのお腹に宿っていたベルンハルドがルイスの生まれ変わりだと思ったのに、何故か彼の中にルイスを感じなかった。リンナモラートの【魅力】と【愛】の力は、この時アーヴァのお腹に宿っていたファウスティーナに定着しており。ベルンハルドの中にルイスがいないなら、気配は強く感じるのに何時生まれるか不安なリンナモラートは2つの力をファウスティーナから、翌年生まれるリュドミーラの子に宿るようにした。これが3つ目。
何がきっかけだったかは覚えていない。唐突に生後何ヶ月かしてベルンハルドからルイスを感じた。この時、既にエルヴィラがリュドミーラのお腹にいた。
リンナモラートは慌てて【魅力】と【愛】の力をファウスティーナに戻した。アーヴァはファウスティーナを出産後力尽き命を落としている。オルトリウスに匿われていたシエルが大切に大切に育てていた。お世話を手伝っていたヴェレッドはよく左襟足髪を引っ張られていた。定着していた力を無理矢理引き剥がした代償は彼女にはなく、安堵した。……しかし、とても中途半端に【愛】の『愛される愛』をエルヴィラに置き忘れてしまったことに気づいたのは、何年か経過した後。
特定の相手にだけ異様に愛されるエルヴィラに疑問を抱き、密かに調べた結果。
自身のおっちょこちょいは遥か昔から姉神に何度も注意されていたのに……。
揺らぐ瞳をベルンハルドへと向けるファウスティーナは、まるで今生の別れを惜しむ人の顔。ある意味では別れなのだろう。
「私が消えたら時間は動き出すわ」
「はい、分かりました」
最後にこれだけは聞いておきたかった。
「ファウスティーナ……あなたは……王子様は空っぽと結ばれれば幸せになれる、と固く信じる自分に疑問を抱いたことはない?」
「え」
思ってもみない問いにファウスティーナは目を丸くする。悩む素振りを見せつつも、迷いない口調で答えた。
「殿下が不幸にならない為です」
「そう……」
リンナモラートは現れた時と同じで、空間に波紋を広げ――消えた。
「不幸……ね……
あなたの言うふこうって……――――」
何かを呟いたリンナモラートの足元にコールダックが心配げに駆け寄ってきた。しゃがみ、真っ白な頭を撫でてやった。
「そうね……ファウスティーナ、あなたにとって思う王子様の不幸は……」
――死んでしまうことだったわね……
読んでいただきありがとうございます。
二章最後の「呪い」でのケインの独白にあったシーンが次になります……




