運命の恋人たち誕生 〜無意味な嫉妬〜
青い鳥と赤い鳥のガラス細工をシエルに買ってもらい、上機嫌なまま公爵邸に戻った。馬車が門の前に着くと、丁度ケインとリュンがいた。今年、父シトリンは平民街の祭りには不参加を決めたので従者のリュンが同行した。ファウスティーナが馬車から降りると振り向いた。
「お帰り、ファナ」
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「ただいまお兄様、リュン」
手に木箱を大事に持っているのを不思議に見つめられ、中身の話をした。割れ物なら慎重にねとケインは普段の無表情で言う。無表情じゃない時がない。笑う顔は滅多に見られないが父に似ているのはファウスティーナはよく知っている。
馬車の窓越しからシエルが「ファウスティーナ様」と呼ぶ。
「司祭様、ヴェレッド様も。ありがとうございました」
「いや、いいよ。私も珍しい物が買えたしね」
「紅茶バーカ」
「うるさいよ」
奥から届いた眠そうな罵声にも鋭い声でツッコミを入れるのを忘れない。仲良しな2人ならではのやり取りに苦笑していると不意にヴェレッドが窓から顔を出した。
「楽しかった?」
「はい。とっても」
「あの飴屋の人、何か言ってた?」
「何か……?」
2人には、2度引いた紐に飴がついておらず、女主人が好意で紐つけ前の飴をくれたと話した。愉しげな笑みを浮かべるヴェレッドはそれ以上は何も言わず。ないならいいや、と再び戻った。呆れた目をヴェレッドにやりつつ、会場で会おうとシエルは言い残すと御者に「行け」と命じた。
フードを深く被っていたせいで表情が伺えなかった女主人と知り合いなのか? けれど、4年前そんな素振りはなかった。
馬車が見えなくなるまで思案したファウスティーナに戻ろうと促したケイン。今夜のパーティーに没頭しようとファウスティーナはさっきまでの思考を振り払った。
今年の祭りでリュンが成長豚サイズの【ピギーちゃんの置物】を購入して幸福に浸り過ぎて天に召されかけていた。実物は後日、使用人館にあるリュンの私室に運ばれるそうだが……ケインのドン引きした顔から、当日は業者が帰るまで部屋にいようと密かに決心したファウスティーナであった。因みに、コールダックのダックちゃんも同サイズの置物があったらしい。
3人で屋敷に戻るとそれぞれ使用人達が迎えた。奥からリンスーがファウスティーナの元へ。
「お帰りなさいませ、お嬢様、ケイン様」
「ただいま」
「ただいま、リンスー」
リンスーに木箱を渡した。
「これ、後で部屋に飾っておいて」
「分かりました。すぐにパーティーに行く準備をしましょう。湯浴みの準備は整っています」
「ありがとう。お兄様、また後で」
「行っておいで」
リンスーを伴って部屋に戻った。木箱を真ん中のテーブルに置いたリンスーに上着を脱がしてもらう。次に浴室まで移動した。
薔薇の花弁が浮かぶ浴槽から香る香りに頬を綻ばせる。リンスーにドレスを脱がされ、浴槽に身を浸した。
熱すぎず、冷たすぎずな、適温のお湯は歩き回って疲れた体を癒してくれる。
「いい気持ち……」
「ごゆっくり……と言いたいですが今日はスピーディーにいきますよ」
「ゆっくりし過ぎたね」
「お嬢様が楽しんでいたのなら、司祭様だって喜んでいた筈です」
「そうだといいね」
「きっとそうです! 司祭様、お嬢様には特別優しいですから」
あの人の特別とも感じる優しさは、保護してくれた4年前よりもあった。明確に抱き始めたのは4年前でも。
談笑しつつ、リンスーに髪や身体を洗ってもらい、タオルで拭かれた。
部屋に戻り、着々と準備を進めていく最中、突然の訪問者が。公爵家の者が今忙しいのは屋敷にいる者なら誰もが知っている。こんな時に誰かと、リンスーに出てもらうと相手は母リュドミーラだった。ファウスティーナの中から存在が消えかかっている人。リュドミーラの準備はもう済んである。年齢を重ねても衰えない妖精姫と謳われた可憐な美貌は健在なまま。しかし、憂いがあるのは何故。
「奥様……申し訳ありません、お嬢様はまだ準備が……」
「そんなこと、分かっているわ」
終わってから来てほしかった。とはファウスティーナとリンスーの心の声。
「ファウスティーナ。今日のパーティーで、またエルヴィラに何かしてみなさい。今度こそ許しませんよ」
神妙な顔をしているから深刻な問題かと思いきや、逆だった。エルヴィラが何もしなければファウスティーナはそもそも何もしない。愛する娘を守る母親の自分に酔っている節が否めないリュドミーラに溜め息混じりにファウスティーナは首を振った。
「なら、お母様がしっかりとエルヴィラの手綱を握っていればいい話では? 王妃様に嫌味を言われても諦めない粘着強さは誰の手にも負えないですが」
「だ、黙りなさい!」
「事実ですわ。あれだけ言われても王太子殿下の名を呼ぶエルヴィラを誰が止めろと言うのですか? ……まあ、お父様やお母様、お兄様や私が言っても、殿下が来るから部屋にいなさいと言い付けられてものこのこ顔を出す図太い神経の持ち主なので無理でしょうね」
「っ……」
8年前から発生していた問題を今更持ち出してと思うだろうが、今更じゃない。今尚問題だからファウスティーナは出した。
リュドミーラが手に何かを持っているのは、握っている姿で分かる。
興味も、受け取る気もないファウスティーナは準備を急ぐからとリュドミーラに退室してもらった。
何を渡したかったかは不明でも、何を言いに来たかだけしっかりと伝わった。
「お嬢様……以前、家を出たいと仰っていましたよね」
「その為にも、リンスーやトリシャ、ジュード君に無理なお願いしたね」
「全くです。……お家を出られる時、私も連れて行ってください」
「リンスー……」
ずっと侍女として、時に立場を超えた友人として、リンスーには歳の離れた姉の感情を抱いていた。
リンスーほど、真摯にファウスティーナの言葉に耳を傾けてくれた女性は邸内では他にいない。
寂しそうでも悲壮感はなく、一緒に行くのが当たり前と言わんばかりの表情だった。
「……そうだ……ね。リンスーがいたら、きっと安心だね」
「お嬢様が1人で平民の生活なんて無理ですから」
――ごめん……リンスー……
優秀な侍女である彼女を連れて行く気はない。平民となった自分と一緒にいるより、ずっと此処で働いた方がリンスーだけじゃなく、彼女の家族にも良い。
それと合わせて、将来必ず跡を継いで公爵となる兄の補佐をリュンと共にしてほしい。偶に人使いが荒いと遠い目をしているリュンを何度か目撃済みである。
リュドミーラが出て行った後は恙なく準備は進んだ。最後に姿見の前で確認をした。
「どうかな?」
「とても似合っております! お嬢様には青がよく似合います!」
青と白を組み合わせたドレス。色の組み合わせがシエルと被ってしまうものの、洗練されたデザインはファウスティーナの常人離れした美貌を大いに引き立たせていた。ドレスの贈り主はなんとメルセス。付けられていた手紙によると――
“司祭様にとーっても無理を言って私がお嬢様の為にデザインしました♪”と女性らしい、可愛らしい文字で書かれていた。
長い白金色の髪をハーフアップにした妖艶な美女が自分の為にドレスのデザインを考える光景を浮かべると、照れるような、非常に温かい心になるよう、擽ったい気持ちとなった。
リュドミーラはドレスが贈られた時何か騒いでいたが聞く気のないファウスティーナは覚えていない。
扉がノックをされた。許可すると執事長のクラッカーだった。
「お嬢様。皆様、玄関ホールにてお待ちです」
「丁度良かったね」
「間に合って良かったです」
「よくお似合いですよ、ファウスティーナお嬢様」
「ありがとうクラッカーさん」
ファウスティーナは祖父、という存在にあまり会ったことがない。先代ヴィトケンシュタイン公爵である祖父と会うのをシトリンが良い顔をせず、会わせてくれない。祖母は5歳の頃亡くなった。母方の祖父母も指で数える程度にしか会っていない。
祖父という存在で真っ先に浮かぶのは、シトリンと同じでお日様のように温かく、優しい眼で常に見守ってくれたクラッカー以外いない。
クラッカーを先頭に、ファウスティーナは玄関ホールへ向かった。
「ファナ」とケインが此方を向いた。正装姿の兄は、数ヶ月前も抱いたが冷たい雰囲気が右に出る者がいないと断言可能な出立ち。
ケインやシトリンと幾つか言葉を交わすと背中にちくりとした視線が。
振り向くとエルヴィラに嫉視されていた。言いたいことのある顔だが、今口を開くと次の展開が読めて出発が遅れてしまう。
「俺とファナ、父上と母上とエルヴィラで乗車で構いませんね? 父上」
「……そうだね。その方が良いだろう」
諦念にも似たシトリンの落胆した声。リュドミーラがシトリンに駆け寄るも、行こうとケインに促されたファウスティーナは外に出た。
「お姉様っ!」とエルヴィラに呼び止められるもケインが引っ張る力が強く、待機していた馬車に強引に押し込められた。ケインの後に同乗者のジュードが乗り込むと「すぐに出して」と出発させた。
「お兄様、そこまでして急がなくても」
「良いんだよ。……もう、関わるのが疲れてきたんだ」
「お兄様……」
1歳上の兄は同年代の他の子と比べるとすごく大人びている。実は年齢を誤魔化しているのでは、と。馬鹿なことを言い出したくなる程に、兄――ケインの冷静さは昔から群を抜いていた。
「お母様やエルヴィラがお兄様のような人だったら良いなって、何度か思いました」
「俺みたいなのが?」
「そりゃあ、冷たいし怖いですけど。でも、お兄様の側って無条件でとっても安心出来るんです。お父様は春の温かさと同じでいるだけで穏やかになるんですけど、お兄様は一緒にいるってだけで安心しちゃうんです」
厳しいだけじゃない。厳しさの中にも、惜しみない愛情を注いでくれたら、母のこともケインや王妃と同じくらい尊敬出来た。
何度過ぎた事、絶対に無理だと言い聞かせても、長く羨望し続けた気持ちは簡単には消えてくれない。
「そう……」微かに笑って見せられ、釣られて微笑んだ。
唯一、ジュードだけが食い入るようにケインを見た。無表情が常な彼の微笑を初めて目の当たりにしたせいであった。
――暫くして。ヴィトケンシュタイン公爵家の2台の馬車が王城内にある停車所に到着。御者が扉を開けると車内から降りた。
出発する前からファウスティーナへ言いたげな目を向けるエルヴィラが口を開くのを察し、些か緊張しているファウスティーナへジュードが肩の力を抜かせた。
「お嬢様。気を張らずに」
「うん。ありがとう」
ファウスティーナの緊張は、ジュードの心配とは別物。
今日で決まる。王国の幸福の象徴たる“運命の恋人たち”が。先にジュードに奪われ、悔しげにドレスの裾を握るエルヴィラを一瞥した。
どうせこの後、愛しのベルンハルドと“運命の恋人たち”となれば、必ず勝ち誇った余裕の表情で先制してくるだろう。相手にしないのが1番だが……これからは、そうはいかない。
『愛に狂った王太子』では、常に主人公は悪役の姉に暴言を吐かれ地味な嫌がらせを受けていた。水かけ以外の実力行使はしない方針だが、口だけは遠慮なく挟む。“運命の恋人たち”は必ず結ばれないとならない。これでベルンハルドがどんなに拒否しても、ファウスティーナとの婚約は不可能となる。自動的に次の王太子妃筆頭候補はエルヴィラとなる。馬鹿にされ続けた悔しさをバネにやる気を見せてほしいが……期待はしないでおこう。
会場で受付を済ませた。アナウンスと同時に入場するのはどの王家主体のパーティーでも同じ。
上座に座する王族達の元へ行き、最上級の礼を見せた。
「国王陛下、王妃殿下、王太子殿下、王子殿下。建国祭が滞りなく開催されましたこと、嬉しく思います」
「ああ。存分に楽しんでいくといい」
異母兄弟なだけあってシリウスとシエルは似ている。年相応から遠く離れた美貌の健在は2人とも同じだが……シエルと比べると明確な差があった。シエルの天上人の如く美貌は歳を重ねても衰えず、同じ状態を保ったまま。圧倒的美貌という点ではヴェレッドも同じなのだが。
シエルとヴェレッドは上座にはいない。挨拶が終わったら探しに行こう。
「……」
ベルンハルドから注がれる無言の威圧。お互い口を開いても一方的な感情を剥き出しにするだけ、閉ざした方がお互いの為。
今日は建国祭。次期国王と王妃になる男女のファーストダンスは免れない。
ベルンハルドが真っ直ぐファウスティーナの元へ降りてくる。エルヴィラが駆けようとするがケインが腕を掴んで止めた。大声を出して抗議しようとしたのか、ケインに向いた。
――ひ……
ファウスティーナは一瞥したケインの絶対零度の瞳によって悲鳴を上げそうになった。エルヴィラではなくても、恐怖に弱い人が向けられるとトラウマ確定の冷酷さがあった。現に、声も上げられず、震えるもこともできず、石像のようにエルヴィラは動けないでいた。
「ファウスティーナ」
「!」
意識をケインからベルンハルドに戻した。
4年前と違って運命の女神は語り掛けてくれなかった。ベルンハルドとエルヴィラを“運命の恋人たち”にしないといけないのに。
ベルンハルドの手が上がりかけた、その直後――
上座の前にいるヴィトケンシュタイン公爵家の面々を遠目から眺めていたアエリアは給仕から受け取ったジュースで喉を潤した。ベルンハルドが動き始めると同時にエルヴィラが前に出ようとした。瞬時にケインに掴まっていた。
幼い頃からのお茶会やパーティーの時からだが、何故異常な執着をベルンハルドに抱くのかが理解不能だった。
(あのお花畑娘といい、ファウスティーナ様といい、王太子のどこがいいのかしら……)
しかし、ファウスティーナに関しては全く分からなくなってきた。入学して半年以上は過ぎた。幼少期のお茶会での暴走を何度か目撃していたアエリアからしたら、徹底的に無関心を貫くファウスティーナは異常過ぎた。ベルンハルドが何度か話をしたいと告げても、昼を一緒にしたいと申しても、彼女は当たり障りのない返事で拒否していた。
気になると隅まで調べないと気が済まないアエリアは、第2の王太子妃候補ということもあって嫌がらせ紛いなことを何度かしている。倍返しに遭っているが苛々も悔しさも意外にもなかった。度を越した嫌がらせだけは絶対にしないと心掛けている。
お互い、嫌がらせをした後。ファウスティーナは笑う。嘲のない、見る者を魅了する純美な笑顔。
(楽しんでいるのはファウスティーナ様だけじゃないから何も言えないけれど……でも……王太子の彼女を見る目は……いつから……)
ファウスティーナが微笑む遠い場所から、昏く執着の灯った目で睨むベルンハルドはいた。
いつも……。




