安定の愚かさ
一定の距離を保って走る馬車の中にて。向かい合って座るファウスティーナとケインは貴族絶対参加のパーティーに出席するのもあり、綺麗に着飾っていた。兄の正装は何時見ても冷たくて綺麗だと抱く。落ち着きの加減が普通とは違う。対してファウスティーナは、濃紺色の繊細に編み込まれたレースがエレガントさを醸し出すドレス。瞳と同じ宝石を耳飾りと首飾りに選んだ。化粧は薄い。ファウスティーナの魅力を引き出すには、厚化粧は言語道断。
同乗しているジュードが「今日はお目出度い日ですねー」と世間話を振るように口を開いた。
「王族関連の行事は国中の貴族が集まる貴重な日なので、見るだけでも楽しいんですよ」
「ジュード君も元々は貴族だったのでしょう?」
「はい。まあ、僕の家は先の粛清の余波を受けて没落してしまったので。まだ幼かった僕は、遠い親戚の家に成人まで預けられていまして。元々話が通っていたのでしょうね、成人を迎えた僕のところに司祭様……シエル様が来て引き取って下さったのです」
「そうだったんだ」
ジュード同様に他にも多数の貴族が平民になった。悪どい行いをしていたら容赦なく牢獄行き。罪の程度によって慈悲もない裁きが下された。
「ところで」とジュードは苦笑混じりにケインへ出発前の出来事を切り出した。
「良かったのですか? エルヴィラ様を公爵夫妻の馬車に乗せて……」
「ええ。どうせ、うるさいのは目に見えてますから」
「……」
「……」
冷たい。実の妹に対してあまりにも冷たい。
ファウスティーナに対しても冷たいのは常だが、纏う冷気の度が違い過ぎる。出発前、両親と子供達で馬車が分かれるのは決定事項だったので異論はなかった。いざ、馬車に乗り込むとなった段階でエルヴィラがファウスティーナに絡んだのだ。あの日からフリューリング邸で生活しているファウスティーナは、今日の為にヴィトケンシュタイン家に戻った。姿を見るなり詰るエルヴィラに割く時間が無駄だと、多少強引にケインに馬車に詰め込まれた。ケインとジュードも乗り込むと先に向かうと両親に告げて発車させた。
領地から一旦屋敷に戻ったエルヴィラはフリューリング邸を訪ねた。勿論、ファウスティーナに会う為。玄関ホールで会ったものの、領地に送られ勉強漬けの日々を送る羽目になったのはファウスティーナのせいだと責めるだけ。高い声で叫び続けられ、フリューリング邸の使用人達に申し訳なく、部屋で話そうと勧めた直後。リオニーが煩わしいと相貌だけで語って登場。即エルヴィラは追い出された。
存在するだけで圧倒されるリオニーを苦手とするエルヴィラに真っ向から立ち向かえる度胸はない。
「エルヴィラは勉強漬けと言いますが……実際の時間は……」
「俺とファナに比べたら、大したことのない時間だよ。エルヴィラにはかなり堪えたみたいだけど。今夜のパーティーで何も変わってないのなら、ずっと領地にいるよう父上に進言するつもりだよ」
ずっと、とは貴族学院入学の年になっても、である。通学させず、ひたすら領地で過ごす日々。想像してみると案外悪くないとファウスティーナは抱いた。王都より娯楽は少ないとはいえ、空気は新鮮で自然溢れる田舎にも魅力はある。
馬車が王城に到着した。指定の停留所に停まると先に降りたジュードに差し出された手を取り、降りた。ケインも続いて降りた。王宮舞踏会の時と違って招待客の規模が違った。少し遅れて両親とエルヴィラを乗せた馬車も到着した。
3人が順番に降りるとファウスティーナとケインも合流する。
「では、行こうか」
シトリンの声に頷き、パーティー会場へ。敵意の籠った目を向けてくるエルヴィラに辟易しつつ、ケインと並んで歩く。先頭を両親が歩き、後ろをファウスティーナとケイン、エルヴィラに続く。
今日のエルヴィラのドレスは、スカートに真珠が流れるように広がるAライン。華奢で妖精のような可憐な彼女にはピッタリなデザイン。母リュドミーラが態々領地まで赴いてエルヴィラと考えたドレス。
対してファウスティーナはというと、最初はリュドミーラがファウスティーナのドレスをデザインする気でいたがリオニーが一蹴した。もう1人の娘だけに目を向けていろ、と。もうファウスティーナに関わるなと暗に告げていた。悔しげにドレスの裾を握る姿はエルヴィラそのもの。親子なだけはある。
今日はベルンハルドの16歳を祝う誕生日パーティーだ。受付を済ませるとアナウンスと共に入場した。
上座にいる王族達へ向けて最上級の礼を見せ、祝いの言葉を述べていく。
王妃シエラがファウスティーナに微笑んだ。
「よく似合っているわ、そのドレス。ひょっとしてリオニー様から?」
「分かるのですか?」
「ドレスに使用されているレース。昔、アーヴァ様が着ていたドレスと似たデザインなのよ」
「そうなのですね」
両親も実姉であるリオニーですら、アーヴァの話をしてくれない。同い年、同じ高位貴族。シエラとアーヴァに接点が合っても不思議じゃない。
「王妃殿下っ」と硬い声を発したリュドミーラは若干非難の色を混ぜてアーヴァの話はしないでほしいと紡ぐ。これだ。アーヴァの話になりそうになると邪魔が入る。
ごめんなさい、とシエラは悪びれもなく謝る。以前までにあった好意が身を潜め、仮面に覆われた微笑があるだけ。
ふと、ベルンハルドと目が合う。礼儀上の会話はこなした。綺麗な瑠璃色は虚ろで、縋るような執着が奥にある。
「……」
前に軽い熱中症で介抱された際、運命によってベルンハルドとエルヴィラが結ばれていると告げた。その時彼が発した――
『運命なんて信じない。エルヴィラはどうでもいい。私が好きなのは……ファウスティーナだけだ』
泣いては追い掛け、泣いては追い掛けを繰り返し、妹を邪険に扱い虐める最低な姉だとずっと嫌い続けていたくせに。今更エルヴィラを放り出して自分への好意を伝えられても……悲しいかな、長年好きだった相手からの告白に仄暗い喜びが生まれた。同時に、どうせ運命によって結ばれるのだから受け入れても自分が苦しむだけと拒絶した。代償は激しい心の痛み。
ファウスティーナはもうじき公爵邸に戻る。あまりにもリュドミーラが毎日毎日しつこくファウスティーナを返せとリオニーに抗議していたらしく、申し訳なさが強く戻ることにした。リオニーは気にするなと引き止めてくれたが余計な迷惑はかけたくない。
「……?」
背後にチクリとした針に刺された感覚が襲う。後ろにいるのは多分エルヴィラ。ベルンハルドに見つめられているファウスティーナに嫉妬して? 馬鹿らしい。
次の貴族へ代わろうとした時、今まで黙っていたエルヴィラが急にベルンハルドの前に出た。期待を込めた紅玉色の瞳で見上げ、両手を胸の前で握り締めて。
「ベルンハルド様! 改めて、お誕生日おめでとうございます! 見てくださいわたしのドレス。今日の為にお母様と作ったデザインですの!」
隣から吐かれた溜め息の発生元はケイン。大人しくはやはり無理だった。リュドミーラに止められると何故と逆に暴れた。
姉の婚約者といえど、立場は王太子が上。あまりにも馴れ馴れしい。
更に――
「ベルンハルド。あなた、ファウスティーナには名前呼びを許さなかったくせに妹君には未だ名前呼びを許していたのね。知らなかったわ」
王妃の冷徹な声色が容赦なくベルンハルドを刺す。虚ろだった瞳に光が戻るものの、滲む感情は決して良くない。
王妃の冷たい怒りはエルヴィラにも向けられている。証拠にエルヴィラは、先程までの嬉々とした様子から一変、恐怖に染まった相好をシエラに見せていた。
だが、敢えてエルヴィラには何も言わなかった。目も合わせない。怒りの気配だけ向けた。
「良かったですわね。ヴィトケンシュタイン公爵、夫人。非常に優秀な跡取りがいて」
「っ……は、はい」
「エルヴィラが申し訳ありません……。さあ、行こうエルヴィラ」
「な、わ、わたしは何も」
言い訳をされる前にシトリンが無理矢理エルヴィラを連れて上座を離れた。リュドミーラも続いた。残されたケインとファウスティーナも一礼して離れた。
壁際に移動したファウスティーナとケインは給仕から貰った飲み物に口をつけた。
「どうなるかと思ったよ」
「王妃様の怒った姿を見たのは久しぶりでした……」
「声を上げるより、ああやって静かに怒られる方が精神的負担が強い。まあ、叫ぶのが好きなファナとエルヴィラじゃ真似はできないね」
「うぐっ」
教会に引き取られる前に起こしていた癇癪をよく知るケインに皮肉られ、言葉の刃が刺さった。
シエラの怒りは尤もだろう。ファウスティーナが最初何度名前呼びをしたいと願っても、当時の彼は決して許してはくれなかった。シエラが言い聞かせても無理だった。それがエルヴィラには許した。あの時の屈辱は忘れられない。
「こんなこと……お兄様に言ったら怒られそうですけど……殿下は、ベルンハルド殿下は、エルヴィラが好きなんです。私やルイーザ様以外に呼び捨てにしている女性は、エルヴィラだけなんですよ? 知ってました?」
「……知ってるよ。殿下にも何度も言った。言っても聞いてもらえなかったよ」
「何回か言っているのですよ? エルヴィラと婚約したらと。実際、話があるくらいですし」
「エルヴィラみたいなのに王太子妃は務まらない」
「殿下もそれは分かってるんです。……だから、頑なに私との婚約解消を嫌がって、嫌いなくせに好きだと言って……可哀想な人です。エルヴィラが何も出来ないせいで」
公爵令嬢としてだけじゃなく、王子に嫁いでも才能を遺憾なく発揮させられたならエルヴィラが婚約者になっていた。ひよこ豆程度の期待はしていた。領地に送られれば、大きく変わるのは無理でも意識の変化はあると。期待を裏切るのがエルヴィラらしいと言えばらしい。
空のグラスを給仕に渡したケインが「ファウスティーナ」と呼ぶ。
と、その時。
ざわめきが強くなった。ファウスティーナとケインの目が周囲の注目する方へ向き、互いに瞠目した。
王妃の冷たい怒りを食らっても諦められなかったエルヴィラが性懲りもなくベルンハルドに近付いたのだろう。……が、2人の周囲には4年前の建国祭で咲いた赤い花が増殖していく。言う事を聞かず、纏わりつくエルヴィラを具現化した赤い花は後ずさるベルンハルドの足場をなくそうと咲いていく。
異様な光景に誰も動けない。
「……ファナ。あんなのを見ても、殿下がエルヴィラを好きだと本気で言える?」
「そ……それは……殿下が、エルヴィラを受け入れないから、です。受け入れれば……」
「あんな呪いみたいな花を咲かせる原因であるエルヴィラを受け入れられると、本気で信じてるの?」
「そ……れは……」
渦中にいるベルンハルドは感激した面持ちで自分を見上げ、近付くエルヴィラから同じ距離を取る。4年前はまともに見なかった、赤い花。
ちゃんと、冷静に見れば、異常な花だった。他の夫婦や恋人達の下に咲いた花とは比べられない気色の悪さがある。
青ざめるベルンハルドの元へネージュが駆けつけた。
「兄上っ。これは一体……。エルヴィラ嬢、君、一体何をしたの?」
「わ、わたしは何もしていません! ベルンハルド様に声を掛けたら急に花が咲いて……」
「兎に角、君は兄上から離れて」
「何故です! 4年前の建国祭で司祭様が仰っていたではありませんか! これは想い人の特徴を表す花だと! ベルンハルド様はお姉様よりもわたしを選んでいると語っているものではありませんか!」
変わってないどころか悪くなっている。堂々と婚約者の妹を好いていると、妹本人に宣言されて周囲の王太子を見つめる瞳に冷笑が浮かぶ。花の気色悪さに圧倒され、顔色が悪いベルンハルドに代わってネージュが険しい顔で首を振った。
その間、ファウスティーナとケインは急いで中央へ向かう。
「こんな気持ち悪い花が兄上の想い人の特徴なわけないじゃないか。第一、今日はあの時の建国祭の時みたいに女神はファウスティーナ嬢を通して祝福を振り撒いていない。これは君の独り善がりだよ」
「そ、そんなっ」
「あと、普通の常識を持ってるなら、君がさっき兄上に言ったことは侮辱罪に当たるんだ。覚悟を持って口にしたんだよね?」
「……ネージュ、いい」
掠れ、発するのがやっとな小さなベルンハルドの声は隠しもしない怒気を露わにするネージュを落ち着かせた。
「すまないネージュ……もう大丈夫だ」
「兄上」
「いい。……エルヴィラ嬢、君も今年成人になるんだ。自分の発言には、どんなものにも責任が生じると頭に入れておくんだ」
「わ、わたしは、純粋にベルンハルド様を慕ってっ」
「――エルヴィラ」
気遣い、慰めてくれた優しい瑠璃色を常に向けられていたエルヴィラは、初めて嫌悪と突き放す冷たい色が向けられた。泣きそうになりながらも自分の気持ちをベルンハルドに知ってもらおうと告白しようとした矢先、非常に冷淡な声が呼ぶ。振り返らずとも誰か分かる。
無理矢理振り向かされた挙句、ベルンハルドから距離を取らされた。
乱暴なケインの行動に抗議の声を上げようとしたら――頭上から大量の水が降ってきた。ケインの呆気に取られた顔を見るのは初めてだなと感想を抱くも、瞬時に自身の身に起きた異変を理解した。幾つもの雫がエルヴィラの顔から、毛先から落ちる。周辺は水浸し。
「いい加減にして。エルヴィラの非常識を我が家の常識と認識されたら、恥ずかしくてもう社交界どころか外にも出られなくなるのに」
水をかけた本人……ファウスティーナは、テーブルに置かれていた空のピッチャーを近くのテーブルに置いた。ケインと向かう途中別れ、水を確保した。
『愛に狂った王太子』に登場する悪役の姉は常に主人公に水をかけていた。フリューリング邸に滞在していた時も情報収集は欠かさなかった。時折、メルセスが訪れ演劇鑑賞に行ったり、演技指導をしてくれた。教会側は全面的にファウスティーナの協力をしてくれる。
きっと、母リュドミーラにされ続けた暴力の方が余程効果があるのだろうが、叩かれる痛みはファウスティーナが1番理解していた。相手が誰であろうと暴力だけは絶対に嫌だったのと叩く側の気持ちを知りたくもない。叩く側に痛みはきっとない。リュドミーラがファウスティーナを叩く時、罪悪感を抱いたことなど皆無。顔を青ざめようがどうせシエルやリオニーに知られて何を言われるか察しがついているから。ならば叩かない方向性を取ればいいと思うだろうが、ファウスティーナを叩くことに心血を注ぐあの母の頭では回らない。
騒ぎを聞きつけ、真っ先にリュドミーラが駆け付けた。屋敷ではないから大きな声を上げないが、紅玉色の瞳には強い怒りが込められている。
「ファウスティーナ……」
ベルンハルドに呼ばれ、無関心、無関心と言い聞かせてファウスティーナは表情から一切の感情を消した。
「……どうしました? いつもみたいになさってくださいな」
「っ!」
ファウスティーナの意図が読めたベルンハルドは、瞬く間に相貌を変えた。憎々しげに、何故、信じてくれないと、言いたげに。
遠回しに、昔のようにファウスティーナが悪いと糾弾し、エルヴィラを慰めたらいいと告げた。
軈て、瞳を閉じ深呼吸をすると再び目を開けた。
「騒がせて申し訳ない。皆は引き続きパーティーを楽しんでくれ。
公爵夫人はエルヴィラ嬢を休憩室へ。後程、使用人を向かわせます。……ファウスティーナは私と来るんだ」
「……分かりましたわ」
お互いを憎しみ合う瞳。最奥に隠された愛情は本物なのに、この2人の気持ちが通じる日は来ない。
周囲へファウスティーナも陳謝し、向かい始めたベルンハルドを追った。リュドミーラとエルヴィラの隣を過ぎ去る際、リュドミーラに腕を掴まれ小声で責められた。無関心、無関心と自身に言い聞かせて振り払った。心底どうでもいい瞳を見せると、この世の終わりを体現した絶望の目をされた。静かになったのをこれ幸いとばかりにファウスティーナは離れた。
「な……あ……あの子は、……母親に向かってなんて目を……」
「お、お母様ぁ……」
「全く……」と別の意味で呆れを抱くケインは2人の前に立った。
「母上。早くエルヴィラを休憩室へ。このままでは風邪を引いてしまいます」
「あ……あの子は……ファウスティーナは……私の、」
「さあ、早く行って下さい。着替えたら2人は先に屋敷に帰っていてくださいね」
「そんな! どうしてわたしとお母様が……!」
「文句は屋敷に戻ってから聞くよ」
ファウスティーナは、ファウスティーナは、と何度も繰り返すリュドミーラと水をかけられた被害者の自分が屋敷に帰らないとならないのが納得出来ないと訴えるエルヴィラを無理矢理休憩室に押し込んだケインは、父に事情を説明した後テラスに出た。こういう騒ぎが起きる前、父は毎回誰かに引っ張られて現場に駆け付けられない。運が良いのか悪いのかイマイチ分からない人だ。
大きな溜め息を吐いたケインへ「はは。どうだった? さっきのぼくの演技」と軽やかな口調で横に来たのはネージュだ。
「態となのは分かってたのでなんとも」
「そっか。兄上の味方をして、エルヴィラ嬢を非難する側に回るのも楽しいね」
そして2人が“運命の恋人たち”となってからは、ファウスティーナの存在をベルンハルドに突き付け、余計エルヴィラのベルンハルドに対する執着を強める。
罪悪感なんて、ひよこ豆の大きさすら抱かないネージュはくすくす笑う。
「さっき父上と母上のところに戻ったのだけど……父上が母上に、側妃の選定をと言っていたんだ。もう無理だと悟ったんだろうね」
「……殿下が認めない限り、ファナとの婚約はなくならない」
「最後はファウスティーナが暴挙に出て婚約破棄となる。か……。はは……兄上には幸せになってほしいって気持ちは、彼女もぼくも同じ。なのに……なんでだろう、なんで運命は繰り返しを止めてくれないのかな」
「殿下の幸福がファウスティーナと共にあることだからですよ」
「あれだけ嫌っていた相手を出来損ないと婚約変更させられそうになって初めて好きだと言って誰が信じる?」
「……ネージュ殿下。これは俺の考えなのですが」
冷たさが増した夜風が黒髪を攫う。風に乱されない髪は侍女達が欠かさず手入れをしてくれるお陰だ。見た目に拘りを持たないケインを彼女達はこぞって綺麗にしようと腕を振るう。
左手で髪を耳に掛け、ある疑問を紡いだ。
「殿下も大概ですが……ファナの、あの異様な決め付けも腑に落ちないんです」
「叔父上の血が強いってことでしょう?」
「いいえ。シエル様の血がというなら、どうでもいい相手にあれだけ感情を乱したりしない。俺が言いたいのは、頑なにベルンハルド殿下とエルヴィラを結ばせようとする姿勢に違和感を覚えるのです」
1度目の人生の時からそうだった。
教会に引き取られてからのファウスティーナは、ケインやシトリン、リンスーといった親しい人達には変わりないがベルンハルドやリュドミーラ、エルヴィラといった今まで蔑ろにされてきた人に関しては別人の如く変わった。
2度目も3度目も、今と同じように頑なにベルンハルドからの気持ちを拒否し続け、エルヴィラと結ばせることに拘っていた。
ネージュは運命の糸によって結ばれているからだよ、と言い残し会場に戻った。
1人居続けるケインは違う、と首を振った。
「違う、何かあるはずなんだ。きっと」
ケインとネージュが人生を繰り返すのは“運命の輪”をネージュが回したのが始まり。
王族の血を引いた者にしか開けられない扉の先に眠る、王国の最大の秘宝。
「…………」
――王族の血……?
ふと、嫌な予感を抱いた。
会場を出て、客人に用意された休憩室ではなく、王族個人が使う休憩スペースに連れて行かれたファウスティーナは部屋に入るなりベルンハルドと対峙した。互いの瞳がぶつける感情に相手を気遣う心も、慈しむ心もない。あるのは一方的な感情のみ。
認めろ、認めないと何度言い合っても結果は変わらない。
「どうしてエルヴィラ嬢に水をかけた」
「今更エルヴィラの呼び方を変えなくていいですわ。……どうでもいいですから。エルヴィラに水を掛けたのは、あそこで殿下がエルヴィラを助ければ、皆あの赤い花がエルヴィラを示していると信じるからです」
「っ……」
エルヴィラには名前呼びを許し、エルヴィラを呼び捨てで呼んでいた。もう無理だと、諦めろと夢の中の自分は泣いて力なく告げる。無数の赤い糸に縛られた自分が求めるのは、目の前にいるファウスティーナなのに。
「……あれで分かったでしょう。殿下が苦しむのは、殿下がエルヴィラを受け入れないからです。受け入れれば、殿下はこの国で最も幸福な人になれるのです」
「……いらない。ファウスティーナを選べず、エルヴィラを選んで得る幸福なんか……っ」
「……じゃあ、もう私も迷いませんわ」
泣きそうに顔を歪められ、駆け寄って、抱き締めたい衝動に駆られた。暴れ出す衝動を必死に抑え込み、……告げた。
「殿下がエルヴィラを選ぶように、私はエルヴィラに危害を加え続けますわ。今日行った水かけのように」
信じられない宣告をするなと、大きく見開かれた瑠璃色の瞳はすぐに細められ、とてつもない憤りを露わにした。
「ふざけるな! そうやってエルヴィラ嬢を痛めつけて何になる!」
「殿下が認めないなら、認めざるを得ない状況にするしかない。痛めつけるとは言いますが、私はお母様みたいに暴力は絶対ふるいません。ああやって水をかけるだけです」
「都合よく何処でにも水があるわけないだろう!」
「ないなら準備をするまでです! 殿下、声を上げるほどエルヴィラを心配なら、さっさと婚約解消を……いいえ、婚約破棄をしてください。私に虐げられる可哀想なエルヴィラを救った殿下は晴れてエルヴィラと結ばれるのですよ。殿下を苦しめるのも、エルヴィラを苦しめるのも、全部殿下が認めないせいです!」
譲れない。絶対に譲れない。
ベルンハルドはファウスティーナと1からやり直し、改めて婚約者になりたいのに対し。ファウスティーナは異常な拘りと決め込みでベルンハルドはエルヴィラと結ばれてこそ幸福となると信じて疑わない。
両者一歩も引かない場は、平行線を保つだけで解決の糸口すら現れない。憎悪の籠った瞳でベルンハルドを見上げていたファウスティーナは――
「……殿下とは何を言っても無駄です。どうぞ、こんな可愛げのない女より可愛くて涙をよく流すエルヴィラの手をお取りください」
感情を消した表情で淡々と礼をして見せると部屋を出て行った。