領地にいるエルヴィラの今
──どうしてわたしがこんな目に……っ!!
瞳に涙を溜め、難しい問題を解かされる毎日。
1度間違えたら教鞭で叩かれ、間違えたら叩かれの繰り返し。
問題の内容が分からないと教師はその年齢で知らないのはおかしいと厳しい言葉しかくれない。
エルヴィラはずっと甘やかされていた。
将来王妃となる姉。
将来公爵となる兄。
末の妹である自分の将来は何なのか。貴族だから恋愛は無理でもなるべく良縁に恵まれてほしいという母の意向から、将来はのんびり考えていきましょうと方向になった。
エルヴィラも最初は厳しい淑女教育を受けていた。優秀な兄姉を持つのだから、当然妹であるエルヴィラにも同じ能力が求められた。
──だが、現実は違った。
エルヴィラは勉強が得意じゃなかった。優秀な生徒を数多く輩出したと有名な家庭教師が就いた。最初の頃は努力した。公爵家の一員として、ケインやファウスティーナと同じように出来ると信じて。
駄目だった。数日前に学んだ内容は中々覚えられず、その度に家庭教師に叱られた。問題も同じ。マナーレッスンもそう。ダンスやピアノだけは楽しかったから向上していくも……勉学の面になると全部駄目だった。
ケインやファウスティーナは1度教えれば、2度と間違えないと口にされた瞬間エルヴィラは激しく泣き出した。泣き声を聞き、駆け付けた母がエルヴィラに事情を聞かされると翌日から家庭教師は変わった。前任者と違い、エルヴィラはエルヴィラのペースで学んでいく方針になった。
──結果は同じだった。
後任の家庭教師はたったの1度もエルヴィラをケインやファウスティーナと比較しなかった。問題が解けなくても、中々内容を理解しなくても根気よく教えてくれた。しかし、元々勉強が得意だけじゃなく好きじゃないエルヴィラはこの教師も大泣きして母を味方にして解雇させた。2度の家庭教師解雇を受け、上2人と比べると自分に甘い母もさすがに苦い顔をした。
このままでは味方がいなくなると、幼いながらに実感した。父は子供達を平等に愛してくれる。贔屓はしないが頑張った子は殊更褒めていた。対象は主にケインとファウスティーナ。エルヴィラにはもう少し我慢しなさいとしか言ってくれない。
でも母は違う。涙ながらに兄や姉と自分は違う、と訴えたら衝撃を受けた顔をし、これからはのんびりといこうと優しく微笑み、頬を撫でてくれた。
「エルヴィラ様、昨日も一昨日もその前もお教えしましたよ。綴りが間違っています」
「っ、あああああああぁ……!」
「泣いてもいいですが手と頭は動かしてください。さあ、もう1度やり直しです」
全部、全部お姉様のせいよ──!!
田舎の領地に送られ勉強漬けの毎日にされたのも、味方が誰もいないのも、愛しいベルンハルドに会えないのも全部、全部全部全部全部……全部ファウスティーナのせい。
──お姉様がいなければ、お姉様なんか生まれてこなければ良かったのよ……!!
泣き声を上げても家庭教師は一切同情も動揺もしない。淡々とエルヴィラに勉強の続きを促すだけ。
すると脳内に女性の声がした。
“最初がとても強い願いだった。あまりにも純粋で、愛に溢れていた。それを叶えてしまったが為に今がある”
“その中でも、今も、あなたは──れる運命。あなたが何も出来ないのは、出来る力は元々あるのに楽な方楽な方へ流されて、流されるままの生き方をしてきたから”
“あのおっちょこちょいが間違えた原因もある。根本的なものはあなた次第。それを人の、ましてや──のせいにするのは……いただけない”
途端。
ほんの刹那、視界が暗くなった。
すぐに明るくなった。
涙が引っ込んだ。
次に引っ張り出されたのは──目に見えない化け物に犯された感覚。
体に表現し難い気持ち悪さが走る。滑りを帯びた蛇が何十匹も全身を走る錯覚。声を上げたくても、恐怖が、気持ち悪さが勝って声帯が機能を発揮しない。
手だけが意思に反して勝手に動く。解けない問題。回答を書いたら、教鞭がエルヴィラの真っ白な手を赤く染めた。
何時になったら、地獄から解放されるの?
あの声は何だったのか?
ベルンハルドの顔を思い浮かべる。
何時だって、婚約者の姉より自分を優先してくれた優しくて愛しい王子様。気持ちが途方もない安堵に包まれる。
会いたい、あなたに会いたい。
頑張れば王都に戻してくれると父は言った。
ベルンハルドに会いたい。
ベルンハルドに会う為ならいくらだって……。
──後々、世界何処を探しても類を見ない絶望のどん底に叩き落とされるとも知らずに。
「えぐっ、ああぁ……! ひん……と……解けました……」
「計算式は合っていますが答えが違います」
「ううぅ……っ!!」
「何度でも泣いて結構ですが、もっとしっかり考えてください」
今日もエルヴィラは地獄の中でベルンハルドを想い続けるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
誰も気にしていないであろうエルヴィラの今でした。