結ばれない2人
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朝も昼も夕方も、雲はなく時間によって光景を変えた空には分厚い灰色が覆っていた。雨の予感を感じさせる空をテラスに出て見上げるファウスティーナの気持ちは、今の空と同じだった。どんよりとして重い。
入場した際に囁かれた嘲笑も侮蔑も全部無視をした。エスコートをしてくれたケインにだけ集中していると不思議と他人の声も姿も気にならなかった。
国王夫妻に顔を出した時、王妃に悲しげに微笑まれた。婚約が結ばれた当初からずっとベルンハルドとの仲を心配していたシエラには、これからも悲しい思いをさせてしまうのだと思うと気が重くなる。でも、これしかないのだ。
ベルンハルドの為に、ベルンハルドの幸福の為に、ファウスティーナという不幸の糸に縛られたベルンハルドを解放し、真の幸福者とするにはエルヴィラが必要不可欠。運命によって結ばれているエルヴィラと結ばれないとベルンハルドはふこうとなってしまう。絶対にそれだけは避けないと。
国王からの登城要請を散々無視をしてきた王弟が顔を出した事に皆驚きを隠せないでいた。挨拶を終えるなりファウスティーナの所へ行きダンスを申し込んだので、今頃様々な憶測が飛び交っているだろう。
ベルンハルドはどう思っているか。沢山の麗しい令嬢達に囲まれたのはケインやシエルと踊っている最中目撃した。
人の中から抜け出して外の空気を吸いたい人用に用意された長椅子に座った。
瞼を閉じ、疲れたように息を吐いた時だ……。
「……ファウスティーナ」
「っ」
予想だにもしなかった相手の声。肩を跳ねさせ、勢いよく振り向くと――昏い瑠璃色を携えたベルンハルドがすぐそこに立っていた。
「……」
「……」
ファウスティーナも、ベルンハルドも、どちらも言葉を発しない。
周囲の空気を根刮ぎ奪われ、暗闇に放り込まれた罪人の最後の末路もまたこんな感じなんだろう。息をするのでさえ罪深いと突き付けられ、口内が一気に渇いていく。重い口を開けても声は出なかった。言いたいことはあっても言葉にならない。
せめてもの意地で瑠璃色の瞳から逸らした。王国で最も尊い色。
迎えもエスコートも断ったファウスティーナにこればかりは愛想が尽きた筈だ。いっそのこと、シエルと踊ったのを何とでも詰ってさっさとエルヴィラの元へ行ったらいい。
「…………どうしたら……償えるんだ……」
口も利かない、目も合わさないファウスティーナに痺れを切らしたと思えば、弱々しい声が紡いだのは請うものだった。
もう1度ベルンハルドに向いた。
「何をしたら……もう1度やり直させてくれるんだ」
「……前にも言いました。殿下と私にやり直すものはないと。最初からやり直す必要もありません」
「そのドレスは何時用意したんだ」
「司祭様がデビュタント祝いで贈ってくださいました。とても素敵なドレスでしょう」
誰にでも似合う無難な白とデザインのドレスを贈りつけた誰かとは雲泥の差だと態と嘲るように言う。沈痛な面持ちを浮かべられ、心臓を鷲掴みされ息が止まる痛みが襲った。顔に出そうになるのを堪える。
「……私のドレスは見たのか?」
「見る必要がありますか? 私にだって、私の為に贈られた物を使いたい。心配しなくても殿下から頂いたドレスは、来年のエルヴィラのデビュタントの際使いますわ」
「っ!」
寸法直しは必要だろうが身長もほぼ同じ、胸囲の数字が違うだけで手間もそこまで掛からない。何よりエルヴィラはドレスがファウスティーナの為に送られた代物と知らない上、ファウスティーナ自身も実物を見てないので何とも思わない。不敬であろうがベルンハルドの為には必要な事柄。
瞬時に相貌を怒りに変え、悲しみから憎しみに変わった瞳に睨まれる。
「っ、殿下、本当にいい加減認めて下さい。何故頑なにエルヴィラへの気持ちを認めないのですか!」
「ないものをどう認めろと? あのドレスは、ファウスティーナ、私がファウスティーナの為に用意したドレスだ。エルヴィラだろうが他の令嬢だろうが、お前以外が着ても決して似合いはしない」
「嘘はいりません。殿下がそんな物を贈る筈がない!」
「どうして信じようとしない!?」
「なら逆に聞きますわ! 今まで殿下に嫌われ、最後にあんな言葉を吐き捨てられた私がどうやって殿下を信じられますか!?」
常に毛虫を見る目で見られ、名前を呼ぼうものなら他者が震え上がる冷徹な声で黙らされ、好かれようと立派な王妃になろうと励むのを嘲笑うかのように、ベルンハルドの好意を奪っていくエルヴィラと比較され続けた。
4年前の、あの言葉を吐かれなかったらまだ信じられた。やっと自分を見てくれる、信じてくれる、愛してくれる、と。
ベルンハルドは偽ってない。8年間向けてきた気持ちも今向けている気持ちも、全部本意。本気でやり直そうと歩み寄ろうとしているのを拒んでいるのはファウスティーナ自身。
教会で生活をしてシエルに癒され、周囲の人々に溢れんばかりの愛情を注がれても、すっかりと臆病になっていた。愛してほしい人に愛されることを。この中に母親は入ってない。愛されなくても不便がないので関わる時に関わったらいいだけ。
1番愛してほしい人が最初から愛してくれていたら、どこかで気付いてくれたら――2度と地上へは戻れない、甘い愛に溺れ続けていた。
自身の行いを悔いているのか、唇を噛み締め俯くベルンハルド。
お願いだからもう認めてほしい。エルヴィラと結ばれて。エルヴィラを好きだと目覚めて。あなたに必要なのは“運命の恋人”であり、女神の生まれ変わりじゃない。
また、沈黙が2人を包んだ。
重苦しい空気に再び見舞われた。
徐に顔を上げたベルンハルド。だが、整った相好から一切の感情が抜け落ちていた。
抜け殻、そう評してもいい。喜怒哀楽がハッキリとしている彼を追い込んでいるのはファウスティーナ。それともベルンハルド自身か。
ゆっくりな動作でベルンハルドの手が伸びてきた。いつかと同じで動けないファウスティーナは簡単に捕まり、引っ張られ抱き締められた。
(なんで……なんで……っ)
あなたは知っていますか。
いつも隠れて泣いていたのをネージュが見つけて、外に連れ出して慰めてくれたのを。本当は他の誰でもない、あなたに見つけてほしかった、優しくしてほしかったと。
好きになってもらおうと色んな話をした。共通の話題を持ちたくて王妃教育以外にも、あなたが好みそうな話を沢山集めたこと。
好きな人に可愛く見えてほしいから、似合わなくてもエルヴィラには可愛いと褒めていたピンクや白のドレスを着ていたこと。
「……っ……う……あぁ……っ」
嫌いだと、汚点と叫ぶくらい大嫌いな女に愛されようとするあなたは滑稽で。
心の底から愛する相手では、到底王妃になる器じゃないから求められていると理解しているのに……好きな気持ちを捨てられない自分は、もっと滑稽で――愚かだ。
涙は枯れない。永遠に泣き続けても、新たな悲しみが生まれれば涙は何度でも流れる。
ベルンハルドの背に腕を回した。ずっと憧れていた、好きな人に抱き締められ、抱き締める行為は心の痛みを加速するだけだった。
気遣うように優しく背を撫でられ、余計悲しさが増した。
「……ファウスティーナ……何度でも謝る……許される為なら何でもする。だからっ……」
受け入れたら楽になって、夢見ていた関係になれる。ファウスティーナは恋する人と一緒になれる。
顔を上げるとベルンハルドと目が合う。
「最初から全部をやり直させてほしいんだっ……」
頬に手を添えられ、ゆっくりと顔が降りてくる。
お互いに目を閉じ、その時を待つ。
2人の周囲に淡い光を纏った花が咲いていく。
瑠璃色と薄黄色。
初代国王、魅力と愛の女神の瞳と同じ色の花。
4年前、ベルンハルドの足元に纏わりつくように咲いた、赤く増殖していく気色の悪い花じゃない。
想い人を表す、美しい花々。
2人の唇が触れるまであと……――
ガシャンッ! と響く割れた音が一気に2人の意識を現実に戻した。同時に美しい花は跡形もなく消えた。ハッとなったファウスティーナがベルンハルドを突き飛ばした。油断していたせいでよろめいたベルンハルドは、呆然とファウスティーナを見つめ。ファウスティーナも自分が何をしたか分からずといった様子だったが……理解すると悲しげに微笑んだ。
「……最後の思い出をくださりありがとうございます」
「最後……? 待て、それはどういう――」
「今日はもう失礼しますわ」
呼び止める声を聞きもせず、止まらない涙を流したまま……ファウスティーナはテラスを去った。
伸ばした手も虚しく……ファウスティーナが見えなくなるとベルンハルドは項垂れた。
「どうして……っ、やっと……」
やっと、やり直しへの一歩を踏み出せると思ったのに。
――膝を突き、絶望するベルンハルドを隠れて見守る影が1つ。
足元には砕け散ったガラスが散乱している。
「やり直す? 必要ないよ、兄上には」
「兄上にはエルヴィラ嬢っていう、決められた相手がいるんだから」
虚ろな紫紺の瞳がガラスを見下ろす。
「粉々に砕いて、捨てたんだ。なら、別の新しいのを使わないと」
例え、役立たずで顔とお涙頂戴しか取り柄のない出来損ないの空っぽでも、愛されることには非常に慣れている。ファウスティーナに注げなかった愛情をエルヴィラに注げばいい。元が空っぽだから、幾ら注いだって壊れることはない。
顔を上げ、ね? と自分を嚇怒の念を込めながら、激情を無理矢理押さえ付けた紅玉で睨む相手に微笑んだ。
ファウスティーナとベルンハルド。
隠れて様子を見ていたネージュともう1人。
彼等がテラスにいた頃、名前からフワフワとした雰囲気をしている彼は友人と他愛ない会話をしていたのを切り上げ、数人で輪を作って話し込む父の元へ。
「父上」
「おお、クラウド。どうした」
「少し気分が優れないので休憩室に行って来ますね」
「大丈夫か? 何だったら、今日はもう帰ってもいいが」
「いえ。大したことじゃないので。少し休んだら治ります」
「そうか。無理はするなよ」
「はい」
周囲の人にも軽く頭を下げ、会場を出たクラウドは微笑みを保ったまま休憩用に用意された一室に入った。
ソファーに座って肘掛けに頭を預けた。
「イル・ジュディーツィオの役目も中々苦労するよ」




