ローゼ=リジー=ガルシア
女神に好かれて得る利益は何か――。
昔、父に聞かれた。
生まれて早々に母の目から消す為に貧民街へ捨てられた。信頼ある部下に守られながらでも、最下層で育てられればその色に染まる。
腹違いの兄が話を聞いて護衛もつけず会いに来た時は度肝を抜かれた。例え姿を偽っても、生まれ持った王族としての風格と高貴な雰囲気までは偽れない。現に浮浪者に襲われかけていた。
助けたのはただの気紛れ。多分、浮浪者を殺す術を持っていただろう。悲鳴を上げた割に声色が態とらしく、目も極めて冷静だった。
『初めましてローゼ。俺は……君のお兄ちゃんで良いのかな?』
『しらないしきょうみない』
この会話が腹違いの兄シエルとの初めてとなる。
同じ父、母から生まれた正真正銘血の繋がった兄シリウスとは、既に間違った対応をしたせいですっかりとシエルから嫌われていたので何かを言いかけたシリウスに舌を向けた。
会話はなかった。
ローゼ=リジー=ガルシア。
存在しない第3王子。
女神に好かれた特別な人間。
母の狂気から守る為に捨てられた。
影から兄王子達を支えろと父に言われた。
女神に好かれて得る利益? あるとしても他者が求める回答はない。
「……ふふ」
滑稽だと思う。
捨てたくせに、自分から突き放したくせに、いざ捨てられ突き放される側に立つとまるで自分が被害者の如く振る舞う姿は嘗ての実兄と同じ。態と遅れて舞踏会に顔を出したシエルは、呼び止めるシリウスを意にも介さず早々に愛娘の元へ行った。
シエルの贈ったドレスと髪飾りを身に着けたファウスティーナは成る程、確かに魔性の魅力を持っている。誰にも手に入れられない天上の花。手を伸ばしても弾かれ、落とされてしまう。ファウスティーナに触れられるのは、許された者だけ。
真夜中のお喋りで言っていた通り、エスコートもファーストダンスも全て兄に頼んでいた。
今日抜け出す理由を考えるのは非常に面倒だったが上手くやった。
ケインが2人から離れた。シエルがファウスティーナの手を取った。優雅に、だが自分達のペースで踊り始めた2人から誰も目が離せない。
「アーヴァ様だ……アーヴァ様のようだ……」
誰かが譫言のように漏らす。アーヴァとはファウスティーナの実母。彼女を生むと同時に力尽き、命を落としたと聞く。ヴェレッド自身、アーヴァを知らないし会ったことがない。シリウスに見つかるまでの半年間ファウスティーナの世話をしていたがシエルは母親の話はしなかった。
シエルに娘が生まれたと知らされたのも、母親が亡くなった後だったから。
「ローゼ」
上座から近い場所で中央でダンスを踊るシエルとファウスティーナを眺めてるとシリウスがいつの間にか隣にいた。小声で本名を呼んでくる辺り、付き合わないといけない。
「準備だけはしておけ」
「何が」
「言わずとも分かっているだろう」
「あのさ、王子様は王太子様の下にもう1人いるでしょう」
「ネージュでは、ベルンハルドと余計な確執を生む可能性がある」
「そうなると、俺が王族であると公表しないといけないよ? 前の王様は、それだけは駄目って言ってなかった?」
人の皮を被った怪物。父であり、先王であるティベリウスに抱く印象。多くの悪の貴族、商人、犯罪者を一切の慈悲も与えず粛清した。国の大部分の膿を取り除き、平和の維持をシリウスに託すと隠れるように離宮に籠って以来姿を現さない。生きてはいる上、世界を放浪しているオルトリウス同様元気である。
「卒業まで猶予を与えるんじゃなかったの? って言っても無理か。お嬢様は王太子様の言葉を何1つ信用しようとしない。あのドレスが顕著だ」
「……」
ベルンハルドがデビュタント記念で贈ったドレス。ファウスティーナが白の、誰が着ても似合う無難なドレスと言い張るそれは、ベルンハルド自身がファウスティーナに似合うように考えた代物。想い人には目も向けられず、貴重品部屋に置かれているドレスは来年のエルヴィラのデビュタントの際作り直して使ったらいいと考えられている。
肝心のベルンハルドは多数の令嬢にダンスの申し込みをされているが当たり障りのない返事をして断っていた。瑠璃色の瞳は昏く、婚約者を見つめる奥には表現し難い感情が渦巻いていた。
「要らない部分は王様に似ちゃって可哀想に……」
「……うるさい」
「はは……まあ、王太子様の気持ちも分からなくはないけど、王様や王妃様の言葉を聞かずお嬢様の性格だけで判断したのが全て間違い。自業自得だよ」
同情だけはしてやる。ひよこ豆程度には。
人間の性格は、置かれている環境が大きく作用する。ファウスティーナの場合は、勉強を休んでもミスをしても甘えても許される妹と常に比較され続け、挙句親の言い付けを守らずベルンハルドが来る度に何食わぬ顔で現れるエルヴィラに怒鳴りつけて追い返すのを繰り返した。姉を馬鹿にする行動を止めなかったのは自分なのに、ファウスティーナの為と譲らず必要以上に厳しく必要のない暴力まで振るったのは自分なのに、妹を虐める傲慢で我儘な最低な令嬢と嫌っていたのは自分なのに。いざ自分が無視をされ、存在を消され、嫌われる立場に回るとファウスティーナからの愛を得ようと必死になっている3人が馬鹿すぎて、哀れで、滑稽で、永遠に腹を抱え嗤い転がりたくなる。
魅力と愛の女神の生まれ変わりはその力を無意識に使ってしまう。
信頼と愛を得られれば、それだけで抜け出せない幸福に浸される。
得られなければ、あの3人のようになる。
「でもまあ、ちょっとだけ待っててよ。王様が動かなくても、お嬢様と王太子様は確実に婚約解消になる」
「どういう意味だ」
「内緒。でも、王太子様と空っぽちゃんを正当な理由で婚約させられる条件は揃う。それまで待っててよ」
「ふざけるな。あのようなふざけた娘に王太子妃が務まるか」
「なら愛人なり愛妾なりにしたらいい。公爵令嬢? 立場と顔しか取り柄ないんだから、それになったって別に良いでしょう。公爵様と夫人が拒んでも、今までのお嬢様に対する夫人の扱いを理由に迫れば拒めない」
「……何を企んでいる」
「だから内緒。じゃあね」
物言いたげなシリウスからの視線を華麗にスルーしてヴェレッドはダンスを終えたシエルとファウスティーナの所へ行った。
「ねえお嬢様。俺とも踊ってくれるんでしょう?」
「こらこらヴェレッド。連続3回は疲れるから休ませてあげなさい」
「自分は着いて早々にお嬢様と踊ったくせに」
「私はいいの」
「あっそ」
実の父親の特権というものか。ファウスティーナは未だ事実を知らない。勝手に教えたら後でシエルに何をされるか分かった物じゃないので言っていない。シエルの言った通り疲労の色が窺える。
「まあいいや。お嬢様下手っぴだし、足踏まれたら痛いし」
「そんなことはありません! お兄様と司祭様の足は踏まずにやり遂げてみせました!」
「あっそ。どうでもいいや」
不満げな顔を晒すファウスティーナの鼻頭を摘んだらシエルに叱られた。退屈になってきた。刺すような視線を背中にビシビシと感じる。振り向かなくても分かる、気安く触れられる自分やシエルに嫉妬している誰かのもの。
「リオニー様が来られないのが残念です」
「今日の主役は君達だからね。リオニーはフリューリング女侯爵として多忙だ。公爵も今は毎年の定期巡回で忙しいのだろう?」
「はい。夏になるまでには戻ると聞いております」
「公子がいるとはいえ、何かあったらすぐにジュード君に言って教会においで。いつでも君を迎えてあげよう」
「ふふ、ありがとうございます」
……心の底から嗤ってあげる。たった1度でも、欠片だけでも、疑問を抱き、彼女に寄り添ってみようと気持ちがあったら。殻に閉じ籠った心に触れられる機会は訪れただろうに。
「テラスに行って休んで来ます」
ヴェレッドの本名を明らかにしました。女神に好かれていますがどっちの女神なんでしょう……




