女神に好かれる男、らしい
シエルの贈ったドレス。
露出は控え目でありながら、着用する者の魅力を最大限引き出す不思議な魅力があった。青銀の生地をファウスティーナ好みのデザインで作られたドレスには、繊細な青薔薇の刺繍が編み込まれ、一目見ただけで最高級品と判断出来る代物。
リンスーを筆頭に複数の侍女に学院から帰宅後、すぐに準備を開始させられたファウスティーナは姿見の前に立ち固まっていた。
好きな色のドレスを着るだけで心が落ち着き、本心から湧き上がる嬉しさが擽ったい。シエルの優しさと思いやりの詰まったドレスのおかげだ。
今までのリュドミーラ好みのピンクのドレスでは決して味わえなかった幸福。嫌いな色じゃなくても、もうピンクや白といったエルヴィラに似合う色のドレスは着たくない。
最後に青のアザレアの髪飾りを着けてもらい、準備は整った。感極まった彼女達の声を聞きつつ、扉がノックされた後ケインが呼ぶ声が届く。返事をし、扉を開けた。
初めて見た兄の正装姿。否、成人してから見ていないのが正しい。
黒い髪と紅玉色の瞳、ケインの冷たい相貌を引き立たせる美しい貴族服。
ファウスティーナは「ふふ」と笑ってしまった。
「どうしたの?」
「いいえ。こんな素敵な格好のお兄様にエスコートしてもらえて幸せだなと」
「そう」
ベルンハルドのエスコートを断った理由を深く聞いてこないケインに申し訳なさを抱きながらも、ここまで来たら引き返せないのだと自分に言い聞かせる。
差し出された手に自分の手を乗せて玄関ホールへ向かう。
「エルヴィラお嬢様は?」
「トリシャや奥様が見ています!」
「このまま、お嬢様達が出発されるまで気を抜かずに!」
……背後から届く、リンスー達の会話。帰宅した直後から何時ベルンハルドが来るだの、ファウスティーナがどんなドレスが贈られたかしつこく聞き迫ったエルヴィラ。1分1秒も無駄に出来ない時間をエルヴィラに割けない。トリシャが必死に止めてもエルヴィラは止まらない。意外な助け舟、リュドミーラが参戦しても逆に「わたしはお姉様のドレスがどんな物か知りたいだけですわっ!!」と叫ばれていた。
今はトリシャとリュドミーラを先頭にエルヴィラを部屋に抑え込んでいる最中。
玄関ホールに着くとそのまま外へ。待機していた馬車に乗り込み、付き添いのジュードが乗り込むと馬車は走り出した。
ファウスティーナとケインが同時に溜め息を吐くとジュードは苦笑を漏らした。
「大変ですね、お嬢様も公子も」
「全く……どうしてああまで、王太子殿下に拘るのか」
エルヴィラの気持ちは分からないでもない。両親譲りの類稀なる美貌に加え、王太子としての名に恥じない才能を持つ王子に強い憧れを抱くのはエルヴィラだけじゃない。ファウスティーナだってその1人。
けれど、今は早くベルンハルドとエルヴィラが結ばれることを願うだけ。
「“運命の糸”による、悪戯かもしれませんね」
「“運命の糸”の悪戯?」
ファウスティーナが聞き返すとジュードは「はい」と説明を続けた。
「稀にですが、望まない相手と“運命の糸”を結ばれてしまうことがあるそうなのです。そうなると、望まない相手には死ぬまで執着され、望む相手がいても望まない相手のせいで結ばれず、結果悲惨な運命を辿ってしまうのだとか」
「教会にいた時は聞かなかった話。お兄様は知ってましたか?」
「いや、俺も知らない。エルヴィラの殿下に対する執着が運命の悪戯なら、誰が言い聞かせても無理な筈だよ」
悪戯……そうなら、ベルンハルドがずっと不幸なのは好きでもないのに王太子妃を務められるのがファウスティーナしかいないから、嫌っている婚約者を求め続けているせいになる。“運命の恋人たち”になってしまえば、余計な要素は引き寄せられずベルンハルドは真の思い人であるエルヴィラと無事結ばれ幸福となる。
「……エルヴィラがいるせいで殿下とファナの“運命の糸”が結ばれないのは分かっていても…………」
考え込むファウスティーナの隣、小さな声で何かを呟くケイン。ファウスティーナは自身の思考回路に飲まれ聞こえていない。向かいに座るジュードも届いてない。
「ジュード君」
不意に顔を上げたファウスティーナは訊ねた。
「その話は司祭様が?」
「いえ。司祭様と偶に一緒にいるあの方に」
ヴェレッドか。
シエルも知識が豊富だが、彼も彼で物知りだ。
「他に何か言ってました?」
「さあ……途中、司祭様が来て口を閉ざされてしまいましたので何も。ただ」
「ただ?」
「司祭様曰く、あの方はとても女神様に愛されているらしくて。陛下や司祭様に不敬な真似をしても、罰せられないのはそれが大きな理由かと」
王国では珍しい薔薇色の髪と瞳。
4年前の建国祭の記憶が蘇る。信仰教育を受けた歳なのに王弟が誰か知らないと堂々と言い切ったエルヴィラと出会って早々妹を泣かせたと怒る母から逃すようにファウスティーナを抱いて離れたヴェレッドの顔は似ていた。
誰に?
「着きましたね」
「あ……」
普段の不敵なニヤニヤ顔から、他人を気遣う優しい相貌は……とても似ていた。
話し込んでいる内に馬車は目的地に到着した。
ジュードと御者に見送られ、2人は会場まで歩いた。既に数多くの貴族が来ていた。受付に招待状を見せた。アナウンスと共に扉が開かれる。
緊張が増して体が強張る。
「ファナ」
「!」
「怖がらなくていいよ。堂々としていなさい」
「はい」
女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。王国に住む貴族なら誰もが知る知識。
今代の生まれ変わりと王太子の仲の悪さを知る者は多い。故に兄にエスコートされるファウスティーナを嘲りの眼差しで見、嗤っていた。だが――ケインの言葉通り、堂々とした振る舞いで国王夫妻に挨拶をするファウスティーナを嘲笑っていた人達は皆言葉を失う。
夫妻から兄に向いたファウスティーナの微笑み。
「アーヴァ様……?」
誰かが紡いだ。
嘗て、魔性の魅力を以て社交界を騒がせた魔性の令嬢と瓜二つの美貌でホールの中央でケインとファーストダンスを踊り始めた。
至高の宝石や花でさえ霞む、純美な笑顔を向けてほしい。
目が合うだけで溺れるような幸福を与えてくれるであろうファウスティーナを昏い瞳で見つめる者がいた。
「ファウスティーナ……っ、どういうことなんだっ」
ベルンハルドだった。贈ったのとは違う、別の青銀のドレスを着こなし、動く度に揺れる青いアザレアの髪飾り。
力加減を忘れて拳を握る彼の耳に人々の騒つく声が入る。
「――――」
……きっと、来ると、確信していた。
「はあ〜……やっぱり付き合わされた」
「今日は無理して来なくても良かったんだよ?」
「やだ。絶対楽しいもん」
「じゃあ文句言わない」
「王様からかっていい?」
「面倒だから駄目」
王国で最も美しい男性。天上人の如き美貌を今日は更に輝かせたシエルと人間離れした美貌の青年ヴェレッドが進む度に道が出来ていく。王のいる上座へ導くように道が開いていく。
国王シリウスの近くで足を止めた。
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