雲の彼は強引
左隣と後ろから終始視線を受け続けた午前の授業が終わり、昼食タイムが始まると素早く教室を飛び出したファウスティーナは昨日の庭へと逃げた。
左隣はベルンハルド。
後ろは恐らくジュリエッタ。
ベルンハルドは昨日の件があるし、何もなくとも視線は受けていただろう。
問題はジュリエッタ。今朝、メルディアスと歩いていると視線を貰うが何も言うこともなく去って行った。
メルディアスの姪にあたるが最近になって会うようになったと話された。
曰く、教会の監査官としての仕事の他に王家専任のとある仕事も任されているらしく、仕事の忙しさを理由に実家へは殆ど帰っていなかったとか。
一応、年に1度は生存している証として贈り物をフリージア公爵宛に送っている。メルディアスしか贈らない物を敢えて選ぶことで本物だと裏付けているのだとか。
思春期を迎え、急に今まで接点のなかった男性が家に来て警戒しているだけだと語っていたメルディアスからは……愉快な気配しかしなかった。
誰かに似ている、と思ったら夜中人の部屋に不法侵入したヴェレッドと同じ性格なのだと理解した。
今度会ったら、どうやって忍び込んだか教えてもらおう。きっと答えてくれないと分かり切っていても。
庭に逃げたファウスティーナは大事なことを思い出した。
「あ……お昼どうしよう」
食堂は昼になると学院中の生徒が集まるので毎日大繁盛で、早く行って席取りをしないと座れない。お弁当を持参する子もいるがファウスティーナは食堂で食事をする予定だったのでない。なら、パンを買おうかとも考えるが購買も人気で早目に行かないとすぐに売り切れる。授業開始初日からお昼なしになりそうな気配が近い。
どうして逃げてしまったのか……ベルンハルドからの接触を恐れたからだ。
周囲の目から今のファウスティーナとベルンハルドの関係は不可解が多いだろう。
前までのファウスティーナなら、隣にベルンハルドがいるだけで舞い上がって終始彼に話しかけて引っ付き、対してベルンハルドは実の妹を平気で虐げる傲慢で性格最低な婚約者にまとわりつかれうんざりとしていた。
今は終始何か言いたげな視線を婚約者に送るベルンハルドと見ないように逃げるように婚約者を避けるファウスティーナに変わった。
やり直したいと言った彼でもずっと避けられていれば、いつかは諦めてファウスティーナの言葉を受け入れエルヴィラを愛するようになるだろう。今朝のように、家庭教師の先生に会うのが嫌で大泣きする機会をゼロにしなければ、それ以前に今からでも真面目にさせないととてもではないがベルンハルドの――王太子の婚約者など――到底務まらない。
いっそのこと、ベルンハルドとの婚約はエルヴィラに代わったと嘘を伝えたら生まれ変わったように真面目になってくれるだろうか。
誰にだって可能性はある。時に、誰もが予想しなかった結果を叩き出す怪物染みた者も存在する。エルヴィラにだって、何か可能性はある筈だ。母が甘やかすから何も出来ない、考えないどうしようもない子になってしまったが、自分やケインと同じ親の血が流れているのなら一縷の望みに賭けたい。
……と今後のことを考えるのはここまでにして、本格的に昼食の心配をしようとファウスティーナは大きな溜め息を吐いた。ら、声を掛けられた。
ファウスティーナの知っている声。
予想をしながら振り向くと的中していた。
「どうしたの? こんな場所で1人。お昼は?」
片手にバスケットを持ったクラウドが首を傾げてファウスティーナを見つめていた。
「ご機嫌よう、クラウド様。お昼は……まだです」
「そうなんだ。だったら、早く食堂に行った方がいいよ。売り切れちゃうから」
「クラウド様はお弁当なのですね」
「人の多い場所で食べるのが苦手なんだ。購買でパンを買うのもいいけど、競争が激しいでしょう? 騒がしいのも苦手でね。こうしてお弁当を用意してもらっているんだ」
明日から自分もお弁当にしようと決めたファウスティーナは此処にいてはクラウドの邪魔になると、食堂に行ってきますと嘘を微笑みに隠してくるりと前を向いた。
「ああ、ごめん意地悪しちゃったね」と紡がれ、今度はファウスティーナが首を傾げる番となった。どういう意味かとクラウドへ再度向くと既に長椅子に座っていた。隣を叩かれた。座れという意味だが、人気のない場所で婚約者でもない男性と近い距離でいるのは避けたい。
「ファウスティーナ様。おいでよ、君が思っていることは何もないよ。この時間、此処はあまり人が通らないから」
「そう、なのですか?」
「うん。僕を信じてよ。ほら、座って」
ケインの言っていた通り、見た目に似合わず強引だ。彼のふわふわとした微笑みに騙される人はきっと大勢いるだろう。
促されるがまま、ファウスティーナはなるべく端に寄って同じ長椅子に座った。
クラウドは間にバスケットを置いて蓋を開けた。
中には数種類のサンドイッチとフルーツ、飲み物が入っていた。
「はい。好きなのを食べていいよ」
「え」
「今から食堂に行ったって、買っても昼休憩は終わる。なら、僕のをお裾分けするよ」
「いいですよ。クラウド様の昼食を頂く訳には……」
「じゃあ、お昼なしで午後の授業に出るの? 断言する。絶対に鳴るよ、お腹が」
「う……」
静寂が支配する授業中の教室でお腹が鳴れば、途端にクラス中の笑い者になる。
格好の恥晒しだ。
容易に予想出来る未来に半泣きになりつつ、クラウドの昼食を分けてもらった。
ハムがぎっしり挟まったサンドイッチを取ったらしく、一口食べてみると中身は見た通りハムしかなかった。レタスといった野菜が挟まっていても良さげなのに。
クラウドはタマゴサンドを食べていた。ファウスティーナの視線を感じ「どうしたの?」と翡翠色の瞳が向けられた。
「いえ……クラウド様は野菜を食べない方なのかと」
「ああ、サンドイッチの具のせいだね。野菜は好きだよ。ただ、僕って軟弱に見えるからまずは肉を付けろって双子先輩がうるさくて」
「双子先輩……ラリス家の?」
「そう。毎日毎日、何を食べたってうるさいから仕方なく昼はボリュームを重視した物を食べてるんだ。後から聞かれるから」
嘘を教えてもすぐに見破って白状するまで問い詰めてくるので、何度目かでクラウドは諦め仕方なく双子の要望通りの昼食内容にした。
「嫌いじゃないから、いいんだけどね」
「ヒースグリフ様とキースグリフ様……帰ったら、お兄様に聞いてみます」
「ファウスティーナ様は4年間教会で暮らしていたでしょう?」
「はい」
「今度、君宛に招待状を送るからルイーザに教会での暮らしを教えてあげてほしいんだ」
「ルイーザ様に?」
クラウドはケインと仲が良いがファウスティーナ自身元からあまり接点はなかった。ルイーザは更にない。何度か顔を合わせただけ。
まあ、顔を合わせただけの方が圧倒的に多い。
ずっと、ベルンハルドだけを見続けていたから。
ファウスティーナの中では、ベルンハルドとの婚約はエルヴィラに変更と既に確定事項となっている。様々な人と交流を持つのは悪い話ばかりじゃない。
お昼を分けてもらったお礼としてなら安い話だ。
快諾するとクラウドはありがとうとお礼を述べた。
「後、君の知ってる司祭様の話とかも。出来れば、司祭様のことをルイーザが諦める話題があればもっといいのだけれど……」
「……ルイーザ様も司祭様を?」
「ルイーザもって、やっぱり司祭様を慕う女性は多いのかな?」
「それは……たくさん」
中には過激な人もいてファウスティーナは何度か危険な目に遭いかけた。
「そっか……あれだけの美貌だからね。寧ろ、恋人のこの字も聞かない方が不思議な話だ。僕も同席したくなってきた。面白そうな話を聞けそうだから」
「クラウド様も宜しければ是非」
「ルイーザに嫌がられなかったら、同席するよ」
サンドイッチの次にデザートのフルーツを食し、最後に飲み物を頂いてお昼の終わりが近づいた。
バスケットの蓋を閉めたクラウドにファウスティーナはお昼の礼を改めて述べた。
「ありがとうございました。お昼を分けていただいて助かりました」
「いいよ。本当はね、分かってたんだ」
「え?」
バスケットの取っ手を持ったクラウドはふわふわとした微笑みのままファウスティーナに近付いた。
「君に会ったのは偶然だよ? でも、君が考えもなく此処に来たのは分かった。
考えられる大きな可能性はただ1つ、ベルンハルドと同じ場所にいたくなかったから。違う?」
「……」
陰りも澱みも濁りもない。
クラウドの名の通り、純白な笑みを浮かべ、見ているだけなのに……なのに、首に巻き付く息苦しさは何なのか。目を下にしても首元には何もない。蛇が巻き付いたかのような錯覚がファウスティーナを襲っていた。
「ファウスティーナ様」
「っ」
ハッとなって視線をクラウドへ上げた。
「君とベルンハルド。君達に何があったかは、僕には予想しか出来ない。でも、ずっとベルに引っ付いていた君が離れたのを見ると大方は察せられる。君かベル、どちらに原因があるにしろ、1度しっかり話してみて」
「……話しました。昨日、新入生の歓迎会の際に」
「ああ、そうなんだ。途中で君やベルが帰ったから何かあったかなとは思ったんだ」
「話して、無駄だと感じました。殿下はご自分の気持ちを偽っています。一言、私からエルヴィラがいいと陛下に言えば婚約を変更してもらえるのになさろうとしない」
「それはつまり、未来の王妃が君の妹君になってもいいということ?」
「私はそう言いました」
「そう、面白いことを言うねファウスティーナ様」
ファウスティーナも冗談でエルヴィラが王妃になればいいと言わない。現実問題、エルヴィラが王妃になれる素質は皆無だ。長年の生き方から既に拒絶される。馬鹿にするでもなく、かといって大笑いするでもなく、微笑を崩さないクラウドはあることを告げた。
「ねえ、君は知ってた? ファウスティーナ様。君が教会で生活をしている間、王都では王妃殿下が定期的に王子達の交友を図る為にお茶会を開いていたんだ」
「知ってます。司祭様が教えてくださるので」
「そうだよね。じゃあ、これは? 妹君はずーっとベルを見ていたんだ。君はいないのに。さて問題」
思考を巡らせなくても言われただけで回答が出る至極簡単な問題だ。
結果、どうなったと思う? と問われ、答えようとしたら顔を近付けられた。
すると……急に誰かに横から腕を掴まれ。あっという間にクラウドから離された。
一体誰かと上を向いて声が出なかった。
従兄の彼に対し、険しい瑠璃色をぶつけていた。
「……クラウド。ファウスティーナと何をしている」
ファウスティーナを引き寄せて、背に隠すとベルンハルドはクラウドと向き合った。
苦笑して頬を指先でなぞるクラウドはやはり同じ表情を保ったまま。
「何をって、話をしていただけだよ」
「……あんな風に近付く必要がどこにある」
「さあ? どこにあるんだろう」
飄々としたクラウドとどこか余裕のないベルンハルド。そもそも、彼は何をしに庭へ来たのだ。
ファウスティーナが殿下、と言い出す前にクラウドが「僕はこれでおいとまするよ。もう時間も少ないから、君達も早く戻りなよ」と有無を言わせぬ威圧を残してこの場を去って行った。
残された2人の間には、非常に微妙な空気がある。
ファウスティーナは先程クラウドに言われた台詞を思い出す。
(殿下がエルヴィラに近付いてそれから……どうなるんだろう)
何となくだが、あまり良くない結果になった気がする。
ベルンハルドから鋭い視線を受けつつ、ファウスティーナは顔を上げた。
「クラウドと何を話していた?」
「私が教会で生活している間、殿下とエルヴィラがとても仲睦まじくしていると教えてもらったのです。私なんかよりもお似合いだったそうですわ」
言った途端、刃物の先端で心を抉られる強烈な痛みが襲った。
読んでいただきありがとうございます。




