敵意
――翌朝。
夜中の出来事のせいで2度寝は辛いかと覚悟したがあっさりと眠れた。自分の寝付きの良さに呆れつつも、今回は感謝しかない。
起床し、リンスーの運んだ桶の水で顔を洗ってスキンケアをし、鏡台の前に座って髪を何度も丁寧に櫛で通してもらう。
「髪型はいかがなさいます?」
「下ろしたままでいいよ」
「髪飾りやリボンなどは?」
「そうだねえ……あ、確か」
入学祝いにと沢山贈られたプレゼントの中にイエロートパーズで出来たバレッタがあった。メルセスからの贈り物で、手紙には『私がお嬢様に似合うようにデザインしました。きっとお似合いですわ』と短い手紙が添えられていた。
それにしようとリンスーに頼んだ。
持って生まれた瞳の色は空色の髪と相性はぴったりで。太陽の輝きと温もりを感じさせてくれる自分の瞳の色がファウスティーナは好きだった。リンスーにバレッタを着けてもらい、最後に制服に袖を通して準備は整った。今日は昨日と違い、朝食は屋敷で摂る。ただケインはもう既に登校したと聞かされた。
食堂に向かう傍ら、リンスーに聞いたら生徒会の仕事が忙しいのだそうだ。
今年からは王子が入学した。王族が取り仕切るのは通例となっているのでその関係で忙しくなったのだろう。父シトリンも昨夜は夕食を共にしたが、今日から王国にある修道院や孤児院の定期確認の時期に入った為暫く王都に戻らない。
ヴィトケンシュタイン公爵家は唯一女神の生まれ変わりが生まれる家。当然、教会との関係は最も深く、更に王国にある修道院や孤児院に多額の寄付をしている。既にケインも跡取りとして、いくつかの孤児院の運営を任されている。ファウスティーナも現王妃が慈善活動に精力的な為幼少期から何度か連れて行ってもらっている。
教会で生活をしていた時も子供達に文字の読み書きを教えた。識字率が高くなれば、それだけ職を手にすることが出来る子供も増えていく。ただ、場所によっては孤児院でも貧富の差があると教えられた。改善の余地がまだまだ必要なのだ。どこも。
食堂に着くと母とエルヴィラが先に座ってファウスティーナを待っていた。一応、先に食べてくれてといいとカインに伝えてもらっている筈なのに、1度も手を付けられてない。こういうのは律儀な人達だ。リンスーに椅子を引かれ着席。
ファウスティーナは2人に朝の挨拶を述べて朝食に手を付けた。
エルヴィラは食事を始めたのに前に座るリュドミーラは手を下ろしたまま。
食欲がないのだろうか?
「……ね、ねえファウスティーナ」
固く、ぎこちない声で呼ばれるとファウスティーナも何を言われるかと身を固くする。
「昨日教会から沢山あなたに贈り物が届いたでしょう? どんな物があったの?」
普通の内容でホッとする。
「私が教会で使っていた生活用品や入学祝いの装飾品や本、学院で使える小物類などです」
「そ、そう。気に入った物はあった?」
「まだ全部は確認出来ておりませんが今着けているバレッタは気に入りました」
イエロートパーズで作られたバレッタを見せるとリュドミーラは幾分か固さをなくし、良かったわ、と小さく零した。
リュドミーラの様子の可笑しさはひょっとして昨日の薔薇のブローチと関係しているのでは? チラリとエルヴィラを盗み見るもブローチは着けていない。エルヴィラに似合う自信がなくて渡せなかったのかもしれないが、自分には関係ないか、とその後もリュドミーラに何度か話題を振られ淡々と答えるのを続けたのだった。
エルヴィラは1度も喋らなかった。
……が、悔しそうな顔で時折睨んできたのが気になった。
朝食を終えて玄関ホールに行き、メイドが扉を開いた。今日も快晴日和で太陽が眩しい。鞄を持つリンスーを連れて外に足を踏み出した時だ。「お姉様」と食事中、1度も会話に入ってこなかったエルヴィラがファウスティーナを呼び止めた。
時間が押しているので手短に済ませねば。
「どうしたの?」
「昨日、王家から贈り物が届いたと聞きました」
嫌な予感がファウスティーナの頭を過った。
「何を頂いたのです?」
王家からの贈り物=ベルンハルドからの贈り物と認識しているエルヴィラからしたら、中身が何か気になるのは当然だった。ファウスティーナの物を欲しがる行為は今までなかったにしろ、警戒は必要。
如何にエルヴィラの興味を引かせ、怒らせず、泣かせず、無事に馬車に乗り込むかが重要なミッション。思考が高速に回転していき、適切な回答を導き出したい。
「エルヴィラ? そんなところで何をしているの?」
リュドミーラが怪訝な面持ちでファウスティーナを引き止めているエルヴィラに近付いた。
「昨日お姉様に届いた王家からの贈り物がどんな物か聞いています」
「ま、まあ、エルヴィラには関係がないでしょう。それより、ファウスティーナの時間を取ってはいけません。学院に遅れてしまいます。ファウスティーナ、遅れてはいけません、早く行きなさい」
「は、はい」
意外だった。
エルヴィラを溺愛する母が珍しくファウスティーナを優先した。
「関係がないって……っ、どうしてその様に仰るのですか……!」
「あ……! ご、ごめんなさいエルヴィラ。言い方がちょっときつかったわね。あれはファウスティーナに贈られた物だから、エルヴィラが知ったって意味がないでしょう? さ、さあ、今日はヒルデガルダ先生がいらっしゃるから準備をしなさい」
「嫌ですっ!! ヒルデガルダ先生は……」
泣き出す寸前のエルヴィラと諌めようと取り繕うリュドミーラの声を背にファウスティーナは早足で馬車まで向かった。
「何だったんだろうね、今のお母様」
「奥様も漸くエルヴィラお嬢様の教育に力を入れ始めたということです。ささ、お嬢様は早く馬車に乗ってください」
「う、うん」
リンスーから鞄を受け取り、馬車に乗り込むとエルヴィラの泣き叫ぶ声が響いた。朝からある意味元気なエルヴィラの泣き声を音響にファウスティーナを乗せた馬車は出発した。
同乗しているジュードが苦笑を浮かべていた。
「朝から大変ですね、お嬢様」
「あはは……」
「司祭様からはある程度聞いてはいましたが……」
「あははは……」
恥ずかしさで穴があったら入りたい。
「エルヴィラ様のような方は、特別珍しい訳ではないんです」
「そうなのですか?」
「毎日、沢山の平民や貴族を相手にする神官業をしていますと色んな人と会いますから。良い人ばかりだったら僕達も苦労はしませんが……困った人がいるのは、お嬢様もご存知でしょう」
「そうだね……」
王国で最も美しいと謳われる美貌のシエルに溺愛されていたファウスティーナは何度か彼を異常に慕う女性から危害を加えられそうになった経験がある。
「王宮舞踏会も9日後に始まりますね」
「……そうだね」
同じ返事でも意味が違う。
王宮舞踏会を皮切りに社交シーズンが始まる。
昨日届いた王家からのドレスは確認していない。リボンすら解いていない。
当日、迎えの馬車を寄越すとも言っていた。
思考が永遠に続く螺旋階段を歩いていく。ファウスティーナの様子から察するものがあったからジュードも静かに見守る側に徹した。
馬車が校門前に到着した。
先に降りたジュードが差し出した手を取って降りた。
「迎えは僕とリンスーさんが来ますので」
「ありがとう。あ、そうだジュード君。ジュード君、メルディアス先生って知ってる?」
シエルと友人と聞いたので面識があるかもと訊ねた。すると「…………へ?」と非常に間の抜けた声をジュードは発した。
「……今、メルディアス先生って言いました?」
「? うん」
「先生……どこかのクラスを受け持ってるのですか?」
「私のいるAクラスだよ」
「ああ……、ああ……あの人いつ教員免許なんて取ったんだろう……」
「ジュード君?」
遠い目をして独り言を呟くジュードを心配して声をかけても彼は違う世界へ精神を飛ばしてしまい、ファウスティーナの呼び掛けに応じてくれない。困ったと眉を八の字に曲げてジュード君と肩に触れた。軽く揺さぶると漸く現実世界へと帰還した。
「あ……すみませんお嬢様」
「良いけど……メルディアス先生を知ってるの?」
「メルディアスさんは教会の神官の1人です」
「え」
教会の神官は主に家を継げない令息が就く職業の1つ。メルディアスはフリージア公爵の弟なので神官になってもおかしくはないがあれだけの美貌だ、彼を婿にと希望する女性は沢山いそうなのにかなり意外だった。
ファウスティーナは1度も教会でメルディアスと会っていない。
ジュードが説明してくれた。
「メルディアスさんは、主に各地の教会支部を巡回して司祭様に報告する監査官の様な仕事を担当しておられましたのでお嬢様が1度も会っていないのは不思議じゃありません」
「そうだったんだ。だけど、監査官って重要な仕事があるのに教師をやってもいいの?」
「おれ以外にも監査官は何人かいるし、今年から別の子を監査官に任命したから問題はなしなんだよ」
「「!!?」」
ファウスティーナとジュード、2人の間にひょっこりと顔を出したのはメルディアス。
危うく悲鳴を上げそうになったファウスティーナと「うわっ!!」と本当に上げたジュード。
昨日と同じく、今日も凄艶さを惜しげもなく振りまくメルディアスはにこやかに笑っていた。
「やあファウスティーナ様、ジュード君」
「お、おはようございますメルディアス先生」
「びっくりした……。驚かさないで下さいよメルディアスさん」
「驚くも驚かないも君の勝手だジュード君。それより楽しそうな話をしてるね。ジュード君はもう戻らないといけないから、続きはおれとしようファウスティーナ様」
バイバイと手を振るメルディアスから早く帰りなさい感を全面に出され、頭を下げたジュードは御者に戻りましょうと声を掛けた。
メルディアスに促され校門を潜ったファウスティーナは隣を見上げた。
「神官様だったのですね。メルディアス先生の様に兼業の方はいらっしゃるのですか?」
「いいやおれだけ。というか、特例なんだおれの場合。言ったでしょう? 本来担当する教師が急に体を壊したからと。教員免許を偶々持っていたおれに白羽の矢が立っただけ。君やベルンハルド殿下のお目付役としてね」
「そうですか……。あの、メルディアス先生……」と呼びかけた時、背中に鋭い視線を刺された。後ろを振り向くと隣にいる彼と同じ紫水晶の瞳が剣呑な色を濃く纏ってファウスティーナを射抜いていた。ファウスティーナの視線の先に気付いたメルディアスが「ジュリエッタ」と呼ぶ。
「……ふん」
何かを言うでもなく、ジュリエッタは去って行った。
お茶会以外で面識はなく、かといって特別何かがあった訳でもない。
ジュリエッタに敵意を向けられる要素が皆無なファウスティーナは困惑するだけだった。
別ルートで校舎内に入ったジュリエッタはAクラスにまだファウスティーナがいなくてホッと息を吐いた。自分の席に座るなり……突っ伏した。
フリージア公爵令嬢のいきなりの行動に周囲の生徒達はギョッとした。
「なんでこうなりますの……」