イレギュラー
※イレギュラーが起きたのは34年前→31年前に修正しました。
晴天が広がり、心地よい風が草を揺らす。
果ても草原と晴天が続く広大な大地の上、1匹の白く丸い体をした水鳥が羽を広げ伸びていた。「クエ〜」と情けない鳴き声を発した。
水鳥−−決まった名前はないのでコールダックと呼ぶ。コールダックは3日間飲まず食わずの生活を送って死にかけた気分を味わっていた(実際には朝昼晩きっちり食事も水分もなんなら大好きな運動だってしている)
コールダックの主、運命の女神は4度も繰り返された運命を眺めているだけ。その気になれば、強引にでも運命の糸を引き千切り別の糸へと結び直すことだって可能なのに。
もう1人の主、魅力と愛の女神は、愛した人間の生まれ変わりが4度繰り返しても結局同じ道を辿るのだと疑わず、それならばと何か決心したらしく、ここ最近姿を現していない。
「クワワ……」
何が間違いだったのか。
運命の女神は言う。
結び先が2つあるとは思ってもいなかったと。
1つは、魅力と愛の女神の器、つまり【魅力】と【愛】を持った女神の生まれ変わり。
もう1つは、運命の女神でさえ予想していなかったイレギュラー。
魅力と愛の女神リンナモラートの愛は愛し愛される力がある。与える愛、受け入れる愛。どちらも揃っていないと力は不安定となり、思いもしない効果を発揮する。
「クワ……」
ファウスティーナは正真正銘リンナモラートの生まれ変わり。数百年振りに“完全“と謳ってもいい生まれ変わりである。
が、ここでイレギュラーが発生した。
何故か、かなり中途半端な愛される力をエルヴィラが宿して生まれてしまった。今までの生まれ変わりは、皆リンナモラートの持つ魅力と愛を持っていたのに。今回だけ違ってしまった。
そして、このイレギュラーが大きな原因でラ・ルオータ・デッラ教会の地下の最深部に封印されている“運命の輪“を使って運命を繰り返されている。
コールダックが運命の女神に聞いたら−–
『最初のイレギュラーが31年前に発生したんだ。その時ではまだリンナモラートは完全には生まれていなかった。我が16年の時間を操作したのが理由なら……ああ、もしかしたら、そのせいでアレが勘違いをしたなら……」
『クワ?』
疑問を口にしながらも納得のいく答えが見つかったからか、1人成程と満足げな主に――フォルトゥナに――コールダックは羽をばたつかせた。
『教えろって?』
しょうがない子だよ、と嘴を撫でられた。
フォルトゥナ曰く、初代国王の生まれ変わりの誕生とリンナモラートの生まれ変わりの誕生は同時になる。ベルンハルドが誕生した1ヶ月後にファウスティーナは生まれている。この瞬間から既に問題が生じているのに更なる問題があった。この時、ベルンハルドの運命の恋人の結び先が2つあったのだ。
本来であればファウスティーナにだけ向けられる糸が別の誰かへも前を向けていた。
その誰かがエルヴィラだった。この時、まだリュドミーラのお腹の中にすら宿っていなかったのに。
可能性があるとしたら、……ここまで話すとフォルトゥナは乾いた笑いを零した。
『我の憶測にしか過ぎないが……お前も知っての通り、我もアレも人間が好きだ。純粋な人間の祈りは叶えたくなってしまう』
王国が女神に守られる国と他国から恐れられる理由の1つ。気まぐれに女神が願いを叶えるからこそ、女神の存在は顕著なものとなる。
『あまりにも純粋で、愛に溢れている願いがあった』
懐かしむ、とは違う、哀愁を漂わせた笑みを空へ向けた。
『それを聞き届けてしまったからかね……。アレのおっちょこちょいと我のミスで結んでしまった糸が今を作り出している』
「クワ〜……」
コールダックが羽を退けると数種類の宝石があった。ラピスラズリ、シトリン、ルビー。同じ体勢で器用に宝石を羽先で転がした。
先を行くシトリンを追い掛けていたラピスラズリはルビーが来ると止まった。
何処へ、力強く、時に下から掬うように動かしても同じ結果。
頭上に影が差し込んだ。「楽しそうだね」とからかいの含んだ声。両手で抱えられ立たされたコールダックはフォルトゥナを見上げた。
「クワ、クワーワ」
「運命の相手の結び直しは出来ないのかって? もうしたさ。最初の時に」
「クワ!!?」
「【愛】の力は強い。時に運命すら塗り替えるほどにね。王子様ともう1人の子が運命の恋人たちだと、あの子が信じる限り王子様は永遠に赤い糸に縛られたままになる」
「クワ……クワワ……」
「王子様が可哀想? もう1人の子の思い込みと執着はどうにかならないのかって? さあね。王子様はあの子の心を全て塗り替える愛を与えない限り永遠に縛られる。もう1人の子は……必死なのさ。愛されようと……」
コールダックの目から見て、エルヴィラは十分愛されている。やれやれとフォルトゥナは肩を竦めた。
「お前も少しは人間を観察しな」
「クワ!!?」
「何? しっかり見てる? なら観察不足だ。まだまだ修行が足りないな」
「クワ!! クワ〜!!」
「そう怒るな。我はまたいつか人間のフリをする。お前もまたついておいで」
フォルトゥナが人間のフリをしたのは、4年前の建国祭で飴売りの女に化けたのと4ヶ月前個人契約をした1人に接触を図った時だけ。
長い空色の髪を揺らして歩く主を待ってーと鳴きながら追い掛けるコールダックだった。
●○●○●○
「んう……?」
その日の夜中、不思議な夢を見たファウスティーナは不意に目を覚ました。
何故か、コールダックが綺麗な女性を追い掛けるというものだった。
夢はその者の願望を表すと聞く。コールダックに追い掛けられたい願望がないファウスティーナは首を傾げるばかり。
目が覚めてしまい、2度寝しようと目を閉じても眠気はやってこない。仕方なく上体を起こしたファウスティーナが横を向いた時だ。心臓が大袈裟なくらい跳ねて呼吸が出来なくなった。
窓から差し込む月光に照らされて、鈍い光を放つ薔薇色は暗く重く見え、瞳に宿る鋭利な光だけが鮮明だった。彼–−ヴェレッドはどういうことか、ファウスティーナのベッドの横に立っていた。
記述したように時刻は夜中。警備担当者以外は寝静まっている宵闇の中、彼がいる目的が全く不明だった。
大声を出さなかったのを褒めてほしい。発しないといけないのだがそれはそれで大騒動へと発展してしまう。彼がシエルの側にいるのを父や母は知っている。シエルの差し金と勘違いされても大変。
慌てて口を手で塞いだファウスティーナを薔薇色の瞳を面白そうに細めた彼は遠慮なくベッドに腰掛けた。
「やあお嬢様。ちょっと心配になったから様子を見に来てあげたよ」
来てくれるのは嬉しいが時間帯を考えてほしい。完全に不法侵入者だ。
何度か深呼吸を繰り返して、ファウスティーナは問うた。
「一体どうやって忍び込んだのです?」
ヴェレッドの詳しい事情は知らねど、公爵家の警備を何事もなくクリアしてファウスティーナの部屋に辿り着くのは、邸内の位置と夜中の警備の内情を把握していないと不可能。シエルに教わった? なら、シエルはシエルでどうやって情報を手に入れたのか。ジュードは命じられても難色を示してやりたがらないだろう。
シエルが信用しているからファウスティーナにとって危険な人じゃなくても、今目の前にいる彼は明らかに普通の人間とは違った。
「えー? 教えないよ」
「……」
「あ、はは、そう睨まないでよ。だって、言ってもお嬢様は俺を通報しないでしょう?」
「通報するなら教えてくださるのですか?」
「いいや? どっちみち教えない」
偶にしか会わない相手だが、何度か接していると嫌でも相手の人となりが分かってしまう。
気まぐれでシエルの言うことには基本従い、暇になるとシエルを揶揄ったり揶揄われて拗ねたりと子供っぽい、猫っぽい性格。
これ以上訊ねても侵入方法は教えてくれない。ふう、と嘆息すると今度はヴェレッドが問うた。
「ねえお嬢様。正直に答えてよ。困ってるんでしょう? 王太子様のことで」
「すごいですね、ヴェレッド様」
「予想はしてたよ。王太子様がお嬢様に縋り付くのも、お嬢様が王太子様を妹君の方へ行かせようとするのも。王太子様と会ったでしょう? 何を話した?」
新入生歓迎パーティーの際、2人で抜け出し話した内容を正直に披露した。
途中で逃げたことも含めて。
ケインに相談したら、要らぬ心配を増やしてしまう。だがヴェレッドなら気兼ねなく話せる。
話し終えると「ふーん」とニヤついた笑みと殊更面白そうに薔薇色の瞳が輝いた。
「そっか。はは……ああ、面白いね。王太子様もお嬢様も」
「面白いって……」
「だってそうじゃない。立場が逆転してる。王太子様に縋るお嬢様の構図から、お嬢様に縋る王太子様に変わってる」
左襟足を左手でクルクルと弄っては解いて、弄っては解いてを繰り返しながらヴェレッドの話は続く。
「お嬢様は王太子様を信じられない。王太子妃になるには何もかも足りない空っぽちゃんの代わりをさせたいからって思ってる」
「(言い方が……)そうとしか思えないのです」
「でも王太子様は、お嬢様とやり直したい。別に王太子様を擁護する訳じゃないけど、空っぽちゃんを王太子妃にするつもりは本当にないんじゃない? 本気で空っぽちゃんを好きなら、そもそも4年前以前に婚約の変更を王様に訴えてるよ」
「それは……私と殿下の婚約は王命です。個人の感情次第で簡単に」
「いいや? 酷いこと言うけど、お嬢様を娶るなら直系の王族なら誰でもいいんだ。第2王子様やシエル様、最悪王様でも問題ない。でもずっと王太子様のまま」
どうしてだと思う? 薔薇色の瞳で答えを示せと訴えてくる。
答えがないとファウスティーナは首を振った。
「君を嫌っていた割に王太子様は、1度も王様に婚約が嫌だとは言ってないんだ。まあ、心の中では思っていただろうけどね」
「……殿下も個人の気持ちで変えられるものではないと理解していたからです」
4年間耐え続けた故の爆発があの日だったのだ。導火線に点火したのはファウスティーナの発言。自業自得だった。
「これね、お城に遊びに行った時王様から聞いたんだ。王太子様に1度、婚約を白紙にしようかって王様は言ったんだって」
「え」
初耳だ。後宮で再会する以前だけではなく、他でも国王シリウスから言われていたなんて。
「そうしたらね、王太子様はお嬢様と婚約解消はしないって王様に断言したんだ」
とっても嫌そうな顔をしてたらしいけど、と最後の付け足しがなければ盛大に心が揺らぐところだった。数百年振りに生まれた女神の生まれ変わりを王太子妃に、王妃にしない理由が何処にもないから。
何度、女神の生まれ変わりにならなければ良かったと味わわないといけないのか。
辛い心情を表すように息を吐いたら頬に温かい手が触れられた。
「王太子様のこと、まだ好きなんでしょう?」
「っ」
誰にも明かせられない深層心理へ躊躇なく踏み込まれ戦慄する。固まってしまうと今度は頭を撫でられた。
「これは俺からのアドバイス。無理に蓋をする必要はない。君はファウスティーナ、シエル様じゃない。シエル様が王様に無関心でいられたのは、思い入れが全然なかったから。けど君は違う。4年間の積み重ねがある」
人間の心は誰にも読めない。汚い字でも、多様な知識を必要とする暗号でも、読み解ける者は存在する。
しかし、心ばかりは誰にも読めない。本人ですら読み解くのは出来ないのに。
他人が理解しようとするのは雲を掴むのと同義。
「ずっと大事にしていた思い入れのある物を汚れたから、使えなくなったから簡単に捨てられる? 誰かに譲れる? 無理だよね。王太子様を受け入れるか、最後まで拒否し続けるかはお嬢様次第だけど、気持ちの整理がちゃんとつくまでは誤魔化さなくていいよ。逃げたらいい。逃げて逃げて、気持ちの整理がつき始めたらその時は……盛大に振る舞えばいい。王太子様と空っぽちゃんがお似合いだと、ね」
逆にやはり自分こそが王太子妃に相応しいと傲慢に振る舞うのもありかもね、と嗤う彼にファウスティーナも釣られて笑ってしまった。
「そうなると殿下に対しても昔のように接しないといけませんね。そっちの方が殿下も考えを改めるかもしれません」
「そうなったらこっちのものだよ。王太子様の今までの言動も態度も、全部お嬢様を王太子妃としての役割を果たさせる為の道具扱いとなって、王様も猶予を奪ってすぐに婚約を変更してくれるよ」
ベルンハルドが自身の気持ちに正直になってくれるには、もう1度心底嫌われていた自分こそが絶対の傲慢令嬢に戻らないといけない。またなれる自信はなくても、時間は3年ある。その間に積み重ねていき、来年エルヴィラが入学した際にはとことん発揮しよう。
ふと、あの『愛に狂った王太子』という本が頭に過った。
主人公は1つ上の姉に虐めを受けていた。ヒントをあの本から得られるのでは? と見出したファウスティーナは頭を撫でるヴェレッドに微笑んだ。
「ありがとうございますヴェレッド様。少しは気持ちが楽になりました」
「また様子を見に来るよ」
「出来れば夜中以外でお願いします……」
心臓に悪いから。
読んでいただきありがとうございます。
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