道は果てしなく遠い
王家の家紋が入った馬車が校門の前に停車した。御者が扉を開けると制服を着たベルンハルドが降りた。彼もまた今日から新入生の1人。時刻は入学式が始まる約20分前。チラホラと他の馬車も見える。さっと周囲を見るが見たい家紋の入った馬車はなかった。次に降りたヒスイに「殿下」と声を掛けられ漸く前を向いた。
––で、頭に大量の疑問符を飛ばした。
「やあ、ベル。今日から同じ学舎で行動するのはなんだか新鮮だね」
「おはようございます、殿下」
「あ、ああ。クラウド、ケイン。2人ともどうして校門前に? それに……」
ベルンハルドは笑っているのにご機嫌斜めなクラウドの異変を察知していた。普段ふわふわとした雰囲気を漂わせ、笑顔を絶やさない彼が怒っている。顔は笑っていても。付き合いの長いベルンハルドだから感じられる。恐らくケインも同じだ。彼の場合、やれやれと溜め息を吐いた。
「僕とケインは生徒会役員だから、入学式の準備の為に朝早くから登校しているんだ。なのに同じ役員の双子先輩が来てないから、余計な仕事を増やされてね」
「双子先輩? ああ、ラリス侯爵家の……」
双子は珍しくもないが今学院で双子・先輩という言葉で思い当たるのはヒースグリフ=ラリスとキースグリフ=ラリスだけ。新入生から在学中の生徒全員の名を頭に叩き込んでいるベルンハルドは即座に回答を導き出した。正解、と朗らかに笑うクラウドへ校門の方を向いていたケインが「来たよ」と告げた。
ベルンハルドも気になって後ろを向いた。ラリス侯爵家の家紋の入った馬車が少し離れた場所に停車した。降りた御者が扉を開けると我先にとピンクゴールドの髪をした青年2人が同時に降りようと争いを始める。が、まだ車内にいる誰かの「早く降りてくださいお兄様達!」の声で先にキースグリフが降りて続いてヒースグリフも降りた。
彼等が出ると同じ髪をした少女が降りた。1本だけピョロんと垂れた長い前髪が特徴で新緑色の瞳に些かの疲労を滲ませる彼女はアエリア=ラリス。双子の2歳下の妹。見た目だけはエルヴィラと同じ可憐な美少女だが強気なオーラを纏わせる姿は全くの逆。
何かを言い争っている双子の所へやけにいい笑顔のままクラウドは行ってしまった。
「はあ、あの2人の妹君に対する愛はまあ……分からないでもないですが役目を放棄するのは別の話になります。俺とクラウドであの2人の仕事を終わらせたので、入学式の後にある歓迎パーティーでの仕事は全部押し付ける予定です」
「そうだったのか……。……ファウスティーナはまだ来ていないのか?」
「俺と一緒に来ていますよ。早かったので待っている間、食堂にいるようにと言っています」
「? ファウスティーナが早くから来る理由はなかった筈だが……」
「少しでも早く学院に慣れてほしいと思い、連れて来ました。……クラウドが手を振ってる。殿下、すみませんが失礼します」
「ああ」
双子に食ってかかられているクラウドの元へケインも行ってしまった。
食堂……そこに行けば会えるのか。だが行ってもどうせまた1ヶ月前のようになるだけ……。なら、会わない方がいいのだろうか。
父と約束した。婚約者の変更が嫌なら、在学期間中に関係を修復しろと。それが出来なければ、又は婚約者変更を迫られれば受け入れろ、と。
唇を噛み締め、小さく頭を振って校舎内へ入った。新入生は指定の教室に待っているよう通達が来ている。ヒスイを伴って目的地へ行くベルンハルドは前方から歩いて来る相手に目を剥いた。
相手も自分に気付き動揺を表した。一緒にいる相手は優雅な動作で一礼をした
「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下」
白金色の髪をハーフアップにした、美しい紫水晶の瞳の男性は見る者を魅了してしまう顔を上げた。
男性にしては華奢な体格のせいか、美女と間違われても可笑しくない。左胸元に教員バッジを付けているのを見ると教師のようだ。クラウドの話題に出ても良さそうなのだが生憎と特徴が合う教師の話はしたことがない。
ファウスティーナへ密かに視線を送るも……目を合わせまいと俯きがちになっていた。
目を合わすのも嫌だと訴えられているようで鈍い痛みを覚える。気付かない振りをして教師と向き合った。
「今年から、殿下やヴィトケンシュタイン嬢の在籍するAクラスの担任になります、メルディアスです」
「? 去年までの名簿にはなかった名前だが……」
「ああ、それはそうでしょう。おれが担任と決まったのは最近なので。急だったのですよ、本来担任となる教師が急に体を壊してしまって。偶々、教員免許を持っていたおれが陛下やシエル様に言われて担当になったのですよ」
「父上や叔父上と親しいのですか?」
「これでもフリージア家の出身ですから……学生時代はよく、陛下とシエル様のけん……まあ交流を持って頂いていたので。適任だったのでしょう」
フリージア家といえば公爵家だ。王国で公爵位を賜るのは、ヴィトケンシュタイン・フワーリン・グランレオド・フリージアの4つの家のみ。
女神の生まれ変わりが唯一生まれるヴィトケンシュタイン家、その身に流れる血の理由から中立の立場を貫くフワーリン家、先王妃や教会で助祭を務めるオズウェルの生家グランレオド家、最後に筆頭公爵家であるフリージア家。
ファウスティーナが生まれていなければ、長女のジュリエッタが王太子妃筆頭候補となっていた可能性が非常に高い。
俯いていたファウスティーナが顔を上げた。不意に薄黄色の瞳と目が合うも……隠しきれない怯えの色があって今度はベルンハルドが俯いてしまった。
2人の微妙な空気を察してくれたのか、ああそうだ、とメルディアスは手を叩いた。
「陛下とシエル様から、君達のことを頼まれているんだ。何かあったら、おれに相談してね。
さてと、突っ立ってないで教室に向かおうか。殿下もそのつもりだったのでしょう」
「は、はい……」
「ヴィトケンシュタイン嬢。君も行こう。折角の入学式で暗い気持ちだと台無しになってしまうよ?」
一方で、校門付近では別の事件が起きたもののすぐに解決した。
目撃、というより当事者に近いアエリアは入学早々恥ずかしい思いをする羽目になり、元凶である兄達へ勧告を出した。
「学院にいる間は放っておいて下さいませ!」
朝からどっちが先に馬車に乗るだのと喧嘩したり、そもそも生徒会役員の2人がアエリアと同時に登校していいのか訊いても優秀な後輩が2人いるから大丈夫と言い切って登校したわけだが。全然大丈夫じゃなかった。その優秀な後輩2人に新入生歓迎パーティーの仕事を全部押し付けられ憤慨したのをアエリアは冷たく言い放った。
自業自得だ、と。
余計な迷惑を掛けてしまったクラウドとケインに申し訳なさを抱いた。
「教室に向かおうかしら……」
アエリアの目当ての人は既に来ているらしく、確認したいことがあるから早々に教室を目指した。
……さっき、兄達を言い負かした内の1人、ケインに底知れない何かを感じ取った。
ファウスティーナといい、ケインといい、ヴィトケンシュタイン家には興味をそそられる人しかいない。エルヴィラは論外だ。興味を抱く要素も必要もない。相手をするだけ無駄な人間というのは、何度か会っているお茶会で見ただけで解る。
Aクラスには間違いなく王太子もいる。仲が最悪なベルンハルドとファウスティーナがどうなっているかが気になって仕方なかった。
教室の前に到着したアエリアは扉を開けて––後悔した。
重苦しい空気が漂うファウスティーナとベルンハルド。そして、教壇には空気に似合わず無駄に輝いている教師らしい若い男性が立っていた。
「……」
早々にクラスチェンジを希望したくなった瞬間だった。
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