【本編では10歳になりました:後】
司祭の部屋の奥を行くとある扉を開けた先は外と繋がっており、芝生で覆われた地面を歩くシエルに抱かれたままのファウスティーナは初めて訪れた場所に興味津々だった。周りは木に囲われており、真ん中に小さな木製のテーブルと椅子が2つ置かれていた。椅子の1つに座らされるとシエルは隣の椅子にベルンハルドを座らせた。
「此処は私のお気に入りの場所だよ。殆どの人が知らないから、ゆっくりしたい時によくいるんだ」
「初めて知りました。司祭様の部屋の外にこんな場所があっただなんて」
「教えても良かったのだけど、助祭さんがうるさいから」
仕事は真面目にしながらも、集中力を長続きさせないシエルへ毎回お小言を言っては仕事を押し付けられる助祭。1日に数度は「ちゃんと真面目にしなさいシエル様!」と見掛ける。時間があればファウスティーナの様子を見に来るので。申し訳ないと思うのでシエルに司祭の仕事を優先するようお願いしても、美しい微笑みで躱されてしまう。あの微笑みを前にするとついつい頷いてしまう。
シエルは同行している護衛騎士へ振り返った。
「殿下とファウスティーナ様を2人だけにしてあげて。じゃあね、2人とも。デザートを後で運ばせるよ」
内心行かないでくださいと泣きつつ、頭をぽんぽん撫でられた。
シエルの言葉に従い、護衛騎士も退席した。近くにはいないだけで見えない場所で待機しているのは分かっている。
残されたはいいものの、ベルンハルドと何を話そうか。エルヴィラなら話題に事欠かず、ずっと話し続けられただろうがファウスティーナにはなかった。前回なら延々と喋っていられたのに。そして、退屈そうに嫌そうに自分の横にいたベルンハルドを思い出しては凹むを繰り返す。
沈黙が訪れ、取り敢えず何かを言わなくてはと思い話題を探っているとベルンハルドから話を始めた。
「足は大丈夫なのか?」
思考が遠い彼方へ行っていなくて良かった。すぐに反応出来ないので。
「今は手当をしてもらったので全然痛くありません。自分で歩けるようになるには少し時間がかかりますが」
「そうか……。朝は叔父上と散歩をするの?」
「朝食を食べた後に。此処での朝食はとても甘いので私は好きなんですが……あはは……」
甘い食べ物はどれもカロリーが高くて、食べたままだと遅かれ早かれ太ってしまう。太って容姿が醜くなったのを理由に婚約者変更を希望しようかとヴェレッドに相談。
結果は––
『馬鹿じゃないの?』だった。
彼はシエルに対してもだが辛辣な言葉を容赦なく放ってくる。たったその一言で計画を断念したファウスティーナは次々に作戦を思い付いては彼に提案してみるも、全部却下された。ベルンハルドとの婚約破棄を望む理由を(前回の記憶を持ってるからと言わず)話せた大事な協力者だ。シエルにも流れているが3年間1度もその話に触れられていない。暫くは様子見だろう。
逆にヴェレッドに何か良案はないかと乞うも意地悪な笑みを浮かべられ、自分で考えなよ、と教えてもらえない。人が苦労している姿を見て楽しんでる節がある。
「そういえば父上が、南側は朝はコーヒーとドルチェで済ませるのが普通だと仰っていた。どんな物を食べるの?」
「司祭様は主にコーヒーの代わりに紅茶とクッキー、ヴェレッド様はクロワッサンやシフォンケーキ、私は公爵家でもよく食べていたパンケーキ等が主です。殿下は普段どのようなお食事を?」
「ファウスティーナとあまり変わらないよ。僕もパンケーキは大好きなんだ」
「(初耳……)」
何が好きか、何が嫌いかを挙げてみろと言われてしまうと100%の答えを持っていないファウスティーナでも、ベルンハルドのパンケーキ大好き発言は意外だった。彼は甘い食べ物が苦手だったイメージがあった。
だがそれもエルヴィラの前では違うのだろう。こうやって会話をしていると頭に嫌でも前回の記憶がちらちらとする。エルヴィラとの時間を至極大事にし、婚約者である自分には向けてくれない愛情が多分に含まれた瑠璃色の瞳や声が欲しかった。
今はこうやって良好な関係を築けても、どうせ……。
すると、スイーツと飲み物が運ばれた。運んできた相手にファウスティーナもベルンハルドも吃驚した。
教会で2番目に忙しい助祭のオズウェルだったから。
怪訝な声色で呼ぶとスイーツと飲み物を並べていたオズウェルは2人を視界に入れるなり。
「はあ」と溜め息を吐いた。
「お気になさらず。どうぞごゆっくり。シエル様が来ることのないようにしっかりと見張っておきますので」
「司祭様は来られるのですか?」
「来ませんよ来させませんよ。ファウスティーナ様を構いたがるのはまあ分からないでもないですけど、今は王太子殿下がいらしているのだから大人しくしてもらいます」
ぽんぽん頭を撫でられるとトレイを持ったオズウェルは建物内に戻って行った。シエルもそうだが教会の人達はファウスティーナの頭を撫でるのが好きな人ばかり。約1名には態と整えた髪を乱されるが。
視線を感じて動くとベルンハルドがむくれていながらも羨ましそうな眼差しを向けていた。
「……ファウスティーナは叔父上に来てほしい?」
「? いいえ。司祭様はお忙しい方なのでお仕事を優先してほしいです」
「じゃあ、忙しくなかったら来てほしい?」
ベルンハルドの質問責めに困惑しつつ、当たり障りのない返答をしていく。
まだむくれているのでどう機嫌を直してもらおう。
「……僕も叔父上といられるのは嬉しいよ。でも今はファウスティーナといたい」
「……え」
予想だにもしていなかった台詞を言われ、再度困惑としてしまう。
何も言えずにいるとベルンハルドの不安の色が濃くなった。
「僕といるのは……嫌?」
正直に言おう––誰にも信じてもらえないだろうが嬉しい。とても。
エルヴィラとベルンハルド。2人が“運命の恋人たち”となると知っていても、心の奥底にある気持ちはずっと訴え続けていた。今回は大丈夫、殿下は自分を見てくれている、と。
前回と同じにならない、ファウスティーナの望んだ関係が継続している今、最後妹の命を奪おうとするほどまでに執着したベルンハルドの愛しい人の座に居続けられる。
望んでいながら、意思は逆方向へ進んでいく。
女神に認められた男女になった方がベルンハルドはこの国で最も幸福な人になれる。相手がエルヴィラなのは嫌でも、運命によって深く強く結ばれているのなら受け入れるしかない。
「嫌ではありませんよ、殿下といるのは楽しいですし」
ここ3年は逃げずにちゃんと会っている。お互い、距離が遠くなったのでこまめに手紙のやり取りをして近況を報告し合っている。
将来エルヴィラと結ばれると決まっているベルンハルドに自分という婚約者がいては、後々結ばれる際に大きな壁となってしまわないか不安だ。それか、恋人同士になった途端前回のように嫌われるのではないかとすら思える。長年冷たい瞳と声を向けられ続けても耐性は作られない。ずっと、慣れないまま。
「そ、う……ならいいよ」
気付かれぬようホッと息を吐いた。
エルヴィラと結ばれた方が幸福になると決めつける自分と何時だって手を伸ばしてくれていたベルンハルドの手を取りたいと泣き叫ぶ自分がいる……ふと、違和感を抱いた。
前者は知っている。後者はどういうことだろう。ベルンハルドが手を伸ばしていた? 逆の間違いだ。手を伸ばしていたのはファウスティーナの方。伸ばしても手が届きそうになると振り払われ、愛しのエルヴィラの方へ行ってしまう。
(今だけよこんな気持ちになるのは。ベルンハルド殿下がエルヴィラと再び運命によって結ばれた後、私も好きなことをやっていたら自ずと殿下に対する恋心も消える)
チグハグな感情のせいで惑わされるのも婚約破棄をするまで。我慢をした後に待っている解放の為にファウスティーナはベルンハルドに飲み物を勧めたのだった。
「……なんつうか」
高い木の上からファウスティーナとベルンハルドを見下ろす薔薇色の瞳が呆れを濃く宿していた。
3年前ファウスティーナを誘拐した際、眠っていた彼女が目を覚ました時の会話で何れ王太子は妹を好きになると語られていた。突拍子もない話なのに本人からは嘘を言っている気配もなかった。
王太子との婚約破棄を望むファウスティーナの為にシエルが動くかと待っていたが3年経過しても特別何かをする気はないらしい。女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。大昔、王家と姉妹神が交わした誓約に則って。
生まれた年が一緒だったから2人の婚約は生まれたと同時に結ばれた。
ファウスティーナは、殿下は妹を好きになると話していた。
しかし……ヴェレッドが見下ろす先では、妙な雰囲気になったもののオズウェルの運んだスイーツや飲み物を食べ始めたことで新鮮な空気が流れ始めていた。好物のオレンジジュースを上機嫌に啜るファウスティーナをアイスミルクを啜るベルンハルドは一瞬で顔を赤らめた。婚約者の笑顔にとことん弱いと知ったのは何時だったか。
赤い顔を見られたくないのだろうが視線を逸らしたままでは会話も弾まないと覚悟したベルンハルドがスティッククッキーをファウスティーナに差し出した。受け取ろうとされると首を振った。食べさせたいと見える。
みるみる内に顔だけじゃなく首や耳まで赤く染めたファウスティーナは恐る恐る差し出されたクッキーを食べた。
「お嬢様の言ってた通り、あの王太子様は妹君を好きになるのかな?」
ファウスティーナ好き好きオーラが誰の目から見ても感じ取れるベルンハルドがエルヴィラを好きになるのは信じ難い。
寧ろ、婚約を破棄したがっているのはファウスティーナの方に思える。ベルンハルドがエルヴィラを好きになると言うのは彼女の思い込みという線もあり、助言を求められても適当にあしらい続けている。
「もうちょっとだけ、様子見でいっか」
シエルが何もしないのもあるが、初々しい2人を眺めるのが愉しい。
暫くは飽きない光景をヴェレッドは見続けたのだった。
––ファウスティーナにスティッククッキーを食べてもらえたベルンハルドは……
(……多分僕の顔、みっともないことになってるだろうな)
熱い。とにかく顔が熱い。自分でやったくせに、恥ずかしがりながらも応えてくれたファウスティーナがあまりにも可愛くて。湯気が出てしまいそうになる。
こうやって一緒にお茶をして、会話をして、時間を過ごすだけのことなのに、狂おしく歓喜する感情はどこからか湧いてくる。
「で、殿下も食べてみて下さい、甘さが控え目でミルクとの相性も良さそうですわ!」
お返しとばかりに差し出されたスティッククッキーと期待に満ちる太陽の温もりを感じさせてくれる瞳。
––どうか逸らさないで、逃げないで、……ずっと側にいて。
読んでいただきありがとうございます。
次回からまた戻ります。