苦い
ファウスティーナとケインを乗せた馬車が出発して数十分後――
食堂に入ったリュドミーラは使用人が引いた椅子に座り、ファウスティーナとエルヴィラを待った。
朝は必ず一緒に過ごすシトリンは急用の為に今朝早くから出掛けていない。ケインは今日行われる入学式の準備で朝食は馬車内で済ませると昨夜言われた。
少しして、身支度を終えたエルヴィラが現れた。お気に入りのハーフツインにした姿は非常に愛らしく、年々可愛さが増していく。朝の挨拶を終え、後はファウスティーナが来るのを待つのみ。入学初日から寝坊はしていないだろうかと不安になっていると朝食が運ばれた。
2人分。
「あれ……お姉様の分は?」
ファウスティーナの分がないことにいち早く疑問を発したのはエルヴィラだった。すると、エルヴィラの側に控えていたトリシャがそっと前に出た。
「ファウスティーナお嬢様は、ケイン様と一緒にもう出発しておられます」
知らない、聞かされていない。
ケインが早く行くのは良くても何故ファウスティーナまで。母親である自分に一言もないなんて。沸々と生じ始める怒りを感じ取ったトリシャが慌てて「ケイン様がファウスティーナお嬢様に学院内を案内する為だと仰っておりました」と付け足した。
ケインは昨夜そんなことを一言も話していない。食事が並べられていく最中、執事のカインが説明役を買って出た。
「私も坊ちゃんに言われたのが今朝でしたのでお伝えするのが遅くなってしまいました。申し訳ありません。お嬢様に、少しでも早く学院に馴染んでほしいということらしいです」
「……分かったわ。食事にしましょう、エルヴィラ」
「はいお母様」
大丈夫、まだ大丈夫と自分に言い聞かせる。入学祝いにファウスティーナに似合うブローチを贈る予定だったのに。帰って来てから渡してもまだ間に合う。
教会に保護されてから物欲が無くなったのか、綺麗なドレスや宝石が欲しいと言わなくなった。
何度かお茶に誘っても全て断られていた。お出掛けをしましょうと誘っても同じ。4年分の開いた距離を埋めたいリュドミーラの気持ちとは裏腹に、ファウスティーナの関心はどんどん離れていく。以前までは何度も一緒にお出掛けしたい、お茶をしたいと強請っていたのに……。あの頃は、1分1秒でも時間を無駄にしたらファウスティーナの努力が無駄になってしまうと思い込んで全て教育に注いだ。
あの子が立派な王妃になれるように、女神の生まれ変わりとして恥ずかしくない存在にする為に。
厳しかった自覚はあるがあれらは全てファウスティーナの為。王弟シエルと侯爵令嬢だったアーヴァの娘が小さな嫉妬心で妹にキツく当たるのは見過ごせなかった。エルヴィラが毎回ベルンハルドが来る度に部屋へ行っていたのは知っている。リュドミーラ自身もエルヴィラに言い聞かせたが純粋に王子を慕う幼い彼女の気持ちも尊重したかった。エルヴィラのせいでベルンハルドの気持ちが悪い方へいくのは、気を引けないファウスティーナが悪かったからだ。シリウスやシエラ譲りの美貌は、社交界に出れば沢山の令嬢が放っておかない。今から妹相手に嫉妬してどうする、王子の妻になるのならどんな相手であろうと冷静に対処するようにと言い付けた。
反論され、時にエルヴィラには許すくせにと言われると頭に血が一気に上って……気付くと真っ白な頬が赤く染まっていた、自身の手には痛みがあった。
叩くつもりはなかったのに。後悔しても後の祭りだった。
リュドミーラだって本当はエルヴィラのように、一緒にお茶をして母娘らしい会話をしたかった、一緒にお店に行ってあの子と買い物を楽しみたかった、エルヴィラとしたことはファウスティーナともしたかった。
……なのに。4年振りに帰って来た娘は、最低限の会話はしてくれるが他は全て無視だ。いや、此方が話し掛けたり用がある場合は対応はする。全て淡白なものでも。
無関心なあの瞳に見つめられるだけで襲う圧倒的喪失感と絶望。何故そのような目で見るのか、何故どうでも良さそうな目で見るのか。
エルヴィラに対してもファウスティーナは無関心だった。この1ヶ月エルヴィラは何度か癇癪を起こしていた。ファウスティーナに無視をされると。事情を聞いたらファウスティーナは無視をしていない。必要最低限の返事をするだけ、以前のように一々噛み付いて怒鳴り散らす行為をしなくなっただけ。
妹に嫉妬する下らない行為が無くなったのは良い。……けれど、姉妹の仲が悪くなる一方なのは頭を抱えた。
ファウスティーナにしてやりたかったこと全てを無理矢理抑え込んだ結果が現状になるなんて誰が思うか。
●○●○●○
ファウスティーナとケインを乗せた馬車は貴族学院に到着した。貴族街の北に位置する学院は豊かな自然に囲まれており、特に毎年春になると多数の木々が桃色の花を咲かせ新しい年を歓迎する。何代目かの王が東の果てにある島国から持ち帰った木らしいが正式名称を誰も知らない。
門前には護衛がおり、学生証を提示すると中に入れてもらえる。新入生の所へは事前に届けられる。
2人は学生証を護衛に見せて門を潜った。
「すごいですね……」
門を通って最初に目に入るのは巨大な女神の像。
運命の女神フォルトゥナと魅力と愛の女神リンナモラート。
王国が崇拝する姉妹神。ファウスティーナは妹神リンナモラートの生まれ変わり。
実際の女神はどの様な姿をしていたのか。唯一分かるのは、空色の髪に薄黄色の瞳をした女性、ということだけ。
姉妹神の像を見上げていると「ファナ」と先の方にいるケインに呼ばれ、石像から離れた。
「珍しくもないでしょう。ファナはずっと教会にいたのだから」
「そうでもないですよ。教会の建物に入る機会はあまりありませんでした。司祭様や神官様達の仕事を邪魔するわけにもいきませんので」
「普段は司祭様のお屋敷にいたんだっけ」
「はい。時間があれば司祭様に勉強を教わったりもしました」
ケインと他愛ない会話を楽しみながら校舎へと近付く。白亜の建物が特徴的なのはフワーリン公爵家と同じだ。
自然に囲まれた白亜の校舎に入ると陽光を浴びて黄金に輝く金糸を靡かせた青年が前方から歩いて来る。
「やあケイン。ファウスティーナ様を連れてどうしたの」
王妃の生家フワーリン公爵家の長男クラウドは2人の前に来ると翡翠色の瞳を丸くした。同じ生徒会役員のケインがいるのは準備の為だから、であるが新入生のファウスティーナが来るにはまだ早い。
「どうということはないよ。少しなら、学院内を案内出来ると思っただけだよ」
「そっか。けど残念だねえ。ちょっと無理になりそうだよ」
「うん?」
苦笑して肩を竦めたクラウドはラリス家の双子が来ていないと告げた。
「あの双子先輩は妹君が大好きだから、もしかしたら役員の仕事を忘れてるかもね」
「はあ……クラウドの予想通りだろうね」
今年入学するラリス家の子、といえばアエリアしかいない。辺境伯家特有のピンクゴールドの髪にラリス侯爵と同じ新緑色の瞳の少女だ。ファウスティーナ自身は何度かお茶会で会った程度の認識。ケインが手紙に書く内容には、ラリス家の双子の話題もあった。
「最終確認はあの2人の仕事だったんだけどね……僕と君でやるしかないよ。入学式が始まったら、代わりに僕達の仕事を全部やってもらおうか」
「そうしようか。ファナごめん、折角連れて来たのに案内が出来そうにない」
「構いませんわ。校内図が何処にあるかだけ教えてください」
「こっちだよ」
場所の位置さえ分かれば、後は適当に過ごすだけ。ケインに校内図が貼られてある場所まで案内してもらうとクラウドが「そうだ」と何かを閃いた。
「待っている間食堂にいなよ。朝のティータイムを過ごしたいって人も少なくないから、早くから開いてるんだ」
「どうする? ファナ」
「そうですね……クラウド様の言う通り、そうします」
下手にうろうろして入学式に参加出来なくなるのは避けたい。校舎内を散策する機会はこれから沢山ある。今日はクラウドの提案に乗っかり、食堂で時間を潰すことにした。
食堂までは案内してくれたケインとクラウドと別れると中に入った。
クラウドの言っていた通り、ちらほらと人はいる。生徒はいない。視線を感じるのは容姿のせいか、新入生が早い時間からいるのを怪訝に思われているのか。
その両方か。
食堂のメニューは全て無料。これなら平民出身の生徒も気軽に利用可能だ。大半の貴族が学院に寄付をしているので成り立つ。
カウンター付近に置かれているメニュー表を手に取って開いた。
「どれにしようかな」
朝食は馬車で移動中、サンドイッチを食べた。飲み物にしようと目を通していく。好物のオレンジジュースも捨て難い。紅茶はシエルの飲んでいるのがいい。ココアはカイン特製のホットココアが格別。
結局、コーヒーミルクに決めたファウスティーナは受付で注文をしてマグカップを受け取った。マグカップを返せば何処でも移動可能なので庭の方へ移動した。校内図を見たのである程度の地理は把握した。
「ふふ、教会や屋敷に咲いている花も素敵だけど、此処に咲いている花も素敵」
腕の立つ庭師が丹精込めて育てる花はどんな場所であろうと美しい。それを眺めている時間がファウスティーナにとって至福の時。空いている長椅子に座った。赤、黄、ピンク、白、色とりどりの花を眺めながらコーヒーミルクを口に含んだ。
「ああ……苦い……」
甘い物が好物なヴェレッドも以前顔を歪ませていた。ファウスティーナは自分なら飲めると信じて砂糖無しにしたのに、とへこんだ。頑張れば飲めない苦さじゃないのでこのまま飲もうと再度飲んだ。
無糖でコーヒーを飲める兄の味覚はどうなっているのか。涼しい顔で飲むから、1度ブラックコーヒーを飲んだ際は悶絶した。あまりの苦さに。リンスーには「お嬢様には早すぎますと言いましたのに」と呆れられた。それ以来、ブラックコーヒーだけは絶対飲まないでいる。
今日から始める学院生活について考え始めた時。地面を踏んだ音がファウスティーナの耳に届いた。誰が来たのだろうと振り向いて――眩しい程光る絢爛な人がいて反応出来なかった。
男性にしては長い白金色の髪をハーフアップにし、長い睫毛に覆われた垂れ目な紫水晶の瞳の美しさに見入ってしまう。一瞬、脳裏に知っている神官が浮かぶが相手は女性なので気の錯覚だろうと首を振った。
シエルやヴェレッドと比べると低い身長は男性の華奢さを顕著にしながらも、妖艶な雰囲気に吸い込まれてしまいそうになる。
「これはこれはファウスティーナ様。こんな朝早くから来ていたのですね」
向こうがファウスティーナを知っていても、ファウスティーナは向こうを知らない。驚いてもいないのにそう聞こえるのは声色のせい。
「ああ、おれと会うのは初めてでしたね。今年から、君の在籍するAクラスの担任になる――
メルディアス=ムスト=フリージアです。シエル様や陛下から君のことを頼まれているから、何かあったらすぐに相談してね」
読んでいただきありがとうございます!




