あなたの為に悪役になりましょう
晴れ晴れとした空の下。一面芝生で覆われた世界に彼女はいた。
太陽の温かさを想起させる薄黄色の瞳から溢れる涙の粒。頬から滑り落ちた雫が緑に触れると不思議な音を鳴らして美しく消え去った。
風が彼女の空色の髪を浚う。長い髪を耳に掛けた女性の顔はファウスティーナとよく似ていた。泣き顔が非常に庇護欲をそそられるところはエルヴィラと瓜二つ。
足下にいつの間にか、小さな白い水鳥がいた。オレンジ色の嘴を開くと「クワ……」と女性を気遣うように鳴いた。
「人は変わる生き物だと姉さんは言っていたわ。それでいて、最も深い愛情を示すのもまた人だとも。私はずっと“与える側”だった。だから……永遠の愛を誓ってくれたルイスに恋をしたの、愛してしまったの」
女神と人間とでは当然寿命が大きく異なる。永遠を生きる女神と限られた生でしか生きられない人間が愛し合うことから間違えてしまったのだ。間違えてしまっても、愛を捨てられなかった。
寿命で愛しい人が死んだ時、妹神の嘆きを憐れんだ姉神フォルトゥナは王家に誓約を交わさせ2人の生まれ変わりを作った。
魅力と愛の女神リンナモラートは涙を拭うと空を仰ぎ見た。
「『愛』の半分を違う器に間違って置いてしまったせいでこんなことになってしまったのなら、私はもうルイスを諦めなければいけないの……?」
「クワワ……」
水鳥は何とも言えないと首を振った。
「……そうね。もう4度目ですものね。ファウスティーナは私であってリンナモラートじゃない。ルイスじゃない相手を選ぶのなら、私は受け入れるしかないのよ」
「クワ」
「……しょうがないもの。ルイスは、いいえ……ベルンハルドはこれだけ繰り返しても気づいてくれなかったもの」
「クワ、クワワ」
水鳥はそれには理由があって、と続けようとするもリンナモラートは感傷に浸ったまま歩き出す。何度、話を聞いてリンナモラート様、と鳴いてもルイスを諦めるしか彼の真なる幸福はもう訪れないという思考に染まっているリンナモラートは聞いてくれなかった。
●○●○●○
――あなたの妃になんてなりたくない
真正面から、悲鳴を上げる心とは裏の言葉を言い放った。
傷付いたような表情をするベルンハルドを見、とてつもない痛みがファウスティーナを襲うがこれしか方法がないのだ。
ベルンハルドの真の幸福に必要なエルヴィラが妃にならないといけない。
掴まれていた腕が自由になった。
急いで距離を取った。
それもまた、彼を傷付ける行動になったらしく、余計色が濃くなった。
「殿下、あなたに必要なのはエルヴィラであって私じゃない」
「違う……私に必要なのはファウスティーナだ。エルヴィラじゃない」
「それは、私がずっと王妃教育を受けていたからです。エルヴィラでは王太子妃どころか王子妃、高位貴族の夫人になるのも難しいでしょう」
ケインやリンスー、リュンから届く手紙には時折エルヴィラの様子も書かれており。仕える側のリンスーやリュンは、漸くまともになりかけたと思ったらやっぱり元に戻るエルヴィラに落胆する様だったり。ケインに至っては、何を言っても無駄だから最近はあまり口を利いていないと記していた。容赦が無さすぎる。ケインに同じ態度をされたらファウスティーナでさえ大泣きする。
8年間王妃教育を受けてきたファウスティーナと甘やかされるだけでまともに勉学に励まないエルヴィラでは、当然王太子妃になるに相応しいのはファウスティーナになる。
先程から頑なにエルヴィラを拒否するベルンハルドの意図が見えてきた。つまりは、愛していても王太子妃になるには全て足りないエルヴィラでは無理で。だが、嫌いでもずっと励み王妃からの評判も高いファウスティーナを王太子妃にすることで、水面下でエルヴィラと親密な関係を築きたいというのが本音。同じ家から2人を妃にするのは不可能な為の苦肉の策といったところか。
見えてくると余計惨めな思いが生まれる。そこまでしてエルヴィラを引き立たせるだけの道具にしたいのか、彼は。
「ですが殿下の婚約者になるとなれば、エルヴィラも今までの自分を捨て去り懸命に励むことでしょう。我が家にとっても喜ばしいことです」
「絶対に婚約者の変更等認めない! 今までのことを水に流せとは言わない、私はそれだけのことをしてきた、だから何でもいい。やり直すものがなければ、また初めからやり直させてくれないかっ」
「……っ」
心が大きく揺らぐ。決めかけていた意思がまたすごい早さで傾いていく。
答えに窮していると――思考が急停止してしまう、冷徹な声が響いた。声の主を2人同時に辿ると騎士に伝えられ駆け付けたのか、憤怒を自制した姿は未熟な2人を固まらせるには十分だった。
ベルンハルドの父、王シリウスが立っていた。
「ちち、うえ……」
「何故お前が後宮にいる。此処は立ち入り禁止だと昔教えた筈だが?」
「そ、それは、ファウスティーナがいると聞いて」
「不用意に会うのも禁じると言った筈だ。その有り様を見ると姿を見せただけで逃げられたのだろう」
「っ」
シリウスの正論にベルンハルドは言い返せず、口を噤んだ。
「ファウスティーナ嬢」
息子を冷たく射抜いていた瑠璃色の瞳がファウスティーナに向いた。慌てて頭を垂れたファウスティーナに「シエルが待っている。早く行きなさい」とだけ言うと、靴音を鳴らしベルンハルドの方へ行く。
顔を上げて、ベルンハルドとシリウスに一礼すると小走りで後宮を出た。
王宮へ続く外へ来ると心痛な面持ちのシエルがファウスティーナの姿を捉えると駆け寄って来た。
甘い薔薇の香りに包まれた=シエルに抱き締められた。
「すまなかったね。こんなことになるなら、ヴェレッドを無理矢理呼んでいたら良かったよ」
「平気、です。何もありませんでした」
人は安心を覚えると先程までの恐怖が再び蘇り症状を現す。心に強固な蓋をして――何度も強く揺さぶられたが――対応していたが絶対的な保護者が側にいるとそれも外れる。
自分からシエルに強く抱き付くと背中をあやすように撫でられた。
「怖い思いをさせたね。今日はもう帰ろう」
「はい……」
「途中、街で美味しいアップルパイのお店があるからお土産にしようか。ご両親に会わなくていい?」
今日の話し合いには両親も出席している。が、会いたい気持ちはあれど今は会いたくない。
特に、母親には。
「お父様は気になりますが……今はいいです。司祭様、私は結局家に戻ることになるのでしょうか?」
「それについては馬車で話をしよう」
シエルに支えられながら後宮を後にした。
王城を出て馬車停まで来た辺りで「シエル様!」と騎士が追い掛けて来た。何事かと足を止めた。
「申し訳ありません、陛下がシエル様にこれを」
騎士が見せたのは淡い緑の布に包まれた物。
「これは?」
「はっ、砂糖菓子だと」
「はあ……分かった。受け取ったと陛下に伝えておいて」
シリウスからの届け物を受け取ったシエルに敬礼した騎士はまた走り去って行った。
「はい」
「え」
シエルに流れ作業のようにシリウスからの届け物を渡されたファウスティーナ。触ってみると布に包まれている物は硬い。
「これは陛下が司祭様に」
「私じゃない。君宛だ。砂糖菓子なんて私は食べないから。オラシオン・カラメロという、希少な砂糖で出来た菓子だ。まず市場では出回らないから、有り難く受け取っておきなさい」
「そんな貴重なお菓子を私が頂いて良いのですか?」
「いいのいいの。元々、君に渡すつもりだったようだし」
聞いたことのない名前の貴重な砂糖菓子を貰い、恐縮するファウスティーナ。軽い調子で良いと言われるので流されそうになるが、今度会った時は絶対にお礼を言わねばと決意。
教会の馬車にファウスティーナとシエルが乗ると御者は馬を走らせた。
後宮でベルンハルドとどんなやり取りをしたかシエルは聞いてこなかった。ファウスティーナから話すのを待っているのか、気を遣って話題に出さないでいてくれているのか。恐らく両方だろう。
ベルンハルドを信じたいと思う自分とどうせエルヴィラとの繋がりを保つ為だと信じられない自分がいる。
「ファウスティーナ様」
馬車に乗ってから沈黙していたシエルに呼ばれた。
「君の通学についてだけどね」
「はい」
ファウスティーナは次の言葉を待った。
「ヴィトケンシュタイン公爵家に君を戻すことになった」
……それはファウスティーナの中にある、ベルンハルドが真に思いを寄せるエルヴィラと結ばれ幸福になる為の手段として決めかねていた。
「但し、あくまで君の意思次第だ。君が嫌というなら、フリューリング侯爵家から通わせる。私や陛下はもうそのつもりだったからね」
「……いいえ、戻ります。公爵家に」
意外な返答をされシエルは蒼の瞳を見開いた。
「今日で実感しました。殿下がエルヴィラを認めるには、私という悪役が必要なんだと。だったら私は、徹底的に2人の恋が叶うように悪役になりきってみせます」
「君が敢えて傷付く必要は何処にもないんだよ?」
「いいえ。何時だったか、司祭様が教えて下さいました方法で考えてみると私自身に負担はないなと思いまして」
母に認めてもらいたい、婚約者に認めてもらいたい。
ベルンハルドに関しては、今日のせいでまだまだ決着はつかず。
しかし、母リュドミーラについては別だ。
「お母様に認めてもらわなくても、私にはお父様やお兄様、リンスーやリュンといった例え少人数でも私のことを思ってくれる人がいる。そう思うとたった1人に拘るのが馬鹿馬鹿しくなったのです」
「その中に私は含まれてないのかな?」
「そんなことはありません!」
ファウスティーナは勢いよく否定した。
「司祭様もです! 助祭様もメルセスもジュード君も! あ、あとリオニー様や王妃様やあとは……」
「ははっ、いいよ。からかっただけだから」
「……」
天上人の如き美貌に悲壮感満載な顔をされたら誰だって慌てる。けろりと態度を変えたシエルをジト目で見ると平謝りされた。
「もういいです」
「怒らないで」
「怒ってないです」
「怒ってないなら、こっちにおいで」
輝かしい微笑で隣を叩かれる。拗ねていた気持ちを隅へ追いやり、言われた通りシエルの隣に移動した。大きくて温かい手が髪に触れた。
「良かった。君にずっと怒られたままだったらどうしようかと不安になったよ」
「揶揄う司祭様が悪いのです」
「可愛い子程、揶揄いたくなるのだよ。さて、公爵家に戻るなら公爵夫人はそれでいいとして妹君はどうするの?」
「エルヴィラは多分ですけど、毎日お母様に叱られていた私を下に見ていた気がしますのでこっちもどうでもいいですわ。ただ、殿下が絡むなら対応をしないと」
「じゃあ、屋敷に帰ったらもっと細かく話を詰めていこう」
「はい」
相手をすればする程、騒いで挙げ句泣いて母を味方にしてファウスティーナは叱られていた。よくよく考えるとエルヴィラは相手にするだけ無駄なのだ。ケインのエルヴィラへの態度を思い出す。
ファウスティーナと違って、ほぼ相手にしていなかった気がする。
(そう考えると、お兄様の私とエルヴィラに対する態度ってかなり差があったのね……)
読んで頂きありがとうございます!
また、書籍化についてですが
公式サイト様にて正式に発表があり次第、ご報告させてください。
気付いて下さった方々ありがとうございました( ´∀`)
 




