永遠に2人の溝は埋まらない
王都へ馬車で約2時間掛けて到着したファウスティーナは、先に降りたシエルが差し出した手を取って降りた。眼前に広がるのは王城。荘厳な佇まいを改めて仰ぎ見て暫し圧倒された。
今日は城にファウスティーナやシエルだけじゃなく、両親もいる。しかし話し合いに出席するのはシエルのみ。ファウスティーナは騎士の案内で後宮にある部屋で待つことになっている。幼い頃シエルが使用していた部屋は、4年前訪れた時と同じで必要最低限の家具しか置かれていない。
すぐに侍女がカートに多種類のデザートを乗せて来た。テーブルに置かれていくスイーツを眺めていると「ファウスティーナ様」と呼ばれた。
「王弟殿下より、終わるまで此処で待つようにと言伝てを預かっております」
「分かりました」
侍女はスイーツと更にジュースを置くと一礼をして部屋を出て行った。1人残ったファウスティーナは落ち着かない気持ちだった。4年前と違い、話相手がいないのだ。
出発する際、教会にいる間ファウスティーナの世話をしてくれるメルセスかよくシエルにこき使われているジュードが同行する筈が、シエルの必要ないの一言で無しになった。助祭のオズウェルが難色を示すもシエルは明確な意思を言わず、ファウスティーナを馬車に押し込めたのだ。
「こんなことなら、メルセスかジュード君に来てもらった方が良かったな……」
誰かがいれば退屈せずに済んだ。
じっとしているのも苦手なファウスティーナはスイーツに手を伸ばした。折角用意されたのだ、食べないと勿体ない。スイーツ皿にはそれぞれデザートナイフとフォークが置かれている。最初はどれにしようか吟味する。
城の料理人が作った最高級のスイーツはどれも美味しい。甘い食べ物が大好きなファウスティーナはこれと思った物を選んだ。
生クリームがたっぷりと添えられたシフォンケーキ。フォークを持ったと同時に外が何だか騒がしくなった。扉の前には騎士が護衛として待機してくれている。
お戻りください、陛下のご命令ですので、と騎士が訪問者に去るよう言っているが声に焦りがある。
誰か思考する前に扉は――少々乱暴げに開かれた。
「ファウスティーナ」
全身から力が抜けていく。耳に大きな割れた音が鳴った気がしたが些細なこと。まともに姿を見たのは4年振り。
4年前よりも格段に伸びた身長、精悍さの増した顔、冷たさを帯びた瑠璃色の瞳。声変わりした声。
4年前の光景が脳裏に蘇る。
“お前のような底意地の悪い相手が婚約者となった僕の気持ちにもなれ! お前は僕の唯一の汚点だ!”
「っ……!!」
初対面で失敗をして嫌われ、挽回しようと必死に王太子妃になる努力をしても王妃の教え通り振る舞っても、常に妹を優先する母同様自分にだけ厳しく更に嫌悪が多分にある瞳と声を向け続けた婚約者が近付いてきた。唯一、母と違うのは暴力は振るって来なかったこと。しかし、あの時の言葉は未だファウスティーナの心深くに凶暴な刃物を刺したまま。血は止まっても再び痛みが疼けば流れていく。
近付かれた瞬間、また暴言を吐かれると恐怖を抱いたファウスティーナは落としたシフォンケーキを――ベルンハルドへ投げ付けた。
刹那、隙の出来たベルンハルドの横を走り抜け部屋を出た。
震える足で、背後から届く声に構わず。
……それでも、相手に捕まるのは目に見えていた。
「ファウスティーナっ!!」
ファウスティーナ自身は必死に足を動かしても、震えて早く走れないせいであっという間にベルンハルドに捕まった。力強く腕を捕まれ体の震えが強くなった。「あ……」とベルンハルドは顔を歪め力を緩めるが手は離してくれなかった。
「ファウスティーナ……」
「……ご機嫌、よう、王太子殿下」
「っ……」
顔を合わせられない。
どうせ、何時もみたいに毛虫を見るような目で見られているだけだから。
震えは声にも伝染していた。気力を振り絞って出た声は情けない程弱々しい。
ベルンハルドがエルヴィラと結ばれるようにすると言い切ったくせに、いざ本人を前にすると何も言えない、出来ない。
ファウスティーナもベルンハルドも声を発しない。息の詰まる空気だけが2人の空間を支配する。
何か言わなくては、4日前シエルが代筆した手紙の感想を聞こう、それかエルヴィラの好きな物を言おう、等頭は働くのに口は言うことを聞いてくれない。
唇を血が出ない力で噛んで漸くファウスティーナは話せるようになった。
「……手を離してくれませんか」
「……嫌だ。離したら、また逃げるだろう」
「逃げて、いけませんか? あなたの“汚点”はもう、不用意にあなたに近付かないと決めたんです」
顔を合わせないのなら会話だけは出来るようだ。だから、ベルンハルドが今どんな表情をしているかはファウスティーナには見えない。
「4年前の、あの時ファウスティーナに言ったことをずっと謝りたかったっ」
「……必要ありませんわ。寧ろ、殿下の本心が聞けて良かったですわ」
「違うっ、あんなことを言うつもりは無かったんだ。言った後、すぐに後悔した」
切羽詰まった声色からベルンハルドが言葉通りの気持ちを抱いているのは確かだろうが、咄嗟に出た言葉は人間の心理そのもの。
この期に及んでファウスティーナの心は暗い喜びを抱いた。
何だかんだ言いながら、彼は自分を見捨てていなかったと。
「何度も謝罪の手紙を送った。叔父上に保護されたと知ったら教会宛にも」
「……そうですか。ですがそれは」
国王シリウスの手紙と間違われて碌に確認もされずシエルが捨てていた、と続けようとするも、ベルンハルドから放たれた言葉に瞠目した。
「知ってる……私の手紙は全て、ファウスティーナには届かず父上の手元に行っていた」
予想外なベルンハルドの言葉にファウスティーナは顔を上げた。
声色通りの苦しげで後悔にまみれた相貌がそこにあった。
初代国王から代々受け継がれる瑠璃色の瞳を視界に入れた瞬間、途方もない愛情が湧き上がった。視線を逸らそうにもそれに捕らわれ動かせない。
「そして、私の元に届く返事も全て父上が偽造したものだった。ファウスティーナの所には、私の手紙は1つも届いてすらいなかったんだ」
「……」
ベルンハルドから紡がれる新事実に驚きと同時に言い様のない怒りが生じる。
何故か? ――理由はすぐに判明した。
「……殿下は、陛下の偽造した手紙を私の返事だと信じたのですか。婚約が結ばれてから、定期的に殿下宛に手紙を送っていたのに……私の字だと気付かなかったのですね」
「っ!」
何でもいいから自分のことを、自分がどれだけベルンハルドに思いを寄せているか知ってほしくて機会があれば長く枚数の多い手紙を送っていた。
4年間も送り続けていたら、相手の字の特徴くらい覚えてもいい筈だ。ましてや、婚約者なのだから。
所詮、ベルンハルドにとってファウスティーナは最後の止めを刺して漸く気に掛ける気になる程度の相手なのだ。
盛大な嫌味を放つとくしゃりと顔が歪んだ。
「どうせ、王妃殿下や陛下に言われて嫌々書いたのでしょう? だから陛下も私の元に送らなかったのです」
「母上や父上は関係ない、私自身で書いたものだ」
「そうであるなら、4年の内のどこかで陛下は届けていた筈です。それが今の1度もないということは……殿下の行動は全て中身が伴ってないということですわ」
これ以上は言っていけないと警鐘が鳴っても、言葉とは時に脳が命令しても勝手に紡がれてしまう。
「エルヴィラと殿下、心底お似合いの男女ですわ。運命によって結ばれているだけありますわね」
2人が“運命の恋人たち”になるのは――本当になるかは別として――まだ先の話。だが、中身がない者同士お似合いだとハッキリと抱いてしまった。
「……運命、だと?」
苦しげな色はどこへ……ファウスティーナの言い分に盛大に腹を立てただろうベルンハルドは、怒りを抑えるように低い声で問うた。そして、何かを思い出したのか些か顔色が悪くなった。
恐らく、4年前の建国祭で咲いた赤い花だろう。運命の女神フォルトゥナがファウスティーナの願いを聞き入れた結果起きた祝福。ベルンハルドだけが増殖していったあの赤い花。エルヴィラの瞳の色以外思い当たる者がいない。
「あなたはエルヴィラを、エルヴィラはあなたを。強く惹かれ合う男女は“フォルトゥナの糸”によって、特に強く結ばれているのです。……あなたの運命の相手がエルヴィラで良かったですわね」
「そんな話信じられるか! 運命だと? あの時咲いた花が私の運命の相手を、エルヴィラを指しているだと? あんな、人に付き纏うように増えていく花のどこに運命を感じられる!」
「エルヴィラにそっくりでしたわ。私やお兄様、お父様や使用人達が何を言っても人の話を聞かず、あなたに引っ付くところはエルヴィラそのものです」
ベルンハルドも身に覚えがあるからか、説得力のあるファウスティーナへ何も言えない。認めないとばかりに苦しげだ。
「それを叔父上や父上に話したのか? だから、私の婚約者をファウスティーナからエルヴィラに代えると父上がまた話を持ち出したというのか!」
4日前に送った手紙はちゃんとベルンハルドの元に届き、読まれていたようだ。
また、という言葉に疑問を抱くが気にする程じゃない。
ファウスティーナは恐怖を抑えベルンハルドを睨んだ。
「殿下だって本望でしょう! “唯一の汚点”と吐き捨てた大嫌いな婚約者より、初めて会った時から涙に濡れるか弱く守ってあげたくなるエルヴィラが婚約者になった方が」
「あの時に言った言葉は今でも後悔しているっ、初めて会っただけで相手の印象を決め付けるのがどれだけ愚かなことかを痛感した。何度謝ってもいい、罵られてもいい。ファウスティーナ、私にやり直す機会をくれないか」
「っ……」
今になって言われても、もうシエルと、ベルンハルドがエルヴィラと結ばれるよう行動を取ると話を進めてしまっている。
引き返せないのだ。
「……やり直す、ですか。私と殿下には、やり直すものは何もないではありませんか」
受け入れたら深い傷を負った心を包むように癒し、望んだ関係が手に入れられただろう。
張り裂けそうな痛みに襲われながらも、呆然と見下ろすベルンハルドへ告げた。
「殿下の婚約者に、王太子妃になるのはエルヴィラです。私は絶対に王太子妃にはなりません。学院に入学したら、嫌と言うほど実感させて差し上げましょう。
あなたとエルヴィラがどれだけお似合いか、あなたが真に求める女性がエルヴィラだと。……殿下、私はあなたの妃になんてなりたくない」
心の奥底で泣き叫ぶのは、ファウスティーナか、それとも――。
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