12 王太子の誕生日パーティー
待ちに待った。ではなく、全然待ってない王太子の誕生日パーティー当日を迎えた。
未来の王となるベルンハルドの誕生日に態と体調を崩して欠席、というのは王太子の婚約者としても公爵令嬢としてもどうなのだろうと考えた結果決行するのを止めたファウスティーナ。それ以前に滅多に体調を崩さないファウスティーナが故意に体調不良を起こす事は、真夏に雪が降るのと同率でほぼ有り得ない話である。
本人も無駄に頑丈だと自負している。なので、目立った行動はせず、終始控え目で目立たない令嬢を装って一夜を過ごそうと決意。
「さあ! お嬢様! 今夜は王太子殿下の誕生日パーティーです!」
「いつも以上に気合いを入れさせて頂きますね!」
「いや、あまり派手なのは」
「お嬢様は普段髪を下ろされているのが多いけどそっちの方がお嬢様らしいから、今回はハーフアップにしましょうか!」
「それなら、ドレスと合わせて髪飾りは」
「それならこっちの方が」
「……」
本人そっちのけで髪飾りがああではないこうではないと相談したり、髪型はハーフアップなら纏める髪の量を調節したりと、数人の侍女達はファウスティーナ以上に気合いを入れていた。いつもファウスティーナの世話をしてくれるリンスーは他の侍女と一緒にドレスの準備をしている。
リンスーに助けも求められない。大人しく彼女達に身を任せたファウスティーナは、前回を思い出した。何かある度に前回を思い出すのは、それだけ自分がやらかしているということで。
前もベルンハルドの誕生日パーティーには全力を費やした。寧ろ、初めてだったから余計力が入りすぎた。今こうやって準備をしてくれている侍女達には、ファウスティーナから積極的に指示を出していた。
今のように彼女達は完璧にファウスティーナを美しく仕立ててくれた。だが、王城で出会った婚約者が見惚れたのは妹だった……。
(エルヴィラに葡萄ジュースを掛けて、お父様達に怒られて、殿下には更に嫌われて、……皆には酷い八つ当たりをしたんだった……)
どうしようもない過去の自分しか思い出せないのも悲しいが、その記憶があるお陰で破滅的な未来を回避出来る。
ファウスティーナは今夜を無事に乗り切る事を最優先の目標とし、闘志を燃やすのであった。
ただ、それを見た侍女達が普段はベルンハルドが来る度に逃げていながらも今夜の誕生日パーティーに意欲的だと判断。口々にファウスティーナへ声援を送った。1人、ベルンハルドとの婚約破棄を望んでいると知るリンスーは、多分彼女達が思っている事とは違う内容で闘志を燃やしているのだとは言えず。頑張って下さいお嬢様、と心の中で声援を送った。
*ー*ー*ー*ー*
王国が冠する姉妹神が描かれた天井から吊るされた複数の巨大なシャンデリアが広大な会場を絢爛に照らす。国内中の貴族が集まる会場には大勢の人で賑わっていた。
家族と共に入城したファウスティーナは、前回とまるで変わらない規模に緊張を強くした。
今回はまだ幼い王子の誕生日パーティーというのもあって、同年代の貴族の子供達が多く見られる。子供は貴族学院に入学するまでは、家同士の繋がりがある以外は他の家との接点はあまりない。誕生日パーティーも兼ねつつ、子供達の出会い場ともしている。
「ふう……王妃様が綺麗なのは勿論だけど、陛下も若いよね……」
当たり前か。国王夫妻は両親と同い年。まだ20代である。
「殿下がドレスを贈った理由って、私が婚約者だったからなのかな」
上座に座する国王夫妻とベルンハルドの周囲には、大勢の貴族がいた。王族に対する最上級の挨拶と祝福の言葉を述べる為に。無論その中にはヴィトケンシュタイン公爵家もいた。満足気に頷く陛下の横、王妃シエラは足元にいたベルンハルドの背中をそっと押した。自身が贈ったドレスを着たファウスティーナを恥ずかしさから直視出来ず。微妙に視線を逸らしてしまった。
母として贈るプレゼントは何が良いか考えていたシエラは、婚約者に自分が選んだドレスを着てほしいと願ったベルンハルドに一瞬驚くも、まだ婚約が結ばれて半年も経っていないが良好な関係に安堵した。
――が、ドレスを贈られた理由を知らないファウスティーナは、熱の籠った視線を髪色とは正反対のドレスを着るエルヴィラの方へベルンハルドが向けていると勘違いした為、顔には出さずともこれも同じかと内心凹んだ。
普段の愛らしさを倍以上に引き出す姿は、絵本に出てくる可憐な妖精そのものだ。
ファウスティーナはそっと自身が着るドレスを見下ろした。薄黄色の瞳の色に合わせて作られたドレスには、白い薔薇が描かれ小さな真珠が散りばめられていた。ドレスは素敵だ。しかし、魅了したい相手に効果がないのなら高価なだけのドレスとなってしまう。
また、第2王子ネージュは体調を考慮して欠席となったらしい。残念そうに語った陛下や王妃様の足元にいるベルンハルドも、部屋から出られない弟を心配していた。
王家への挨拶を終えると両親は顔見知りの貴族への挨拶回りへと行ってしまった。子供達には、羽目を外さない程度ならと自由行動を許した。早速友人を見つけた兄ケインは行ってしまい、ファウスティーナも友人を見つけたので行こうとするもエルヴィラが動かないので立ち止まった。
「どうしたの? エルヴィラ。エルヴィラもお友達の所へ行きなさい」
「……わ」
「?」
「ズルいですわ、お姉様だけそんな素敵なドレスを着るなんて!」
真っ白な頬を大きく膨らませ怒る。王城へ出発する時から不機嫌だとは思っていたが、その理由がドレスだったなんて……。
「殿下から贈られたドレスなのよ? 素敵に決まってるじゃない。エルヴィラのドレスもお母様と一緒に選んだのでしょう? 十分素敵よ」
「それは……はい」
ファウスティーナはホッと息を吐いた。頻度は減ってきたと言えど、ここで癇癪を起こされては全て無駄になる。10日前に自分がドレスを着たいと言い出した時もそうだが、今回の怒っている理由を聞いても驚かされる。
(何だか前と正反対。これじゃあ、今のエルヴィラは前の私と同じ。まさか前の私の人格がエルヴィラに移った? そんな馬鹿な話ある訳ないか。魔法使いでもないのに)
有り得ない有り得ないと心の中で笑い飛ばし、周囲へ視線を向けた。
「あ、彼処にシーヴェン伯爵家のリナ様がいらっしゃるわ。何度かお茶会で会ったと前に言っていたわよね? 声を掛けていらっしゃい」
「はい……」
母リュドミーラとよくお茶会に参加するエルヴィラは友人が多い。ファウスティーナも参加するが頻度は少ない。とぼとぼと元気がない様子で行ったエルヴィラを見届けたのだった。
ファウスティーナも友人の侯爵令嬢を見つけ談笑をした。彼女が父である侯爵に連れて行かれると人の邪魔にならない様壁際に寄った。
こうやって壁の花になって会場内を見渡した。母は夫人達と会話に花を咲かせ、父も友人達と輪を作って和やかに会話をしている。兄は騎士団団長の子息と飲み物を飲み、妹はシーヴェン伯爵家の……
「あれ? エルヴィラがいないわ」
てっきり、リナ嬢と一緒にいると思っていたエルヴィラがいない。ファウスティーナの視界の範囲内に姿がない。ひょっとしたら、違う相手と話しているのかもしれない。
ファウスティーナはこの後パーティーが終わるまでひたすら壁の花に徹しよう。そう決めたのも束の間、横から「ファウスティーナ」と声を掛けられたのと同時に肩をぽんぽん叩かれた。
「良かった、見つかった」
「で、殿下!?」
今夜の主役がどうしてここに!?
ベルンハルドの口振りからしてファウスティーナを探していたらしい。
「こんな所で何をしていたの?」
「人間観察ですわ」
「人間観察?」
単に存在を消して壁の花に徹していました、と正直に言えず咄嗟に嘘の理由を述べた。
「はい。同じ人間と言えど、一人一人顔も体格も容姿も違います。こうやって人を観察していると普段は気付けない一面を見られて楽しいなって」
同じ飲み物を飲んでも、食事をしても、味の好みが分かれるので個人の表情は変わる。外見が同じ双子でも、である。外見だけではなく、仕草や行動も一緒だと聞いてもよく観察していると微妙な違いがある。
「そうだね。僕達は民を導き、守る役目がある。その為にも城に籠るばかりではなく、城下に行き人々の生活を見るのも大事な仕事だと以前父上に教えられた。僕がまだ子供というのもあるけど護衛の問題があるから、お忍びも中々難しいけどね」
「殿下はもう何度か街に?」
「ううん、まだ一度もない。10歳になったら許可を下さると今日言質を取った。それまでにもっと勉学に励んで知識を増やし、貧困に喘ぐ者を一人でも多く救いたい」
(ああ……容姿もだけど、やっぱりこの人は変わってない……)
生まれた時から王となると決められていた彼は、才能に胡座をかいて努力を怠る様な人ではないとよく知っている。嫌われ、憎まれながらも一番近くでずっと見続けてきたのだから。エルヴィラに対して嫉妬の炎で身を焦がしながらも、瞳は常にベルンハルドを見ていた。エルヴィラに夢中になっていた間も決して政務や公務に手を抜かず、寧ろ、理不尽に虐げられるエルヴィラを見て、弱い者に手を差し伸べていた。また、貧困で喘ぐ貧しい人達を減らそうと更に尽力していた。
出来るなら、このままずっと以前と変わらずにいてほしい。
それに付け加えて、今度は早い段階でファウスティーナからエルヴィラを――
「ねえファウスティーナ。僕達も踊ろう」
「え」
【ファウスティーナのあれこれ】の最初のページに書いた題名『皆幸せな未来』の一番手っ取り早い手段の四文字が脳に浮かぶ前にベルンハルドからのダンスの誘いを受けた。
ファウスティーナは瞳を泳がせた。
「わ、私と殿下が、ですか?」
「うん」
「で、ですが私……その……ダンスは得意ではなくて」
数あるレッスンの中で苦手なダンスレッスン。担当講師と何度練習しても上手に出来ない。
俯かない、常に胸を張って笑顔を浮かべて、ステップを乱さない、優雅に美しく踊る。等々、数を挙げればキリがない程に毎回注意を受けているファウスティーナにとってダンスは最難関とも言えた。これは前回も一緒である。どんなに頑張っても苦手なものは苦手なのだ。
「僕もまだまだ下手だよ。でも、デビュー前の子は皆ホールの端で踊ってる。いつか来る本番に備えての練習だと思って踊ろうよ」
「はい……。殿下の足を踏まないように頑張ります」
「僕も気を付けるよ。よく講師の足を踏んじゃうから」
ベルンハルドに手を取られホールの端へ行く。流れている曲はゆったりとしたテンポで初心者も気楽に踊れる。
お互いぎこちなさがありながらも時間が経つにつれ段々と慣れ始め、終わる頃にはレッスンでよく犯すミスなく踊れている事にお互い笑い合った。
「ありがとうファウスティーナ。楽しかったよ」
「私もです殿下」
「ドレスも着てくれてありがとう。とても似合ってる」
「ありがとうございます」
(頑張れ私! 口引き攣ってないよね? ちゃんと笑えてるよね? 殿下の視線が違う方へ向いていたじゃない、っていう余計な記憶は今は排除するのよ!)
血統書付きの猫を5匹装着して個人的な修羅場は去った。
ベルンハルドは王妃に呼ばれ、名残惜しそうにファウスティーナから離れた。笑顔で見送ったファウスティーナは目の前を通った給仕から葡萄ジュースの入ったグラスを受け取った。
一口飲んで口内を潤した。
「美味しい。……ん!?」
急に強い視線を感じた。危うく噎せそうになったものの堪え、視線を感じた方へ顔を向けた。
(あれ……って……)
先には、ピンクゴールドの髪に新緑色の瞳の令嬢がいた。
ファウスティーナが向いた瞬間目を逸らされたが間違いない。
前の記憶とあの令嬢の姿が一致した。
ファウスティーナが令嬢が誰か思い出した時だった。突然背中に強い衝撃が走った。大きく左足が出てしまうも、足に力を入れて倒れる事はしなかった。その代わり、グラスを持つ手が後ろへいってしまい中の葡萄ジュースが後方へ飛んだ。
慌てて後ろを振り返ると全身に葡萄ジュースを浴びたエルヴィラが座り込んでいた。
「エルヴィラ!? 大丈夫!?」
多分態とぶつかったのだろうと推測。
ファウスティーナはグラスを近くのテーブルに置き、給仕にタオルを持ってきてと頼んだ。
真っ白なドレスに葡萄ジュースが染み込み、一気に紫色に変色していく。
給仕がタオルを持ってくるとそれを受け取り、エルヴィラの髪を拭こうと腕を伸ばした。
しかし。
勢い良く振り払われた。
「……い、酷いですわお姉様……っ」
葡萄ジュースを垂らしたエルヴィラが泣きそうな表情でファウスティーナを睨み上げた。
「いくらわたしのドレスが羨ましいからって葡萄ジュースをかけるなんて……!」
「……」
ファウスティーナの動きが止まった。
してない。
断じて羨ましいとも思わないし、葡萄ジュースをかけてない。
頭が痛くなる。
「エルヴィラ……私はエルヴィラのドレスを羨ましいとも思ってない。葡萄ジュースもかけてない。貴女がぶつかったのがそもそもの原因でしょう?」
「そんな所にいるお姉様が悪いのでしょう!」
そんな所もなにも、ファウスティーナの周囲には元々人は少なかった。ファウスティーナを避けて通るスペースは十分にある。
会場の端とは言え、周囲の目が段々と集まってきている。エルヴィラの声も段々と大きくなってきている。
「(今はとにかくエルヴィラを落ち着かせましょう……!)でも、避けようと思えば避けれた筈よ。ちゃんと前を見て歩いていればぶつかりもしない。自分の不注意で引き起こした事故を私のせいにしないで」
「エルヴィラ!」
天敵が来たとファウスティーナは頭を痛くした。騒ぎを聞き付け、母リュドミーラが葡萄ジュースを全身に浴びて座り込むエルヴィラに駆け寄った。
「まあエルヴィラっ、可哀想に……。ファウスティーナ、これはどういう事です」
厳しい目を向けたリュドミーラに起きた出来事をそのまま伝えた。
その間にタオルをファウスティーナから受け取ったリュドミーラがエルヴィラを拭いていく。
騎士団団長の子息と話していた兄ケインも来た。訳を聞かれて同じ返事をした。
呆れた顔をしたケインはエルヴィラと呼ぼうとするが先にリュドミーラがエルヴィラを立たせた。
「エルヴィラ。場所を移して違うドレスに着替えましょう。このままだと風邪を引いてしまうわ」
「はい……」
「ファウスティーナ」
「……はい」
「今回の事はエルヴィラが悪いのでしょう。でも、もう少し言い方というものがある筈よ。貴女は将来王太子妃になるの。それに相応しい振る舞いをしなさい」
普段のベルンハルドに対する行動を咎めているのか、エルヴィラに対する態度をもっと改めろと咎めているのか――恐らく両方だろう。
ケインが「母上っ」と呼び止めるもエルヴィラを連れてリュドミーラは去った。
ケインが心配げにファウスティーナの顔を覗き込んだ。
「ファナ? 大丈夫?」
「はい、大丈夫です。お母様のあれは慣れてますから」
「ファナのドレスは……濡れてはないね。ああでも、顔に少し飛んだみたいだ」
王家から贈られたドレスに染み一つでも作ろうものなら大変。今更ながら自分のドレスの心配をしたファウスティーナに苦笑しつつ、懐から取り出したハンカチで飛沫を拭いた。
「ねえファナ。何だか、ちょっと変わったね」
「な、何がですか」
「前なら、母上にああやって叱られたら反論してたじゃない」
謎の高熱を出す前までは、叱られる度にリュドミーラに噛みついて更に説教の時間が長くなっただけだった。
今ではこうしてスルー出来るのも前回の記憶が戻ったお陰。スルースキルの大事さを痛感した。
「王太子殿下の婚約者に選ばれ、王太子妃教育を受けてからお母様のお小言を聞いて一々気にしてはいられなくなりましたから。
それに」
「それに?」
「お母様より、王妃様に怒られる方が数倍怖いですから」
「そう」
煌びやかな外見とは裏腹の魑魅魍魎が蔓延る王城内では、見目が美しいだけでは生き残れない。次期王妃の教育と共に強かな女性になる術も教わっている。
「勿論怖いだけではないですよ」
「分かってるよ。ファナがいつも話してくれるから。俺は父上の所に行くからここで待ってて」
「はい」
ケインが去るとファウスティーナは再び壁の花になるのに徹した。
公爵令嬢なので気軽に話し掛けてくる人は誰もいないのが幸いしてケインが戻るまで静かにいられたファウスティーナだった。
(屋敷に戻ったらまたノートを確認しよう。殿下の誕生日パーティーの次に私がやらかしたのは……)
思い出すとはあ~と項垂れた。
次にファウスティーナがやらかしたのは、自身の8歳の誕生日パーティーであった。自分の誕生日にでもやらかす、その強靭な神経が当時は何処から来ていたのか。
自分で自分を情けなく思っているとまた強い視線を感じた。
振り向いた先には、あのピンクゴールドの髪に新緑色の瞳の令嬢がいた。
「……」
ファウスティーナは彼女が誰か知っている。
第2の王太子妃候補として名高かったラリス侯爵令嬢のアエリア。
彼女にも嫌な思い出しかない。
今度視線を逸らしたのはファウスティーナだった。
アエリアに関わるのも御免だとケインが戻るのを待つのであった。
読んで頂きありがとうございます!
記憶が戻る前まではお母様に噛みついていたファウスティーナでした。