可愛い子を愛でたいだけ
「司祭様!」
「お帰り、ファウスティーナ様」
遠回りをして教会の奥にある道を進んだ先に建てられているシエルの屋敷に無事到着したファウスティーナとヴェレッド。門の前に立っていたシエルを見つけると小走りで駆け寄ったファウスティーナは、両手を広げて待っていたシエルに抱き締められた。
甘い薔薇の香りがベルンハルドの声を聞いて抱いた不安を根刮ぎ消してくれた。フルーツタルトの箱をシエルが受け取ると空色の髪を撫でられた。
「叔父上から聞いたよ。同じカフェに来ちゃったって?」
「は、はい」
「ほんっと、空気読んでよね先代様も。お嬢様を外に出した意味がなくなるのに」
シエルが態々お使いをファウスティーナにさせたのは、やはり王太子の来訪があるからだった。ヴェレッドは紅茶の茶葉の包みをシエルへ向けて投げた。難なくキャッチしたシエルは困ったように笑みを浮かべた。
「叔父上もまさか、2人が同じ場所にいるとは思っていなかったよ」
「俺が来たら帰ったら良かったのに」
「王太子の方は、君がいるだけで場所を変える意味を知らない。不審がられるのも面倒だから、同じ場所にしたんじゃないかな」
「あの、先代様と殿下達は?」
「ちょっと前に王都へ帰ったよ。叔父上は陛下と父上の顔を見にね」
15年振りに戻ったのだ、もう1人の甥シリウスや兄の顔を見たいと思うのは当然だ。ふと、ファウスティーナは先王について訊ねた。
「前に王妃様が教えて下さいましたが、先王陛下は陛下に王位を譲ると1度も離宮から出ていないのですか?」
「そうだよ。ベルンハルドもネージュも祖父の顔を知らない。生きていても死んだも同然だ。父上は役目を終えた。余生を静かに過ごしたいという希望を陛下が聞いたのが今だ」
「そうですか」
“粛清の時代”を築き、大部分の膿を取り除いた先王の尽力あってこそ、今の王国は存在する。平和の継続は現王の力も大きい。完璧な筈の先王の、唯一の欠点が酷い女性好きな性格。4年前の建国祭、後宮で休憩していた時ヴェレッドは言った。後宮にいた人々の生活は悪くなかった、と。
歴史で習う後宮の生活は、常に王の寵愛を得ようと美しい女性達が毎日他人を陥れようと様々な暗躍があり、王に飽きられると誰にも知られることなく処分されたと聞いた。
「司祭様。聞いてもいいですか?」
「いいよ」
歴史で習う後宮の生活と実際の生活。幼い頃、後宮で育ったシエルなら真相を知っている筈だ。はぐらかされたらそこまで。思い切ってシエルに聞いてみると――
「ふふ。教えてあげよう。今の子達が習う後宮の生活は全て出鱈目だ。父上や叔父上が態とそうするように仕向けたんだ」
「何故ですか?」
「何故だと思う?」
逆に問われた。
シエルに手を繋がれ、屋敷の中へ入った。侍女にフルーツタルトを渡し、シエルの部屋に入ってソファーに座った。
歩きながらも自身の考えを伝えたファウスティーナを優しげに見つめていたシエルは柔らかいミルク色の頬に触れた。
「正解だよ。後宮には、粛清された家に住む女性達が住んでいた。何かしらの理由で虐げられていた女性達を保護していたんだ」
やっぱり、と自分の考えが当たってファウスティーナは頷く。
「リオニーが侯爵になったのは、女性の社会進出への第一歩とするため。当時は弱い者、特に女性の立場は弱かった」
嫁いだ女性は夫やその家に尽くすのが当然の時代。現在でもその傾向はある。昔からの習慣を消すのは時間がかかる。
「粛清される家が増える度に後宮で保護される女性の人数も増えた。悪どいことをする貴族の家には、必ず虐げられる存在がいるんだ」
「後宮で保護した方達は今どうされているのですか?」
「色々だよ。粛清が終わった後、人手の足りなくなった修道院に就職させたり、理解ある者に嫁がせたりとね」
“粛清の時代”で消えた貴族は多数いる。当主が消えても良識ある血縁者が継いで今も存続している家もある。
その筆頭がグランレオド公爵家と聞き耳を疑った。
「グランレオド家は先王妃様の生家では……」
「そう。助祭さんの家でもあるか。先王妃や助祭さんの父上はかなりの曲者だったみたいでね。父上や叔父上が1番苦労したのがグランレオド家が犯していた不正の証拠集めだったんだ」
「……先王妃様はそのことを」
「ここまで、かな。今の君に教えられるのは」
「……」
一定の領域までいくと決して足を踏み入れさせてくれない。不満げに見上げると額にちゅっとリップ音を立てられた。
「……。……~~~!!」
一瞬、何をされたか分からない、否思考が停止したがすぐに稼働し理解した。急激に顔だけじゃなく、耳まで赤く染めたファウスティーナをシエルが腕に閉じ込めた。
「はは、子供体温っていうのかな。とても温かいね」
「私をからかって楽しいですか!?」
「からかうなんて酷い。私は至って真面目だよ。真面目に君が可愛いから愛でているんだ」
ここ4年で溺愛が深くなっているのは身を以て体験しているので知っている。が、恥ずかしい。シエルが本心でファウスティーナを可愛がっているのは本人が承知でも。背中に回した手でポカポカ叩いてもシエルは笑うだけ。
「もう少ししたら、君とヴェレッドが取りに行ってくれたフルーツタルトを食べよう。その後はどうしようか」
話を逸らそうとして……と頬を膨らませつつ、ある意味エネルギーを使ったせいでカフェで食べたスイーツの満腹感は何処へ。はい! と満面の笑みでファウスティーナは頷いた。
……が。
「……あのさー、シエル様」
第3者の声がし、ギョッとしたファウスティーナは嫌な予感を抱いて声のした方へ振り向いた。扉近くの壁に凭れたヴェレッドが呆れた眼でシエルを睨んでいた。
「お嬢様まだ王太子様の婚約者なんだから、手を出しちゃ駄目でしょう」
「人聞きの悪い。この子だから愛でたくなるのさ」
額にキスをされた現場をばっちり目撃していたヴェレッドの存在に今更ながら気付いたファウスティーナは、今度は違う意味で顔を赤くしてシエルの胸に顔を押し付けた。
(あ……殿下からの手紙のこと聞かなきゃ……)
カフェでベルンハルドは言っていた。
謝罪の手紙を送っていると。しかし、ファウスティーナの手元には届いておらず、シエルからも話は聞かない。ヴェレッドが王家からの手紙はシリウスからだからポイポイ捨てるシエルが間違って捨てている可能性があると話すから、会ったら必ず訊ねようと決めていた。最初は別の話題を出してしまっても。この状況では聞き辛い。
落ち着いたら聞こう。シエルならきっと答えてくれる。
あやすように背中を撫でるシエルがヴェレッドに口パクで何を言われたか、ファウスティーナには知る由もない。
“いい加減、実の父親だって教えたら?”




