ポイポイ捨てる人だから
――傷付けたのはそっちなのに、寧ろ被害者ですと言わんばかりの顔も態度も、そいつを擁護する周りも――全部原形が分からない程グチャグチャになって死ねばいい。
――そうしたら、シエル様は不快にならない、シエル様の大事な宝物はずっと笑ったままでいてくれる。
――親子なだけはある。シエル様を傷付け、苛つかせるのはほんとそっくり。突き放して、1番大事な存在が何か気付いて縋って捨てられるところも全部……
――だから、ねえ? 王太子様……
●○●○●○
「ふあ~あ……まあ、どうでもいいや。王太子様が今更何を言おうと、お嬢様との未来はもうないんだから、妹君と公爵夫人の仲良し母娘劇場の仲間に加わって更に面白い劇場を俺に見せてよ。そうしたら、退屈しなくなる」
「いい加減にして下さい! 先程から殿下に対する不敬な態度、シエル様に気に入られているからと言って調子に乗っているのではないですか!?」
「そうだねえ、いい加減にしないといけないね。両方とも」
人を煽って煽りまくるのが非常に上手なヴェレッドの態度に頭にきたのは標的にされているベルンハルドではなく、従者のヒスイだった。憎々しげにヴェレッドを睨んでいたベルンハルドが落ち着くようヒスイを止めようとする前に、優雅な動作で紅茶を飲んでいたオルトリウスが制止した。
声量が大きくなれば当然、周囲の関心も強まる。人通りの少ない時間とあり、空いていたスペースを借りているとは言え、身形のいい青年が2人と熟年の男性が1人、更に騎士が数人と従者らしき男性が1人。かなり目立つ。
ティーカップを掌に置いたオルトリウスは苦笑した顏でヴェレッドをローゼちゃんと呼ぶ。
「だーかーらー、俺をローゼって呼ぶなって言ってんの」
「つれないことを言わないでおくれ。ネーミングセンスのない人間が必死に考えた末に付けた名前なんだから」
「あのさ、ローゼは女の名前、俺は女じゃないの」
「シエルちゃんの名前も大体ローゼちゃんと同じ理由なんだよね、付けられた経緯が」
「シエル様女だったら良かったのに」
「本人に言ってみなさい」
「やだ。昔それ言って10日間無視された。びーびー泣いても弱ったフリしても全然相手にされなかったもん」
「どうやって許してもらったの?」
「言わない」
「だと思ったよ」
間に入る余地を与えないヴェレッドとの会話を楽しんだオルトリウスは、感情のやり場に困っているベルンハルドへ微笑んだ。
「主人思いな従者に恵まれるのはいいことだけど、時と場合はきちんと選ばないとね。さっきも言ったでしょう? ローゼちゃんを気にはしていいけど、過ぎた感情は抱かないようにね。君達じゃ、あっという間にこの子に食べられちゃうから」
「なにそれ。俺を人食いみたいに」
「何時だったか、僕や兄上が学生時代一時問題になったねえ」
「げっ、本当にいたの?」
「いてもいなくても、美味しいスイーツを食べる場所で聞くことじゃないよね」
「はーいはい」
昔と現在の状況は違い過ぎる。過激極まりない時代を生き抜いた自分と今の平和な世を生きる若き王太子では、感覚の差に圧倒的壁が立ちはだかる。
ティーカップの触り心地を堪能しながら、ふと周囲に気配を巡らせた。
女神の祝福というのは人智を越えている。お陰で何度も窮地から救われた。
ティベリウスとオルトリウス個人で運命の女神フォルトゥナと契約をした。
女神に見放される寸前の王国を立て直す――嘗て、魅力と愛の女神リンナモラートが愛した王が築いた国に再び繁栄と平和を取り戻す為に。
周囲に人がいるのに、人をからかって本心を引き出すヴェレッドを同席させたのも女神の祝福を未だ受けているからだ。
ヴェレッド以外は気付かない。人が少ないと言えど会話は筒抜け。他人の話を知りたがるのは人間の捨てられない好奇心。
周囲の人の認識は、裕福な一行が何かを話している、程度。
恐ろしい力だと思うくせにオルトリウスには、運命の女神の祝福に対する恐怖心がなかった。罪のある人間だけを選んで罰し続けたせいなのか、生まれもってのものなのか、人として大事な部分が欠けている気がしていた。何がと言われれば首を傾げるしかない。
納得のいかない相貌ではあるがベルンハルドに迷惑を掛けるわけにはいかないヒスイは苦々しく謝罪を口にした。ローゼちゃん、とオルトリウスから無言の圧力を受けたヴェレッドも面倒臭そうに受け入れた。
ティーカップをテーブルに置いたオルトリウスは席から立ち上がった。
「そろそろ行こうか。大勢で長居しても、お店にも迷惑だしね」
「そうだよさっさと帰ってよ。此処、チョコレートケーキが美味しくて俺のお気に入りなのに」
「はいはいごめんよローゼちゃん。今度帰って来たら、異国の楽しい話を沢山聞かせてあげるよ」
「面倒だから2度と帰って来ないで」
「酷い! 僕の生き甲斐はオズウェル君からシエルちゃんやシリウスちゃん、ローゼちゃんのことを手紙で読むことなのに!」
「はーいはい。さっさと行ってよ」
「はあ……さて、行こうかベルンハルドちゃん」
本人達は楽しそうだが、眺めている外野は互いに威圧を掛けまくる両者をひやひやしながら見守っていないとならない。ヴェレッドから意識をベルンハルドに向けたオルトリウスは、彼が着いて来るのを確認してお店を出た。
代金はテーブルに置かれている。
「……はあ……疲れた」
ピッタリの代金が置かれているそこにサービス代金で幾らか上乗せし、死角の位置に座って待っていてくれたファウスティーナの所に戻った。
「お待たせ、お嬢様」
「はい……」
若干疲弊した様子に眉を寄せた。
「まだしんどい? 王太子様を見るのは」
「……思ってたより、ダメみたいです」
無理もない。4年間ベルンハルドの隣に立つに相応しい婚約者として努力していたのに、あの日止めの暴言を食らった。
今日この場でファウスティーナの妹エルヴィラに特別な感情は抱いていないと告げていたが信じる程馬鹿じゃない。ファウスティーナもヴェレッドも。詳細な事情を聞かされていない周囲は、心を入れ替え婚約者に寄り添おうと前向きになり始めた王太子を擁護するだろう。真実を知らないくせに、心に寄り添おうとしなければファウスティーナはまた悪者になってしまう。
「……ヴェレッド様は、殿下からの手紙について、何か知ってますか?」
聞いてくると確信していた。ベルンハルドから届くファウスティーナ宛の手紙は、全てシエルが利き手じゃない逆の手で返事を書いて送っている。4年経っても気付かない辺り、彼の中のファウスティーナに対する興味は所詮その程度。婚約解消も変更も嫌がるのはエルヴィラじゃ絶対王太子妃にはなれないと、彼自身も思っているのだ。公爵夫人や侯爵夫人すら難しい。ヴィトケンシュタイン公爵家の執事カインの顔を持つヴェレッドは、エルヴィラの婚約者候補を絞るのに公爵夫妻が苦労しているのを知っている。そして、長男のケインが領地に押し込めるか修道院行きへの打診をしているのも知っている。夫人だけじゃなく、公爵もケインの提案に難色を示しているが贅沢は言ってられないだろうとヴェレッドは馬鹿馬鹿しくなった。
14歳にもなってまともな思考を持っていないから嫁ぎ先探しも難航し、残る選択肢が上記の2つになってしまうのだ。
事実を教えてシエルの印象を下げるのはいけない。嘘だけど事実でもあることを告げた。
「多分さ、シエル様王家からの手紙って知るとまともに見ないでポイポイ捨てるでしょう? 王様のと一緒にゴミ箱行きになってんじゃないのかな」
「ああ……」
ファウスティーナも思い当たる節があるので納得した様子だ。
「帰ろう」
「殿下達が出たのはついさっきですよ?」
「違う道で帰ろう。王太子様達とは、絶対に鉢合わせしないから」
「分かりました」
テーブルに注文した分の代金を置き、フルーツタルトの入った箱を持ったファウスティーナの反対の手を繋いだヴェレッドは引き寄せると手を離した。そして、腰に手を回した。
見上げてきたファウスティーナに眉を下げた。
「途中で転ばれても困るから」
「転ばないです。ちゃんと、歩けます」
そうは言うがファウスティーナの体は少し震えている。足の方も。ベルンハルドに対する恐怖心が未だ根にあるのは明白だ。
ヴェレッドは意地悪げに口端を吊り上げた。
「へえ? じゃあ、シエル様みたいに抱っこして屋敷に戻ろっか」
「!? こ、このままでいいです! 早く帰りましょう!」
「はーいはい」
過保護極まりないシエルに抱っこされたまま屋敷へ連れて帰られた回数は果たして何回だったか。切っ掛けは些細な出来事だが挙げるとキリがない。
顔を赤くしながらもヴェレッドの振る話題に笑ったり時偶拗ねたりしながら、ファウスティーナは第2の帰る場所となっている屋敷への帰路を歩くのだった。
読んでいただきありがとうございます。