怪物が2人いた時代
ラ・ルオータ・デッラ教会の上層礼拝堂に存在する秘密の地下を最後に訪れたのは何時だったか。そうだ、シリウスが無事兄王から王位を譲られたのを見届けてからは来ていない。王族にしか開けられない巨大な金の扉を開いたオルトリウスは、待っててとシエルに告げ中に足を踏み入れた。
姉妹神と同じ、空の色をした空間が全てを覆い尽くす不思議な場所。最果てさえも空が続き、何歩歩いても終わりはない。軈て、オルトリウスの瑠璃色の瞳はある物を捉えた。
教会が“ラ・ルオータ・デッラ”と呼ばれる由縁の物は、ずっと其処にある。
「……おやおや」
“それ”の前まで行き、中を上から覗き込んだオルトリウスは苦笑を漏らした。
「どうやら、僕たちのように“運命の輪”を使っている者がいるみたいだよ、兄上。でも誰だろうね」
1番の可能性が高いのはシエルだが、使っていたらファウスティーナは赤ん坊の頃からずっとシエルの手元で育てられている。ならシリウス? けれど、やはりファウスティーナ絡みなら彼はヴィトケンシュタイン公爵家に2度預ける真似はしない。可能性がある王族はあと3人だが、1人はそもそも使う理由が見当たらない。シエルに何かあった? だが、そうなら意地でも自身で何とかしようと足掻く筈。女神を嫌っている者が“運命の輪”を使う筈がない。
だとすると、残るは2人になる。
「うーん……シエルちゃんやオズウェル君と沢山話したいし、ローゼちゃんともゆっくりしたいのに。仕方ない、早々に切り上げて王都に行こうか。シリウスちゃんや兄上の顔も見たいし」
此処にいたのが1人で良かったと安堵し、オルトリウスは踵を返した。
最初の地下へ戻るとシエルは待っていてくれた。無言で何処かへ行くとしたら、相手がシリウスの時くらいだ。オルトリウスが出ると扉は勝手に閉まった。
「何度見ても慣れないですね、此処」
「そう? 僕は気に入ってるよ。雨が続いても、此処に来れば綺麗な空を見られる」
「王家の血を引く者は、どうも空を好む者が多い。彼の女神が空の色を持っているせいかな」
「それはそうだよ。だって、初代国王が愛し、死しても女神を縛り続けたのも女神への深い愛のせいさ。人間と女神の寿命の差なんて歴然だ。フォルトゥナが2人を憐れみ、2人の生まれ代わりを作ったのもその為。ところで、今代の生まれ代わり達の仲はどうかな?」
「さあ?」
定期的に届くオズウェルや未だ先王弟を慕ってくれる者達から手紙を読むのが楽しみなオルトリウスは嫌な予感を抱いていた。4年前オズウェルから届いた手紙には、ファウスティーナは暫く教会で暮らすこととなったと記されていた。どうも、ヴィトケンシュタイン公爵家での生活が良くなかったらしい。どうせ自分は表舞台から降りた人間。また、周囲も要らん騒動にオルトリウスを関わらせないよう気を配っていたのだろうが、却って状況を悪くしてしまった。
シエルのおどけるような返事に予想は的中していたのだと納得した。
「やれやれ」
「最悪の最悪、他の王族に嫁がせる必要はありますが……まあ、なんとかなるでしょう」
「はは……。シエルちゃんがファナちゃんの実の父親だと知らない人が聞いたら、甥の婚約者を叔父が欲しがっていると思われるかもしれないよ?」
「構いませんよ。寧ろ、そうやって誤解すればいい。何れ、女神の生まれ代わりと同等に稀有な存在が誕生するのですから……」
「……」
この子は本当に……、と苦笑を隠せない。
自身の懐に入れた相手がどんな状況にあろうと、自身がどれだけ傷付こうが必ず手を伸ばし助けようとする。
反対に、どうでもいい相手には最後までどうでもいい態度しか取らない。天上人の如き美貌の微笑みのせいで皆騙されてしまうが。
「人間は心変わりする生き物だ」
「そうだね。だが、変わらない者だっている」
最愛の恋人であるアーヴァを失って15年経つというのに、一切浮いた話がシエルにはない。事情を知らない者にはファウスティーナがいるだろうと言われてしまうかもしれないが。15年前のあの日、母子共に亡くなっていたら迷わず目の前の甥は自らの命を絶っていた。
でも、生きている。
ちゃんと生きている。
“運命の輪”を使って築き上げた今の王国。色々と不幸を背負わせている負い目はあるが、それでも、である。
可愛い甥っ子達と大人になってもこうして交流し続けられることが、オルトリウスにとって何よりも幸福なことであった。
地下へ下りる際下った螺旋階段で地上へ戻った。2人が戻るまで上層礼拝堂には誰1人として入らせるなと伝えていたので誰もいない。地下へ続く秘密の穴を塞ぎ、階段を下りて下層礼拝堂へ。
教会の入り口付近まで行くと「司祭様! 先代様!」とジュードが駆け寄って来た。
「先程、王太子殿下御一行が到着されました」
「グッドタイミングだね。赤ん坊以来どんな風に育っているかな」
「学生時代の陛下に瓜二つですよ」
「それは楽しみだ。シリウスちゃんみたいに、常にむっつりした顔だったら尚更」
他愛ない会話を広げながら教会の馬車停へ回った。
王家の家紋が入った馬車付近にいる紫がかった銀糸に瑠璃色の瞳の青年がオルトリウス達を見付けると頭を垂れた。
「お久し振りです、叔父上」
「やあ、王太子殿下。此方が君の大叔父上だよ」
言われて王太子――ベルンハルドがオルトリウスへ視線を移した。オルトリウスはシエルの言った通り、学生時代のシリウスと瓜二つなベルンハルドへ柔らかな微笑みを見せた。
「君にとっては初めましてになるね。僕がシエルちゃんの前の司祭、オルトリウスだよ」
「ベルンハルドです。大叔父上にお会い出来たこと、光栄に思います」
「シリウスちゃんにそっくりでも、顔立ちはシエラちゃん似だね。長旅で疲れたでしょう」
ゆっくりお茶をしに行こうと言うとオルトリウスは再び教会へ――ではなく、街の方へ歩き始めた。
「叔父上? そっちじゃないでしょう」
シエルに呼び止められた。
「いいや、こっちだよ。シエルちゃん達は通常業務に戻っていいよ。王太子は僕とおいで。街のカフェでお茶って、滅多にない経験でもしに行こうじゃない」
「は、はい」
胡散臭い顔をして睨んでくるシエルを視界の隅へ無理矢理追いやり、手招きでベルンハルドを呼ぶ。手招きされるのは初めてなのか、戸惑った様子で近付いたベルンハルドを連れオルトリウスは街へ向かって歩き始めた。
――残ったシエルは態とらしく大きな溜め息を吐いた。ベルンハルドの従者や護衛の騎士は、少し距離を取ってオルトリウス達の後ろを歩く。
そんな彼等を見送るとジュードは口を開いた。
「先代様って何と言いますか、不思議な人ですよね」
「不思議ねえ……私には、悪巧みを考える顔にしか見えなかったよ」
「司祭様と同じで人の良さそうな顔をしている裏では……あいたたたたた!!」
余計な一言を言うので頬を引っ張った。限界まで引っ張ると離した。一部分だけ真っ赤に染まった頬を撫でるジュードから恨めしげな瞳を貰うがふふ、と微笑むだけ。
「痛いですよ!」
「喋る時は慎重にねジュード君。何時誰が聞いてるか分かったものじゃない。特に、叔父上や父上の子供時代は相当荒れた時代だったから」
「今が平和なのは、先王陛下や先代司祭様の尽力あってこそですからね」
「そうだね」
幼少期から既に王としての風格を纏っていた父は、シエルやシリウスにしたら祖父にあたる自身の父を病死させ成人前に王位に就くと次々に不正や横領、表に出すのもおぞましい行為を繰り返す悪の貴族達を粛清していった。
幾つもの家が潰えた。
幾人の罪人が処刑、鉱山送り、島流し、娼館送り、獣の餌、人体実験、奴隷堕ちしたことか。
貴族だけではない、名のある商人や大商会も粛清の対象にあった。
王に謀反を起こす者がいなかったのは、有無を言わせない証拠が全てあったからだ。また、彼等によって虐げられていた者の協力もあってこそ。
ティベリウスが王国に蔓延っていた大部分の膿を出し切る裏ではオルトリウスも暗躍していた。この2人がいたから、今の王国の平和がある。
“粛清の時代”を築き、自らの手で終わらせ、今の時代を生み出した2人の王子。
怪物とも思える傑物が1つの時代に2人もいたのもまた、運命の女神による導きであったのだろうか。
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