気紛れで気高い
「ジュード君とお買い物してきて」
唐突な外へ行っておいで発言に疑問を呈したのはファウスティーナ、ではなくオルトリウスだった。
「シエルちゃん、そうやって目隠しをするのは良くないんだよ? 僕がよく知ってるんだから」
「さて何の話か」
シエルが遠ざけたい訳。
考えようとするとジュード、ではなくオルトリウスにローゼ呼ばわりされて不機嫌なヴェレッドがファウスティーナの背中を押した。
「はいはい考えてないで行こうよ。俺が一緒に行ってあげるから」
「ローゼちゃんはいなさいよ。僕久し振りに会ったら話したいことが沢山あるのに」
「俺をローゼって呼ばなくなったら幾らでも話してあげる」
「そう寂しいことを言わないの。しょうがないでしょう、初見じゃ君女の子にしか見えなかったのだから」
「うるっさい」
ローゼは女性名。ヴェレッドが女性なら似合う名前だが彼は男性。オルトリウスの話から察するに、赤ん坊だった頃の彼は非常に愛らしかったのだろう。
だが、疑問が生じた。
ヴェレッドは貧民街の孤児。幼いシエルが興味本位で貧民街へ足を運んだ際、浮浪者に襲われそうになったところを助けたのが出会いと聞いた。貧民街で生まれると出生届が出されないのが大半。訳アリの者が大勢住む貧民街の住民で律儀に教会に出生届けを出す人はいない。
身内は片方だけ血の繋がった人が2人いると4年前話してくれた。オルトリウスは個人的にヴェレッドの正体を知ってそうだ。
「しょうがない。ファウスティーナ様、ヴェレッドをこき使っていいから、お使いを頼まれてくれる?」
「分かりました」
必要品が書かれたメモをシエルに渡され、早く早くと急かされるが出掛ける準備をしないとならない。ファウスティーナは一旦玄関から部屋に戻った。街を出歩くだけなので歩きやすく、シンプルな服装が好ましい。
侍女に冬用のワンピースを用意してもらい、素早く着替え、部屋の外で待っていたヴェレッドと屋敷を出た。
2人を見送ったシエルは当初頼んだジュードに振り向いた。
「ジュード君は叔父上に会うのは初めてだったかな?」
「はい。僕が教会の神官になったのは10年前なので」
先代司祭を務めていたオルトリウスが次代の座をシエルに託して旅に出たのは15年前。15年も経てば、当然教会にいる人の顔も変わる。まじまじとジュードの顔を眺めていたオルトリウスはオズウェルを呼んだ。
「そういえばオズウェル君。神官に女性を採用していないようだけど、そろそろ1人くらい入れてもいいんじゃないの?」
「そうしたいのは山々ですが、どこかの誰か目当てで入られてもね……」
「司祭様に見初められたい女性は数多くいますから……」
「言われてもねえ……私は結婚するつもりも恋人を作るつもりもない」
そうは言うが4年前からファウスティーナを保護してから苦労は多かった。歳が離れているといえど、貴族の政略結婚に年齢差は付き物だ。貴族の事情を詳しく知らない平民でも、女神の生まれ変わりは必ず王子と結婚すると知っている。王家の血を引く美貌の司祭がファウスティーナと大層仲良くいる場面を多く目撃すれば、当然誤解する者もいる。
特にシエルのファウスティーナに対する溺愛ぶりは尋常じゃなかったので。
シエルを慕う女性の中でも、特に過激な女性が何人かいて。ファウスティーナを害そうとする事に及ぼうとされたが、彼女に常に付きっきりなメルセスや時間があれば必ずファウスティーナの側にいたシエルのお陰で大した事件は起きなかった。
過激な人に好かれやすいのを遠回しにオズウェルに指摘され、嫌そうに顔を歪めた。
「好きで好かれてる訳じゃないよ」
「まあまあ。しょうがないよ。シエルちゃんの母君は、平民と言っても没落貴族の長女で令嬢時代は非常に人気があった子だから」
「え? 司祭様のお母様は貴族だったのですか?」
初耳な事実にジュードは素直に驚いた。平民とずっと聞かされていたので。ああ、とシエルは何でもないように頷くも別の話題に切り替えた。
「私の母の話より、叔父上。今日は王太子を呼んでるよ。叔父上は、彼が赤ん坊の頃に1度会っただけだったでしょう?」
「あの頃はまだ僕が司祭をしていたからねえ。そうかそうか、シエラちゃんから彼を受け取ろうとしたら大泣きされて困り果てたのを覚えてるよ」
「第2王子殿下は今回は呼んでいません。彼に会いたいなら、叔父上自身が王都に行ったらいい」
「ああ、第2王子は体の弱い子だったね」
「成長するにつれて良くはなっていますよ」
「油断大敵だよ。気を抜くと一瞬で終わりを迎える。さて、それじゃあ、王太子が来る前に、シエルちゃん。一緒に上層礼拝堂に行こう。オズウェル君達は教会の外で待ってて」
●○●○●○●
雲がなく、空一色の青はとても美しい。太陽の心地好い温もりが、冬の寒さを和らげてくれる。
ドレスではなく、ワンピースを着て街を歩くのは教会に来てからのファウスティーナの楽しみである。普段はシエルかメルセスが同行する。
「で? シエル様は何を買えって?」
「ええっと」
シエルに渡されたメモを見た。
「紅茶屋に行って司祭様専用の茶葉の購入と予約しているというフルーツタルトの受け取り、みたいですね」
「なにそれ。屋敷の人に頼んだらいいのに」
普通は使用人がするお使いだ。何故自分に頼んだのだろうとファウスティーナは不思議に思う。するとヴェレッドは心の内を読んだように愉快げに言い放った。
「体のいい厄介払いだね。あのまま、お嬢様を彼処にいさせたくなかったんだろうね」
「どうしてですか?」
「ある程度は予想出来るけど、自分で考えなよ」
「……」
煽りのある言い方だ。答えが知りたくて堪らない。ジト目で見上げると急に手を引かれた。慌てて前を見たら、前方から歩いて来る子供とぶつかりそうになっていたのだ。
「ちゃんと前見て歩かないからだよ」
「す、すみません……」
自分が悪いことなので素直に謝った。
手を離してもいいのにヴェレッドは手を繋いだまま歩き続ける。
「もう余所見をしませんから、離しても良いですよ?」
「うん? シエル様とは、ずっと繋いでいるでしょう?」
「そうですが歩き難くないですか?」
長身のシエルと低身長のファウスティーナとでは、当然歩く歩幅に差がある。シエルはいつもファウスティーナに気遣って歩いてくれる。シエルより些か低く見えるヴェレッドでもファウスティーナと比べると差が大きい。
「何とも思わないよ。お嬢様が嫌なら離すよ」
「嫌ではないですよ。教会でお世話になるようになってから、こうやって誰かと手を繋いで歩く機会が多くなったので。寧ろ、生活の一部になってます」
「そう」
誰かのほぼ9割はシエルだが。
暫く歩き続け、最初の目的地紅茶屋に到着した。シエル御用達の高級茶葉を売る店で事前に連絡があったのか、ファウスティーナ達が来ると包みを出してくれた。支払いを済ませ、包みを空いている手で持ったヴェレッドはファウスティーナの手を握った。
「お嬢様って、見てて危なっかしいからちゃんと繋いでおかないと」
「心配し過ぎです。そこまでドジじゃありません」
「何かあった後だと俺がシエル様に叱られるから駄目。にしてもお嬢様、手ちっさ」
「ヴェレッド様の手が大きいだけです。私の手の大きさは標準です!」
「ううん。お嬢様の手小さいよ。他の人はもうちょっと大きい」
手の大きさにコンプレックスはない。こうまで言われるとむすっとしてしまう。
力を籠めると包む大きな手に更に強く握られて諦めた。
「うう……握力ってどう鍛えたらいいですか?」
「お嬢様には必要ないよ。どうしてもと言うならシエル様にお願いして。余計なことをお嬢様に教えたら、大目玉を食らっちゃう」
「司祭様は怒ったりしませんよ」
「怒るよ。前に、お嬢様に嘘を教えるなって怒られた」
「?」
聞くと、4年前の“建国祭”で出店を見て回っていた際、ヴェレッドは自身の身内は片方しか血の繋がっていないのが2人いると言った。
だが、実際は違うと言う。
「本当は、ちゃんと血の繋がったのが1人。で、片方しか繋がってないのが1人。後、父親は生きてて母親は病死してる」
「そうだったのですか……。あの、ヴェレッド様が貧民街で暮らしていた理由とは……」
「内緒。これ以上は教えられない。だってお嬢様、シエル様に言っちゃうでしょう? これ以上を言えばシエル様はとっても怒る。だからもう教えない」
愉快げに笑ってはいるが彼の美しい薔薇色の瞳は怯えているようにも見えた。まるでシエルに嫌われるのが怖いと、言っている風に。
それ以上はヴェレッドの為と思い何も聞かなかった。
妙に重い空気が流れそうになるも、察したヴェレッドが何気ない話題を振ってくれるので気まずいままケーキ屋に到着はしなかった。
予約していたフルーツタルトの入った箱を受け取り、代金を支払うとファウスティーナが空いている手で箱を持った。
「大丈夫?」
「私も持ちたいのです。お買い物で買った物を自分で持つことはなくて新鮮なんです」
「そりゃあね。普通は使用人が持つから。……あ」
遠回りをして帰ろうと提案され、多少歩く程度ならとファウスティーナは了解した。
フルーツタルトを食べたら、ここのケーキ屋をリンスーに教えてあげようと手紙の文面を考えていたファウスティーナは、不意に漏らされた声に反応した。が、繋いでいた手を離され、腰に回された手にビックリしてヴェレッドを見上げた。
意地悪げに微笑む彼の瞳に先程の怯えはない。
「な、なんですか突然」
「ちょっとだけ気になってたことがあるんだ。王太子様との婚約が無くなるとなるでしょう? そうしたら、お嬢様はどの王族に嫁ぐの?」
「!」
ファウスティーナの最大の目標、ベルンハルドとの婚約破棄。又は婚約者変更。
ベルンハルドとエルヴィラを王国で最も幸福と伝えられる“運命の恋人たち”にした後、女神の生まれ代わりであるファウスティーナは嫁ぎ先が消える。
必ず王族に嫁ぐのが女神の生まれ代わり。ファウスティーナが結婚出来る王族と言うと第2王子のネージュと王弟のシエルだけ。
考えていなかった訳じゃないが適切な回答を持ち合わせていない。
ファウスティーナは熱くなる頬から意識を逸らそうと言葉を紡ぐ。
「ネージュ殿下には、ベル……王太子殿下とのことでご迷惑を掛けていました。司祭様は、王城で泣き叫んでいた私を保護して、ずっと大事にして頂いています。恩返しをしたいとは思ってますが、2人にはこれ以上の迷惑を掛けたくありません」
「でも、女神様の生まれ代わりは絶対に王子様と結婚しないといけないでしょう? それはどうするの」
「それについては、私、1つ考えがあります。実際に実行してどうなるかは分かりませんが」
「そうなんだ。それを聞いて安心した」
馬車が過ぎ去り、ある程度の距離を歩くとヴェレッドは離れ、腰に回していた手は再びファウスティーナの手を握った。
「王太子様は好きな人と結婚出来るんだ。お嬢様も好きな人を見つけたらいいよ」
「好きな人ですか……」
未だにベルンハルドが好きだと告げたら、心底呆れられるだろう。ファウスティーナ本人も自分のどうしようもなさに呆れているのだ。
だけど、どうしても捨てられない。ベルンハルドに対する恋心を。時折、誰かが泣いている夢を見る。
その人はひたすら“私を見て、ルイス”と消え入りそうな声を発して泣いているのだ。
――きっと、夢の中の人は……
「ふあ……、眠くなってきた。カフェに寄ってコーヒーでも飲もうよ」
「ですが、お使いはもう終えましたよ?」
シエルに託されたメモに書かれた品は揃えた。
「遅れたってシエル様は怒らないよ。寧ろ、遅くなった方がいいよ」
「やっぱり、誰か来るから街へ買い物に行かせたのですね……」
使用人にやらせればいいお使いを態々ファウスティーナに行かせてまで遠ざけたかった理由。2つある。
どちらかにしても、そろそろ腹を括らないといけない時期にもう来てしまっている。
2つの内、1つはシエルが呼ぶとは考えられないので恐らく報せを届け無理矢理来そうな予想がされて。もう1つは、大体察せられる。
――きっと、先代司祭様に会わせようと呼んだのね
事情を説明されずともそのくらいの予想は出来る。
ファウスティーナが保護されていなくても呼んだだろう。
ヴェレッドも知らない振りをして案外知ってそうだ。だから遠回りをしようと提案したのだ。
「チョコレートケーキの美味しいカフェだから、お嬢様も気に入るよ」
「楽しみです!」
何時かは、会わないといけない。
貴族学院に入学したら毎日顔を合わせないといけないから。
……今だけは束の間の平穏に浸っていたい。
――ラ・ルオータ・デッラ教会、上層礼拝堂に隠された秘密の地下へ続く長い螺旋階段を下りるオルトリウスとシエル。光が届かない場所なのに、灯りが必要とされない明るさがある。
「何時来ても不思議な場所ですね」
「女神様の力によって明るいのさ」
「叔父上に、地下にある秘宝の存在を知らされた時は驚きました」
「だろうね。私も前の司祭に教えられた時は信じられなかったよ。けれど、実際あるのだから事実なのだよ。嘘のようで本当なのさ」
「女神が気紛れに願いを叶える国ですから、この国は」
気紛れな部分は猫みたいだと言う甥に微笑む。
「気紛れでありながら気高い猫みたいだからね」
長い螺旋階段を下りきって冷たい石の上に足を着けたオルトリウスとシエル。眼前に広がる巨大な金の扉の前に立った。
「何故此処に来たいと?」
シエルの問いにオルトリウスは扉に近付いてこう答えた。
「綺麗だから見たいなって思っただけだよ」
「やれやれ」
シエルが肩を竦めたのが気配で感じられる。
オルトリウスは見えないのを良いことに――瑠璃色の瞳から光を消した。映るのは、覗いた者を底無し沼へ突き落とす絶対の闇。
「……地下には、もう来ないと思ってもついつい気になって来てしまうよ……兄上」
読んでいただきありがとうございます!
明日で仕事納めでやっと解放されると思うと……(;-Д-)




