恥ずかしいのは恥ずかしい
「はあ、大変だった」
「うん、大変だった」
「毎回のことだけど助祭さんも諦めたらいいのに」
「ねえシエル様。それ、王様が来たら毎回逃げ回ってるシエル様が言っても説得力ないよ」
「うるさいよヴェレッド」
「はーいはい」
……朝から本当に大変だった。口では疲れたと言いながらも紅茶を飲む仕草は優雅だ。横に座ってマシュマロベリーココアを飲むヴェレッドも。ファウスティーナは新鮮なレタスとキュウリとハムのサンドイッチを食べながらさっきまで起きていた騒動を思い出す。
先代の司祭、オルトリウス=アイ=ガルシアが一時戻ると報せが届いたのは8日前。オルトリウスの伝書鳩が報せを届けてくれた。司祭の座をシエルに譲り渡すと嵐の如く旅立って行ったと有名な先代が戻るとなり、シエルは勿論神官達は彼を出迎える準備を始めた。
……但し。
「あの、どうして助祭様には今日まで内緒にしていたのですか?」
「そうしないと逃げられちゃうから」と答えるのはシエル。紅茶を飲むと面倒臭そうに教えてくれた。
「叔父上とオズウェル君は昔馴染みなんだ。確か、王城で迷子になっていた叔父上をオズウェル君が見つけたのが2人の出会いだったかな」
「迷子になられたのですか?」
生まれも育ちも王城暮らしのオルトリウスは方向音痴な少年だったらしく、毎日同じ道を通ってもこっちの方が近いという直感で全然違う道を進んで部屋に戻れなくなるという珍事件が多発していたと言う。偶然父と王城に来ていたオズウェルが迷子になっていたオルトリウスを発見し、それが切っ掛けで2人は友人になったとか。
「助祭さんって、元はグランレオド家の人だっけ」
「そうだよ。叔父上に気に入られたのが運の尽きとは、本人がよく言ってる」
「はは。王子様に馬鹿とか普通に言っても怒られない人だからでしょう?」
「それはあくまで叔父上といる時だけだよ。幾ら叔父上の大親友と言われていても周囲が聞けば大騒ぎする」
「第3王子で若干放置気味だったとしても、王子様に言っていい言葉じゃないよね」
「……第3王子?」
ファウスティーナはヴェレッドの口にした“第3王子”発言に首を傾げた。先代司祭オルトリウスは先王ティベリウスの3歳下の第2王子の筈。シエルに訊ねるより先に蒼の瞳は、薔薇色の美貌の彼を鋭く睨んでいた。
「ヴェレッド。余計なことは言わない」
殺気にも似た熱い視線を受けながらマシュマロベリーココアをのんびりと味わうヴェレッドは眉を寄せた。
「えー」
「えー、じゃないの」
「お嬢様は他人に言い触らしたりしない子だよ。ねえ?」
「え、は、はい」
同意を求められつい頷いてしまった。
「そういう問題じゃない。王族の厄介事にこの子を巻き込まないの」
「王太子様と未だに婚約継続なお嬢様は無関係じゃないじゃん」
「この子達の時代に、当時の王族は不要だ。況してや、父上は陛下が貴族学院卒業と同時に王位を譲り隠居している。叔父上も司祭の座を私に渡して自由気儘に旅をしている。舞台を降りた2人を無理矢理表に出す必要が何処にある」
「そうだね」
「……」
重い。異様に空気が重い。
オルトリウスが第3王子だということは、先王ティベリウスは第2王子だったということになる。気になる内容が話題に上がって口を挟みたくても、絶対に話してくれなさそうなので黙ってサンドイッチを食べる。瑞々しいレタスとキュウリがスカスカに感じる。1度の飲み込みが遅くなった。重い空気のせいで。
肝心のオズウェルは、今朝話をシエルから聞くと逃亡を計ろうとした。が、事前にヴェレッドを呼んでいたので2人がかりで捕まえて今は教会の司祭の部屋に置いて来た。扉は外から開けないように家具を置き。窓から逃げないよう見張りも置いている。オズウェルからはヴェレッドと同じ事を言われたが無視である。
「司祭様」と疲れた声を発してやって来たのは神官のジュード。見ると声と同じで姿もやや疲れ気味である。
「助祭様、もう観念しておられますよ。多分、本気で逃げる気はなかったかと」
「分からないよ? そう見せかけて本気で逃げていた可能性だってある」
「シエル様じゃないんだから」
「何か言った?」
「いいえ」
含みのある微笑を向けられ、ふいっと視線を逸らしたヴェレッドはファウスティーナに話相手を変えた。
「食べないの?」
「た、食べてます」
食の進むスピードが遅いからの指摘。先程までの重い空気はジュードが来てくれたお陰でマシになった。内心感謝しつつ、サンドイッチを食べる。ヴェレッドの飲むマシュマロベリーココアが気になった。
「それ、ヴェレッド様が作っていましたよね?」
態々厨房を借りて作っていたのを思い出す。
「それが? 欲しいの?」
甘い物は大好物。更にマシュマロベリーココアも大好き。特に、公爵家の執事カインが作るマシュマロベリーココアは絶品だ。兄ケインはマーマレードココアが好きだった。1度、どう作っているのか聞いても内緒ですと言われた。何度か他の人にマシュマロベリーココアを作ってはもらったがカインの作ったマシュマロベリーココアが格別だった。
貴族学院入学前に、通学の問題が起きているとシエルに話されたのはエルヴィラの誕生日当日。エルヴィラの祝福を授けたシエルは、嬉々とした様子で屋敷に戻ってきた。万が一、鉢合わせしたら厄介、ということでファウスティーナはシエルが戻るまで屋敷で待っていた。待っている間は、書斎から幾つか本を借りて読んでいた。
通学の問題は後日決めると後回し。次に、ファウスティーナは学院でベルンハルドに対する振る舞い方を考えてほしいとシエルに乞うた。4年前の建国記念パーティーの時、ギリギリだが目を合わせられた。震えは強く、緊張は最大限だったとしても、言いたい台詞は言えた。学院でベルンハルドに絶対に関わらない、というのは立場上出来ない。クラスも、これはシエルに指摘されたが間違いなく同じAクラス。
(当たり前よね……殿下は王太子として、ずっと努力し続けている人だもの……)
顔を合わせる度毛虫を見るような目で見られ、名前で呼ぼうものなら他者が震え上がる声色で黙らされ。
なのに、何故4年前、赤い花が咲いた時縋るような目で見てきたのか。
あの時は、大好きなエルヴィラの瞳と同じ色の花が咲いて気が動転していただけ、と思ったがどうも違う気がする。考えても答えは出ない。
ファウスティーナ自身、未だベルンハルドに対する恋心はある。これは誰にも話していない。自分自身呆れてしまう。
ずっと邪険にされ続け、最後は酷い言葉の暴力を浴びせられて。それでも好きなのは何故なのだろう。
「ねえ」
「!」
鼻頭に誰かの人差し指が置かれた。思考が別の方へいってしまい、すっかり忘れていたがマシュマロベリーココアが欲しいのかとヴェレッドに問われていたのだ。
「急に黙って何か考え事?」
「あ、は、はい。助祭様が逃げる程の人なのかなって思って、先代司祭様は」
「ああ、仕方ないよ。すっごくうざい」
「うざい?」
「そう。うざい」
「うざい……」
げんなりとするヴェレッド。
ベルンハルドも会う度に纏わりつくファウスティーナをうざがっていた。
4年前から定期的に贈られてくるプレゼント。今になってプレゼントを結ぶリボンが瑠璃色なのは何故なのだろう。きっと、女神の生まれ変わりとは絶対に婚約破棄出来ないからと国王や王妃に説得されて、無理矢理婚約者として扱わざるを得なくなっただけ。
同じ歳、王子に生まれてしまったが為に、性格の最悪な令嬢と婚約を結ばれてしまった憐れな王子様。
だから……だからこそ……今までの償いとして、ベルンハルドが心の底から愛するエルヴィラと結ばせてあげなければならない。定期的に届くケインからの手紙によると、両親や(何故か)リオニーからも厳しく王子に近付くなと言い付けられているのに相変わらずであるらしい。
父や兄は兎も角、母がエルヴィラに厳しくはどうも考えられない。どうせ、小さな子に諭すようにしか言っていないだろう。あの母のことなので。
母といえば、ケインは自分の分の手紙がないことに苛立っているとも書いていた。
「送る必要があるのかしら……」
「何が?」
心の中で言ったつもりが口に出てしまっていた。
シエルはジュードと話し込んでいるので此方に気付いていない。
ヴェレッドに相談しても大丈夫なので正直に話した。
「お兄様から来る手紙に、お母様が私からの手紙がないと苛立っていると書かれていたので」
「はは……へえ……そうなんだ」
「私がいない方が穏やかに暮らせる筈なのに、拘る必要ありますか?」
「だって、お嬢様はこのまま何もなければ王太子妃、王妃様になるんだ。次代の王妃を育てた立派な母親っていう肩書きが欲しいんじゃない? あの妹君じゃ、まともな縁談は見込めそうにないしね」
14歳になっても甘やかされ、厳しいと評判の家庭教師がついても変わらないエルヴィラ。家はケインが継ぐので問題なし。公爵令嬢なので同格か王族に嫁ぐ可能性は高い。学院には、他国の貴族や王族が留学生としても来る。このままの状態でエルヴィラが貴族学院に入学したら、公爵となるケインや(今のところ)王太子妃となるファウスティーナに影響が出る。
「……処分しちゃえばいいのに」
「? 何か言いました?」
「ううん、なにも」
自分の思考回路に嵌まっていたのでヴェレッドが小声で何を言ったか聞き取れず。聞き返しても何もないと言われれば引くしかない。
「妹君は王太子様が好き、王太子様も妹君が好き。シエル様が何度か王様に進言してるのに、全然耳を傾けてくれないんだ」
「それはそうですよ。個人の感情で結ばれる婚約ではないので……」
「ふうん?」
言って悲しくなった。
このまま、ベルンハルドの婚約者で居続ける気はない。学院でのベルンハルドに対する振る舞い方。
勝負はエルヴィラが入学してからになる。周囲にエルヴィラは姉に虐められ、姉の婚約者に慰め守られるか弱い妹の印象を植え付けなくてはならない。
『1年生はひたすら逃げたらいいよ。ベルンハルドから』
『逃げる必要がありますか? だって、あの殿下が私に近付くなんて絶対にないです』
『絶対、なんてことはない。万が一がある。陛下や王妃殿下に婚約者と良好な関係を築けと言い付けられれば、これからのことを考えると王太子も行動せざるを得なくなる。君はひたすらベルンハルドから逃げていたらいい』
『2年生からはエルヴィラが入学するので、そこからは殿下とエルヴィラがどんなにお似合いかを周囲に印象付ける必要がありますね』
『そう。そして、そこで2人が“運命の恋人たち”と認められれば、陛下も重い腰を上げないといけなくなる。ただ、こればかりはフォルトゥナの結んだ糸がどれだけあの2人を強く結び付けているかによるけどね』
『……私に出来ますか?』
『“フォルトゥナの糸”次第、だね』
“運命の恋人たち”は、フォルトゥナの結んだ数多の糸の中から、特に強い糸で結ばれた男女をリンナモラートが選び、決めること。リンナモラートの生まれ変わりであるファウスティーナにはその力がある。……らしいのだが、4年前の建国祭ではフォルトゥナの声を聞いただけで特別自分が何かをした訳でもない。本当にそんな力があるのかと未だに信じられないでいる。
「お嬢様」
「はい。――――っ!?」
眼前に迫った美貌に思わず声を失う。王国では他にいない薔薇色の瞳が愉快そうに細められた。
「もしも、お嬢様の作戦で王太子様と離れられないのなら、俺が手を貸してあげよっか?」
「手を、ですか?」
「そう。正当な手段で妹君が相応しいとなっても、お嬢様が王太子様の婚約者でいないといけなくなったら……俺が助けてあげるよ」
「……」
「でもまあ……これは最後の手段とでも思っていて。使うとお嬢様は、貴族ではいられなくなるから」
正当な手段では無理だった場合、それはつまり……ヴェレッドが最後に告げた、貴族でいられなくなる言葉が示している。
シエルとは違う薔薇の香りを纏う彼が至近距離にいるせいで普段よりも香りが強い。
……急にファウスティーナの顔が赤く染まった。そうだろう。親しいと言われれば、保護者の親しい人であってファウスティーナと親しい訳でもない。知人といったところか。凄まじい美貌の青年と至近距離で見つめ合っているのだ。シエルはそれ以上の美貌だが恥ずかしいという感情は抱かない。理解すると冷静に話せる状態ではなくなった。
「――ヴェレッド」
熱くなった顔に冷水を掛けられたような冷気に満ちた声が彼を呼んだ。同時に、空気を切って何かが飛んだ。乾いた音が鳴った。驚いて見るとヴェレッドの手には小皿が。よくよく見るとシエルの左手が何かを投げた後だった。
「何をしているのかな……?」
「何も? 学生生活に不安を抱いてそうなお嬢様に助言をしてただけ」
「へえ……? そんな――」
ファウスティーナの前では決して怒気を露にしないシエルが明らかに苛立っている。戸惑うファウスティーナが間に入ろうとした時だ。
「ただいまー!!!! シエルちゃーん!! ローゼちゃーん!! オズウェルくーん!!」
「私はこっちにいるでしょうが!! ああもうっ、なんで帰って来るかな……!!」
「酷いよオズウェル君!! 君、毎回手紙の返事で1回は戻って顔を見せろと書いてるくせに!!!」
「それはシエル様や陛下に対してであって私だとは書いてないでしょうが」
「!! 君は僕を裏切るのか!? 酷い、僕は君を大親友だと思っていたのにっ!! 嫌がらせにグランレオド家にラフレシアを送ってて正解だった!!」
「なんで先に送ってるんですか!!?」
…………。
1人は知らない、もう1人はオズウェル。オズウェルの声が玄関ホールから食堂まで届く。
さっきまでの怒りを遠い彼方へ追いやったシエルは「はあ……ヴェレッドの説教は後回しだ。予想以上に早く帰ってきたみたいだ」とジュードの背を押して食堂を出た。
残されたファウスティーナは「え……え?」と困惑する。オズウェルと一緒、ということは、知らない男性の声は先代司祭オルトリウスなのだろうがあまりにも想像とかけ離れた人だ。
ヴェレッドに視線をやると彼は不機嫌そうに眉を寄せていた。
「ローゼって呼ぶなって言ってるのに……」
「あ、あの、ヴェレッド様」
「行こう。どうせお嬢様も呼ばれるよ」
「は、はい」
残ったサンドイッチを食べてヴェレッドの後を追った。
オルトリウスの言い放ったローゼはヴェレッドのことなのか。髪や瞳の色から付けたのなら可笑しくない名前だがローゼは女性名の筈。彼は男性だ。
ヴェレッドと一緒に玄関ホールまで行くとシエルとジュードは先代司祭と話していた。
ベルンハルドや国王シリウスと同じ瑠璃色の瞳がファウスティーナを見た。
「大きくなったねえ」
紫がかった銀糸、瑠璃色の瞳。確か年齢は60代。若かりし頃は大層な美貌だったに違いない。年齢を重ねても面影が色濃く残っている。シリウスやシエルも歳を重ねるとオルトリウスのようになるのか。
懐かしむように瑠璃色の瞳が細められ、目前まで来たオルトリウスにファウスティーナが一礼をした。挨拶を述べるとオルトリウスはポンポンと空色の頭を撫でた。
「うんうん。綺麗だねえ。背筋も真っ直ぐで動きもしなやか。何気ない仕草がその人の人となりを表す。これからも励みなさい」
「はい。ありがとうございます」
「けど、息抜きも大切だから、あまり気負い過ぎないようにね」
「あなたの場合は息抜きのし過ぎです」
「良いじゃないか。人間は息の詰まった生活を嫌がる生き物だ。第一、僕司祭をしていた頃とっても真面目にしていたじゃない」
「そうですねえ。今の司祭様は真面目にしてくれないので困っているんです」
「シエルちゃんは不真面目ちゃんだからねえ。シリウスちゃんから逃げる時だけとっても真面目になるんだから」
「はいはい昔話はその辺に。ファウスティーナ様」
このままシエルやシリウスの話を聞けるのかと内心期待していたファウスティーナだがやっぱりかと思い。強引に中断させたシエルにあることを頼まれた。
「ジュード君と街でお買い物してきて」
読んでいただきありがとうございます!




