結局変わらなかった少女
教会での生活も王妃教育も問題なく進む日々。
15歳になり、貴族学院入学を来年に控えたところで問題が1つ生じた。ファウスティーナには未だ話していないがどう転がるか、とシエルは上層礼拝堂でオズウェルに問うた。
「どうもこうもないでしょう。教会から貴族学院への通学は無理です。距離が遠すぎる」
馬車で約2時間かけて王都にある貴族学院へ行くのはファウスティーナの負担が大きい。帰宅も同じ時間かかるので往復で約4時間が無駄になる。通学問題に関しては1年前程前からシリウスに指摘されていた。公爵家の方もシエルに通学は公爵家からでと何度も手紙が届いている。
4年前の出来事を受けてシリウスも無理にファウスティーナを公爵家に戻せとは言わなくなった。息子であるベルンハルドが最後の止めをファウスティーナに食らわした件もあって。
当のベルンハルドはというと、成長にするにつれ王太子だった頃のシリウスや若き頃の先王に似てきた。少々女性らしい顔付きは王妃譲りだが。
「王太子殿下から、何度も届く手紙はどうしているのです?」
「はは。聞かなくても分かってるくせに」
「やれやれ」
ファウスティーナは特別ベルンハルドからの手紙を待っていない。来たところで彼女の精神に負担を強いるだけ。“祝福された建国祭”となった4年前からは頻度が増したが、全てファウスティーナの目に触れることもなくシエルが密かに処分していた。当たり障りのない、返事を書いて。未だ筆跡がファウスティーナの物ではないと気付かない辺り、どうせあの時足下に咲いた花がエルヴィラの瞳と同じで焦っただけだったのだろうと推測する。毎年贈られてくる誕生日プレゼントや婚約者に贈る定期的なプレゼントの返事も全部シエルが代筆している。
「そういえば、彼は私が代筆した手紙をどうしているのだろうね」
「はあ……貴方といい、坊やといい、悪趣味にも程があります」
「その内、陛下辺りに見られてバレるかなとか思っていたのだけど何もないってことはつまり……陛下は見ていないみたいだね」
「それか、案外気付いていて何も言ってこないだけでは?」
「そうなら、陛下も中々に悪趣味だよね」
「はあ…………」
悪びれもなく微笑むシエルへ盛大な溜め息を吐いたオズウェルは頭を抱えたくなった。
「司祭様」と中性的な少年の声が上層礼拝堂に響いた。オズウェルとの会話は終わり。少年――ジュードは今日の祝福を授かりに来た貴族を連れて来た。
「エルヴィラ様、ヴィトケンシュタイン公爵夫妻をお連れしました」
今日はファウスティーナの妹エルヴィラの14歳の誕生日だ。先月は兄ケインの16歳の誕生日。ファウスティーナを預かってからもすっぽかさないでちゃんと司祭としての仕事をしている。1度オズウェルに誉めてとお願いしたら、お馬鹿なこと言ってないで真面目に仕事しろとお説教をされて終わった。
心配げな面持ちの両親と違い、14歳を迎えたエルヴィラは成るほど、ベルンハルドが好むのも分かる気がした。
「よくお越し下さいました。さあ、エルヴィラ様は前へ」
「はい!」
リュドミーラ譲りの濡れ鴉のように艶やかな黒髪にはイエローパールのカチューシャを着け、今日の為に用意されたであろう同じ色のドレスと華奢で少女のような体つきは非常に可憐で庇護欲がそそられる。存在するだけで守ってあげたくなる女性に弱かった先王譲りなのだろう、ベルンハルドのエルヴィラに対する気持ちは。それが悪いという訳じゃない。あの人の、先王の女性好きは違う意味を持っていたが……。
思考を振り払うように小さく頭を振ったシエルは目前まで来たエルヴィラに司祭としての役目を果たすべく、恒例の祝福の言葉を授けた。
向かいに見える公爵夫妻はチャーチチェアに座りながら、消えない不安をエルヴィラやシエルに向けている。
心の底から沸き上がる嗤いが表に出さないよう、祝福を終えるとシエルはオズウェルに向いた。
「今日はこれで終わりだったかな?」
「ええ。明日は祝福を授かりに来る方はいません」
「毎日ないと楽なのだけれど」
「そんなこと言わない。全く、ちょっと真面目にすると思ったらすぐに楽しようとする」
「元々私は適当な人間だからね」
「この後は……ああ、溜まっている書類もないので好きにしてください」
半ば諦めた感じで告げたオズウェル。そうさせてもらうよと屋敷に帰りたいシエルは両親に駆け寄り嬉しげにはしゃぐエルヴィラを見ようとせず、上層礼拝堂を出ようとした。が、やっぱりというか、引き止められた。
「あ、お待ち下さい! 司祭様!」
エルヴィラに。てっきりリュドミーラ辺りかと警戒したのに意外だった。
「どうしました? エルヴィラ様」
「あの、お姉様は……屋敷に帰って来るのでしょうか?」
「エルヴィラ、今聞かなくてもいいことなのよ?」
「だってお母様、お姉様が貴族学院に入学したら家に戻ると言っていたではありませんか!」
「ま、そ、それはっ」
「……へえ」
彼等の中でファウスティーナは貴族学院入学と同時に家に戻ると確定していたようだ。誰も、シリウスですら言っていないのに。そして、エルヴィラがそう思う元凶は慌てて口を塞ごうとするもエルヴィラは避けて更に続けた。
「お姉様が家に戻ったらベルンハルド様がまた来てくれるではありませんか! 嫌ですがお姉様には早く家に帰って来てもらわないと」
「エルヴィラ! 君はまだそんなことを――」
「っ、あ、あはははははははははははははっ!!」
この場にヴェレッドがいれば、滑稽な場面に呵々大笑する者が2人となった。
変わらない。優しく甘い世界にずっと浸り続けてきた少女は、いくら年数が経とうと変わらない。
聞いたところによると4年前、リオニー一押しの家庭教師がエルヴィラにつけられたらしい。泣こうが喚こうが嫌がろうが一切通用しない女性で有名だ。これで少しはマシになるかとリオニーも僅かながらに期待していたが――結果はこの様。多少振る舞いがマシに、知識が増えても元々の中身が何も変わっていない。
エルヴィラとシエル、両方にギョッとしたオズウェルは哀れみの籠った青銀の瞳で公爵夫妻を見た。視線の意味に気付けない夫妻じゃない。
突然笑い出したシエルに驚き固まるエルヴィラに構わず、暫く笑いが止まらないであろうシエルの為にオズウェルは下層礼拝堂へ続く階段へ手を向けた。
「さあ、お帰りはあちらです。夜は盛大な誕生日パーティーを予定しているでしょう? 準備は早くしてこそです」
「な、ま、待ってください、どうして司祭様は急に笑い出すのです!」
「公爵、夫人……ご長男が優秀で良かったですね」
「っ……も、申し訳ありません。エルヴィラ、行こう」
「お父様離してください、わたしは司祭様に」
「エルヴィラっ、助祭様の言う通りパーティーの準備があるから行きましょう」
「お母様!」
間違ったことは言っていない。自分の言うことは正しいと信じる少女はきっと母親に引き摺られて上層礼拝堂を出なければならない理由に気付かない。1人残ったシトリンは深くシエルとオズウェルに頭を下げた。
「エルヴィラがとんだ失礼を……」
見事に笑いのツボに入ったが漸く話せるくらいには復活したシエルは涙目でシトリンに向いた。
「あ、はは……、こんなに笑ったのは久しぶりだよ。ありがとう公爵。君や夫人も浮かばれないね。折角心改めて、エルヴィラ嬢の教育に力を入れたというのに。オズウェル君の言った通り、公子が優秀な跡取りで助かったね。彼までああなら、女神の生まれ変わりが生まれる唯一の家は一生消えない恥を背負い続けることになったろうね」
「……返す言葉もありません」
「陛下が何度か言っていなかった? ファウスティーナがベルンハルドの婚約者として気に食わないなら、エルヴィラ嬢と変えてやると」
「エルヴィラでは無理です。あの子が王太子妃になるなんて……それに、万が一ファナからエルヴィラに変わったら今までのファナの努力が」
「全て無駄になるとは限らない。王子の妃になるには、ファウスティーナは十分な資質を持ってる。……王太子でなくてもいいのだよ、王子は他にもいる」
「……」
押し黙ったシトリンを興味のなくした蒼が捉えるも、何も言えないままシトリンは上層礼拝堂を出た。
「王子は他にもいる、ですか。その言葉、貴方がファウスティーナ様の実の父親だと知らない者の前で言ってみなさい。貴方がファウスティーナ様を欲していると勘違いしてもおかしくない」
「それが? それならそうなったらいい。どのみち、もうベルンハルドとファウスティーナが結婚するのは無理だ」
「あの2人の婚約は継続されたままです。何事もなければ、卒業と共にファウスティーナ様と王太子殿下は……って」
途中で言葉を切ったオズウェルは考えるように黙った。そして、信じられない者を見る目でシエルを見た。
「そう……何事もなければ、ね」
「……以前、あの坊やが言っていたことでしょうか?」
「まあね。ただ、後1年ある。通学問題はその内決まるだろうから、ファウスティーナには学院でのベルンハルドに対する振る舞いを一緒に考えてほしいと頼まれているから、そっちを優先しようと思う」
「……仮に上手くいって、ファウスティーナ様からエルヴィラ様に変更になったとしましょう。あの娘が王太子妃になれると本気でお思いですか?」
「いいや?」
何年経っても老いを感じさせない、1人若々しさを保つ天上人の如き美貌の微笑みで告げた。
「なれるか、なれないか、じゃない。
……なるんだよ。女神の生まれ変わり同様、滅多に誕生しない“運命の恋人たち”にしてやるんだ。お飾り程度の役割しか果たせなくても、当人達はお互いを求め合っている。ベルンハルドはエルヴィラ様を、エルヴィラ様はベルンハルドを。
あの2人程、心の底から惹かれ愛し合う男女も珍しいよ」
美しい微笑の裏に隠された殺意と憎悪に気付く相手は何人いるだろうか。
甥が真に求めているのが自身の娘であると知りながらの台詞。
万が一があるからとシエルが迎えに行くまでは教会に来てはいけないと言い付けられ、屋敷にいるファウスティーナに会いに行くシエルは嬉々とした様子だ。
1人、上層礼拝堂に残ったオズウェルは天上を見上げた。
「これも姉妹神が寄越した運命でしょうかね……こんなにも拗れさせて……」
「女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。大昔、王家が姉妹神と交わした誓約に則って、か」
代々、教会の司祭にしか伝えられない秘密がある。王ですら教えられない秘密。オズウェルが知るのは先代司祭からもしもの為と教えられたから。
「フォルトゥナ神。あなたはリンナモラート神とルイス初代国王陛下の為に、2人の生まれ変わりを作ったのではないのですか……」
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