お似合いでしてよ③
前話から更新しております。
緊張が強い。
シエルの手を握る力が強まる。
会場に入った瞬間、どよめきが瞬く間に広がった。全ての人の視線が注がれる。シエルに、ファウスティーナに。
更に握る力が強くなった。不安げに見上げるとシエルも見ていて。心の底から安堵出来る優しい微笑を浮かべられ、体の力も不思議と抜けていった。
視界の端に知っている人がいる気がした。
蜂蜜色の金糸、長い黒髪、……その隣にいるのはきっと彼だと思って見ないよう心掛け。最後に見た人と目が合った。
驚きに開かれる紅玉色の瞳。約1ヶ月振りに見た兄はなんら変わりなく。エルヴィラが変わってないのだからケインだって変わらない。だが、途方もない安堵を覚えたのはケインだから。
今ファウスティーナが見せられる、精一杯の微笑みを見せた。するとケインは少し安堵した笑みを見せてくれた。
行っておいで。
言葉がなくても、背中を押してくれた気がした。
●○●○●○
自分の足で、意思でパーティー会場に行くと決めた。慌ててシエルが会場の外に出て来て話し合った。無理をして行くことはないと。自分自身が思っている全部を知ってほしくて、途中詰まりながらも思いの丈をぶつけた。
それに、だ。ファウスティーナはヴィトケンシュタイン公爵家の長女。公爵家の娘として必要な挨拶だけはしたい。特に王妃シエラには元気な姿を見てほしい。厳しくても暖かくファウスティーナを見守ってくれた人に安心してほしい。
頑なに譲らないファウスティーナに折れたのはシエルだった。両手で頬を包まれ、強い子だと告げられた。
全然強くない。シエルがいてくれるから行けるだけ。1人だったらあのまま後宮のシエルの部屋に居続けた。
皆の視線を注がれながら、上座に座するシリウスとシエラの前に立った。
先ずは最初の“運命の恋人たち”となった魅力と愛の女神リンナモラートと初代国王ルイス=セラ=ガルシア、2人に祝福を授ける運命の女神フォルトゥナが描かれた絵画に一礼。姉妹神と初代国王へ敬意を示す為。
(どうか、ベルンハルド殿下が心の底から愛するエルヴィラと結ばれ、幸せになれますように)
当初の予定通りの願いを心の中で紡いだ。ベルンハルドとエルヴィラを“運命の恋人たち”にするにはファウスティーナの強い願いが必要だとシエルは言っていた。“建国祭”で実際に願いを叶えられた者はいる。だからこそ、姉妹神と初代国王の絵画に敬意を示すのと同時に心中で願いを紡ぐのだ。
何も起きなくても、何時もならベルンハルドの側にエルヴィラがいるだけで怒鳴り散らして醜態を晒したファウスティーナがエルヴィラに何も言わず、寧ろ2人の前に立ってこう宣言すればいい。
“フォルトゥナの糸に結ばれているから、殿下とエルヴィラは惹かれ合うのですね”
他の誰かが言っても効果がない台詞でも、リンナモラートの生まれ変わりであるファウスティーナが言うと言葉の重みが違う。女神の生まれ変わりがどういった力を持つのかファウスティーナ自身知らない。殆どの者は知らない。
女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。大昔、姉妹神と王家が結んだ誓約に則って。これしか知られていない。
教会最高責任者の司祭が後押しをし、ファウスティーナが2人を祝福の言葉を述べれば更に真実味が増す。下らない三文芝居だとヴェレッドは酷評したものの、反対はしなかった。
頭を上げようとしたら、不意に頭に直接声が届いた。
――本当に?
思わず声が出そうになるもギリギリで止められた。頭を上げたくても、体が動けなくなっていた。軽くパニック状態に陥るファウスティーナに謎の声は落ち着けと語り掛けた。
全身から沸き上がる懐かしい声。どこかで聞いた覚えのある声。答えが見つかりそうなのに、直前になって靄がかかり見つからない。もどかしい、苛立ち、焦り。思い出そうとしても先に行けない。
ファウスティーナの気持ちに構わず声は続いた。
――本当にそう思う? 本当に、王子様はそれで幸せになれる?
王子様、とはベルンハルドのことだろう。
絶対になれる。あれだけエルヴィラを心配し、婚約者には決して見せない穏やかな表情を見せられるのだから。
――王子様が不幸になると思わない?
このまま婚約者であり続ける方が不幸だ。
――王子様はずっと赤い糸に縛られているのに?
自分という赤い糸のせいでベルンハルドが不幸になっているのなら、逆に切るつもりでお願いしている。
声はしなくなった。
そっと頭を上げたファウスティーナは国王シリウスと王妃シエラを見た。2人の顔が驚愕に染まっているのは何故? 側に控える宰相のマイムも同様。困ってシエルに助けを求めると彼も蒼の瞳を揺らしていた。
(も、もしかして、さっきまでの会話口に出てたとか!?)
謎の声がファウスティーナにしか聞こえず、ファウスティーナが1人ぶつぶつと話しているだけだったなら、不気味な者を見る目で見られる筈。
なら、彼等の驚き様は一体……。
騒ぎ声が生じ始めた。気になるがまだシリウスとシエラに挨拶が済んでいないので後ろを向けない。心底困り果てていると誰かがフォルトゥナの瞳が光っていると叫んだ。絵が光るなんて馬鹿な話があるわけないとファウスティーナもちらっと見た。
大きく瞳を見開いた。
「フォ、フォルトゥナ神の瞳が光っている……」
「初めてだ、こんな光景……」
毎年“建国祭”に参加していたがフォルトゥナの瞳が光っていたことは1度もない。
「ファウスティーナ様」
漸く事情を知ってそうなシエルが声を発してくれた。
「君の瞳は今、フォルトゥナ神と同じで輝いてるよ」
「え!?」
シリウスとシエラに勢い良く向くとシエラが頷いた。
シエルは膝を折ってファウスティーナと目線を合わした。
「ひょっとして、フォルトゥナの声でも聞いた?」
「そ、そうなんですか? 不思議な声を聞いていたのは確かですけど」
「君が長く頭を垂れているものだからそうかなとは思ったよ」
「司祭様は見たことあるのですか?」
「……ずっと昔に1度だけ、ね。さて、どんな祝福を授けたんだろうね、彼の女神は」
ファウスティーナが願ったのはベルンハルドがエルヴィラと結ばれること。何を問われてもエルヴィラと結ばれてこそベルンハルドは幸せになると譲らなかった。ファウスティーナの願いをフォルトゥナは叶えてくれたのか。
「……瞳の輝きが消えたね」
フォルトゥナの瞳の輝きは消えていた。ファウスティーナは自分の瞳も元に戻っているとシエルに教えられた。
本当に願いが叶ったのか確かめようと会場に目を向けた。すると、不思議な光景が広がっていた。
「花……?」
料理が並べられている各テーブルには、場を華やかにする為の装飾として香りの控え目な花が生けられていた。
だが、フォルトゥナの瞳の輝きが消えた今――会場中に色鮮やかな多種類の花が咲き誇っていた。招待客の側に咲いた花の色は、特に夫婦やカップルだと相手の特徴を表す色。初めて目にする女神の奇跡に誰もが一驚していた。
「もしかするとフォルトゥナ神は、その人の心の中にある相手に対する気持ちを色と花で表現したのではないでしょうか?」
「相手の髪が白なら白い花、瞳が緑なら緑の花を、か」
ベルンハルドとエルヴィラが結ばれるようにと願ったのに全く違う結果となってしまっても不満はない。教会最高責任者がフォルトゥナの起こした祝福の説明をすると場内の空気が温かいものになった。気になってシリウスとシエラを見たら、2人の足下にもしっかりとお互いの色の花が咲いていた。
シエラは瑠璃色、シリウスは金色の花。
気恥ずかしいのか目を合わせようとしないシリウスと照れながら花を見つめるシエラ。何処にも不満な声が上がってないのでファウスティーナの願いは叶えられずとも良かった。
ふと、自分の足下を見てみたファウスティーナだが何も咲いていない。シエルの方には赤い薔薇が咲いていた。
「司祭様の大事な方は赤い髪か瞳の方なのですか?」
好奇心から訊ねると寂しげに「そうだよ」と頷かれた。
「美しい赤髪と青い瞳の、……たった1人の、大事な女性だった」
「……」
愛おしげでありながら、酷く悲しい微笑みなのは、もうその女性は亡くなってしまったか、別の理由で会えなくなっているからか。自分で聞いておきながらどう会話を繋げればいいかと思案していると頭に手が乗った。
「いつか、教えてあげるよ。彼女のことを」
「は。はい」
「ねえ、シエル様」
愉快一色に染まった声色でシエルを呼んだのは、再入場時はタイミングをずらしたヴェレッドだ。ニヤニヤと笑うヴェレッドは「あっち見てみなよ」とある方向を指した。ファウスティーナも気になって見た。
……そして、フォルトゥナはしっかりとファウスティーナの願いを叶えてくれていたと知った。
対面したらきっと正気じゃいられないと危惧し、不安に陥った。いざ目を向けるとああ、と納得しか出来なかった。フォルトゥナはファウスティーナの不安も取り除いてくれたらしい。
赤い花がベルンハルドの周囲に纏わりつくように多数咲いていた。周囲にいるケインやクラウド、ネージュも声を出せずにいて。倒れそうな程顔を青ざめ次々に咲く赤い花を呆然と眺めるベルンハルドが不意に上座へ顔を向けた。
「っ……!」
生気のない瑠璃色の瞳と視線が重なった。
次第に生気を取り戻した瑠璃色が縋るような眼差しを向けてきた。
唯一の汚点と吐き捨てた相手にどうして縋られる。
あの時受けた強烈な痛みがファウスティーナを襲う。ぎゅうっと手を握り締め、堪えろ、堪えろと言い聞かせて。強張る表情を無理矢理和らげた。
笑えているか。
綺麗に笑えているか。
嫌悪しか抱いていない相手の笑みなど、向こうからしたら汚いだけだろうが、最後くらい綺麗と思われたい。
ベルンハルドの元へ近付いた。隣にはやっぱりというかエルヴィラもいた。エルヴィラの足下には何も咲いていない。
痛みを訴える心を強制排除したファウスティーナはベルンハルドが口を開く前に飛び切りの笑顔を見せて言い放った。
「殿下。殿下とエルヴィラ、とってもお似合いでしてよ」
――騒がしさと妙に温かい雰囲気に包まれていたパーティー会場を出たファウスティーナは、急に足が震え座り込んだ。側にいたシエルが横抱きにした。
「大丈夫?」
「は、はいっ」
自分が思っている以上に精神力は削られていた。ベルンハルドを見て、会って。言葉は一方的に掛けただけだが大幅に削られた。
頑張ったね、と微笑まれファウスティーナも微笑み返した。胸の痛みはまだある。ずっと消えてくれないだろう。
ファウスティーナを抱いて歩くシエルの隣に並んだヴェレッドはニヤニヤ顔をやめない。
「すごいね、あれ。あれが女神様が人間の願いを叶えてくれるってやつだ」
「そうだね。あそこまで多数に影響するのは私も初めて見たよ」
「……司祭様」
「どうしたの」
「殿下は……どうして不幸に落とされたような顔をしていたのでしょう……全然……」
ベルンハルドの幸福を願ってフォルトゥナが叶えてくれたのに、当の本人が全く幸福そうに見えなかった。ファウスティーナの言う通り、不幸のドン底に落とされた人間の顔をしていた。
「混乱してただけでしょう?」
ヴェレッドの言う通りだ。初めて見た女神が人の願いを叶えた光景を見て、驚き、自身の想い人の色の花が咲いて混乱していただけだ。
冷静さを取り戻すときっと喜んでくれるに違いない。
「兄上に纏わりつくエルヴィラ嬢そのものだったね」
輝かしい笑みで先程の赤い花をエルヴィラに例えたネージュにケインは苦い顔をした。
「これは貴方の仕業ですか? ネージュ殿下」
「ぼくは知らないよ。君だって分かってる筈だよ。ファウスティーナが来たってところから今までと違うって。ねえ、やっと幸福な終わりを迎えられるんだよ。その為の第一歩って思おうよ」
「俺には、ベルンハルド殿下にだけは祝福じゃなく、呪いのように見えましたが?」
ベルンハルドに絡み付いていた赤い花。あれを見て幸福になれると言うネージュの思考はずっと前から狂っている。
「それは兄上次第だよ。エルヴィラ嬢を受け入れ、好きになったら、呪いは祝福となって兄上は幸福になる。……ケイン、だからね、ぼくに協力してくれるよね?」
「……」




