お似合いでしてよ②
――もしかして……
王国中の貴族が集まるパーティー会場にて。
ずっと不貞腐れたエルヴィラの監視をしつつ、友人と会話をしていたケインは人の隙間を縫うように上座へ行った男性を目にした。王国では他にいない珍しい薔薇色の髪と瞳。シリウスにちょっかいをかけても咎められないその人が来て、更にラリス侯爵夫人と躍り終えるとシエルは小走りに外へ向かった。
今までにない、展開だ。
最初、2度、3度の時はダンスを終えると何度か他の女性とも踊り、終わった機会を見計らってベルンハルドが側に近付いて行く。そしてその時シエルは言うのだ。
『とてもお似合いですよ、貴方達2人が並ぶ姿は』と。
ベルンハルドはすぐ傍にエルヴィラがいると気付けなかった。ファウスティーナがいながら、妹のエルヴィラといた彼を遠回しに非難するのだ。無論、ファウスティーナに謝罪をしたいベルンハルドからしたら、原因の1つであるエルヴィラがいて心底焦っただろう。話をしたかったシエルとは結局何も言えず。ファウスティーナとも会えず。
エルヴィラといる方がお似合いだと、敬愛する叔父に言われ呆然としていた。
4度目の今回もそうなると思っていた。
だが……展開は異なるようだ。
「ケイン? どうかしたの?」
「あ、ああ。何でもないよクラウド」
大きな扉を見つめたまま微動だにしないところを訝しんだクラウドに声を掛けられ、誤魔化すように首を振った。
「ひょっとして司祭様を見ていたのですか?」
紫紺色の瞳を輝かせて聞くのはクラウドの妹ルイーザ。両手を組んでシエルが消えて行った扉を見つめ頬を赤らめた。
「ケイン様のお気持ちよく分かります! 司祭様、とっても綺麗で優しそうで素敵な男性ですものね!」
「あ、ああ……うん……そうだね」
「ルイーザ、ケインを困らせちゃいけない」
「酷いですわ、お兄様! わたくし、司祭様をお慕いする同志としてお話しているのに!」
「同志……」
微妙な顔をするケインの心情をクラウドは察してくれた。彼も微妙な顔で妹を諫める。
子供でも魅力的なシエルの美貌は、当然貴婦人達が放っておかない。ダンスを踊ったラリス侯爵夫人を羨ましげに、嫉妬を含んだ眼差しで睨むも本人は気にせず堂々としている。
彼女がシエルにダンスを申し込んだのは、これも繰り返しているお陰で知ったがファウスティーナについて聞き出していた。
あの子の、ファウスティーナの至高の宝石や花にすら劣らない純美な笑顔は嘗て社交界を騒がせた魔性の令嬢と瓜二つ。その令嬢と友人だった彼女からしたら、ファウスティーナが気になるのも当然で。
どんな会話をしたかは本人達しか知らない。
ちらりと石となっていたものの、夫人が戻ると復活したラリス侯爵と何かを囁いていた。難しい顔をするラリス侯爵。夫人は扇子で口元を隠しているので動きが読めない。
「いいなあ、わたくしがデビュタントを迎えていれば司祭様と踊るチャンスがあったかもしれないのに」
「ルイーザがデビュタントを迎えるまで5年はかかかるからね。その間に婚約者が決まるかもしれないから、今の内に諦めておいたら?」
「嫌です! それなら、司祭様と結婚したいです!」
「はいはい、お馬鹿はここまでにしてね。昨日、マナーレッスンで誉められたばかりでしょう?」
むすうっと頬を膨らませるも「はい」と空気を出して返事をした。誉められたのは嬉しかったようなので、此処で無駄にしたくないのだろう。
「あ、あそこにカテリーナ様が! お兄様、ケイン様。わたくし、カテリーナ様の所へ行きますので失礼します!」
「行ってらっしゃい」
カテリーナはルイーザの親しい友人の1人。綺麗に礼をしてから行ってしまったルイーザがちゃんとカテリーナの所へ行ったのを確認すると、クラウドは苦笑を零した。
「ルイーザは元気過ぎるから、相手にするのが大変だよ」
「そう? エルヴィラにルイーザ嬢を見習ってほしいよ」
惚れやすく、乙女思考の強いルイーザだが公爵令嬢に恥じない振る舞いをし、教養も高い。猪突猛進な気はあるが注意に耳を傾ける柔らかさがあるのでエルヴィラも見習ってほしい。
「ケインも大変だね。でも今日はずっとお友達といるようだけど?」
「殿下達には絶対に近付くなと言い聞かせたからね」
「そっか。ベルもネージュも大変だ」
全くそう思っていないくせにするすると口に出せるクラウドは、でも、と首を傾げた。
「ファウスティーナ様の姿がないのはどうして?」
「ファナは先月から、教会で生活をしているからだよ」
「教会で?」
入場した際、ファウスティーナの姿がないことに周囲から沢山の囁き声を頂いた。また、シトリンの顔にガーゼが貼ってあるせいもある。つい最近、話を聞き付けたリオニーに殴り飛ばされた際の傷が濃く残っているため。本人はジョークを交えて自分の不注意だと怪我をした経緯を話している。
パーティーに行く前、ファウスティーナがいない理由は教会で女神を深く知る為屋敷を離れていると言うようにときつく言い付けられた。エルヴィラも例外じゃない。
クラウドにそう嘘の話をした。そっか、と彼は微笑んだ。
「ルイーザが羨ましがるね。憧れの司祭様と会える時間が増えるから」
「どうだろうね」
「けど、司祭様が来ているならファウスティーナ様も来ているんじゃ……」
「そこは司祭様の判断に任せられているよ。俺もファナが来ているかどうかは知らないから」
「そう」
シエルが外に出て行った。
理由は1つしかない。
ファウスティーナが外にいるのだろう。
行くべきか。行って、何を言うのか。
答えが出ない。
クラウドと会話をしながらも内心逡巡としていると――明るい少年の声がクラウドとケインを呼んだ。2人揃って振り向くとネージュがベルンハルドを連れてこっちへやって来た。紅玉色の瞳が瑠璃色の瞳と重なった。気まずげに逸らされた。
「ぼくと兄上も混ぜて混ぜて」
「いいよ、おいで2人共」
「う、うん……」
「……」
約1ヶ月間、ベルンハルドがどんな気持ちで過ごしていたかは密かに手紙のやり取りをしているネージュが色々と教えてくれる。憶測の域にしか過ぎなくても、4度目ともなると大体把握は可能だ。
ネージュとベルンハルドが来てケインは油断してしまった。
「お兄様!」
絶対に王子に――特にベルンハルドに――近付くなとシトリンから今回ばかりは厳重に言い付けられたエルヴィラが嬉々とした様子で来る。一気にケインの周囲の温度が下がっていく。
ヒヤリとした冷気を感じ取り、目を剥くクラウドは反射的に声を掛けた。エルヴィラがベルンハルドとネージュの2人が来た途端近付いて来るせいだとは彼も分かる。
「わたしもお兄様達の輪に混ぜてくださいませ!」
王子に近付くのは駄目でも、兄に近付くのは駄目じゃない。普段頭を使わないくせにこういう時だけ使うのか。盛大な溜め息を吐きたくなりつつ、場の空気を悪くしては台無しだと自制心を強くした。氷点下に達した空気を元に戻し、輪に混ぜてと言いながらベルンハルドの隣をキープするエルヴィラを無感情な瞳で見た。
ケインが怒っていると分からない程鈍感じゃないエルヴィラは若干瞳を潤ませた。ケインはチラリとベルンハルドを見た。彼もケインを見ていたようで目が合った。ビクリと肩を跳ねさせた。事情を知らないクラウドはケインとエルヴィラを交互に見、ネージュは不穏な空気に困っている。
「輪に混ぜてって、さっきまでずっとリナ嬢と話していたんだ。無理にこっちに来なくてもいいよ」
「い、いいではありませんか! 丁度、リナ様とはお話が終わったのです!」
「へえ? 殿下達が来た瞬間にこっちに来たのは、ずっと機会を窺っていたんじゃないの?」
「まあまあ、ケイン」
声色は妹に向けるものとは思えない冷たさがあった。言い訳したら更に正論で詰められ何も言えなくなり、瞳の潤みが強くなったエルヴィラに助け船を出したのはクラウドだった。
……その間、ベルンハルドは行き場のない子供みたいに視線を下へ落としていた。
「そう怒るものじゃないよ。王族に憧れを抱くのは仕方ないよ。ベルとネージュは陛下と王妃殿下譲りの容姿だから。夢くらい見させてあげなよ」
「え……」
自分の味方になってくれると信じたエルヴィラの表情が嬉しさから青へと変わった。
「ファウスティーナ様はベルの婚約者だから、エルヴィラ様もつい親近感が湧いてしまっただけなんじゃない?」
「はしたないから止めなさいって何度言っても耳を傾けないから、こっちもきつく言わないといけないんだ」
「まあまあ。身内の婚約者が王族だと馴れ馴れしくなっちゃうのもある意味じゃ仕方ない。ルイーザにもよくフワーリン家の屋敷だったらいいけど、外ではちゃんと敬語を使いなさいと口酸っぱく言い付けてるんだ」
「ルイーザ嬢は従兄弟だからまだいいと思うけど」
「従兄弟の関係に甘えて礼儀を忘れるのは頂けない。普段の頑張りが無駄になる」
「今年の信仰教育じゃ、積極的に司祭様に話を聞きに行っていたって言ってなかった?」
「ああ……誕生日にしか司祭様に会えないから舞い上がってね。勉強熱心だねって誉めてもらったってとても喜んでいたよ」
教会行事で行われる1つに、毎年10歳になる子供を集めてラ・ルオータ・デッラ教会では、運命の女神フォルトゥナと魅力と愛の女神リンナモラートを深く知る為の信仰教育を司祭直々に教わるのだ。教会の最高責任者を務めるのが代々王族関係者であり、この時に現在の司祭が王弟である話を聞かされて知る子が殆どだ。ケインのように教会と深い関係の家の子は、もっと早くから教えられている場合もある。
ファウスティーナはこの行事で教わった。女神の生まれ変わりでありながらも、教会とは必要時以外極力関わりを持たせないようにされていたせいである。
「誰にだって失敗はある。1度や2度くらい、見逃してあげなよ」
「……これが1度や2度程度なら俺もここまで言わないよ」
今度はエルヴィラがビクリと震えた。
ベルンハルドとファウスティーナが顔合わせをした4年間、彼が来ると必ず2人のいる部屋へ行ってファウスティーナに無理矢理追い出され、泣いているところを追い掛けてきたベルンハルドに慰められた。
両親や兄、果ては執事長達に何度も言われたのに止めなかった。
1度や2度では済まされない。
エルヴィラの震えが強くなってきた。そこへ、ずっと黙っていたベルンハルドがケインを呼んだ。安堵の表情を浮かべたエルヴィラを見ても何も抱かないケインは極力視界に入れないようにし、些か顔色の悪いベルンハルドへ向いた。
「ファウスティーナは……来ていないのか」
「……」
ファウスティーナの名前を出したベルンハルドを呆然とした様子で見つめるエルヴィラは放っておき、何も聞かされていないと答えた。そうか、と俯いた時。
会場が急に煩くなった。彼等は一斉に周囲の人々が注目している方向へ目をやった。
――やっぱり……か……
入場のアナウンスはきっと無しにしてと頼んだのだろう。
先程外へ出て行ったシエルが少女の手を引いて会場に再び入った。
「陛下と王妃殿下にご挨拶をしたら、すぐに帰ろうね」
「はい」
いつもだったら、教会に保護されたファウスティーナと会えたのは半年以上先だった。屋敷にいた時以上に生き生きとし、決して表情を曇らせることなく過ごす姿を見てどれだけ安心したか。
シエルを信頼しきった微笑みは、この場で誰よりも欲している相手には向けられない。
好きな色のドレスを着て、空色の髪には小さなアメジストが散りばめられたカチューシャを着けて、心の底から楽しいと感じられる笑顔を見られて……今までと違うのに、今まででは抱けなかった大きな安心感を得られた。
シエルにエスコートされて上座へと行くファウスティーナと一瞬目が合った。ケインに微笑んだファウスティーナはすぐに目を逸らした。たった一瞬だけでも、ファウスティーナの声が届いた気がした。
私はもう大丈夫です。
と。
読んでいただきありがとうございます。




