通行の邪魔
フリューリング侯爵家の異国情緒溢れる赤煉瓦の屋敷は何度思い出しても圧倒される。白亜の屋敷が特徴なフワーリン家の穏和と清廉さとは異なる、情熱的でありながら凛とした佇まいは、屋敷の主人を表している。
平民街から貴族街に入る際は、門番に通行証を見せないと入られない。事前にシエルから渡されていた通行書を門番に見せ、問題がないと判断されたファウスティーナとヴェレッドは貴族街に入った。一歩足を踏み入れた瞬間から世界が変わる。
先王は積極的に平民の生活改善を目指したと聞いた。整理された平民街の道路でも貴族街と比べると差は明らかだった。美しい道には細かな塵1つとして落ちていない。
女性好きが無ければ完璧な王と名高い先王。ふと、ファウスティーナは手を繋いで歩くヴェレッドを見上げた。視線に気付いて一瞥をくれた。
彼の空いている手には、お祭り限定の出店で買った品が入った紙袋が握られている。
「なに」
「あ、うん……ヴェレッド様の髪や瞳の色はこの国では珍しいなって思って」
「ああ、そんなこと。この国にはない色だからね」
「司祭様がヴェレッドは貧民街の元孤児だと言っておられましたが家族の方は覚えていますか?」
「家族、ねえ……」
酷薄な微笑を前を向きながら浮かべられ、しまったと反省した。安易に人の過去を詮索していいものじゃない。咄嗟に謝ろうとするがいつもの微笑に戻った。
「いるにはいるよ。半分だけ、血の繋がったのが2人」
「そ、その人達は今……」
「内緒だよ。そこまで教える義理ある?」
「な、ないです……」
「じゃあ、この話はおしまい」
「はい……」
これからは安易な話はしないようにしよう、と決めた。
半分だけ、ということは父親か母親のどちらかが違うということなのだろう。彼の容姿からするにどちらか、はたまた両方か、非常に見目麗しい人だったのだけは確実だ。
爵位が高位になる程、屋敷は街の上になる。目指しているフリューリング侯爵邸は貴族街から歩いていくとかなりの時間がかかる。空が段々朱色に染まり出した。
「途中で馬車を拾えば良かったかな。ふあ……」
「でも、こうやって門から歩いて向かうのは楽しいです」
「そう?」
「はい。自分の足で行けるっていうのが」
移動は常に馬車だった。歩いて何処かへ行くという行為は建物内や限られた場所だけだったファウスティーナにしたら、長距離を歩くという行為が新鮮そのものだった。
疲れている様子もないので強がりはしていない。もう1度、そう、とヴェレッドは返事をした。
後方から馬車の走る音を拾い、端に寄ったヴェレッドに引っ張られる形でファウスティーナも寄った。通り過ぎる間際見えた家紋に、1人は顔をぎょっとし、1人は吹き出した。
が、馬車は2人より先に行った所で停車した。御者は降り、扉を開けた。
中から慌てた様子のリュドミーラが降りてきた。
中心街の広場で繰り広げた母娘劇場が今度は人通りが少ないとは言え貴族街で観られるとヴェレッドは愉快そうに見つめ。対して、間も空かずの再会を果たしたファウスティーナは運命の女神に怒りたくなった。運勢を上げる女神のお守りも買ったのに全く効果がない、と。
「ファウスティーナ、歩いて屋敷に戻ろうとしていたの? 何故馬車を使わないのです。他の方に見られれば、我が公爵家は子に馬車を使わせないと思われるではありませんか」
馬車の方から使用人が呼び止めるも小走りで駆け付けたリュドミーラが発したのがこれだ。態々小言を言う為に馬車を停車させ降りてきた。
王妃シエラに何度も注意された。ファウスティーナは顔に出やすい、淑女の、王太子妃としての仮面を常に貼り続けなさい、仮面を剥がしていいのは心休まる休息の時だけ、と。厳しい王妃教育の賜物か、顔に出そうになった感情は直前で押し込めた。
「ご安心くださいお母様。私は公爵家に向かっている訳ではありません。フリューリング侯爵邸に向かっております。馬車は先にフリューリング邸に向かわせました。私が徒歩で行きたいという要望をこの方の同伴で受け入れてくださいました」
「フリューリング侯爵家に……? 何故フリューリング侯爵家なのですっ、貴女は我がヴィトケンシュタイン公爵家の娘です。戻る家を間違えないで」
「あのさ」
ファウスティーナが何を言ってもリュドミーラは更に倍にして言い返す。本人は勿論、姿と身分を偽って公爵家の執事をして内情を知るヴェレッドはファウスティーナが口を開く前に介入した。突然割って入られ、不快な態度を隠そうともしないリュドミーラに吹き出しそうになりながらも堪えた。
「お嬢様にフリューリング家に向かえって指示したのは王弟殿下だよ。この意味、公爵夫人なら分かるよね?」
「っ……」
広場で末娘のエルヴィラが王弟が誰か知らないと判明した直後での王弟殿下呼び。明らかな挑発に歪みそうになる顔がまた面白い。しかしそこは高位貴族の夫人。
「……王弟殿下のご命令とあらば、仕方ありません。しかし、余計ファウスティーナを歩かせる意味が分かりません」
「へえ? まあ、当然か。シエル様はお嬢様の意思を尊重されるから、自分の理想を押し付けるだけの公爵夫人とは考え方が違う。お嬢様の望みは何でも叶えてあげたいんだ、シエル様は」
「っ、それでは私が、ファウスティーナの願いを何1つ叶えていないような言い方ではありませんか!」
……はい? とファウスティーナは母に言いたくなった。覚えている限りでは、対峙する母がファウスティーナの要望を聞き入れてくれた回数は……ゼロではないかもしれないが殆どない。
「お母様は……エルヴィラと勘違いしておりませんか?」
「な……何を言っているの……!」
するりと思った感想をそのまま述べてしまい、あ、と思うも時遅し。しっかりファウスティーナの声を聞いたリュドミーラが次の言葉を発する前に――……後方から別の馬車が近付いて来る。横に逸れて通り過ぎれるのに馬車は些か距離を空けて停車した。
馬車の扉が開いた。
最初に映ったのは、炎のような赤い髪。
「あ」と漏らしたファウスティーナは、馬車から降りた人物をよく知っている。リュドミーラも知っている、知っているからこそ動揺した。
高いヒール付きのブーツを履いた身長は一般女性よりも更に高く。
女性でありながら、黒を基調とした金の刺繍が入れられた騎士の礼服に身を包んだ姿は、最後の1本となっても気高く咲き続ける薔薇。
長さは腰まである髪を青いリボンで緩く縛って大型犬の尻尾のように垂らす可愛い髪型なのに、キツい目付きを更に増幅させる化粧のせいで女性自身に可愛さはない。
ファウスティーナ達の所へ来た女性は、ファウスティーナ、ヴェレッド、リュドミーラの順に視線を移し、最後に前方に停車されている馬車へ目をやった。御者が気まずげな様子で此方を伺っている。
女性はファウスティーナにだけ再度一瞥をくれると、正面にいるリュドミーラを見据えた。
若干顔を青ざめるリュドミーラに向かってこう、言い放った。
「通行の妨げだ。さっさと戻り屋敷へ帰れ」と。
女性――リオニー=フリューリングが発した声は淡々としていながら、一切の拒否権は与えないと威圧を与えた。
ヴィトケンシュタイン公爵家の馬車内にて、紅玉色の瞳から涙が零れ落ちそうなエルヴィラは買ってもらったウサギのぬいぐるみを抱き締めていた。母がファウスティーナの姿を発見するとすぐに御者に停車するよう声を飛ばし、慌てて出て行った。待っても戻らない母に痺れを切らしても同行している使用人達が止めるので出て行けない。
早く屋敷に戻って今日の為に用意したドレスに着替え、王城に行ってベルンハルドに会いたい。会って、一段と可愛くなった自分を見てほしいのに。
毎年、この日は屋敷にいるのだが今年は気分転換をしましょうと母に誘われた。兄と父とは別行動で、各々で屋敷に戻る予定となっている。
ケインは古書店を中心に回りたいと言っていたから、自然とエルヴィラに付き添うのはリュドミーラとなった。
中心街の広場でファウスティーナを見つけたのは偶然だった。母が使用人とエルヴィラが欲しいと強請ったジュースを買っている間、他の使用人と待っていたエルヴィラは広場のベンチに座るファウスティーナを発見すると駆け出した。
狡い。ファウスティーナが教会に保護された日から、家は大変なことになっているのに、1人呑気にお祭りを満喫しているとは何事か。それに、だ。ファウスティーナの隣には見知らぬとんでもない美貌の男性がいた。王国ではまずいない薔薇色の髪と瞳の男性と親しげに会話を交わすファウスティーナは酷い。ベルンハルドという素敵な婚約者がいるのに。エルヴィラでは、なりたくても王太子の婚約者になれない。ファウスティーナが教会に保護されてすぐ、ベルンハルドに好かれているのは自分だと堂々と両親に訴えたら、逆に叱られた。普段エルヴィラを叱らないリュドミーラにも困った顔で諭すように言われた。
王太子殿下はファウスティーナの婚約者。あくまでエルヴィラは妹だから仲良くしてもらってるだけ、と。
酷い、酷いと泣きわめいた。ベルンハルドはファウスティーナには嫌そうな顔をしても、エルヴィラには常に好意的な態度で接してくれた。それを妹だから、と決めつけたお父様やお母様は酷いと騒いだ。
泣いて、叫んでも……教会に保護されたファウスティーナは王太子の婚約者のままだと説得された時は運命の女神を呪った。
どうして嫌われているファウスティーナが隣にいれて、好かれている自分がいられないのか。
それもこれも全部、女神の生まれ変わりという特別な理由で婚約者に選ばれたファウスティーナのせいだ。ファウスティーナが女神の生まれ変わりではなく、自分や兄と同じように母の色を受け継いでいたらきっと……。
ウサギのぬいぐるみを抱く力を強めたエルヴィラの瞳からとうとう涙が零れた。
使用人に慰められても嬉しくない。慰めてくれるのならベルンハルドがいい。
広場で王弟殿下を知らないと言い切った時、ファウスティーナと男性は絶句した。何故絶句されたのか分からなかったが、自分を探していたリュドミーラが駆け付けた後、王弟は教会の司祭のことだと教えられた。また、どうして王弟を知らないのかと問われても答えられなかった。
今まで勉強から逃げてきたツケがあの場になって回ってきた。
エルヴィラが泣き止むと、これからは勉強の方に力を入れましょうと言われ、咄嗟に泣きつくも王弟を知らない事実が発覚した以上、もう今までのように甘くは出来ないと首を振られた。
母しかエルヴィラが逃げる居場所はなかった。父は子供達に対し平等だし、努力する兄ケインやファウスティーナには甘い傾向があるのでエルヴィラの味方にはなってくれない。ケインに関しては遊び相手になってもらおうと部屋を訪れても、マナーがなってないと追い出される始末。家族なのに。
ファウスティーナがいなくなってから何も良いことがない。つい最近には、父の親戚であるリオニーが前触れもなく訪れ、父を殴り飛ばしたと聞いた。当時エルヴィラは部屋でピアノのレッスンを受けていたので全て後から聞いた。母も殴られそうになったらしいが父が必死に庇ったと聞く。
エルヴィラが知る人の中で最も怖い相手、それがリオニー。親戚だろうと相手は自分よりも立場は上の公爵。その相手を殴るなんて不敬だと思うも、いざ会ったら恐怖が勝って震えるしかなかった。ケインは普通にお久しぶりです、と挨拶をしていた。
昔からそうだ。ケインやファウスティーナには甘いくせにエルヴィラにはキツい人だった。
すぐに泣くな、堂々としろ、楽な方に逃げるな、と説教しかしない。
今朝、夜に開かれる建国記念パーティーでは、絶対に王族に近付かないことと念を押された。折角ベルンハルドに会える機会なのに。
だが、彼ならエルヴィラの所に来てくれる。いつもより一段と可愛くなった自分の姿を見たら、見惚れて来るに違いない。
「お、奥様」
「!」
リュドミーラが馬車に戻った。悄然としたリュドミーラにどう声を掛けたら良いか分からず。
「馬車を出してちょうだい……」
リュドミーラが弱々しい声で御者に伝えた。
馬車は走り出した。
「お母様……どうされたのです? お姉様は?」
「途中、リオニー様がいらっしゃってフリューリング家に行くと」
「リオニー様の所に、ですか?」
「ええ……。……あ、屋敷に戻ったらすぐに着替えましょう。この後、パーティーがありますもの」
「はい!」
案じてくれるエルヴィラに気を遣わせまいとリュドミーラは話題を切り換え、パーティーの言葉が出てすぐに笑顔になったエルヴィラに安堵した。
古書店巡りをしているケインとシトリン
「ケイン、そろそろ戻ろう」
「はい、父上」
「今年は良いのがあったかい?」
「俺個人としては、特に。ただ、リュンにいいお土産が出来ました」
「ああ、ケインが最初の古書店で見つけた“穴ほり名豚・子豚のピギーちゃん”全巻セットだね」
「リュンは子豚が好きなので。俺には何がいいかよく分かりませんが」
「はは。人の好き嫌いは他人には分からないからね」
「父上は何を買ったのですか?」
「僕は動物図鑑と“元気一杯・コールダックのダックちゃん”を買ったよ。ファナに贈ろうと思ってね」
「ファナはファナでコールダックが好きでしたね。あれも俺には良さが分からない」
自分が読む本だけは自分で持ち、紙袋に入れてもらったリュンのお土産はシトリンが持ってくれている。
馬車の停留所まで行きながら、この後向かう建国記念パーティーは慎重に状況を見ようと考える。
ネージュは今までと違い、積極的にベルンハルドとエルヴィラを結ばせようとすると、届いた手紙に書いていた。ケイン自身は……どうしても、了承出来なかった。
知ってしまっているから。今夜のパーティー以降でベルンハルドのファウスティーナに対する執着は一気に急上昇する。そして、ファウスティーナのベルンハルドに対する態度もがらりと変わると。何を言っても意地を張り、いざ面と向かってもファウスティーナがベルンハルドをエルヴィラの方へ誘導するから余計お互いの態度は頑なになり。
最後まで2人の気持ちが交わることはなかった。
毎回シエルの配慮でファウスティーナは欠席するが、今回はどうなることか。




