喜劇、後、第2王子
中心街の広場にあるベンチに座って気になった出店の品を食べきったファウスティーナとヴェレッド。
「ふああ…………はあ。ねえ、次はどこ並ぶの?」
「え、えーっと……」
キュウリのスティック、クッキー、ポルボロン、マカロン、ドーナツ、バームクーヘン、更にピザも食べたのにまだ他の出店に並ぶ気でいるヴェレッドに食いしん坊なファウスティーナも度肝を抜かれた。ファウスティーナも上記の品は全て食べた。ただ、夜に開かれるパーティー出席の為食べ過ぎは駄目ということで、1枚だったり半分こにした。満腹になったお腹を擦った。
「きゅ、休憩でもいいですか?」
「うん。いいよ。俺も眠くなってきた……」
眠そうに欠伸を繰り返すヴェレッドの寝不足の原因は夜更かしだとシエルは言っていたが、彼曰く夜更かしをしたのはシエルのせいらしい。何をしていたかを問うと欠伸をされて終わり。
ヴェレッドがうとうとしだした。厚着をしていても、寒い外で寝るのは風邪を引いてしまう。眠気を飛ばす食べ物はないかと周辺に視線を回した。
時だった。
「お姉様!」
約1ヶ月振り以上に知っている声がした。反射的に隣の彼の手を握ってしまった。咄嗟に離そうとしたが逆に握られてしまった。隣を見ると眠そうな顔は何処へ……愉快だと口が笑っていた。
もう1度呼ばれたファウスティーナは覚悟を決めて正面を向いた。
白いリボンで髪をお気に入りのハーフツインにし、フリルが豊富なピンク色のドレスを着たエルヴィラが怒気に染まった表情でファウスティーナを睨んでいた。さっと周囲を見るが使用人や母の姿はない。
頬を膨らませたまま、ベンチに座るファウスティーナ達に近付いたエルヴィラは大声を上げた。
「お姉様の我が儘のせいで皆迷惑しているのですよ!? それなのに、呑気にお祭りにだけ出てくるなんて!」
「ぷっ」
「な、なんですかあなた!」
エルヴィラのあんまりな言い草に固まったファウスティーナに代わって、否、ただ堪える気のなかったヴェレッドが吹き出した。馬鹿にされたとエルヴィラは顔を真っ赤にした。
「うん? うん。王弟殿下の命令でお嬢様のお世話を任された。今日だけね」
「王弟殿下? 誰のことです」
「は?」
「え?」
は? はヴェレッド。
え? はファウスティーナ。
2人は同時に発し、顔を見合わせ、何度も瞬きを繰り返した。
王弟を知らない? 今時、幼い子供でも知っている。10歳にもなった貴族の娘が知ってて当たり前の常識を知らない。
それが余計馬鹿にされていると思ったエルヴィラは大きな紅玉色の瞳からぼろぼろと雫を溢れさせた。
「――エルヴィラ!」
恐らくエルヴィラの高い声を聞いて駆け付けたのだろう。毎年屋敷に残るのに今年はお祭りに参加したらしいリュドミーラが慌てた様子でやって来た。未だエルヴィラの問題発言から固まったままのファウスティーナとヴェレッドだったが、リュドミーラの登場で我に返った。
リュドミーラに泣きながらファウスティーナを指差したエルヴィラ。ファウスティーナがいるとやっと知ったリュドミーラは一瞬安堵した顔を浮かべるも、すぐに怒りの形相に変えた。
……ああ、解りきっていたのに失望する自分がいる。
「ファウスティーナ、これはどういうことです。何故エルヴィラはこんなにも泣いているのです。お母様やお父様、ケインがファウスティーナのことをどれだけ心配していたと思っているの? なのに、外に出て来たかと思えばこうやってエルヴィラを泣かせるなんてっ」
「……」
体調が安定して、父や兄にだけ手紙を出して正解だった。また、兄ケインにお母様は私がいない方が穏やかではありませんかと書いて正解だった。それについての返事がなかったのは、つまり、そういうことで。
母にとって、違う場所で泣き叫んだ挙げ句教会に保護されるという家に恥をかかせた姉よりも、無力で意地悪な姉に泣かされる妹が可愛いのだろう。
今更、エルヴィラを泣かせていない、泣いた理由が王弟が誰か知らないエルヴィラに驚いて2人揃って言葉を失っただけと説明しても、母の耳には届かない。
拘りを捨てて良かった。微かに残っていた期待も、今この時を以て消え去った。
しかし、下手に刺激するとリュドミーラは更に怒鳴り、エルヴィラは泣きわめく。最初のエルヴィラの大声で人の視線が集中している。貴族の母と娘対貴族の男性と少女の構図はどちらに分があるか不明だが、ずっと晒し者になるのも痛い。
「ぷ……あ、あっはははははははははっ!!」
何か、2人を刺激しない言葉はないかと急速に思考回路を働かせたファウスティーナ。突如として響いた高笑いに仰天した。見れば、お腹を丸めて左手で顔を覆っていた。あんぐりと口を開けてヴェレッドを呆然と見ていると多少の落ち着きを取り戻した彼は背筋を伸ばした。
リュドミーラやエルヴィラだけではなく、周囲の人々も突然高笑いしたヴェレッドに引いていた。
「あ~おっかしいぃ。無料で、しかも特等席で喜劇が見れるなんて最高だよ」
「な、なんですって!?」
大事なエルヴィラがファウスティーナに泣かされ母として必要な説教をしていたリュドミーラにしたら、訳も分からない若い男がファウスティーナの隣にいて、しかも喜劇だと侮辱した。激昂せずにはいられなかったのだろう。ヴェレッドは触れれば血が流れる鋭利な刃の気配を纏った視線を投げつけた。ひっ、と短い悲鳴を上げたリュドミーラはエルヴィラを強く抱き締めた。哀れになるほど、顔は真っ青になっていた。
「ありがとう、お陰で眠気は吹き飛んだ。さてと、行こっかお嬢様」
「え」
リュドミーラからファウスティーナに顔を向けたヴェレッドは普段に戻り。ファウスティーナの小さな手を取ってベンチから立った。震えてエルヴィラを抱き締めるしか出来ないリュドミーラ達の横に来た。
「ま……待ちなさい……っ」
体と同じく声も震えていた。
「ファ、ファウスティーナ、家に戻って来なさいっ、皆貴女を…………」
「……ねえ、お嬢様は、どうせ自分が言ったってあんたが信じてくれないから言わないだけ。そこの子が泣いたのはね、王弟殿下が誰か知らないって言って俺とお嬢様が絶句したからだよ」
「……え……」
ヴェレッドから告げられた真実に青ざめたままリュドミーラは、抱き締めているエルヴィラに呆然として訊ねた。事実を暴露され、母に問われたエルヴィラは焦りの相貌で両者を見比べ、何故かファウスティーナを指差した。
関わっていられないとヴェレッドはファウスティーナを抱き上げ、背後から投げられる怒声や泣き声から遠ざかるように素早い動きで広場を出た。
飲食店が多く集中していた広場から離れた土産物エリアに来て漸くファウスティーナは降ろされた。
「はあ……」
「あ、あの、申し訳ありませんでした」
「お嬢様謝ることした?」
「その……お母様と妹の、その……」
「でもさ、俺が言ったの当たってるでしょう?」
力なく頷いた。そう思ったから他の言葉を探した。
「にしても、話には聞いてたけど強烈だね、公爵夫人と妹君。見た目は公爵夫人に似た兄君の頭の出来の良さは奇跡の産物だね」
他人に言われなくてもケインの賢さは、ずっと一緒に暮らしていたファウスティーナがよく知っている。家庭教師を言い負かした時の姿はちょっと怖かった。
「結構歩いたから追い付くのは無理。まあ、あの妹君の様子からして、追い掛けるのは無理だろうね。今頃公爵夫人にいい加減なこと言って泣き付いてるだろうし」
エルヴィラの性格をよく理解しているヴェレッドを怪訝に見上げたら「簡単だよ」と心を読まれた。
「ああいう、他人は自分の言うことを絶対に信じてくれるって思ってる人間は、相手を見るんだ。この人なら信じてくれる、この人は信じてくれない、ってね」
「……そんなズル賢い真似をする頭があるなら、勉強をする頭もあるんじゃ……」
「さあ? 興味ない」
屋敷で暮らしていた日々を思い出すがエルヴィラが家庭教師とまともに勉強していた日は、ファウスティーナが知っている限りではない。得意なピアノのレッスンは真面目に受けていた筈だが、他は面倒だったり嫌だったりするとすぐにリュドミーラを味方にして放棄する。父が何度もリュドミーラやエルヴィラ本人に注意をしても効果なし。
エルヴィラは普通の子、ケインやファウスティーナとは違う。とは、リュドミーラの口癖。
思い出したように言うとヴェレッドは吹き出した。本日2回目である。
手を繋がれ、歩き始めた。
「それってさ、公爵夫人自身が末の娘は“無能”だって認めてるようなものじゃん」
「それは言い過ぎじゃあ……」
「お嬢様や兄君の出来の良さは、まあ、何割かは本人の才能もあるけど、殆どは努力で得たものでしょう?」
「……」
時に他国の言語や文字を覚えようと音読や文字を紙いっぱいに書いたり。
時に今日覚えた内容を忘れないように夜遅くまで教科書や参考書、更に問題集を睨んで繰り返し問題を解いたり。
時に内容が分からなくなった時は、多少の恥を捨てて何でも質問したり。
リュドミーラが求めるヴィトケンシュタイン公爵家の長女として、未来の王太子妃として、使える時間は全て目標に費やした。
ファウスティーナだってエルヴィラがしていたようにリュドミーラとお茶をしたかった、母と娘らしい会話をしたかった、時に出掛ける時連れて行ってほしかった。
軽く引っ張られるように歩いていたヴェレッドが足を止めた。
俯くファウスティーナの足下に水玉模様が広がっていく。止めようにも止まらない。視界に靴が入った。伸ばされた手が頬を包み、顔を上げられた。
不敵に笑う美しい顔が眼前にあってドキリとした。
「泣いていたら、シエル様が心配するよ?」
「……うんっ」
「でもまあ、泣いたままでもいいけどね」
「え?」
「そうしたら、俺がこう説明してあげる。公爵夫人と妹君に絡まれてお嬢様は心身共に疲弊したって、さ。シエル様が承諾するまで静養ってことで公爵家に戻らなくて済むし、王太子様の婚約者からも外される可能性も大きくなる」
「!」
「さっきの妹君を見て、あの場に王太子様がいたらどう行動したと思う?」
態々聞かれなくても安易に想像出来る。エルヴィラを庇い、ファウスティーナの弁解も聞かず一方的に糾弾するだけ。リュドミーラと全く同じだ。
力強く言い切ると3度目の吹き出しを頂いた。
「はは。そうそう、その調子」
袖で涙を拭かれた。手を繋ぎ直すとゆっくりだがまた歩き始めた。
「歩き続けていたら、その内涙も止まるよ。この辺は食べ物関係の出店はないけど掘り出し物を探すならうってつけだよ」
「うんっ、じゃあ色々見ていい?」
「どうぞ。あ、お金とか気にしなくていいからね?」
「うん!」
広場で色々な食べ物を買ったのだ、今更お金の心配はしていない。
興味惹かれる物が多くて色々な方向に目移りするファウスティーナは至高の微笑みをヴェレッドに浮かべた。
……この微笑みをファウスティーナを嫌っている王太子が欲していると、知っていても彼は何も言わない。庇護の対象を見守る保護者の瞳で微笑み返した。
*ー*ー*ー*ー*
王城内にて。
「ま、待って……ッ」
話を終えたシエルが必死に追い掛ける騎士やマイムに目もくれず外に向かっていると、違う方向から自分を呼び止める声を拾った。シエルが止まると彼――ネージュは走り止まり膝に手を置いて荒い呼吸を繰り返した。10歳になると段々体が良くなったといえど、まだまだ無理をしてはならないネージュがシエルを呼び止める為に走ったのだ。ベルンハルドの件があり、王族に対し更に感情を消していく彼でも病弱な甥っ子は心配になる。
それに、だ。ネージュはファウスティーナと仲が良いと聞く上、ベルンハルドに邪険にされ泣いているあの子を慰めていたのも彼と聞く。
息を整えるネージュの前で膝を折った。
「ゆっくり息を吸って吐きなさい」
「叔父上、まだ、いてくれる?」
「いるから、私の言った通りに」
「うんっ」
すー、はー……
ゆっくりと息を吸って、吐いてを繰り返すネージュ。荒くなった呼吸も落ち着き、最後にふうーと深く息を吐き出した。
「落ち着いた?」
「はい、叔父上」
「殿下っ!」
ネージュが走って来た方向から、侍女ラピスが血相を変えてやって来た。
「急に走り出すなんてお止めください! 今日はまだお体の調子が良かったとはいえ……」
「ごめんねラピス。叔父上が来てるって聞いて、急いで行かなきゃ会えないって思って……」
父とシエルの仲の悪さは王子達も知っている。登城要請を送っても拒否の返事しか送らないシエルが珍しく登城したのだ。今日は建国祭。夜には記念パーティーがある。毎年助祭が代行で出席していた。
母に叱られた時のように俯きげに自分を見上げるネージュへ微笑みを向けた。
「そう。だが、無理はいけない。君に何かあっては皆悲しむ」
「うん……けど、どうしても叔父上に会いたくて」
「私に? 何かあったかな」
「うーんと……」
話したがっているが周囲に目をやって口の開閉を繰り返すネージュ。人目を気にしているらしい甥っ子の為にマイム達を下がらせ、道の端に寄ったシエルは再度ネージュと目線を合わせた。
「これなら、少しは話せるようになるだろう」
「ありがとう、叔父上。……あのね」
人払いを気にしても周囲を気にしつつ、シエルの耳元であることをネージュは囁いた。
「……僕、ファウスティーナ嬢が泣いていた原因は兄上だと思ってるんだ。いつも会いに来てくれるファウスティーナ嬢に酷いことしか言わないもん」
「……そう。ファウスティーナ様からは、詳しい話はまだ聞いていない。彼女の心が不安定になってはいけないから、彼女自身が話してくれるのを待っているんだ」
「そう、なんだ……。本当に兄上が原因かは分からないけどね、やらかしたのは確かなんだ」
「どうしてそう思うの?」
「ファウスティーナ嬢が叔父上に保護されたって聞いた日から、父上と母上の兄上を見る目が厳しいんだ。僕でも分かる。兄上が父上と母上をとても怒らせたって」
「……」
「僕が聞いても誰も教えてくれないけどね……」
病弱な第2王子は周囲に、特に家族に過保護な程心配されている。体調が安定して元気な日でも常に心配される。嬉しくもあるそうだがそろそろ信じてほしいという気持ちがあるそうだ。
第2王子だからか、体の弱い弟だからか。両親と兄の間に何かがあったのに自分だけ蚊帳の外に置かれネージュも嫌なのだ。
事情を詳細に知る叔父を頼って知りたがっている。気まずげに左右の人差し指をくっつけては離すを繰り返すネージュの蜂蜜色の頭に手を置いた。
「君がもう少し大きくなって健康になったら話してくれるようになるさ。その為には、きちんと朝昼晩処方された薬をしっかりと飲むんだ」
「……苦いし、まずいし、飲みたくないけど、飲まないと母上に怒られるし父上や兄上が心配するから頑張る」
「そうそう。今の内に味に慣れれば、大人になったら簡単に飲めるようになる」
「あまり嬉しくない。……そうだ、叔父上。ファウスティーナ嬢は今日の記念パーティーに出席するの?」
フリューリング侯爵邸に戻ったファウスティーナを確認次第、だが今は敢えてはぐらかした。それ以上聞かず、そっかと納得したネージュはあ、と思い出したように訊ねてきた。
「聞きにくいんだけどね……ファウスティーナ嬢は、このまま兄上の婚約者のままでいられる? 僕としたら、ファウスティーナ嬢の努力が無駄になるし……兄上のことが好きなファウスティーナ嬢が婚約者から外れるのは嫌だけど……難しいよね?」
「……かもしれないね」
「……じゃあ、ファウスティーナ嬢の代わりの兄上の婚約者はエルヴィラ嬢になっちゃうかもしれないね。だって、兄上はエルヴィラ嬢が可愛くて大好きみたいだから」
ファウスティーナ本人から聞くよりも、身内の言葉だと更に現実味が増し、相応の重さがあった。
ベルンハルドが如何にエルヴィラが大事かを悲しそうに語られ、最後にネージュはこう紡いだ。
「けど、応援しなきゃいけないよね。だって、初めて会った時から兄上はエルヴィラ嬢が気になって仕方なかったみたいだし。ひょっとしたら、2人は“運命”で結ばれているかもしれないね」
言いたいことを最後まで言えたネージュはシエルと別れ、ラピスに部屋まで強制送還された。別れる間際、無理をして回りは困らせないように、と額にデコピンを食らった。初めての仕打ちに固まるもすぐに拗ねた顔をした。そのままの顔で部屋に戻されたネージュは大人しくベッドに倒れた。
ラピスには出ていてもらっている。
「ふう……ふふ。これで十分。後は今夜のパーティー次第。ファウスティーナは今までの3回とも、叔父上が配慮して来させなかったけど今回はどうだろう? 父上がヴィトケンシュタイン公爵邸に行ってファウスティーナが叔父上に保護されたって言いに行くくらいだ……展開が変わる可能性もある。ちゃんと気を張らないとね」
――ねえ、…………。
しかし、思うことが1つある。
「……苦い薬だけは、大人になっても慣れないよ。だって人生を4回繰り返しても全然慣れないんだから」




