黄と青と赤
約2時間かけて王都に到着したファウスティーナ達を乗せた馬車は入口の巨大な門の前で停車した。検問が敷かれていた道中、乗せているのが王弟とヴィトケンシュタイン公爵令嬢と伝えると王都に到着したら必ず一旦待っていてほしいと兵士に伝えられた。既に“建国祭”は始まっており、開かれている門の向こうには大勢の人々で賑わっていた。他の馬車の邪魔にならない端の方へ案内された。
御者が降り、馬車の扉を開けた。
「やれやれ、やっぱりこうなった」
面倒くさげに降りたシエルは車内に手を差し伸べた。白く小さな手が触れると軽く引っ張って馬車から降ろした。
「降りないの?」
ファウスティーナは席を丸々利用して教会を出発してからずっと寝ていたヴェレッドに声を掛けた。大きな欠伸をしつつ、怠そうに馬車から降りてきた。
「シエル様。お待ちしておりました」
長旅を終えたような感覚に浸るファウスティーナは丁寧な口調の男性の登場に驚いた。
王国の宰相を務めるマイム=ヒューム。本来なら王の側にいるべき人が何故?
「ふあ~あ……、……ん? あれ、マイマイくんじゃん。お忙しい宰相さんがこんな所でシエル様を待っていたなんて、こういうの何て言うんだっけ?」
「……知らないが少なくとも君に用事がないのは確かだ。後、私の名前はマイマイじゃなくてマイム=ヒュームだ! 何度言えば分かる!?」
「えー。だって俺、マイマイくんにはマイマイのイメージしかない」
「それはカタツムリだ! 私は人間だ!」
「カタツムリ大好きな人間でしょう? あれ、人間のふりしたカタツムリ?」
「どうやってカタツムリが人間のふりをする!」
「それはさあ、女神様が叶えてくれるんじゃないの?」
「はあ、止めなさいヴェレッド。時間の無駄だ。ファウスティーナ様と一緒に先に行っててくれ」
どうも相性の悪いヴェレッドとマイム。単にマイムを揶揄うヴェレッドを止めたらいいだけだが、止めたら止めたでマイムの矛先が自分に戻されてしまうと知っているシエルはマイムの部下達が困惑する時機を見計らった。気を持ち直そうと咳払いをしたマイムはいいえ、と首を振った。
「ヴィトケンシュタイン公爵令嬢にも来て頂きます」
数秒。
たった、数秒でシエルが冷気を纏うまでに達した。ヴェレッドに耳を塞がれたファウスティーナが驚くも、強く塞がれた上何故かヴェレッドの方へ向けさせられた。
声を発しても耳を塞がれているせいで自分の声が大きい。手を離そうとしてもびくともしない。困ったように見ていると手が離れた。
「――……というわけだからマイム。私1人で十分だろう?」
「は、はい……」
ファウスティーナが耳を塞がれている間にも話は終わったらしい。普段と変わらないシエルとは正反対。顔色を悪くしたマイムと更に悪く倒れそうになっている部下達がいて。何を話したのか、ヴェレッドの袖を引っ張った。
「なに」
「司祭様達、何を話していたのですか?」
「耳塞がれてたんだから、君が聞いちゃいけない内容なのは分かるでしょう?」
そう言われるとこれ以上の追及は不可能。
御者に向き直ったシエルは「出発する前に言った通り、フリューリング侯爵邸に行っておいて」と馬車を出発させた。
「フリューリング?」
「そう。お祭りを楽しんだら、フリューリング侯爵邸に行ってパーティー用のドレスに着替えないと。だから食べ過ぎには気を付けて」
フリューリング侯爵家は、ファウスティーナの父シトリンの親戚が継いだ家。ファウスティーナはてっきり着替えは一旦ヴィトケンシュタイン公爵邸に戻されするものだとばかり思っていた。違って密かに安堵した。
「シエル様は此方に」
「ではね、ファウスティーナ様。ヴェレッド、目を離しちゃいけないよ」
「はーいはい。行こ」
「うん」
マイムに連れられて行くシエルとは別、ヴェレッドに手を繋がれファウスティーナは久しぶりの王都に足を踏み入れた。
……ファウスティーナとヴェレッドが王都に入ったのとは反対に、別の場所に待機させられていた馬車にマイム達と乗り込んだシエル。部下の1人は御者席に回り、残りはマイムの左右に座った。
「シエル様」
馬車が動き出すと退屈そうに外を見やるシエルにマイムは苦い顔をする。
「あの無礼な子供を何時まで連れ回す気です」
「ヴェレッドのこと? あの子は貧民街で襲われそうになった私を助けてくれたんだ。面倒を見るのは当然じゃないか」
「何故貴方は貧民街などに行ったのです。ご自分の立場を理解していた筈です! 例え王族でなくとも、身形の良い子供が行けば襲われるのは分かりきっているのに……っ!」
「ふふ。マイム。君は、陛下以上にあの子が気に入らないみたいだ。けど1つ言っておくよ。
――あの子に手を出してみろ……私と陛下が黙っちゃいない」
ファウスティーナをシエルと一緒にシリウスの元まで来るよう要請を出した時以上の殺気を食らった。恐怖よりも愕然とした。
「…………あの子供は、いえもう子供ではないんですけど一体…………」
「私と陛下だけが知っていればいい。それに、だ。陛下はなんだかんだ言いながらヴェレッドを気に入ってる。当時は王太子、現在は国王。王国の頂点に君臨する陛下に平気で絡むのはあの子くらいだからね。度が過ぎれば叱るがそれ以外は放置が1番」
ヴェレッドはシエルが幼い頃貧民街に赴いた際襲われそうになった所を助けてくれた。それだけならシエルも特別面倒を見ようなどと思わない。
言葉通り、シエルとシリウスだけが知っていれば良いのだから、これ以上の言葉は不要である……。
*ー*ー*ー*ー*
最も出店が多くある中心街まで来ると様々な方へ視線が泳ぐ。
移動中、メルセスがクラッカーを持たせてくれたが食いしん坊な気があるファウスティーナのお腹はペコペコ。美味しそうな香りがあちらこちらからして目を輝かせていた。
「何か食べる?」
「うん」
「じゃあさ、気になる店教えて」
そう言われて候補を挙げていく。
マカロン、バウムクーヘン、クッキー、ポルボロン、チョコレート、新鮮な野菜をスティックにして販売する店などを選んでいく。
ファウスティーナの選んだ店はどれも集中して人が多い。場所は近いので距離の心配はない。ヴェレッドは広場の方までファウスティーナを連れて歩くと、運良く空いていたベンチにファウスティーナを座らせた。
「何処も人多いからさ、先にどれが食べたいか選んで」
「えーっと……」
言われて改めて出店を見た。何処も多いがファウスティーナが挙げた店で今人が少なそうなのは野菜の店だった。
「あっちの野菜が売ってるお店は今少ないよ!」
「じゃあそこに行くか。少ないって言ってもそれなりに並ぶよ? お嬢様を1人に出来ないから、置いて行くのは無理」
「全然平気」
よく家の庭に咲く花を長時間眺め続けていたお陰か、立ったままの行為は苦じゃない。そう、と微かに笑ったヴェレッドに出された手を握ってベンチを降りた。野菜を売るお店の最後尾に並んだ。スティック状に切った野菜を包み紙に置いてそのまま食べるのが売りらしい。ドレッシングは野菜と同時に選び、上からかけてくれる。
「あの、ヴェレッド様」
「なに」
「ヴェレッド様は食べたい物や気になるお店はないのですか?」
「さあ。見てたら出てくるんじゃないかな。今日は君のお供をするのがメインだし」
「そう、ですか。司祭様と宰相様達、どんな話をされているのでしょうか」
「話というか、王様のとこに行っただけだよ」
「陛下の?」
「そう。シエル様が大好きだからね、王様は」
「司祭様は、陛下とは仲が悪いと言ってましたよ」
「そう簡単じゃないんだ。あの面倒臭い異母兄弟は」
「……」
言葉通りの態度で溜め息を吐き、今度は欠伸をした。
「ふあ……。ねえ、君の家の人はお祭りには来てるの?」
「お父様が毎年連れて行ってくれます。お母様は、こういったお祭りは苦手みたいですけど」
「君の兄妹も?」
「お兄様も毎年一緒です。あ、でもエルヴィラはお母様に引っ付いてお留守番でしたね」
「なら、もし遭遇するなら公爵様と兄君の可能性が高いってことか」
例年通り2人が屋敷にいるのならファウスティーナも気が楽になる。実際に会って平気でいられるかどうかの確信はない。但し、これは夜に行われるパーティーも同じ。未だ王太子の婚約者のまま。ベルンハルドと顔を合わせる勇気が不十分。
ベルンハルドがどんな態度を示してくるにせよ、ファウスティーナは王太子妃候補として相応しい振る舞いを心掛けないといけない。折角の浮かれた気分は、パーティーのことを真剣に思うと台無しになった。
不安を悟られないよう無理矢理話題を作るが鋭いヴェレッドにすぐ気付かれた。興味なさげな態度なのに、ファウスティーナを視界に入れる薔薇色の瞳はとても優しく。
……ん? とファウスティーナはあることに気付いた。
「あ、前動いたよ」
「う、うん」
気のせいだったのか、と思いつつ、もう1度見ようと下からヴェレッドの顔を覗き込む。が、空いている手で鼻を摘ままれた。
「!?」
「はは、ぶっさいくな顔」
「~~~!!」
面と向かって罵られれば黙っていない。限界まで頬を膨らませ怒りアピールをしても、彼にとっては面白いだけ。鼻を解放されてもジト目で睨んだ。
「そうだ。どの野菜が食べたいか選んでおいてよ」
ヴェレッドのペースに飲まれている自覚はある。ぶすっとしつつ、抱っこをしてもらって前の方を見た。売られている野菜はキュウリ、レタス、トマト、ピーマン。その中からキュウリを選んだ。
「お嬢様はブロッコリーが苦手だったよね。良かったね、なくて」
「なんで知ってるの? 私がブロッコリーが苦手だって」
「……シエル様が言ってたから。ついでに言うとシエル様も苦手だよ」
「司祭様にも苦手な野菜あったんだ……」
意外な発見だった。食事は一緒に摂っていたがどんな料理も表情崩さず食していたので苦手な食べ物はないと思っていた。何時だったか、シチューが出た時苦手なブロッコリーが出て苦戦した覚えがある。シエルに苦笑されたのが恥ずかしかった。あの苦笑は、自分と同じ野菜が苦手だと知った故のものだったのだ。
ヴェレッドから降ろされ、再び手を繋いで順番を待つファウスティーナ。
すると。
ペタペタと可愛らしい音が鳴った。「クワ」とどう聞いても人間が発していない鳴き声がした。横を見てファウスティーナは瞠目した。
「え」
「は」
ファウスティーナとヴェレッドの声が重なった。
「クワッ!」
小さなアヒルがファウスティーナの足下にいた。
瞬きを繰り返すファウスティーナに元気な声で鳴きながら、ある方向へ羽を動かす。大きな箱から沢山の糸を垂らす不思議な出店があった。店主はフードを深く被っているせいで顔は見えない。並んでいる店から遠くはない。小さなアヒルは客引き役を担っているのか? にしては熱心にファウスティーナだけを来させたがっている。
「行ってみたい?」
ヴェレッドに訊かれ、頷きそうになったのを止めた。今行けば折角並んでいたのが無駄になる。
「此処とあんまり離れてないし、何かあったらすぐ行くから、気になるなら行っておいで」
ファウスティーナの気持ちを察し、小さなアヒルの熱心な勧誘を気に入ったヴェレッドにほら、と背中を軽く押された。わわ、と慌てながらも小さなアヒルに付いて行った。
「随分可愛いお客さんを連れて来たんだね」
「クワ!」
店主は女性のようだ。顔は見えない、初めて聞いた声なのに全身から湧き上がる懐かしさの種類は謎。
思い切ってどんな店か訊ねると飴を売る店だと教えられた。
「好きな紐を選んで引っ付いてある飴をあげるよ」
「どんな味がありますか?」
「赤はイチゴ、紫はブドウ、黄色はレモン、緑はマスカット、青はミント。全部その色の包み紙でくるんでいるからすぐに食べられるよ」
「じゃあ……って、あ! ちょっと待ってて! お金貰ってきます!」
「いや、いい。この子が連れて来たから。暇潰しで店を出してるだけだしね」
「で、でも」
「さあ、紐を選んでみな」
「は、はい」
飴を貰ったらヴェレッドの元へ戻り必ずお金を貰って戻ろうと密かに決め、どの紐にしようか吟味。これだと直感で選んだ紐を引っ張った。
「あ」
「ふふ」
店主が笑う。
ファウスティーナが引っ張った紐は黄色の飴がついていた。しかし、絡まるように青と赤があって中々出せない。
「このまま引っ張ってもいいですか?」
「どうぞ」
ふんっ、と力一杯紐を引っ張った。
黄色の飴に絡み付いていた青は赤に引っ張られるように箱の中へ戻っていった。紐を束ねる根本まで引っ張ると店主が飴を掴み、糸を鋏で切った。
「はい」
「ありがとうございます!」
貰った黄色の包み紙を解いて飴を口に放り込んだ。甘酸っぱいレモン味。
「さっきの青と赤はどうして黄色に引っ付いていたんだろうね」
「青と赤、というより青が黄色に引っ付いてる感じでしたよ。それを赤が青を黄色から引き離したみたいでした」
「お嬢さんはそれを見て何を思った?」
何を?
黄色に絡まった青が赤に引っ張られるように離れた、以外の感想しかない。思ったままを話したファウスティーナを店主は愉しげに笑う。悪意もない笑いなのに得体の知れないナニカがあった。
ヴェレッドの方を見ると列はかなり進んでいた。店主に断りを入れてヴェレッドの所へ戻って、必要なお金を持って再び戻った。
「はい」
「お代は不要だって言ったのに」
「ううん。ちゃんと払わないと」
お金を店主に渡したファウスティーナは、自分を案内してくれた小さなアヒルにもお礼を言ってヴェレッドの元へ戻って行った。
きっと飴が引ける店だったと説明して頭をポンポン撫でられているファウスティーナを店主はフード越しから見つめ、さっきファウスティーナが引っ張って落とされた青と赤の飴へ視線を落とした。
小さなアヒルは「クワ?」と鳴いた。
「ふふ。いいや、人の想いは簡単には消せない。運命の糸が絡まるのもそのせい」
「クワ、クワワ!」
「しつこいって? はは、だってしょうがないんだ。我が間違えたせいなんだ。結び先を間違えてしまった」
「クワ?」
「そう。まさか2つあるなんて思わなかった。我も我もだが、アレもアレだ。何でも予想通りに事が進めば良いものなのに……アレはおっちょこちょいなとこがあるからな。予想しなかった我にやはり非がある」
側に寄った小さなアヒルが膝に飛び乗ると白い頭を撫でてやった。
「運命に抗う王子様は、今度こそ最初の願いを叶えられるかな?」
読んでいただきありがとうございます。
次回、家族と再会します。