甘いスイーツで休息
前話、アエリアの使った“さっぱららん”ですが“さっぱり分からん”をアレンジした台詞です。後書きに補足しなかった私の不注意です。申し訳ありません。
“建国祭”は年に1度行われる大規模行事の1つ。王都では数多くの出店やパレードが見られ、毎年大勢の国民や観光客で賑わいを見せる。夜には王城内にあるホールで盛大なパーティーが開かれる。貴族は基本絶対参加だがやむを得ない事情がある場合のみ、欠席を許される。
教会に在籍する神官は皆貴族。この日のみ教会は閉まる。シエルの屋敷にいる執事長を筆頭に留守を預かってくれるのだ。
ファウスティーナの世話をしてくれるメルセスも同様だが、当日朝から身仕度をしないといけないからと他の神官達とは違い残った。屋敷にいる侍女でもいいのだが本人が譲らなかった。
何故なら――
「ああ困りましたわね。司祭様が似合うからってなんでも買ったせいで全然決まりませんわ」
広いウォークインクローゼットにて、ファウスティーナに似合う服やアクセサリーを大量に買ったのはいいものの当日どれにするか大変困っていた。
前にデザイナーを呼んでファウスティーナの要望通りのドレスやメルセスがきっと似合うと頼んだものからシエル本人が指示をして作らせたものが多く収納されている。
忙しなくドレスとファウスティーナを見比べるメルセスとは違い、ポカンとするファウスティーナ。何時までお世話になるか分からないながらも服の多さに圧倒されたのだ。
ぽふっと頭に誰かの手が乗った。1人しかいないとその名を紡いで上を見たら、予想外の人がいた。
眠そうな顔でファウスティーナを見下ろす彼――ヴェレッドは「何してるの」とやはり眠そうな声で問うた。
王国では見ない見事な薔薇色の髪と瞳。左襟足部分だけ肩に届く長さ、右側は顎に触れる長さ。アンバランスな髪型なのに恐ろしく整った美貌を増幅させる装飾となっている。
シエルに保護された時、彼もいたらしいが気付く余裕は当時なかった。聞く所によるとファウスティーナの泣き声を最初に聞いたのは彼だと言う。何時かはお礼を言わないととずっと機会を待っていた。彼が声を拾ってくれたお陰でシエルに見つけてもらえたのだから。あの、とファウスティーナが口を開き掛けると「まあ!」とメルセスの怒った声が響いた。
「レディの部屋に許可もなく入るなんて紳士のすることではありませんわ!」
「生憎と俺は育ちの良いお坊ちゃんじゃないからね。というか、レディってお嬢様まだ子供じゃん」
「まあ酷い! お嬢様は立派なレディですわ」
「あっそ」
心底どうでも良さそうに欠伸をした。すっかり話し掛けるタイミングを逃したファウスティーナへメルセスが幾つかドレスを見せてきた。
「お嬢様はどちらが良いです?」
「え、う、うーん」
ずっと母リュドミーラの決めたドレスしか着てこなかった上、ベルンハルドの為のドレス選びしかしてこなかったファウスティーナは返事に困った。こういう時リンスーがいたら素早くファウスティーナに1番似合うドレスを見つけ着付けてくれただろう。
「ああ、明日建国祭だっけ。つうか、こういうのってもっと前から決めるものじゃないの?」
「司祭様がギリギリまでファウスティーナお嬢様の体調面を心配されていたので、建国祭に出ると決まったのは今朝ですの」
「ふうん」
あれから約1ヶ月経った。まだ心の傷は癒えていない。寧ろ、一生癒えない。体の傷に塗る薬はあれど、心に負った傷に塗る薬はない。傷の上を覆い隠す瘡蓋のように広く心底安堵する幸福を与えられないと傷は隠せない。
シエルがずっと側に居続けてくれるのは最大の癒しとなっているのは勿論、家の接触が一切ないのが負担を大きく減らした。少し前に父と兄宛に手紙を出した。シエルがファウスティーナの精神が安定するまで不要な接触を断り続けていた。自分から出したいと申し出ると承諾してくれた。
父シトリンには、沢山の人達に迷惑を掛けている旨を謝罪した。シエルや周囲の人達の助けでかなり良くなったと書いた。兄ケインにも大体同じ内容だ。リンスーはどうしているか、またお母様は私がいない方が穏やかではありませんかと書いた。事実そうだろう、ファウスティーナと接するリュドミーラが穏やかであった事は1度もない。幼い頃はあったかもしれないがきっとない。あの人は自分に似た兄や妹が可愛いのだから。ファウスティーナがもし男の子なら、違った結果があったかもしれないが所詮夢の話。拘るだけ無駄。
手紙を出した翌日、返事は来た。
まず、シトリンからは元気になってくれて良かった、家のことや王妃教育は今は気にせずしっかり静養しなさいとあった。ファウスティーナの好きなオレンジを大量に贈ってくれた。このお礼もちゃんと出した。
ケインからは、リンスーやリュン、使用人達のことが書かれていた。自分の近況を書いていないのはお兄様らしいと笑ってしまった。……但し最後に、
『追伸 父上が沢山オレンジを贈ったけど程々にね。オレンジの皮みたいに顔が黄色になってもいいなら別だけど』とあった。擽ったい気持ちはどこへ、手紙相手にジト目で睨んでしまった。どんな時でも兄だけは変わらない。普段妹達に厳しく、特にベルンハルド絡みになると2人共叱られるがファウスティーナの場合はもっと冷静になりなさい、エルヴィラを気にしない、とよく言われた。ベルンハルド自身にも何度か苦言を呈してくれた。その分、余計ベルンハルドの目には兄と姉揃って末の妹を邪魔にしていると映ったのだと思われる。
並べられているドレスを眺めていたヴェレッドが不意に動いた。青銀のドレスを持つとファウスティーナに渡した。
「はい」
「え、うん」
受け取ったのはいいがドレスとヴェレッドを交互に見やる。助けを求めメルセスに向くと。持っていたドレスを戻し、装飾品が仕舞われている棚の前にいて。大きな赤いリボンを持って戻った。
「建国祭ではこのドレスとリボンを使用しましょう。ファウスティーナお嬢様にピッタリですわ!」
言われてドレスを改めて見た。晴れた冬空のような青銀。銀が強いので更にそう見える。とても好きな色。更に赤いリボンでファウスティーナの愛らしさを引き立たせるのだ。
「次はパーティー用ですわね。同じ色より、違う色の方がファウスティーナお嬢様の気分転換になりますから……」
「じゃあ、これでいいんじゃない」
先程から選んでいたのは建国祭用のドレス。街を歩き回る予定なので成るべく歩き易いシンプルなデザインを重視していた。次は王城で開催されるパーティー用。ヴェレッドがあっさりと違うスペースに収納されていたパーティー用のドレスから1着持ってファウスティーナに渡した。
紺色の、レースの透け感がエレガントな七分袖のドレス。模様は薔薇柄、スカート部分には生地を惜しみ無く使用し、レースはスカート裾にも。パニエを入れて更にふわっとしている。紺色もファウスティーナの好きな色の1つ。
「うん! これにする!」
派手でもない落ち着いた色が大好きだ。ピンク色といった可愛い色も好きだがエルヴィラが1番似合う色のせいで好んで使いたい色ではなくなっている。
「このドレスですと……パーティーでは、こちらのカチューシャを使用しましょう」
そう言ったメルセスが見せたのは小さなアメジストが散りばめられた美しいカチューシャだった。
建国祭で散策する用とパーティー用のドレスが漸く決まった。ウォークインクローゼットから出た3人はサロンに向かった。
中に入るとシエルが暖炉の前に立っていた。燃え盛る炎の中に手紙を放った。瞬く間に黒く染まった手紙はきっと国王からの手紙。シエルが読んで燃やす手紙は全て王家の家紋が押されたものだけ。
「司祭様」
ファウスティーナが呼ぶと暖炉を眺めていた後ろ姿はくるりと振り向き、天上人の如き美貌が柔らかく微笑んだ。両手を広げられ、シエル一直線に飛び付きに行った。難なく受け止められたファウスティーナはシエルを見上げた。
「ドレスは決まった?」
「はい。2人が選んでくれました」
「そう。というか、何時着いたのヴェレッド」
「ちょっと前。ふあ……ねむ」
眠そうな顔の通り眠気が間近に迫っているらしいヴェレッドは大きめのソファーに寝転がった。
やれやれと肩を竦めたシエルに連れられ、向かい側のソファーに座った。寝ても体の負担が少ないふかふか生地は長時間座っても疲れない。
「あ、そろそろメレンダの時間ですわね」思い出したように手を叩いたメルセスは厨房へ向かった。
「メルセスは南側の出身なのですか?」
「どうしてそう思うの?」
「メレンダはこちらでよく使われる言葉だからです」
「はは、よく知っているね。そうだよ、ここら辺はメルセスの家の領地がある」
メレンダとは、おやつの意味を指す。
南側で有名な家と言うと、フリージア公爵家だろうか。同い年にジュリエッタ=ムスト=フリージア公爵令嬢がいる。フリージア夫人は大変社交に厳しい人と耳にしたことがある。お人形のような美しさとプライドの高いジュリエッタとは、何度かお茶会で会っているが挨拶をする程度。というより、ベルンハルドに夢中だったファウスティーナは他の人と交流を持とうとしなかった。視野の狭さとエルヴィラに対する嫉妬心しか持っていなかった。
エルヴィラにはシーヴェン伯爵家のリナ嬢という親しい友人がいて、ケインには騎士団団長の息子がいて。……ファウスティーナにはほぼいない。会えば会話をする侯爵令嬢はいるが、ベルンハルドと婚約が結ばれてからは殆ど話していない。
ベルンハルドに嫌われていると自覚しながらも、努力し続けていたら振り向いてもらえる。永遠に訪れない期待をして時間を無駄にしてしまった。
でも、だ。自分よりもベルンハルドは更に時間を無駄にしただろう。会いたくもない婚約者に月1の定期訪問で顔を見せ、城では王妃教育が終わると必ず会いに来る婚約者の相手を嫌々し、他にも会う機会があるとベタベタしたがる婚約者が、ファウスティーナが煩わしく、鬱陶しかったに違いない。
迷惑をかけたお詫びとして、以前シエルが話したベルンハルドとエルヴィラを正当な理由で結ばれるようにする計画に賛成した。小説でもよくある、虐げられるか弱いヒロインを助けていく内ヒーローはヒロインに恋をし、ヒロインもまたヒーローに恋をする。ファウスティーナは悪役であり当て馬だ。2人の恋が成就する為の。
思い出しては凹むを何度繰り返せばいいのか。記憶を持ったまま過去に戻れる術があるなら、絶対にベルンハルドを好きになったりしない。将来妹と結ばれる運命にある相手を好きになってもしょうがないから。
暫くしてメルセスは銀のカートを押して戻った。
テーブルに並べられていく本日の品はクロスタータ。タルトの1つで、クッキー生地の中にフルーツジャムをたっぷり詰めて焼いたスイーツ。南側では定番中の定番でカフェや家庭ごとにレシピが異なるのが特徴である。今回はイチゴジャムが詰められており、目をキラキラと輝かせるファウスティーナは切り分けたクロスタータが乗せられたスイーツ皿を受け取った。
「ファウスティーナ様はオレンジジュースで、司祭様はコーヒー、坊や君はチョコラータ・カルダで良かったかしら?」
「誰が坊や君だよ」
ソファーに寝転びながら機嫌を悪くするヴェレッドの向かいに座るシエルもメルセスに便乗した。
「事実じゃない。もうちょっと大人になりなさいよ」
「えー」
「えー、じゃないの」
文句を言いながら、いざチョコラータ・カルダを前に置かれると起き上がった。
「メルセス。チョコラータ・カルダって?」
「簡単に言うとホットチョコレートですわ。チョコレートをホットミルクで溶かしたもので、飲み物というより温かいデザート感覚で楽しまれる方が多いです」
「私も飲んでみたい!」
「では、明日の朝食はコルネットとチョコラータ・カルダをお出ししましょう」
ホットココアとどう違うのか明日が楽しみになってきた。
この後、メレンダを楽しみながら建国記念パーティーでは常にシエルとヴェレッドがいてくれる話になった。家族と会うのはまだ早いので敢えて時間をずらしてくれるとも。自分のせいで要らぬ気遣いをシエルにさせて申し訳なさそうにするとそっと頭を撫でられた。
「私自身、パーティーにまで出席したくないからだよ。出たら絶対陛下と顔を合わせないといけないから」
「あ、はは。王様はシエル様が大好きだからね。良かったねシエル様。王子様に生まれて」
「……」
盛大に嫌そうな顔のシエルを見れてご満悦のヴェレッドは上機嫌でイチゴジャムたっぷりのクロスタータを楽しんだ。
「?」
ただ1人、ヴェレッドの言った意味とシエルの不機嫌が理解出来なかったファウスティーナであった。
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