10 前回の記憶は役に立つものだってある
「思い出せないなあ……」
思い出せないなら、ないで問題なくもないがどうにも自身の死が思い出せないファウスティーナ。ひょっとしたら、余程酷い死に方をしたので記憶が死亡原因だけを強制的に排除したのかもしれない。最後に覚えているのは、安い宿屋の一室で己の仕出かした罪に後悔の涙を流した後堅いベッドで眠った所まで。眠っている最中に死んでしまったのなら覚えていなくて当然かもしれない。
今日は止めようと頭を振ったファウスティーナは、1週間前国王夫妻が隣国から無事に戻ったのでまた王妃教育が再開された。予習復習を怠っていないかを第一に確認され、問題がないと判断されると復習を交えつつ新しい内容を覚えていった。
前回と同じく、王妃直々に指導を受ける王妃教育は公爵家で家庭教師から受ける授業より数倍厳しく難しい。前回では何度も泣いたし、今回も記憶があると言えど泣いた回数は片手で足りない程。でも、人がいる場所では決して泣かなかった。王太子の婚約者として、未来の王妃として、それは許されなかったから。
「私が死んだ後エルヴィラはちゃんと王妃教育を受けたのかしら」
泣き虫で自分が気に食わない、嫌だと感じると直ぐに泣いて逃れようとしていたエルヴィラが王妃直々の教育に耐えられたのか?
婚約破棄をしてもらってエルヴィラに次の婚約者になってもらわないとならないファウスティーナからすると重要事項であった。
「でも、私から言ってもね……。お兄様がお父様に頼んでエルヴィラの家庭教師を替えるって言ってたから案外変わるかも……」
家庭教師との授業をすっぽかした挙げ句、ファウスティーナに会いに訪れたベルンハルドの所にいたエルヴィラにキツいお灸を据えたケインが、シトリンにエルヴィラの家庭教師の一新を提案。王族に嫁がなくても、エルヴィラも将来は何処かの貴族に嫁ぐ。ヴィトケンシュタイン公爵家の令嬢が能無しでは困るのと我儘だらけなのも駄目。国王夫妻が隣国から戻ったのと同時にエルヴィラの家庭教師も一新され、彼女が泣いて嫌がってもどの家庭教師も甘やかさない。
「ふわあ……。お母様もお父様に甘やかしちゃ駄目って言われて助けられないから、ストレス溜まってそう」
それでも家庭教師との授業が終わると直ぐにお茶をする。スイーツも食べ過ぎると太るのでお茶だけを飲む。見た目に強く自信があるエルヴィラも太るのは嫌らしく、スイーツは渋々諦めていた。
ファウスティーナは自室のベッドに仰向けで寝転がって天井を見上げた。
「王妃様何時見ても綺麗だったな……」
現王妃シエラ=ノーラ=ガルシアは、この国で最も穏健と呼ばれるフワーリン公爵家の令嬢。フワーリン公爵はその名の通りフワフワしてそうなとても穏和な人柄であり、争いを好まない平和主義者。但し、最高位の貴族の当主としての政治的手腕は見事なもの。ファウスティーナも有名な話なら幾つか知っている。ファウスティーナ達が生まれる前に起きた大きな天災を誰よりも早く察知し、宰相に各貴族に事前の準備をさせる様通達したとか。起きる訳がないと高を括った貴族や備えても場所的に甚大な被害を被った貴族もいた。前者と後者では、その後の対応も違う。
王妃教育が終わると十分だけシエラとお茶をするファウスティーナは、その時何故フワーリン公爵が天災が起こるのを予知出来たのかと聞いた。
シエラはふふ、と美しい微笑を浮かべた。
『お父様は魔法使いでも何でもないから、予知能力なんてものはないわ。過去に起きた天災の時期には波があって、その年は波の中でも特に大きな天災が来るんじゃないかと危惧しただけよ。仮に来なかったとしても、領民や領地を守る対策は何時何処で何が起こるのか分からないのだから、して損はないわ。実際、お父様の読みは何度か外れた時もあったけど己の領地を顧みる事で、今まで気付かなかった小さな綻びに気付く時だってあるの』
『王妃様はフワーリン公爵様をとても尊敬されているのですね』
『ええ。ふふ、ここだけの話よ? お父様は家族の中でもフワフワしてるから常にお母様が心配していたわ。お父様が蒲公英の綿の様に何処かへ飛んでいかないかと』
ファウスティーナはまだフワーリン公爵とは会っていないのでどんな人なのかは話の中でしか知らない。父シトリンにも、今日王妃様とこんな話をしたと話した際フワーリン公爵の話を出すと「うん、フワーリン公爵とは何度か会うけどとても人当たりが良く穏やかな人だよ」と言われた。
王妃教育も終わった日の夜は、夕食を食べ終えるとお風呂に入って後は寝るだけ。ベッドでゴロゴロとしている所をリンスーに見られたら「はしたないですよ」と小言が飛んできそうだ。自室の中でくらい自由にしていたい。
「あ」
ふと、ファウスティーナはベッドの下に隠してある【ファウスティーナのあれこれ】と表紙にデカデカと書かれたノートを取り出し、ベッドから降りて机に置いてある羽ペンとインクを持って再びベッドに座った。2つをベッドに起きノートを開く。
「今の時期だともうそろそろ……」
ページを捲っていき、あるページに目を通した。
「もうすぐだねえ……はあ。気が重い。でも大丈夫よファウスティーナ。貴女は以前の貴女じゃない。今の貴女は婚約を破棄する気満々のファウスティーナよ。仮令前の記憶を持っていながらまだ殿下を好きでも絶対に同じ過ちは犯さない」
自分自身に言い聞かせ、よしっと気合いを入れてノートを閉じた。端から見たら、1人で何をブツブツ言っているのかと心配になるが部屋にはファウスティーナ以外誰もいない。奇行も1人なら問題はない。
ファウスティーナの言ったもうすぐとは、ベルンハルドの誕生日パーティーを意味する。
前回、リュドミーラに頼んで気合いの入ったドレスでベルンハルドの誕生日パーティーに出席したのに、真っ白でレースがふんだんに使われた白百合の妖精の如き可憐なエルヴィラを絶賛するだけでファウスティーナには礼儀に則った挨拶しかしなかった。それに激怒した前のファウスティーナは、飲み物を運んでいた給仕から葡萄ジュースを奪い取りエルヴィラに全てかけた。真っ白なドレスは瞬く間に紫色に染まり、頭からかけたので当然エルヴィラ自身もびしょ濡れになった。
その場で両親に叱責され、ベルンハルドには更に嫌われる原因となった……。
自分で仕出かし、自分で思い出したのに、ファウスティーナはダメージを受けた。
「前の自分を反面教師にするのも可笑しな感じだけど絶対にしない……!」
頑張るぞ、と大きく手を掲げたファウスティーナだが葡萄ジュースは大好きなので飲むのだけは許して欲しいと誰に向けてか不明な謝罪をしたのであった。
●○●○●○
嫌な記憶だけが前回の記憶じゃない。
前回培った知識は今のファウスティーナにも役に立っていた。
厳しくても泣き言を言わず、常に食らい付く様に王妃教育を受け、覚えの良さに驚きはしつつも、ファウスティーナに絶大な信頼と期待を寄せる王妃シエラ。
今日は始まってから既に10時間以上は経過している。キリのいい所で今日の王妃教育は終わった。
終わっても最後まで気を抜かない。綺麗な所作で礼をするファウスティーナに満足げな笑みを浮かべて頷いた。
「では、今日も最後にお茶をしましょう」
「はい、王妃様」
最後にお茶をするのは王妃としてではなく、シエラとしてファウスティーナと交流を深める為。
侍女の用意したお茶で喉を潤したシエラが不意にこんな質問をした。
「ねえファウスティーナ。ファウスティーナはベルンハルドをどう思ってるの?」
「へ」
教育中だったら即座に責が飛んで来る場面だが今は個人の交流タイム。間抜けな声を出しても咎められない。気が抜けていたファウスティーナは突然の疑問に直ぐに答えられなかった。
(前の私だったら、即行で綺麗で聡明な王子様! って答えてそう……。いや実際そうなんだけど)
何と答えたら良いか迷いながらも、
「王太子殿下は、私と同い年でありながらも王太子として既に陛下のお仕事の補佐を務めていると聞きます。常に冷静で完璧な王太子で有り続けようと努力する殿下を支えたいと思っています」
(うんこれでいい筈)
我ながら満足のいく答えを言えたのではないかと心の中で胸を張った。
「後はとても弟思いなお兄様だと思われます」
「そうね。私や陛下以上にネージュを気に掛けているのがベルンハルドなの。立場上、どうしても顔を合わせられない日もあるから……。でもファウスティーナ」
「はい」
「ファウスティーナはベルンハルドをどう呼んでるの?」
「殿下とお呼びしていますが……」
怪訝に思いながら答えるとシエラは苦笑する。
「そう……。折角、婚約者になったのだから名前で呼ぶのもいいと思うのだけれど」
「そ……そうですね。あはは……」
殿下、ではなく。
ベルンハルドと呼ぶ。
前の自分が焦がれた行為の一つであり、同時に決して叶わない行為でもあった。たった一度でもベルンハルドの名を紡ごうものなら、その場で斬り殺されると錯覚する程の殺意と嫌悪の交じった瑠璃色を向けられた。
(エルヴィラには許して、私には許されなかった。それだけの事をしたんだもん。当然よね)
ファウスティーナはお茶を飲むシエラをそっと見つめた。
ネージュの蜂蜜色の髪と紫紺の瞳はシエラ譲り。ベルンハルドもネージュも王妃譲りの美しい顔立ちだ。とても2人の息子がいる母親とは思えない美貌は、王国中の女性の憧れである。
自分もティーカップに手を伸ばしてお茶を飲む。甘くてフルーティーな味だ。シエラが突然ベルンハルドの名前呼びを話題に出した理由……殿下と呼んでも問題はない筈。後、何時婚約破棄になるか分からないので極力殿下又は王太子殿下呼びを通す予定。
お茶の時間も終わり。シエラに礼をして、数人の侍女に付き添われファウスティーナは部屋を後にした。
公爵家のお茶も美味しいが王城で出されるお茶も美味しい。
今夜の夕食は何かな~と呑気に考えるファウスティーナに斜め後ろで歩く侍女が王太子殿下に会いに行きますか? と提案した。確か、今頃は剣の鍛練をしていると思い出す。邪魔をするのは申し訳ないですと断った。……侍女が残念そうに眉を八の字に曲げたのは何故? と疑問を抱くも、歩いている内に馬車停が見えた。
……帰りにベルンハルドの所に寄ってあげてとシエラに頼まれたものの、鍛練はもう終えていると付け足していたらファウスティーナも会いに行っていたかもしれない。
侍女達に見送られ、走り出した馬車の中でファウスティーナは一定の距離で過ぎ行く外の光景を眺めた。
●○●○●○
――10日後。
王家からファウスティーナ宛にドレスが届いた。
頭に疑問符を大量に飛ばすファウスティーナは上等な布に包まれた木箱に入ったドレスの前で立っていた。丁度、城の使者から受け取っていたのを目撃したケインもいる。
ドレスと同時に受け取った手紙はベルンハルドからのものだった。
“ファウスティーナへ
近々行われる僕の誕生日パーティーで贈ったドレスを着て王城に来てほしい。
是非着て、僕に感想を聞かせてね”
「殿下が主役の誕生日パーティーで私にドレスを贈る……どうしてですかね、お兄様」
「……ファナがこんなんだと殿下も報われないね」
「え? どうしてですか」
「自分で考えな」
「いたっ!」
額にでこピンを食らった。恨めしげに睨むファウスティーナにやれやれと溜め息を吐いたケインは、木箱の蓋を閉めて布で包み直した。そして、控えているリンスーに振り向いた。
「貴重品を置いている部屋に運んでおいて」
「分かりました」
「私の部屋には置かないんですか?」
「念の為だよ。じゃあ、リンスー頼んだよ」
「はい」
リンスーが抱えて部屋を出て行ったのを見届けたケインは、ドレスを別の部屋で保管する意味を思考しているファウスティーナに部屋に戻るよと声を掛けた。
(王家からドレスが届いた話は、直ぐに父上や母上の耳にも入るだろうし、エルヴィラにもいく。もしもの為に違う部屋に置いておくのが賢明だろうな)
家庭教師を一新してからエルヴィラは一応真面目に授業を受ける様になった。まだ癇癪を起こしたり我儘を言って困らせたりはしているが、頻度は減ってきている。このまま順調にいってくれればいい。リュドミーラの甘やかしもマシになってきている筈。
だが……ベルンハルドの事となると話は別。隣国から国王夫妻が戻り、王妃教育が再開され、家と城の行き来を繰り返すファウスティーナは家にいる時間が減った。ベルンハルドも王妃教育のある日は来ない。王妃の都合によってはない日がある。その日は必ず来る。不定期での訪問。事前に逃げるのも叶わないのでファウスティーナは真面目に会っている。
(殿下が来るとエルヴィラはそっちに行こうとするから、止めるのが大変だって使用人達が言っていたな……。こればっかりは、本人をどうにかしないといけないから難しい。今の内に止めさせないと後々厄介な事になりそうだから、父上にエルヴィラの婚約者の話でもしようか)
性格は全く違うのに、どっちも困った妹だ――。
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