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「待っていろ」


 リンフェイにそう言ってスヨンは馬車を降りた。進路をふさいでいる人影に向かって言った。

「すまないが、少しよけてくれないか? 通りたいんだ」

 明らかに怪しい人影に向かって、スヨンはそう話しかけた。反応はない。代わりに、濃い影がずずっと動いた。スヨンの手が印を切る。

「禁!」

 スヨンの通力は音に起因する。そのため、声に出した方が強力な術を行使できる。その影はスヨンの緊縛術を押しのけ、スヨンに迫る。


「伏せろ!」


 とっさにスヨンが身を沈めると、肩が蹴られた。背後からリンフェイがスヨンの肩を足場に飛び上がったのである。濃い影を飛び越えた。その名、凜飛リンフェイが示す通り見事な飛びである。

 彼女はスヨンに術である影を捕らえさせ、自分は術者の方を捕らえに行った。捕らえに行ったというか、始末する気満々である。

「リンフェイ、捕らえろ!」

「そりゃあ相手によるね!」

 術者は何とか術を駆使してリンフェイの攻撃を避けている。しかし、彼女の攻撃を避けるのに力を割くあまり、影の方は動きが鈍くなってきた。スヨンは詠唱を行い、影を押さえつける。

 減らず口をたたきながらも、リンフェイは律儀にとらえようとしているようだ。

「リンフェイ……シャオリン!」

「なんで言い直したの!?」

 小凜シャオリンはリンフェイが子供のころ呼ばれていた名である。要するに、リンフェイ嬢ちゃん、と言うことである。彼女が公主であった頃なら絶対に呼ばなかったが、その後、スヨンは彼女と一緒に暮らしたことがある。

 呼ばれ方に不服を覚えたリンフェイが一瞬スヨンを振り返る。そして、術式を展開して構えている彼に目を見開き、すぐさま飛びのいた。矢どころか火槍フェイファよりも速い通力による攻撃が術者を貫いた。


「さすが! Excellent!」


 たまに飛び出すリンフェイの異国語である。ちなみにこの言語は、リンフェイの母の出身国、波斯の言葉ではない。彼女が外交官であるために知っている言葉にすぎなかった。

 腹部を貫いたスヨンの術に、術者は倒れ込んだ。恐れを知らないリンフェイが近づき、剣先でつつく。

「というか、よくその格好であれだけ動けたな」

「動きにくかったんだけどね」

 そう言って肩をすくめるリンフェイは、ひらひらと裾がはためいている。一応、一番上に着ていた羽織だけは脱いでいたが。

「そっちの影みたいなやつは?」

「消えた。と言うか、死んでるか?」

「死んではないと思うよ。と言うか、スヨンが捕らえろって言ったんじゃない」

 その言葉が終わるかどうかという瞬間、とっさにスヨンはリンフェイの肩をひいて抱き寄せた。普段着ない裾の長い裙を纏う彼女は、突然のことに裾を踏んづけたらしく、「わっ」と声をあげてスヨンにしがみついた。


 そのスヨンは、リンフェイを抱きかかえていたが、その眼は彼女を見ておらず、倒れ込んだ術者を見ていた。

 傷口から黒い影が広がり、傷口を覆っていく。そもそも、暗い上に色覚異常でスヨンはよく見えていないが、血もあまり出ていない気がする。

「リンフェイ、こいつ、血は出ているか?」

「え? いや……黒い服でわかりづらいけど、そう言えば……」

 出ていない気がする、と答え、二人は一瞬目を見合わせ、瞬時に離れた。スヨンは術式を展開し、リンフェイは剣を上段に構える。


 先に踏み込んだのはリンフェイだった。ありえない動きで再び直立した術者の首を、瞬間的に切り離したのである。スヨンがすかさず術で押さえつけた。

「これどうする?」

「どうするかな……死霊術か?」

僵尸キョンシーってこと? もしくはアンデッド?」

「アンデッドって結局僵尸のことじゃないのか?」

 半端に西域、つまり魔術の知識のある二人なので、こんな場面なのに会話はちょっと間抜けだ。

「……駄目だな。方士を連れて来よう」

 スヨンはそう結論づけた。リーメイのところで一緒に育った方士がいるのだ。嫌がるだろうが、ひっとらえて連れてくるしかない。

「その間こいつ、どうする? 棺桶にでも入れておく?」

 リンフェイ、言うことが相変わらず過激である。しかし、良い案ではある。

「お前のところに白木の棺があったな。あれを貸せ」

「あれ、そう言う用途のものではないんだけど」

 わかっている。しかし、スヨンとリンフェイが所持している法具の中で最も封じの意味が強いのが白木の棺だった。本当は、破魔でもいい気がするが、あいにく持ち合わせがなかった。


 と言うわけでひとまずリンフェイの屋敷に向かうことにした。彼女は王家の血をひくため、宰相であるスヨンよりも屋敷が広い。しかも、一等地に居住していた。

「半分いらないんだけどね」

 とはリンフェイの言だ。華美と言うより瀟洒と言った方がしっくりくるその屋敷に、スヨンは久々に足を踏み入れた。

「お帰りなさいませ、姫君」

「ただいま。客間を用意して。それと、白木の棺を持ってきてくれる?」

「わかりました」

 どうやらリンフェイはこのままスヨンを泊める気のようだ。正直、ありがたい。自分の屋敷に戻るほどの体力が残っていない。年を取ったなと思う。

 ちなみに、僵尸(仮)の体はスヨンが縛り上げて引きずってきた。図太いと言われるスヨンとリンフェイも、さすがに死体と一緒に馬車に乗るのは嫌だったのだ。

 そう。僵尸かどうかはわからないが、検分した結果、死体だったのだ。となると、先ほど見た出し物の使者の黄泉がえりも怪しくなってくる。


「あの復活した死者も僵尸の類だったんじゃないか?」


 白木の棺に死体を移し、硬く封じた後にスヨンは言った。リンフェイも思慮深げに応じる。

「その可能性はあるね。だとすると、私たちを襲ったのはあの出し物の関係者、と言うことになる」

 死霊術師はめったにいないとのことなので、同一人物と言うことはありうる。スヨンは頭を抱えた。

「私たちでは捕まえられないな……」

「そりゃあね。けれど、これはあなたの管轄じゃなくて、私の管轄だよ。つまり、まだスヨンが頭を悩ませることはないってわけ」

 私がどうしようもなくなったら悩んでちょうだい、としれっとリンフェイは言ってのけた。何も国を実際に動かしている宰相と太尉が、同じ問題に同時に頭を悩ませる必要はない。彼女はそう言っているのだ。彼女はわりと合理主義なのだ。

「……お前のところで解決することを願っておく」

「そうだね」

 太尉殿にはしばらく治安維持のために駆けずり回ってもらう必要がありそうだった。現段階でリンフェイが手出しできるのは治安に関してだけであるが、襲われたのは事実であるので大義名分がある。


 しかし……出し物の方はどうしようもない。馬車でも言ったようにパイロンと言う男を調べ上げるしかなさそうだ。

「……実害が報告されていない以上、いかんともしがたいな……」

「話を聞く限り、『旧き友』の誓約には引っかかってそうだけどね」

「……」

 苦笑気味のリンフェイに、スヨンは頬杖をついたまま難しい表情になる。

「……だが、私たちには関係のない話だ」

「その通り。我々はただ人だからね」

 少なくとも、『旧き友』、仙人とも呼ばれる存在から見れば。

 黄泉がえりなど、世界の理に反していると言える。スヨンもリンフェイも、普通に年を取り、死んでいく人間であるから、『旧き友』であった仙女・リーメイからは詳しく教えられていない。二人とも頭がいいので、下手をすれば『旧き友』について解明してしまう、と思ったのだそうだ。

 なので、聞きかじっただけであるが、『旧き友』は古からの盟約と誓約があり、中立を保ち、求められれば手を貸す存在であるとのこと。そして、世界の理を維持する役目を担っていたはずだ。

「……けど、放っておくと『旧き友』が出てきて解決してくれるかも」

 『旧き友』はその所在が知れないことが多い。国内にも数名いるはずだが、常に移動しているために連絡がつかないことが多い。一番近くに住んでいたリーメイは、五年前に亡くなっている。そこまで他力本願にはなれない。


 結局は、一つずつ解決していくしかないようだ。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


普通に飛び交う英語…


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