肆
ズーシェンの登極は、迅速に行われた。戴冠式は王宮である白嬰宮で行われた。十四歳の少年王の誕生だ。先王ハオユーが消えてすぐにいくつかの計画を立てていたスヨンだが、そのうち一つが役立った形だ。
一応の落ち着きは見せている宮廷内であるが、まだ不穏な影が見え隠れしている。
「気苦労が絶えないねぇ、宰相殿」
「他人事みたいに言ってるが、お前も関係あるんだぞ、リンフェイ」
「わかってるよ」
ひょい、と駒を動かしながらリンフェイは答える。ここはスヨンの邸宅で、ふらりとリンフェイがやってきたのだ。リンフェイは王族であるが、城下に邸宅を持っているのだ。
もっとも、二人ともこの邸宅へはめったに帰らない。白嬰宮内にある部屋で休むことが多かった。
「で、実際のところどう?」
「内部が不穏。御史台がほぼ機能していないし、門下省が怪しい。それに呼応して、貴族連もざわついているな。後宮は後宮で王太后が叫んでいるが、こちらは主上が主上である限りはある程度抑えられるだろう」
「あの人は私が嫌いなだけだからねぇ」
と、苦笑気味にリンフェイが言った。笑って言えるようなことではないと思うのだが、彼女にとっては慣れたことなのだろう。
「……というか、そっちは?」
スヨンも手を伸ばして駒を動かす。リンフェイがすかさず応じながら言った。
「諸外国は静観してる感じかな。すぐにどうこうってのはないと思う。軍に関しては、私の管轄下で機能してると思うけど……貴族出身者はね、怪しいよね。私もいつ寝首をかかれるかとひやひやだよね」
「凶手を道連れにするだろうに、よく言う」
呆れかえった口調のスヨンだが、盤面を見て眉をひそめた。
「おい、手加減くらいしろ」
「あんた相手に手加減してどうすんの。囲碁の方が良かった?」
リンフェイはこのシャンチーという盤上遊戯が異常なほど強かった。スヨンもかなり強い方だし、そもそも彼女にこの遊びを教えたのは彼のはずなのだが、今では十回に一回勝てればいい方だ。
対してスヨンは囲碁が強かった。同じ頭脳系の盤上遊戯だが、遊び方が違うとこうも差が出てくるのだ。
碁盤を用意しながらスヨンはため息をついた。
「たまに、この国はお前には狭すぎるんじゃないかと思う」
「けれど、私には鳥かごを出るほどの度胸もないからねぇ」
先番の黒石の碁笥を受け取ったリンフェイがからりと笑って言う。そこ、笑って言うところか?
いつかこの娘が安心して笑っていられる世になればいいと思いつつ、そんなときは来ないと頭のどこかで分かっていた。
△
翌日、スヨンは王の執務室で顔色の悪いズーシェンと対面した。
「おはよう、宰相……」
「……おはようございます。主上、どうなされました?」
「昨日の夜……母上の突撃を受けた……」
「ああ……」
何となく察したスヨンだが、こればかりはどうしようもなかった。先の王であったハオユーも、ズーシェンも、妃がいない。どうやらハオユーは後宮女官と駆け落ちした様子ではあるが、それはどうでもよい。
王の妃がいないということは、後宮を取り仕切っているのは、未だに彼らの母、王太后であるということだ。
昨日の夜、リンフェイに「王太后は押さえられる」と言ったばかりなのに、すでにこれだ。どうやらズーシェンに「国王とは」と解きに来ただけのようだが、全然参考にならなかったとズーシェンは言う。いったい何を吹き込もうとしたのか、非常に気になる。
「ちなみに、何とおっしゃられていたのですか」
「えーっと、『王と言うのはその血筋によってしか示されない』みたいなことを言ってた気がするけど……聞き流してたからあんまりよく覚えてない」
「……大きく間違ってもいない気がしますね」
スヨンは何とも言えない気持ちでうなずいた。今日のリンフェイは軍の屯所の方にいる。そちらで訓練中なのだ。派手に動き回ることに決めたようで、すでに軍事演習の申請も出てきていた。動きが早すぎである。
「でも、僕は上に立つ者ってその行動によって示されると思う。リンフェイ姉上もそうだし、宰相もそうだよね」
「……ありがとうございます」
スヨンは返答に困ってそれだけ答えた。リンフェイがいれば、うまく通訳してくれるのに。
「僕も二人くらい頭が良ければいいのに……」
そうつぶやきながらも、ズーシェンはやはり聡明だった。今の宮廷内の微妙な情勢を感じ取り、うまく均衡を取れるように取り計らう。もちろん、スヨンも口をはさんだが、だいたいは彼の自主性に任せた。よほど大きく外れていなければ問題ないはずだ。
「まず、国内の安定を優先すべき? なんか、派閥が細かすぎてよくわかんない……」
「そうですね。国内が荒れていれば、他国に攻められてもなすすべがありません」
やはり、ズーシェンはちゃんと見えている。まあ、リンフェイなら何とかしそうだな、とスヨンもズーシェンも思っていたが、そういう問題でもないのだ。
先々代の王、つまりズーシェンの父親は、多数ある派閥をまとめ上げることができていた。先々代王は兄であるリンフェイの父から王位を継いだ形になるが、先々代王の兄弟はなんというか、有能だった。戦乱期を生きぬいた、と言うのもあるのだろう。
「とにかく、目の前のことを片づけていくしかありません。今は」
「今は、ね……」
「とりあえず、これを読んで許可を出すなら御璽を、不可ならば不可、と書いて私に差し戻してください」
「……えっと、宰相って説明はしょってるのか、簡単に説明してくれてるのかわかんないよね……」
ズーシェンが困ったように言った。言葉が足りない、と言われるので、たぶん、端折っているのだろう……。
おおらかな王族に感謝である。
△
「最近治安が悪い」
王の執務室へやってきたリンフェイがそんなことを言いだした。宮廷の外の情報は、こうして彼女が持ちこんでくることが多かった。
「いきなり何言ってるんだ?」
「治安管理ってリンフェイ姉上たちの仕事では?」
「まあ、軍の仕事の一環ではあるよね」
スヨンとズーシェンにつっこまれて、リンフェイはうん、とうなずいた。
「まあ、私たちの手の届かない範囲で起こっているというか。最近の物価は知ってる?」
何故突然物価、と思いながらも、一応流通関係を把握するために統計は取っている。
「ええっと……金額はそんなに変わってないよね?」
ズーシェンが自分で統計表を発掘して言った。彼は呑み込みが早くてよろしい。
「ズーシェン、あなたスヨンにだいぶ教育されてるね……まあいいや。金額は変わってないね。ただ、粗悪品が多くなった」
「え? なんで?」
ぼったくろうとしてるの? とズーシェンが首をかしげたが、そんな言葉をどこで覚えたのか。目の前の従姉姫だろうか。
「……そうか。正規品の価格が上がっているから、元の値段を保つために粗悪品に変わってきているのか……」
「そういうことだね」
「え? わかりません」
手をあげて訴えたズーシェンである。わからないことはわからないと言え、というのはリンフェイの教えだろうか。性格によるのかもしれないが。
「たとえば、需要が変わらないのに、流通量が少なくなったとします。買い手すべてにいきわたるようにするにはどうすればいいですか?」
問題形式でスヨンが尋ねた。ズーシェンがまじめに考え始める。
「ええっと……物は何でもいいんだよね。野菜とか……?」
「野菜よりも、点心とか、米などがいいですかね」
小麦粉でもよい。ズーシェンが悩んでいるのを見て、リンフェイがさらに口をはさむ。
「五人でしか分けられないものを、無理やり十人で分けようと思ったら、どうする?」
「え? それは……分けるものをさらに半分に……ああ、なるほど」
ズーシェンが理解したらしく、うなずいた。金額上では変わっていなくても、中身が小さくなっていたり、混ぜ物をして嵩増ししたりしているわけだ。だから、帳簿だけ見ていてもわからないこともある。こうして現実のものに置き換えることで、わかっていけばいい。
「と言うかリンフェイ、お前、説明がうまいな」
「スヨンがわかりにくいのでは?」
自覚はある。放っておけ。
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