弐拾伍
スヨンは、自分がその瞳を『空色』だと認識したことに驚いた。彼にはリンフェイの瞳は、灰色に見えていたはずだ。それが空色……空色って、どんな色だっけ?
突然飛び込んできた色彩に、スヨンは戸惑った。白と黒の世界に加わる色。もう二十年以上見えていなかった『色』に、スヨンは困惑するしかない。色の見方など、忘れてしまった。
「スヨン?」
スヨンの戸惑いに気付いたのだろうか。リンフェイが気遣わしげに覗き込んでくる。その、いつもとは違い日の光にきらきらと輝いて見える髪に触れた。
「……お前、こんな目と髪の色をしていたんだな……」
彼女が生まれたころには、すでに見えなくなっていた。だから、スヨンが彼女の本当の色を見るのは初めてだ。
「な、何言ってるの」
本気で訳が分からない様子でリンフェイが言った。身を起こしたスヨンは、リンフェイの頭を撫でる。
「今日の装束は赤か」
太陽と同じ色。いや、太陽は沈みかかっているが。
「え? ええっ?」
再び目を見開いたリンフェイであるが、すぐにその青い瞳を潤ませて抱き着いてきた。その後頭部を軽くたたいて慰めながら、何故突然色が認識できるようになったのだろう、と思った。
「お二人とも、お取込み中すみません」
果敢にも声をかけてきたのはチェン将軍だ。むしろ、この状況で彼以外に声をかけられたら驚く。
「今後の指示をください。特に太尉」
「うー。ごめん」
鼻をすすりながらリンフェイは立ち上がった。手を差し出されたので、それを握って立ち上がる。てきぱきと指示を出しはじめたリンフェイの目元がほのかに赤らんでいるのを見て、なるほど、とスヨンは納得する。泣いた後に目が赤くなる、と言うのはこういうことか。
「ちょっと、突っ立ってないで手伝って」
リンフェイが手招きをする。すっかりいつもの調子の彼女に飽きれるというよりも感心するスヨンだった。
△
「とりあえず今追い返したとはいえ、また攻めて来たらどうするんだ」
と言うのが現状である。威族は撤退したとはいえ、いつでも爽国に攻め込める。まあ、ハオユーがこちらに戻ってきたので、ここで攻めてくればただの侵略戦争になる。
「大丈夫。僑国の女王につなぎを取ってきた。あちらの女王は恐ろしいからねぇ」
威族の勢力範囲は、爽から僑にまたがっている。僑の内乱時に威族に合流した者も多く、それが威族の勢力が拡大した原因の一つだ。
内乱から五年。僑も国内の混乱が収まったころだ。リンフェイの提案に、僑女王は二つ返事で乗ったらしい。さすがの威族も、二国に挟まれれば大きな動きはできないだろう。
「進んでもリンフェイ……下がっても、僑の冷血女王か……俺なら失神する……」
ハオユー、戻ってきたばかりだがいつも通りで絶好調である。この一族、本当にぶれない。むしろ、リンフェイが一番ぶれている気がする。
「すっごく私たちに失礼だけど、まあ、気が合ったことは認める」
「気が合うのか。あの女王と」
さすがにスヨンも驚いた。考えてみれば、彼の国の女王はリンフェイと同世代か?
「かっこいいよね。まあそれはともかく、威族の封じ込めを行うから、しばらくこの砦は軍備を強化しておく」
「……まさか太尉、残られるのですか?」
チェン将軍が驚いたように言った。リンフェイは片方の目を眇めるという器用な表情を作った。
「残ってもいいならそうするけど」
「駄目だ。戦後処理がある。お前、私にやりかけの仕事を投げ出す気か」
スヨンがきっぱりと言った。僑女王とつなぎを取ったのはリンフェイである。短期間でよくやったな、と言う感じではあるが、法具か何かを使ったと思われる。そして、急ぎだったのですべて事後承諾の可能性が高い。都には宰相と太尉が不在。王は残っているが、ズーシェンはあわあわしていることだろう。早く戻らねば。
正直、こうした防衛線は、別にリンフェイでなくても維持できるのだ。なので、彼女は彼女の能力が必要な場所で仕事をしてもらう必要がある。王族である、と言うことは、彼女の能力の一つだ。
「言われると思った。実際、こっちにいても私のやることなんてないしねぇ」
さすがにリンフェイ、わかっていた。チェン将軍もうなずく。
「ですね。あと、戻ったら婚姻の手続きも進められますしね」
「……」
「それいる? 公主の身分があった方がいろいろ便利なのだけど」
沈黙したスヨンに対し、リンフェイはからりとしてそう言った。そして、実利を取るリンフェイ。じっとハオユーとチェン将軍がスヨンを見つめた。スヨンの顔が引きつる。
「なんですか」
「……別に、リンフェイが王族から抜けなくても、婿を取るっていう方法もあると思うんだけど」
「というか、降嫁しても太尉が王族だということは変わりませんよね。シュラン公主のように」
ハオユーとチェン将軍の言である。確かに、降嫁したシュランであるが、彼女が公主であることには変わりない。王位の継承権がないだけだ。現在、リンフェイが王位継承権を持っているためにおかしなことになっているのだ。ちなみに、ズーシェンに子がいない今、彼女は王位継承権第一位を保持している。
どうするんだ、と言うような視線をリンフェイにまでむけられ、スヨンは言った。
「……都につくまでの宿題で」
先送りにした。
△
「わああああっ! 兄さんんんんっ!」
都、というか王宮にたどり着いた瞬間にハオユーに泣きついてきたのはズーシェンである。何故かハオユーもぼろぼろと泣きだして、収拾がつかなくなりかけた。
「ごめん、ごめんな、ズーシェン……!」
一応、王位を押し付けた弟には悪いと思っていたらしい。冷徹にハオユーを切り捨てたリンフェイだが、彼女も眼を細めて笑っている。スヨンも眼を細めて彼女を見ると、小声で尋ねた。
「ハオユー様をどうする気だ?」
リンフェイは肩をすくめる。
「一度王位を投げ出した以上、復位はありえない。王はズーシェンのまま。ハオユーには、一度死んでもらう必要がある」
リンフェイの声が聞こえたらしく、ハオユーがびくっとした。ズーシェンも「兄さんを殺さないでぇ!」と泣き叫んでいる。
「いや、別に本当に殺さないよ。私もそこまで鬼畜ではないよ」
「お前、自分が鬼畜だという自覚があったのか」
驚きに目を見開いたスヨンだが、リンフェイにどつかれた。
「社会的に死んでもらうということ。別人になってもらうってことだよ」
「……そんな事、できるのか?」
ハオユーが言った。リンフェイはいい笑顔で返す。
「もちろん。ここには王、宰相、太尉がそろってるわけだからね」
職権乱用、とつぶやいたのはズーシェンだろうか。言い終えたリンフェイは突然神妙な表情になると、ハオユーに謝罪した。
「それと、あなたが逃げた時、追わなくてごめん」
「い、いや……それは、私のことを思ってのことだとわかっている。ああなったのは結果論であって、リンフェイのせいじゃない」
ハオユーは賢明にもリンフェイにそう言ったが、さすがのリンフェイも判断を誤ったと後悔しているのだろう。そう、と神妙な表情の彼女に、ハオユーは先ほどとは違い、きっぱりと言った。
「それから、私に悪いと思うなら早く宰相と一緒になってくれ。目の前でいちゃつかれる私の気持ちがわかるか?」
「あ、兄さん、その気持ちよくわかる」
ズーシェンにも大きくうなずかれ、スヨンは視線を逸らした。リンフェイはくすくすと笑う。こういう時、女性は強い。彼女の性格なのかもしれないが。
「だってさ。あなた、公主を娶る気はある?」
「……なければ、好きだとは言わない」
王宮の正面で告白させられたスヨンは目元を覆ったが、リンフェイはからりと笑っていたし、王とその兄はほっとしたように息をついた。
スヨンが手に入れたのは、色彩だけではなかったらしい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これで、『あなたに届く彩は』は完結します。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。
いつも通り設定が活かしきれていませんが、完結になります。
気が向いたらその後の話も書きたいなぁとは思いますが、あまり期待しないでください…。




