壱
気付いたら7月。いろいろ忙しいですが、息抜きに書いてまいります。
新連載です。なんでもばっちこい、と言う方のみスクロールを。
一般外交から攻撃的な外交まで担うリンフェイは、宰相からの使いだという青年から文を受け取り、それを眺めて眉をひそめた。
「はあ?」
ちょっと信じがたい内容だった。
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十歳を過ぎたころから、この両目は色を拾うことをしなくなった。
術者の一族に生まれたリャン・スヨンは、十を過ぎたころに家族を全員亡くし、それ以降、鮮やかな色彩が見えなくなった。すべて白と黒、濃淡の世界。彼を育ててくれた人には、精神的なものだろうと言われた。
原因ははっきりしているが、解消されることはないだろうと思われるので、このまま一生生きていくのだろうなあとスヨンは思っている。この目との付き合いも、二十五年ほどになる。慣れれば大したことはない。
ただ、服の色合いがおかしいやら、朱色が見えなくて訂正がわからない、血文字だろうが認識できない、という不便な点もあるが、その辺は他人に助けを求めるしかない。
何かと手助けをしてくれて、しかもそれになれている人物はいるにはいるのだが、その人も忙しいし、何より今外交で国外に出ている。まあ、速達の文を出したので、早ければ今日明日中に戻ってくるとは思うのだが。
午後になってから、外交使節が戻ってきたことを知らせる鐘がなった。玻璃の窓から外を眺めたスヨンだが、すぐに視線を書簡に戻した。だれだ、こんなに積み上げていったのは。
粛々と処理していると、扉の外から「入るよ」と声がかかった。若い女性の声だ。目をあげたスヨンは、そこに立っている人物を見て「戻ったか」と言葉少なに言った。
「あんな文をもらったら、戻ってこざるを得ないよね。で、事実なの?」
スヨンは深くうなずいた。
「事実だ。主上が逐電した」
「まーじーかー」
スヨンの言葉に、思わずと言う風にその女性、ヤオ・リンフェイはその場にしゃがみ込んだ。気持ちはわかる。スヨンも同じことをしたいところだが、彼には宰相としての責任があるのだ……。
わざわざ外交先から呼び戻されたヤオ・リンフェイは逐電した国王の従姉にあたる。二十二歳の年若い女性だが、太尉を拝命する優秀な女性である。しかし、彼女を何より目立たせているのは、それらの事情ではない。
彼女は、この国の人には珍しい、淡い色合いの髪と目をしていた。明るい茶色の髪は緩くうねり、その瞳は青いらしい。
そう。らしい。スヨンは彼女が生まれたころにはすでに色彩を認識できていなかったので、彼女の、周囲が言うところの『変わった色合い』である髪と瞳の色を認識できなかった。だから、スヨンにとってリンフェイは、ちょっと色の薄い子、でしかない。ちなみに、これを彼女に言うと怒る。当たり前だ。
リンフェイの父親はこの国の先々代の王だが、母親は西方、波斯から流れてきた姫君だ。母親の身分の低さからないがしろにされる彼女だが、その才覚は鬼才と言われるスヨンですら舌を巻く。
彼女を養育した人物は、スヨンを育てた人物と同じだ。五年ほど前に亡くなっているが、強く、優しく、温かい人だった。彼女がいなければ、家族を亡くしたスヨンもリンフェイも、今を普通に生きていないだろう。
まあそれはともかく、逃亡した国王だ。リンフェイの従弟。名をハオユーと言う。年は彼女の一つ年下で二十一歳。
年が近いゆえに、彼は従姉に対して劣等感を抱いていたようだった。しかも、本来ならリンフェイは公主として敬われていたはずだ。その立場を奪ってしまった、という思いもあったのだろう。リンフェイがおとなしく公主をしたかはわからないし、彼女の父を追い落としたのはハオユーの責任ではないのだから、気にすることはないとスヨンも思うのだが。ちなみに、リンフェイの父を追い落としたのはスヨンの先代の宰相だ。
今、この国は国王不在と言う状況に陥っている。国王がいない以上、国政の最高執行者であるリャン宰相と、軍事・外交の最高責任者であるヤオ太尉が今後のことを決めなければならない。
「普通に考えたら、次の国王を立てなければならないわけだが」
スヨンはちらりとリンフェイを見た。彼女を推す声は多いが、それと同じくらい、彼女を王位につけるべきではない、と言う声も多い。いまどき混血でない方が珍しいと、スヨンは思う。しかし、それを彼が言うと、お前は色彩を認識できないから、リンフェイの異常さがわからないのだ、と言われる。失礼な話だ。色が見えないこととは関係ないだろう。
「私は嫌。いくら先々王の娘だと言ったって、過去に女王は少ないわ。っていうか、私は王位についたらこの国は真っ二つに割れるだろうね」
「……まあ、私も同意見だ。主上を追うか?」
「責務を放棄した人間に用はない」
きっぱりと彼女は言った。この割り切ったような言いようが、人の反感を招くし、ハオユーの劣等感をあおるのだろう。スヨンとしては、これくらいはっきりしていた方が何かと好都合だと思うのだが。
「無理やり玉座に戻しても仕方がない。好きに生きたいというのならそうすればいい。それが選べるのだからね」
本来なら、ハオユーは選べる立場にないのだが、逃げてしまったものは仕方がない。これはリンフェイが彼をうらやましいと思っているということだろう。彼女は人生に、あまり選択肢を与えられなかった。
「それに、探すために割く労力が無駄。戻ってきたかったら、勝手に戻ってくるでしょ」
「探されるのを待っているのかもしれないぞ」
「それはあちらの都合でしょう。私の性格を読み間違ったハオユーが悪い」
「……」
まあ、スヨンも探すつもりはないが。しかし、情報くらいには耳を傾けておこうかな、とは思う。
「とにかく、次の王を選ぶ必要があるのは変わらんな。門下省と中書省を説得する必要があるな」
「もう、『駄目なら私が王になる』って言えばいいんじゃない?」
ニコッと笑ってリンフェイがそんなことを言うので、とりあえず頭をはたいておいた。
「痛っ。もう、冗談なのに」
「冗談でもそんなことを言うな」
自分を犠牲にするようなことは。割と本気で言うとリンフェイはなぜかニコニコと嬉しそうだ。スヨンは少し呆れる。
「怒られて喜ぶな。どうしていいかわからなくなるだろう」
「えー、そう?」
頭脳明晰な彼女だが、時々子供っぽいことをする。それに、ほっとしているスヨンもスヨンだが。
話が脱線しがちだが、ひとまずしなければならないことがある。
「まず、王位継承権のある人たちを呼び寄せないとね。って言っても、二人だけかなぁ」
「王太后はどうする」
「あの人は二人に話を通してからね。私、嫌われてるから」
何でもないように彼女は言う。確かに、ハオユーの母である王太后には、リンフェイの言葉は通じない。その彼女と仲がいいということで、スヨンの話も聞かない。しかし、先王も先々王も、しっかりとした権限を持っている人間でないと、政治に介入できない体制を作り上げた。そのため、王太后が泣こうがわめこうが、彼女の言葉が通ることはほとんどない。
しかし、説得が面倒ではあるので、先に話の分かる人たちに話をしてしまおう、と言うわけだろう。スヨンも賛成だ。
「よし。ひとまずはそれで。ちなみに、もう召集かけてあるからな」
明日集まる予定だ。リンフェイが眉をひそめる。
「それ、私に意見を聞く必要なくない?」
「形式ってのが必要なんだよ。何事も」
一応、宰相と太尉の意見が一致した、という事実が欲しかった。それだけで説得力が違う。
「……そう言えば、言っていなかったな」
「ん?」
「お帰り」
スヨンの言葉にリンフェイは虚を突かれたような表情をし、それから微笑んだ。
「うん。ただいま」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
定期的に書きたくなる中華風。
リャン・スヨン/梁 秀英(36)宰相(尚書令)
ヤオ・リンフェイ/姚 凜飛(22)太尉
私の作品にしては年の差がある方ですが、珍しいほどの差でははない…?
しかし、漢字にするとリンフェイの名前がかわいらしい。




