お出かけ
カナリアは貴族たちの間では有名な魔女だ。
透けるような金髪に陶器のような肌、空を閉じ込めたスカイブルーの瞳。年齢のわりに幼さを残す顔立ちや好奇心旺盛で少々子どもっぽい振舞いとは対照的に、ひとつひとつの仕草から品の良さが滲み出るような女性であった。それでいて聡明で、貧しかった自分の故郷を国一番の農業生産地にまで押し上げた手腕の持ち主。それだけでも彼女の名を世間に知らしめるのには十分すぎる功績であったが、彼女を一躍有名にしたのは他でもない。大魔法使いベスティアのただ一人の弟子という肩書だ。
弟子嫌いで有名な彼が唯一隣に連れて歩く相手、世界中の魔法使いから羨望と嫉妬を向けられる立ち位置は良くも悪くも彼女の名を広めた。
「カナリアー、一緒に遊ぼうよぉ」
「寒いから出たくない」
「君の周りだけ温めてあげるから、散歩に行こうよー」
「ベスティア最近太ったからヤダ」
「ふとっ!?そ、それは冬になったから毛皮が増えただけで………今の僕の体重に変わりはないよ!」
「えっ、その姿で一緒に散歩に行くつもりだったの?」
「嫌なの!?」
「この季節は猫の方がいいぁ、暖かいし」
「暖房機具代わりなんてあんまりだよお」
「あ、こらこら泣くな!誰が掃除すると思ってんだ!」
「あぁぁぁぁあぁ」
泣いて喚いて駄々をこね気を引き構ってもらうベスティアと、彼を足蹴にしつつまき散らされた花にため息を吐くカナリア。噂の絶えない二人はいつもこんな感じである。
確かに聡明で美しいカナリアには大きな功績がある。だが彼女は努力家なBL好きの普通の女性であるし、大魔道士なんて祀られたベスティアだってカナリアにべったりの甘えたな魔法使いでしかない。噂とはいつの時代も真実とはかけ離れているものだ。
「分かった、分かった行くから。やめて花まみれにしないで」
「ほんと?」
「うん、行く行く。どこでも今日は付き合うから」
「結婚は?」
「しません」
「冷たい!でも好き!」
「うぉっと、止めて体格差を考えて背中折れる」
嘘泣きにうんざりし、カナリアはペンを置いた。
今日は一日フリーだった。最近忙しくなかなか続きを描けなかった上司と部下の相瀬を、ようやく仕上げられると朝から意気込んでいた。だが、彼女の師匠はそれを許してはくれなかった。
外に出よう遊びに行こうとしきりに誘ってきては作業の邪魔をし、手を止めると嬉しそうに頭を差し出す。構え構えと喧しく騒ぎ立てる。昼食後いい加減にしろと彼を外に追い出し無言で扉に鍵をかけると、外でにゃんにゃんみゃーみゃー。
声に耳を貸さず机に向かっていたのだが、いつの間にか入ってきて背中にのしかかられ終いには泣いて全力でアピールされてはもう断れない。どっと疲れたカナリアは諦めて白旗を上げた。
部屋中に撒き散らされた名も知らぬ花を八つ当たり気味に蹴散らすが、気分は晴れない。
ベスティアが泣くと魔法で様々な現象が起こる。
飴やぬいぐるみが彼の周りに降り注ぎ、終いには外見が動物やら子どもやらに変わる。体質らしいそれは後片付けが非常に面倒なので、それを回避できるならば休日返上も決して痛くはないはずだと半ば投げやりに立ち上がった。
「それでどこに行くんですかお師匠様」
「うぅ、どこでその名前聞いたの?」
「前回の社交界で」
般若の形相をした貴婦人方に。
「言わないように言っておいたのに」
「どうして私しか弟子を取らないんだーって」
ついでに恋人に私を推薦しろと。
「弟子じゃないもん」
「家庭教師じゃん」
「そうだけど。ぼ、僕はきみがす、き…………だから一緒にいるのであって魔法だって君が悪い男に捕まらないように見ているだけで、その」
「ごにょごにょ言ってたら分からないよ」
「も、もう!」
顔を赤らめて頬を膨らます姿は子どものそれだ。カナリアは笑う。
彼を良い師だと言ったのは、果たして誰だっただろうか。
カナリアにとって魔法は、遊びの延長戦で感覚的にはパズルと大差ない。
彼が出来るのに自分が出来ないのは悔しいと始めてから、課題は愚か教科書すら彼は用意してくれたことはない。採点はするが指導はしない、赤いペンの先生の方がよっぽど親切心に溢れているカナリアは思う。一般常識は教えてくれるのに、なぜか魔法は教えない。そんな彼を師匠と仰げと言われるのは確かに難しい。
いっそのことその真実を魔法使い共に教えてやるべきだろうか。
考えてすぐにカナリアは頭を振った。無駄だな、奴らの耳に都合の悪い情報などきっと入らない。
「それよりほら、行こう」
「どこに行くの?」
「王都だよ。城下にね、美味しい饅頭屋さんが出来たんだって!」
「饅頭って東の国のお菓子?王都までくるなんて珍しいね」
「うんうん!めったに食べられないんだ!」
浮足立つベスティアはどこからか杖を取り出す。
先端に青い球体のついた変な形の銀色の杖(彼曰く木製らしい)でコツンと軽めに床を叩く。と、杖の先から染みだすように緑色の光がごぽりと溢れる。意思があるかのように動き出したそれは、床を這い次第に花の模様を描き出す。ふたりを包み込める大きさまで成長すると、一度大きく光り術者に完成を知らせた。移転用の魔法陣の完成だ。
それを横目で確認し、カナリアは小さめの鞄に財布とハンカチを詰める。自らが金銭を持ち歩くなど貴族にはあるまじき姿であるが、カナリアは田舎の、それもぎりぎり貴族をやっている様な家系である。持ち物は自分で用意していた。
「カナリア早く」
「待ちなさい、無銭飲食するつもりか」
「叩けばでるもん」
「ビスケットか!それはやらない約束でしょう?」
「けち」
「ケチで結構」
首を絞める勢いでベスティアにマフラーを巻き、手袋をはめる。
コートを羽織って己も手袋をはめて、用意の済んだカナリアは魔法陣の中に入りベスティアの腰に手をまわす。準備オーケーだ。
「いくよー」
間抜けな掛け声、コツリともう一度杖で床を突く。
次の瞬間、二人を囲んでいた光は強く発光し部屋全体が緑色に包み込まれる。だがそれも一瞬の事だ。瞬きの間に部屋は元の煤けた茶色へと色を戻し、中央に立っていたふたりは姿を消していた。後には小さな光の残滓だけ、それもふわりと舞ってぱちりと消えた。