ふたりの関係性
急にBL表現から入るので苦手な方『』内に注意です!
少女はペンを動かしていた。
まるでなにかに憑りつかれたかのように、真っ白なノートを埋めていた。
窓から差し込む光を煩わしいと思うこともない、意識はすべてノートに注がれている。
少女は脳内に湧いた情景をひたすらに記していた。
妄想は脆い。形にしなければ泡沫の夢と同じ、すぐに別の妄想で塗りつぶされてしまう。だから必死に書きなぐっていた。今朝、天命のように降りてきた上司と部下の相瀬を忘れぬために。
『男は木苺のように膨れたそれを口に含むと、ガリッと強く歯を立てる。
膝の上であがった奇声に口元を歪ませ、男は畳みかけるように白く湿った肌を掴むと突き上げた。緩い刺激ばかりで焦れた腰が大げさに跳ね上がる。口を押えていた手から力がぬけ、鼻にかかったような声が』
トントン
「カナリアいるかね」
「ひゃい!?」
カナリアと呼ばれた女性は椅子の上で飛び上がった。
ノートから手を離し本棚に音もたてずにじり寄ると、本と本の間にそれを滑り込ませる。机に戻り予め用意しておいたやりかけの問題集を雑に広げ参考書を端に積み上げると、何事もなかったかのように微笑みを浮かべ自室の扉を開けた。
「どうしたの、お父さん」
「ああ、この術式について意見を………と、勉強中か?」
「もう終わるところだから気にしないで」
「そうか?」
「うん!ところで、術式って」
「自動水やり機じゃよ、どうにも水量が調節できなくての」
扉の向こうでノート片手に眉を下げているのは父、ダグラスだ。
広げられたノートには、数々の数式と魔術式が記されている。隙間なく描かれたそれらは、素人から見れば子どものお絵かき、また小難しい数学の教科書に見えただろう。
カナリアはどれどれとノートを覗きこむと、曖昧に笑った。
うん、穴だらけだ。
「これだと調節どころか水が詰まって爆発するんだけど、まさか組み込んでないよね」
「なんじゃと!?」
「ここを切って、ここに繋げれば」
「なるほど………!」
「変な式を組み込む癖、本当に治しなよ。怪我してからじゃ遅いんだからね!」
「分かっとるわい!」
礼もそこそこに踵を返したダグラスに注意を促すが、あの様子ではまた作るだろうと額に手をやった。
まだまだ未熟なダグラスが穴の空いた式を作るのは仕方がない。が、変な式を思いつくままに組み込む彼の悪い癖は、耳がタコになるほど注意しても治らない。
彼の作品のほとんどが爆発式として生まれ変わるため、その手の天才なのではないかとカナリアは常々思っている。それを運用し被害を受ける村人たちからすればいい迷惑ではあるのだが。
組む前に見せに来るだけ進歩なんだ諦めてくれ。心の中で合掌し、カナリアは部屋に引っ込んだ。
「あー、びっくりしたぁ」
伸ばしていた背から力を抜き、崩れ落ちるように椅子に座り込む。
背もたれに体重をかけググっと後ろ向きに腕を伸ばすと、ぴきぴきと嫌な音が聞こえる。無視して一緒に息を吐き出すと、じんわりと温かいものが身体を伝った。
つま先に力を入れ椅子の前足を浮かせる。後ろ脚だけで身体を支える不安定な状態になるが、身体を伸ばすにはこの方がやりやすい。ぐっと握っていた手を開いて指先まで血液が登るビリビリとした感覚に堪える。
「今日は実験で遅くなると思ったんだけど、意外と早かったなぁ」
「彼も日々成長しているってことさ」
「―――!?」
とつぜん頭上から降ってきた声にカナリアの心臓は飛び上がった。
驚いて足に余計な力が加わり、後脚だけで健気に全体重を支えていた椅子がバランスを失い後ろ向きに傾く。あっと小さく反応は出来たが突然のことに頭は働かず、重力に従いカナリアは椅子と一緒に倒れ―――――――なかった。
誰かが後ろから支えてくれたらしい。不安定に傾いていた椅子がどっこいしょと年寄りじみた掛け声と共に元の位置に修正される。反動で後ろに引かれた頭部がぽすりと柔らかいモノにあたり、続いてやってきた花の匂いにカナリアは誰が後ろにいるのか気が付き怒られる前に怒鳴った。
「もう、こんな風に座ったらあぶな―――」
「ベスティア!急に声かけるの止めてよ、心臓止まるかと思った!」
「―――いじゃ、え!?ご、ごめんね」
「ちゃんと玄関から帰ってきてよ!」
「ま、魔法陣で直接帰ってきた方が早いだろう?」
「そういう問題じゃない!」
遠征のたびに私の心臓を止める気なのか!と憤怒すれば、きみにいち早く会いたかっただけなんだ!と彼は歯の浮くような台詞を吐き出す。違う、そんな台詞が聞きたかったんじゃない。
「ビックリして私が椅子ごと倒れたらどうするつもりだったの!」
「そ、それはもちろん治してあげるけど………って違うよ!そもそもきみが不安定に座っていたからだろう。怒られるのが嫌だからって責任転嫁しないでおくれ!」
「ちっ、ばれたか」
「もう!大けがしたら本当に怒るからね」
「怪我したうえに怒られるとか、ダブルパンチは辛い」
「そう思うならもっと淑女らしくしておくれ」
「はーい」
まったくもうとカナリアの後頭部を撫でながら叱る彼の名はベスティアという。住み込みで彼女の家庭教師をしている魔法使いだ。
ここでは珍しい真っ白な髪に同色のローブを身にまとった彼は、こう見えてとても偉大な魔法使いらしい。他国の紛争に散歩がてら飛び込み両軍を壊滅状態まで追い込み終戦を迎えさせたとか、水のない荒れた大地を一瞬で緑あふれる楽園に変えたとか。噂は絶えない。
見たことがないが、頻繁に王宮から使いが来るのでたぶん本当なのだろう。クワひとつ持てないひ弱な青年にしか見えないので、カナリアは半信半疑だが。
「なになに?僕の顔に見惚れちゃった?」
「それはない」
「酷い!」
確かに綺麗な顔立ちをしているとは思う。
肌は透き通るように白く唇はピンク色で薄くて、でも張りがあって。長いまつ毛に縁どられた紫陽花色の瞳は人を引き付けるものがある。だぼだぼのローブを着ているから分かりにくいが、実はそれなりに筋肉が付いているのも知っていた。物腰も柔らかいし紳士だし女性に言わせれば理想的な男性なのだろう。
―――なんだけど、そうなんだけど、なんど見ても受けにしか見えない。いや、あえて攻めでもそれはそれでそそるが。
カナリアの思考は深まる。カナリアに言わせると彼は押し倒される側なのだ。
―――襲い受け、そうだ、襲い受けがあるじゃないか!
カナリアは新しい可能性に気が付き、忘れぬうちに脳内で構図を練り上げる。
*カナリアの愛の妄想劇場*
『ベスティアは街で見つけた健康的で、しかしまだ青い果実に目を付けた。
まだ男女の営みすら経験のない初心で無知な青年を、巧みな話術で誘惑し寝台に引き込む。彼は優しくだが依存するほど必要に青年に快楽を教え込んでいく。一夜にして幼虫から羽化させられた青年は、ベスティアの思惑通り行為にのめり込んでいった。
震えていた口付けは深いものへ、戸惑い快楽に揺れていた瞳は獲物を見つけた肉食獣のような瞳へと変わっていく。寝台を共にするごとに初心な青年から成熟した雄の獣へと変わっていく彼に、ベスティアは底知れぬ優越感を抱いていた。相手を自分好みにできる喜びに満たされていたが、次第に解き放たれた獣の猛攻に手が付けられなくなってしまう。
「こら、ダメだって言っているだろう!」
「俺をこうしたのはあんただ、責任を取ってもらう」
毎夜毎夜、朝方まで続く行為に次第に体力の限界を迎えるベスティア。
しかし相手は若い雄、阻めば阻むほど相手は燃え上がっていく。絡め取られる細腕、悲鳴を上げる寝具、降り注ぐ愛の証。次第にベスティアは、主導権を握られ全身を愛撫される喜びに目覚めていく。
「ほら、素直になれよ」
「ん、いやだ………僕は!」
「ふん、正直におねだり出来るまでお預けだ」
「そんなっ!」
焦れるベスティアをまるで嘲笑うかのように青年はピタリと動きを止めた。
いくら目で訴えようとも青年はそれを見て、彼の身体を指先でなぞるだけ。すでに幾重も激しい夜を経験したベスティアの身体は、そのもどかしい刺激に耐えきれない。行き場のない熱がじりじりと内側から浸食し、思考を奪っていく。
「あ、もう………!」
根負けしたのはベスティアの方であった。
我慢できない、と零し強請るように瞳を潤ませて青年を見上げる。そしてなんどか躊躇い恥じらいながらも青年へと思いを告げると、満足そうにそのほっそりとした内股に手を差し込』
「うあああああああああ止めて止めて止めて!!」
「未開の地へ……あ、なに?」
耳元で叫ばれ、カナリアの思考は強制的に現実へと引き戻された。
叫んだのはベスティアで、両手を耳に押し当て髪を振り乱しながら必死に静止を訴えていた。ご乱心かな。
「思考を止めて!僕の傍でそういうこと考えるの止めて!」
「やだ、私の思考ダダ漏れ……?」
「分かっていてやってるだろう!?もう!」
「大丈夫大丈夫、興味本位で書いてみたりしないから」
「嘘つき!本棚に沢山隠してるの知ってるんだからね!」
「…………ほらほら、それより課題、できてるから見てってよ」
「誤魔化さないで!本当に止めてって、意識しなくても拾えちゃうんだから!」
善処する、声に出そうになる本音をぐっと飲み込みにっこりと笑う。
どうやらYESと受け取ってくれたらしい彼は、鼻をぐずぐずと鳴らしながらもどこか満足げな顔でちょこちょこと机に歩み寄り課題用のノートに目を通し始めた。
ベスティアは思考が読める。
無意識でも近くにいれば相手の考えていることが聞こえ、意識すれば遠い相手の心の声も聴くことが出来るらしい。だからうっかり彼の傍で脳内妄想を繰り広げると、ベスティアが無意識のうちに受信してしまうことがあるのだ。
その性癖も妄想の内容もカナリアに隠すつもりはない。むしろ毎回反応が面白いし、できれば同じ沼に足を突っ込んでほしいので積極的に妄想している。が、残念ながらベスティアにその兆しは見られない。悲しいかぎりである。
「お見事、全問正解だね」
「やった!」
「この魔術公式が理解できているなら、もうワンステップ上に行けるね」
「えへへ」
「本当に君には驚かされるよ、これを理解できる者はそうはいない。ただ―――君には簡単すぎたようだ、趣味に勤しめる時間があったようだし」
「………なンのコトデスカ」
「ほほう、今度は上司と部下の職場恋愛ものかあ、へぇえ」
あ、ベスティアの目が死んでいる。
「きみがちゃんと課題に勤しんでいる様子を見るつもりだったのに、どうしてこう……きみって子は!」
「見なきゃいいじゃん!」
「真面目に働いて帰ってきた自分へのご褒美に、数時間前の様子を見るくらいいいだろう!半日も離れてたんだぞう!」
「プライバシーもなにもあったもんじゃない、だめ!」
「ケチ!下着の色は見ないようにしてるからいいじゃん!」
「あ?」
「あっ」
うっかり口を滑らせたベスティアをカナリアは威圧する。
下から睨みつけると目を逸らしたので、右の頬を抓った。
「いはい、ううっ傷物にされた。これはもうカナリアと結婚するしかない」
「右の頬を抓られたら左の頬も?」
「貰うんならYESの返事がいいぃったぁあ!?」
左の頬も抓ってやった。