苦手な虫
まだ、大丈夫、虫苦手でもいけるいける。
「ゴキ(放送禁止用語)は本当に無理なんだってばあああああああ!!!」
森育ちとは思えぬ発言と共に落下する愛しい子どもに精霊たちも悲鳴を上げた。数が少ない風の精霊では受け止めきれないと瞬時に判断し、闇の精霊たちが自らの身体を使い大型の輪かを作る。
「〜〜〜!」
「〜〜〜〜!」
精霊たちが力を込めると中央に紫色の魔法陣が浮かび上がる。召喚魔法だ。
精霊たちはカナリアが着地するであろうポイントに急いで移動すると、間を置かずして魔法を発動させた。紫色が発光する。
「メエエエ」
一声。牧場で聴き慣れたそれが辺りに響いた。先導するように魔法陣から飛び出したのは、羊に似たピンク色の生物。
「メエエエ!」
二声、それはまさに号令だった。
........ドッ、ドドドドドドド。
地鳴りが魔法陣の向こうから伝わる。揺れる地面にピョンと二匹目の羊擬きが降り立つと、後から後からまるで雪崩のような勢いで次々と彼らは流れ込んできた。
10、20、いや50、もっといるかもしれない。
メェメェ。羊擬きは召喚されるやいなや天を目指すように仲間を足場にし、もこもこと積み上がっていく。俊敏な動きでピラミッドを形成すると、落下するカナリアをその柔らかな身体で受け止めた。
ボスン!
メェエ。メェ。メー。
全身がもふわっとした感触に包まれる。
コロコロと何匹かが転げ落ちたが、彼らに傷はない。もちろんカナリアにも。羊擬きたちは見事にカナリアを救出してみせた。
「メエー」
「メエエエ」
「メェ」
「ブメェェェ」
羊擬きたちが心配そうに鳴く。
揺れ動くカナリアの瞳がピンクの羊擬きをとらえた。己を受け止めたクッション材が生物であることを認識し、カナリアはつめていた息をようやく吐き出した。
「ーーーーーっ、はぁ.....」
強張った身体から力が抜けていく。包み込んでくれる柔らかな羊毛が優しい。
心臓の鼓動は早い、だというのに手足は氷のように冷たく感覚が薄い。羊擬きたちが安心しろとばかりにその身体を擦り付けてくれるが、未だにカナリアは軽い放心状態にあった。
無理もないことだ。数センチで人間の恐怖を煽る生命体が、身の丈の何倍にもなって追いかけてきたのだ。その恐怖は計り知れない。
「メエー?」
「メエエエ?」
羊擬きたちは敏感にそれを感じ取っているのか、ぐりぐりと頭を擦りつけては心配そうに鳴いている。
吸って、吐いて、吸って.......。
ようやく呼吸が落ち着くと、じわりじわりと麻痺していた嫌悪感が顔を出す。
ああ、嫌なものを見た。気持ちが悪い。
振り払うように近くの羊毛を撫でる。
メェー、気持ち良さそうな声で羊擬きが鳴いた。
「わざわざ来てくれたんだね、ごめんね助かったよ。ありがとう。精霊さんたちもありがとう、いつもの調子で飛び出しちゃって………ははっ、そうだよね。風の精霊さん少ないよね」
「ブメェ~」
「うん、うん、ちょっと落ち着いたよ」
落ち着いたと言いながらもその手は未だ小刻みに震えている。擦れた声でお礼を述べるカナリアに、精霊たちも元気づけようと頭上をくるくると回る。
吸って、吐いて、吸って.......。
落ち着こうと深呼吸を繰り返し、羊擬きのもこふわな毛並みを撫で続け、ようやく心臓は速度を落とし始める。ぼんやりとした思考が次第に鮮明になっていく。
なれば当然意識はクルムの方に向いた。
視線は土煙へ。
相当な勢いで落下したせいか、クルムが落下した地点は未だ土煙で覆われていた。そのおかげで姿は見えず、カナリアは胸を撫で下ろす。まだ真正面から対峙するのは気が引ける。
「カブトムシと変わらない気がするのにどうしてこんなに怖いのかな……」
カナリアは呟く。
羊擬きや精霊にとっては虫という認識以外に違いは無いので相談しても意味はない。案の定「分からないよ」と首を傾げている。私もそれくらいの認識が良かったと苦笑いし頭をもふる。エンカウントしても怖じ気づくことなく淡々と処理できる猛者に私もなりたい。
「どうしようか………」
願ったところですぐにそうなれるわけではない。どうにか今のレベルで敵に立ち向い、事態の終息を測らなければいけないのだが………いい案は浮かんでこない。
「普通の解術魔法はもう利かないしなぁ」
精霊さんと「ねー」と首を傾ける。
そう今のクルムに解術の魔法は利かない。
カナリアが行使していた解術は無属性の魔法である。特定の精霊の力を借りないぶん使い勝手は良いが、低級レベルの魔法しか発動することが出来ない。ベスティアが遊び半分に撒いた程度の呪いであればそれで解術することは出来るが、それ以上の呪いを綺麗に消すほどの力はない。
クルムの呪いは開花寸前。つまり中級レベルまで成長しているということだ。
一般的に中級レベル以上の呪いを解くためには、光属性の浄化魔法を使うしか方法はない。
「でもいないし」
そうここは、日中も太陽が昇らないお菓子の国。太陽大好きな光の精霊がいるわけはない。
「浄化以外にどうしたらいいのぉお」
「メェ」
「ブメェ」
解術は効かず、浄化は発動できない。であればどうするべきなのか、とんといい案は出てこない。
殴れるならば腹を中心に攻撃し取り込まれたヒトたちを吐き出させるのだが、生憎とあれに触れられるなら最初からやっている。いっそ遠距離から焼き払ってやりたいが、そういうわけにもいかない。カナリアはグッと衝動を抑えた。
「メエエ」
「なんかないかなぁ」
「ウンメェ」
「ん?羊さんなにを咥えて....」
下を覗き込むと一匹の羊擬きが、カナリアの腰あたりでモゴモゴしていた。その口には見覚えのある小瓶を咥えている。あれは使用人たちが持っていた未完成の薬の瓶だ。
「..........わっ、危ないよ!」
「メェエエ」
どこから持ってきたの!と慌てて手を伸ばす。口に入っては危ないと声をかけるが、羊擬きは嫌だと首を背けた。
「ばっちいからペッてして、ペッ!」
「メェエ」
「メエエエエ」
「未完成とはいえ危ないから、ね?」
「メメメメ」
「メェエ」
口から出すように言うも羊擬きは頑なに口から離そうとはしなかった。彼らの奇行にカナリアは慌ててその羊擬きの側へと寄り、小瓶を没収しようとする。だが羊擬きは首を振ってそれを嫌がった。
「気に入ったの? なら小瓶だけあげるから、中身は捨てて......あれ、きみもなにか咥えて......」
「ウメェエ」
小瓶を咥える羊擬きの隣にまたモゴモゴしている羊擬きを見つけた。その口には水色の液体が入った小瓶がある。その横の子も、その横の横の子も、その横の横の横の子も。なぜか小瓶を咥えていた。
「きみも、きみも........まって、なんでそんなに持ってるの?」
「ウメメ」
「まさか!」
「ウメェ」
「ああ!? 無い!嘘でしょ、小瓶全部ない!」
まさか!とカナリアは慌ててポケットを探るが、そこにはなにも入っていない。使用人たちから回収してきた小瓶がひとつも残っていなかった。さっと血の気が下がる。
「うわぁあ!待ってなんでみんなして咥えてるの! 危ないから離して!」
「ウメメ」
「ウメエー」
「うめえじゃないよ!馬鹿!」
小瓶を掴むも、ヘタに力を入れると割れてしまいそうで無理に引っ張ることはできない。だがいくら声をかけても、羊擬きは瓶を離そうとしなかった。イヤイヤと首を振るその羊毛をボスボスと叩いて抗議するが、ウメェと鳴くだけで離さない。
栓が開けば口に毒薬が入るというのになにがウメェだ。呑気に鳴くんじゃないよ。
「ンンッ」
しばらくして満足したのかようやく羊擬きが口を開いた。ご丁寧に掌に小瓶を置いてくれたが、カナリアは気が気ではない。慌てて小瓶の栓を確認する。幸いにも栓は抜けていなかった。どうやらただ咥えていただけのようだ。
「良かった.....。飲んじゃうかもって焦ったんだからね!もう!」
「メー」
「まったく」
もう興味が失せたのか、羊擬きたちが小瓶を取り返す様子はない。カナリアは気分屋さんめ!と羊毛をもふった。
「メエー」
「なに? みんなももういいの?」
「ウメェ」
「メェエ」
「はいはい、じゃあ返して」
他の子も飽きたのか、押しても引いても離さなかった小瓶を今度はカナリアに自ら差し出す羊擬きたち。一体なんなんだと呆れながらも、カナリアは透明な液体の入った小瓶を回収した。
違和感。
カナリアはもう一度小瓶を見た。
「あれ、この薬....」
中身が違う。
使用人から回収した小瓶の中身はどれも粘土質な青い液体で満たされていた。だが羊擬きから再回収した中身は透明で色がない。栓を抜いて嗅ぐと草の匂いがするだけで、魔力すらない。
「この薬も透明、この薬も」
あれもこれも渡される小瓶はどれも同じ。
すべて中身が薬水になっていた。
「なんで?」
魔力は羊擬きたちがおやつ代わりに吸ったのだろう。ウマウマ言っていたし。だが毒はどこに行った。
まさかこの小瓶はカナリアが回収した小瓶ではないのかと疑うも、いま召喚に応じたばかりの羊擬きたちが同じ量の小瓶用意できるわけがない。
知らない間に浄化していた....?
いやいや、聖女でもあるまいしそんな芸当は出来ないとカナリアはその考えを振り払う。
なら浄化したのは羊擬きということになるが。あれは闇属性の聖獣で光の魔法からは1番縁遠い生物だ。浄化なんてできるわけ......
「ん?」
なにかが引っかかった。
そもそもこの毒薬は薬草と闇属性の魔法で生成された薬だ。薬草には人体に害を及ぼすような毒量は含まれていないが、魔法を加えることで反応して致死量にあたる毒に変わる。なら、魔力さえ抜いてしまえばそれはーーー
「カナリア様!」
美しいテノールが思考を遮った。
明日は主なキャラクターの軽い紹介文を出します。髪の色とか目とか。