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認知という名の食事




くちゃ、ねちゃ、ぐちゃぐちゃ。

室内には粘着質な音が響いていた。


咀嚼音以外に音はなく、啜り泣いて許しを乞うていた声も数分前から物を言わなくなった。ガタガタと震え、いつ喰われるともしれない恐怖で吐き気すら覚えているだろうに、それを体現することも言語にすることも出来ない。ただそこに鎮座し、女王の傍で大人しく事の成り行きを見守っている。


モンブラン、チョコレートケーキ、クッキー、シュークリーム、エクレア、ドーナツ、マカロン、クレープ、スフレ.......。

人の腰までありそうな大きな菓子からは、ベスティアの魔力と僅かに人の形の名残がはみ出していた。クリームの隙間に手の形が、チョコレートの表面に表情が、クッキーのひとつから耳が飛び出ているものもある。

数刻前の蹂躙を知らずとも、ここでなにが起こったのか部屋の惨状を見れば余程感の鈍いモノでなければ想像できただろう。特に部屋の隅でその菓子を貪る黒い風船のように膨れた女王を見れば容易いことだ。



「くちゃくちゃ......もちゃ、んぐっ」


《ごめんなさいごめんなぁああ!? 痛いっ、腕がぁぁぁあああああ!!?》


「もぐもぐ、ずるっ」


《うで、うでが........私の腕、ひぃぃい!?もう食べないで謝るからあ゛ぅあ゛あ゛あ゛》


「ふふっ」


《やだ!許して、死にたくない! 痛い!痛い痛い痛い痛い痛い痛い潰さないで!!》



チョコレートケーキを口に詰めていたその手が、次はシュークリームを鷲掴んだ。



《違うの!殺そうとしたんじゃないんです!本当に、嘘じゃないの!メイド長が持ってろって言うから仕方なくで、仇名だって知らないし私はちゃんと名前でーーーー》


「嘘つき」



クリームが手を汚すのも構わずに口に押し込み、数回噛んだだけですぐに喉に通す。咀嚼している間も反対の手は床を這い、クッキーを掴んで口元に寄せる。味わうというよりは飢餓を満たすような、そんな食事の仕方に見えた。

この様子を菓子たちは戦々恐々と見ていることだろう。啜り泣くことも許しを乞うことも無様に逃げ惑うことも許されず、未だ溶けない視覚から彼女の手を見ていることだけしかできないのだから。

あの手が次に触れるのは誰なのか。自分で無いことに一瞬の安堵を手に入れ、確実に訪れる次の機会に恐怖する。誰もが誰かの死を望み、叶えども生者は死者の分まで心を蝕まれていった。

だがそれはクルムとて例外ではない。

彼女の心は徐々に徐々に蝕まれている。



《ぃっひぃ....はぁ、はぁ......こ、の.....豚がああああああ!下手に出れば良い気になって、あんたなんてさっさと死ねば良かったのよ!》


「んっ、ひっく.....くちゃ」


《あ、ぁあっ、ぎっゃあ゛あ゛あ゛!? ぁっあ゛あ゛!? 》



満たされない。いくら食べても満たされない。口に含んで咀嚼している間は確かに満たされているのに、飲んでしまえばそれまででお腹にさえ溜まらず空っぽのまま。軽くて軽くて仕方がない。いくら食べても胸は空くばかりで、一口目に感じたあの高揚感はすでに泡のごとく消え去っていた。



「寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい、足りないタリナイ」



クルムは溢れてくる涙を拭い、エクレアに手を伸ばした。口に含めば生クリームと共に彼が抱いていた感情が喉を通して流れ込んでくる。謝罪、後悔、懺悔、クルムに向けられた溢れ出さんばかりの感情は確かに心を満たした。今まで聞けなかった本音を知って心が踊り、同時に蔑んだ己を恥じた。日々の責務に苦悩し溜まった鬱憤で八方塞がりになってしまっていただけ、本音ではなかったのだと喜んだ。

だが、それも長くは続かない。

謝罪はあくまでも己が助かるためのものに過ぎない。嘘ではないが本当でもない。立派に誂えたハリボテはすぐに崩れて怒号と罵りへと変わる。

胸を占めていた多幸感は次々に流れ込む悪意に押し潰され破裂し、後には中身の抜けた幸せの皮といらぬ情報ばかりが残る。

望まれた死、そのために掛けられた呪い、死薬を製造し保険のために手近な人間がそれを所持していること。



「ひどい......酷い、酷いわ」


《醜い化物!早く殺しておくんだった!》


《お前みたいなのを世話してやったのに!この恩知らずの殺人鬼!》


《出して!ここから出して!嫌よ、いやいやいや!私の身体を返して!》


《悪気はなかったのよ!だってあなたなにも言ってくれなかったから、気にしてないと思って.....今までのことは全て謝罪するわ、だから本当に》


「悪気がなかったら意地悪しても許されると思ってるのね......」


《あっ.............?》



涙を流しながらもクルムは手を止めなかった。チーズケーキを貪った。美味しくしっとりとした口溶けは確かにクルムの腹を満たしたが、これもあっという間に消えてしまう。

次はゼリー、ちゅるんと啜ってすぐに飲み込んだ。心地よい弾力に鼻を抜ける甘みはあったが、これは畏怖するばかりで心は満たされない。

いくら口に詰めてもやはりどれも同じ。

食べるたびに飢餓感だけが積もっていく。

ぷっと口から小瓶が吐き出され、落ちて派手に割れる。じわりじわりと床に広がり黒いシミとなる。



「ウっ....こんな風に思ってたなんて......私、こんな.........」



なら次は、その次は、次の次の次は。いくら手を伸ばしてお腹に収めても、やっぱり結果は変わらない。彼らは誰も彼もクルムに心からの謝罪をしてはくれなかった。

自分が助かることばかりで、己の罪を罪と認めず罪悪感さえ抱かない。

ヒトひとりを殺そうとしたのに。

辛うじて開いた瞳の隙間からボロボロと涙が零れ落ちる。



「こんな身体にしたのは彼らなのに、誰も心からあやマらない.........」


《人殺し人殺し!勝手に太ったくせに、私たちのせいにするな!》


《お前がいけないんだ!》


《お前と一緒になんて死んでもごめんだ!さっさと殺せ!》



クルムは涙を拭うことなく傍にある菓子を咀嚼し続けた。拭わないのではない、その手の大きさ故に拭えないのだ。

苦味が口内に広がる。頬がとろけそうな甘さは塗り潰されて消え、炭でも食べているような気分だがクルムは手を止めない。

6人ほど腹に収めたあたりでクルムはようやく手を止めた。



《現実の味はどう? 苦いでしょう》


「ソウね、痛いし苦いし辛い.....みんな貴方の言う通りだった。酷いひとたち、口先ばかりで中身の無い謝罪ばかりするの」


《知ってもなお食べるのね》



クルムはパチリと瞬きをし、不思議そうに首を傾げて呟いた。



「当タリ前じゃナイ」



クルムは笑う。

口の端を震わせ、歪に口角を上げて。



「だって、仲良くなりたいもの」



ボコボコボコ。その言葉を皮切りに内側で鳴りを潜めていた呪いが膨らんだ。膨らんでは分裂を繰り返し、クルムの腹は大きく形を変えていく。

歪に変化していた手足は指先が鋭利な刃物のようになり、風船のように膨らんでいた身体は次第に硬質化していく。両脇腹を突き破るように同じような黒い手が生え、まるで巨大な黒い昆虫のような形へと変わっていった。



「私はもっとみんなと仲良くなりたい。そのためには知らなくちゃ、タくさんたくさんたくさん! 性格も癖も感情も記憶も身体も全部全部! 私たちはお互いのことを知らないから喧嘩するの、だから知るのよ、全部」



鋭い手がマカロンを砕く。

飛び散った破片を眺めてから己の腕を確認し、不便かもと呟いて身を屈める。

大きく口を開き犬のように直接マカロンの山に顔を埋め、汚れるのもかまわず貪った。ゴクリと飲み込み、ケタケタとクルム(“私”)は笑い始める。



「あはっはは、そう知らなくちゃ!私も皆も隅々まで、だってほらほら、()()()()()だからもっと知らなくちゃ(たべなくちゃ)!分からないのなら分かるまで、大丈夫よ、私は見捨てタリなんてしナイから」


「一緒に頑張りましょうね。時間はたっぷりあるんだから」



お腹を撫でながら愛おしそうにクルムは呟いた。その瞳はすでに狂った色を宿し次の獲物を捉えていた。

扉の向こうで息を飲む音がする。



「もちろん、あなたも一緒よ」



あ、まずい、目があった。






《》の中はクルムさんにしか聴こえていません。だから“私”ちゃんの声もお菓子たちの声も、扉の向こうで覗いていた方には聴こえていません!

やだ、独り言激しい!w

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