寝食
注(( ちょっと腐ります!
「とりあえず部屋に運ぶかな」
誰に言うでもなくカナリアはひとり呟く。
ストレス発散に夢中になっている彼らが、いつこちらに来るとも分からない。廊下で死体 (に思えるほど息が浅い) を発見される前に隠しておこう。
一番近くの部屋が無人であるのを確認し、兵士と彼の荷物を魔法で浮かせ部屋に入ると、そっと扉を閉めて床に下ろした。
「えっと、まずは睡眠魔法で......あ、たんこぶ出来てる....先に回復魔法か」
兵士の頭を触るとそこは立派に膨らんでいた。おもちゃのハンマーだからと強く叩き過ぎたらしい。カナリアはごめんよと呟き回復魔法でたんこぶを治すと、ちょいちょいと睡眠の魔法を兵士にかけた。
これで1時間は目が覚めないだろう。
試しに頬をつねってみるが起きる様子はない。大丈夫そうだとカナリアは兵士の身体を弄り始めた。
ーー はっ!これは美味しい展開では!?
胸ポケットに手を触れた瞬間ビビビッと身体に電流が走る。胸板が、厚い。たったそれだけで情報収集のための身体検査が、えっちな妄想の材料へと早変わりする。
意思がないのを良いことに、強面な兵士の身体を好き勝手に出来る魅力的なシチュエーション......最高だと思います。
カナリアはじゅるりと涎を啜った。
yes 妄想 noタッチ。決してセクハラはしないが妄想は自由。それなりに厚い胸板は後学のために撫で回したいが、そんなことはしない。ちょっとどんな下着履いてるか好奇心の赴くままに剥いでやりたいが、立派な犯罪なのでズボンのポケットを漁るだけだ。妄想と現実を一緒にしてはいけない。己の妄想は相手を傷付けないが現実はそうではない。相手の同意無しにセクハラをするなど言語道断、腕を切り落とすレベルの犯罪である。
だから妄想だけ、妄想だけ.......。
兵士に片想いする同室の魔法使いに、仮眠中に悪戯されるシチュエーションなんていいんじゃないかな。カナリアの口元がニヤける。
【妄想中.......】
小さなうめき声に魔法使いは目を覚ました。隣を見れば同室の兵士が寝苦しそうに身を捩り、擦れた声で唸っていた。連日の熱帯夜で悪夢でも見ているのだろうか。魔法使いはベッドを降り兵士へと近づき、善意から首元を緩めてやった。少し楽になったのか呻き声は止んだ。ほっと安堵したのも束の間、暗闇に慣れた魔法使いの目は上気した頬に白い太い首筋を捉えてしまう。目を奪われた、無意識に呼吸が荒くなる。
自然と手は動き一個、二個、三個、気がつけば鳩尾あたりまでボタンを外していた。いけない、そうは思いながらも隙間から覗く濃い飾りから目が離せない。兵士の額から溢れた汗が頬を伝い胸元へとゆっくりと流れていく。まるで誘われるているように思えて、ゴクリと喉がなった。魔法使いは吸い寄せられるように厚い胸板に顔を寄せ、呼吸と共に主張する飾りにそっと舌を......ピタリッ、カナリアの手が止まる。
【妄想強制終了.......】
ズボンの不自然な膨らみに爛れた思考が一気に凪ぎ、瞳に警戒の色を滲ませた。躊躇うことなくポケットに手を入れると、中から見慣れた小瓶が顔を出す。僅かにベスティアの魔力を感じるドロリとした青い液体、傾けると中でキラキラと紫色の光が煌めく薬。クルムが所持していたものと同じ、未完成の毒薬がそこにはあった。
―― どうしてこれを兵士が?
いくらこの薬が初心者向けでも、未完成の、それもベスティアの魔力を感じる物を持っているのはおかしい。彼が作ったのか、それとも貰ったのか。どちらにしても、なんらかの形で関わっていると考えるべきだろう。本当に鴨ネギだったわけか.....と、驚きつつもカナリアは他に手掛かりになりそうな物を探す。服の中に小瓶以外の物はない。ならば鞄の中にはと漁るが、薬草と財布と杖しか入っていなかった。
ーー 目ぼしい物はないか
杖の所持はそう珍しいことではない。家族の形見、盗品、拾った、護身用、あとはデザインが気に入ったなんて理由で杖を持つモノも多い。兵士が杖を所持していてもなんら不思議はない。仕事中に杖を持ち歩いているのは気になったが、重視する程ではないとカナリアは丁寧に鞄に戻した。
実は彼がこの事件の首謀者で、兵士を装った魔法使いで、今まさに国外逃亡を図ろうとしていた......という展開も考えたが、カナリアはそれを笑って振り払う。お腹を空かせたグリズリーのような形相で廊下を歩いていたら、怪しんでくれと言っているようなものだ。あの頭の悪い大臣たちでも、そんな見るからに悪行を働きそうな人に任せたりはしないだろう。
確かに兵士の魔力は高い。執務室で見た城お抱えの魔法使いなんかよりもずっと、彼の魔力は潤沢でよく磨かれている。なぜ兵士をやっているのか甚だ疑問だ。仮に彼に魔法の才が無くともこの豊富な魔力は魅力的で、さまざまな用途で重宝される。よほどの阿呆でもなければ、兵士として雇用することなどまずありえない。彼はなにか別の仕事を任され兵士のフリをしていると、考える方が自然といえば自然なのだが......兵士の顔に積もっていく精霊たちを見てカナリアは有り得ないと呟いた。これだけ精霊に好かれている人が、悪人だとは思えない。
カナリアは杖を取り出す。
確かめる意味も含めて、当初の予定通りちょいと脳を漁ることにしよう。
「――――、――――――――。――――――――、――」
カナリアは備え付けのコップを手に取ると、花瓶の水を注ぎ兵士の額の上に置く。杖でトントンとコップを軽くたたきながら精霊を呼び、彼らの声に合わせて魔力を練り上げていく。
魔法使いが情報を得るさいに最も使われる方法は、相手の記憶を探ることだ。
口は嘘を付くが、記憶は嘘を付かない。相手に嘘を付く意思がなくとも、人間の記憶は都合の良いように着色してしまうことが多く口から出る頃には誤った情報になりやすい。そのうえ、いちいち口頭で情報を引き出すのはいろいろと面倒だ。余計な痕跡を残すことなく短時間で正しい情報が得られる脳干渉の魔法は、魔法使いたちの間ではとてもポピュラーな方法となっている。今回カナリアが使う魔法もその中のひとつだ。
「こんなものかな………あー、あなたの名前は?」
十分に魔力が水に行き渡ると手を止め、水面に話しかける。すると水はまるで意思でも宿ったかのようにひとりでに動き出し、水面に”アデル”と文字を浮かび上がらせた。
これは水自身が意思を持ち受け答えしているわけではない。一種の投影だ。アデルの記憶を水面を通して覗きこんでいるに過ぎない。本人の意思に関係なく、術者の問いに対する答えを開示し水面に映し出す魔法。受け答えしているのはアデルというよりは、アデルの脳という方が適切だ。例えるならば寝言に質問しているのが近いだろうか。
カナリアは質問を続ける。
「そうあなたはアデルって名前なのね。ねえアデル、この小瓶はどうしたの?」
“もらった”
「もらった? あなたが作ったんじゃないの?」
“違う、知らない”
知らない、ということは生成にも関わっていないということだ。やっぱりシロか。
「ちなみに誰に貰ったの?」
“メイド”
「メイド……」
個人名でなく役職。つまり見知らぬメイドに貰った薬を捨てずに持っていたということか。顔に似合わず随分と人がいいのかもしれない。
メイドと呟やき考え込んでしまったカナリアに、アデルの脳は回答が不十分だと解釈したらしい。
(超が付くほどアデルがお人好しだっただけで、普通は気を利かせて別の回答をよこしたりはしない)
文字だけが浮かんでいた水面に色が付き、次第にどこかの風景が映し出される。
これはアデルの視点なのだろうか。廊下の向こうから歩いてきたメイドから毒薬の入った小瓶を手渡されている。音声が無いので経緯は不明だが、なんどか押し返している様子から彼の意思で小瓶を持っていたわけではないことが伺えた。最後は怒鳴られ押し切られる形で薬を渡され、すぐに誰かに呼ばれたのかポケットに小瓶を入れた所で映像は途切れた。
どうやら彼はよく分からないまま巻き込まれたようだ。不憫な。
「ありがとう、もういいよ」
「―――!」
カナリアは精霊たちにお礼を言いアデルからコップを離した。ふぅと息を吐き、天を仰ぐ。
ーー めちゃくちゃ良い人だった......。
善人を昏倒させた罪悪感に胸が痛む。顔は凶悪な肉食獣でも、心は優しいゴールデンレトリバー。人を見かけて判断しては行けないのだと改めてカナリアは学んだ。
お詫びに夜市で買った魔除けのブレスレット(カナリアの加護魔法付き)をあげよう。これ以上巻き込まれないように気をつけるんだよと、腕に付けてやる。任せろ!と言わんばかりにキラリと赤い石が光った。
「ぅ、うーん……?」
「おっと」
思ったより魔法が解けるのが早い、魔力が高いせいか耐性があったようだ。カナリアは小瓶を回収すると、アデルが起きる前にそっと部屋を後にした。横に置いてあったハンマーも忘れない。
メイドの様子からアデルだけに薬を渡したとは思えない、城中に毒薬が出回っていると見て間違いないだろう。散らばったベスティアの魔力も、魔導書で作った毒薬が配られたからと考えれば説明がつく。撹乱か別の理由かは分からないが、放っておくわけにもいかないので解術ついでに回収して周るとしよう。
詳しいことはベスティアが調べてくれる。真相を知るのは解術が済んでからでも遅くはない。
カナリアはグッとハンマーを握りしめ、騒がしい廊下の方へと歩き出した。
この後、いちいち解術するのが面倒になりハンマーに解術魔法を仕込み殴りかかっていくなど誰が想像出来ただろうか。
廊下に気絶した人々が転がる未来が......カナリアさんこわっ