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謁見

長いよ....長い



継ぎ接ぎだらけの白衣の紳士が、綿飴とフラスコを取り違えてウサギに渡した。喜んだウサギが一回転。薬品が混ざって爆発し、驚いたネズミが近くの看板に突っ込んだ。吹き飛んだウサギと陽気なスケルトンがごっつんこ、近くの蝋燭でマントを炙られスケルトンが泣き出した。慌ててマントを魔法で直してやれば、お礼と棒突きキャンディを手渡し空へと舞い上がる。

この国は本当に飽きないとカナリアは笑った。



「お城もこんな感じなんですか?」


「いいや、大人しい連中ばかりだよ」


「そうなんですか」


「仕事が出来る子は多いんだけどね.....会議中に踊り出しても寛容に受け止められる心が無いと、彼らに仕事を任せるのは難しい」



城勤は彼らには窮屈すぎるんだよ、と語る顔はどこか疲れて見える。ベスティアにしては珍しく随分と手を焼いたようだ。カナリアは肩に伸びてきた手を避けながら労いの言葉をかけた。端正な彼の顔が引きつる。



「.......お城に着いたらまずはクルムに挨拶して、それから魔導書を回収しよう」


「返答は曖昧だと聞きましたが、そう簡単に返却に応じてもらえるでしょうか?」


「た、多少のお願いなら利くつもり.........待って、違うよ?ロリコンだからクルムのお願い利くわけじゃないから!だからそんな目で見ないで!」


「そんな目とは?」


「ゴミを見るように蔑んだ目の事だよぉ。宿泊所と食事の確保の心配をせずに観光できるから、それを条件に譲歩するだけ!」


「なるほど建前としては完璧ですね!女王様とひとつ屋根の下でうきうきウォッチング、絶対に勝ち取りましょう!」


「違っ、あ.......!もう!これ以上距離を取らないで.....いい加減に敬語も止めておくれ!」



伸ばされた手を小さな手が叩き落とす。間合いを測るようにジリジリと後退するカナリアに対し、距離を詰めるように前進するベスティア。喫茶店を出てから今まで、ふたりはずっとこの調子で城を目指していた。


ベスティアはロリコン。その疑惑は晴れるどころか話すたびに色を増していき、一歩、また一歩とカナリアはベスティアとの距離を空けていった。焦って弁明を図るもうっかり口を滑らせてはロリコン疑惑を加速させ、終いには他人ですとばかりに敬語を使い始めた想い人にベスティアはもう半べそ状態だ。どんよりとした顔で叩かれた手を撫でる彼の横で、カナリアは口元をにやけさせた。



ーーーーどうしよう、楽しい。ぜんぜん気が付かないんだけど。動揺しすぎて心を読めてない、もしかしてずっと隠してた?悪いことしたかなぁ。



笑い出しそうになるのをグッと堪え、カナリアは必死に不機嫌そうな顔を作る。

これは遊びだった。

演技であり冗談であり日頃の仕返しでもある。彼女にとってベスティアの趣味趣向はこれといって重要ではない。恋愛対象ではないが、カナリアだって小さいものや可愛いものは好きだ。否定するつもりはなど毛頭無い。可愛いものを愛でてなにが悪いというのか。

ではなぜこんな状況になっているかと言えば、引く機会を見誤ったとしか言いようがない。

当初の予定では喫茶店を出た時点で、この遊びは終わるはずだった。心を読まれ「悪ふざけはよしておくれ」と叱られて。

だが思いのほか動揺し心を読めなくなったベスティアと、面白がったカナリアによって当初の予定は崩れ今に至る。珍しいこともあるものだ。

もう少しからかってやりたいが城も近い。潮時だろうと、カナリアは再び伸ばされた手にわざと捕まってやった。



「きゃー、捕まったー(棒)」


「ぅえ?」


「.......驚いた?」


「え、あ......っ!僕で遊んでたの?!」


「うん」



掴まれた右手が握り直される。あからさまにホッとした顔をしているベスティアを、カナリアは堪らず吹き出した。

やり過ぎた気もするが、日頃の仕返しには丁度良い。これで少しは困らされる者の気持ちが理解できただろう。



「本当に止めてよ、心臓に悪い」


「いつも悪戯される私の気持ちが、少しは理解できたでしょ?」


「........嫌われたかと思った」


「いやいや、ロリコンですってカミングアウトしたからって急に嫌いになったりしないでしょ」


「そんなことないよ!世の中にはね、どれだけ仲良くしていても人の趣味嗜好を知った瞬間にキモいの一言で交流を断つ人もいるんだよ」


「妙に生々しいんだけど....」



もしや実体験なのだろうか。

だとしたら凄いとカナリアは手を叩いた。

友人関係というのは、自分の目で耳で口で手で得た情報を元に築くものだ。良い情報と悪い情報を合わせて検証し、妥協点以上であれば知り合いから友人へとランクを上げる。そうして無意識のうちに見聞して築いた塔を、たったひとつの情報だけで破壊してみせる。相手はよっぽど己が取得した情報に、己に自信がないのだろう。

珍しい相手に出会ったのねとカナリアは言う。そんなに自尊心の低い相手はなかなかいないわと驚いて笑った。

どこかズレた....いや、彼女の中では正しいそれにベスティアはあえて口を挟まない。いま優先すべきはそんなことじゃないのだ。カナリアの手を引きその身体を腕の中に収める。首筋に顔を埋め、肩に額を擦り付けた。



「嫌ならなんでも言ってね。僕はきみに嫌われたら生きていけないから」


「往来で抱きつかれるのは嫌でーす」


「......言ってとは言ったけど叶えるとは言ってない」


「横暴すぎませんかね?」


「カナリアだって僕が止めてって言ってもBL妄想を続けるだろう? それと一緒、心から嫌だと思ってないなら僕は抱擁を止めない」


「.......ほう、なるほどぉ?」



つまりそれはBL妄想が好きだと。嫌よ嫌よも好きのうちってやつだったのか。へぇ、そう。



「本当は嫌がってなかったのかぁ、へぇ。口では嫌がっても身体は求めてたってことなんだね。ふぅん、ほうほう」


「え?あ.......まって待って、待って!それは言葉の綾であって別に聴きたいわけじゃ」


「(bl妄想)」


「なぃんあああ!脳が!脳がぁぁぁああ」






***********






「酷いめにあった.......」


「えー、まだ序盤じゃん」


「あれで序盤?! 」


序盤も序盤である。まだベッドシーンにも突入してない。そう例え壁に押さえつけられて致していたとしても、ベッドに入るまでは序盤なのである。本番はベッド突入シーンからだ。異論は認めない。



「どんな雑踏の中でもカナリアの声だけは鮮明に聞こえる......嬉しい。嬉しいけど、妄想シーンだけは辛い。好きな子の声だけにキツイ......」


「なんか門の前が騒がしくない?」


「スルーなんだね、うん」



嘆くベスティアの発言を流し、入国時よりもグッと騒がしくなった外門に目をやる。門の内側、カナリアたち側では野次馬が群がり外側から聞こえる怒鳴り声に一喜一憂していた。有名人でも来ているのだろうか。あまりの人の多さに、向こう側を確かめることは出来ない。



「勇者が来てるらしいよ」


「この国にもいるんだ」


「勇者という役職は中央都市にしかないよ」


「.....この国の、勇者っぽい役職に就いてる人がいま外門にいるんだよね?」


「いいや、来てるのは中央都市の勇者だよ」


「なんでいま言うの?」


「いま、聴かれたから」



ケロッとした顔でベスティアは答える。悪びれた様子はない。知っていたのに聴かれなかったから答えなかった。彼はそう言っているのである。カナリアは頭を抱えた。



「ほうれんそうって知ってる?」


「お浸し美味しいよね」


「報告・連絡・相談んんん!知ってるなら伝えなさいよ。気をつけろって言ったのベスティアでしょ」


「ごへんなしゃい」



彼の頬を掴みめいいっぱい横に伸ばす。



「自分で勇者が来るって人のこと急かしたくせに」


「ひょうたいひょうがないはら、へいひかなって (招待状がないから平気かなって)」


「ベスもじゃない」



相変わらず羨ましい餅肌を堪能してから、勢いよく潰した。ベスティアの口が押し出されタコ口になる。



「うぶぅ!.......うぅっ、僕はティターニアから直接紹介されたから平気、クルムとは面識あるし」


「放浪癖がこんなところで役にたつとは」


「しーごーとーだーよ」



外門では勇者が入国を求めて牡牛に詰め寄っていた。距離は目と鼻の先。勇者が門を潜れば一発で視界に入るほど近距離を歩いているが、それでもベスティアの顔から余裕は消えない。痛む頬を押さえて、悠長にカナリアとの会話を続けていた。



「入国審査時間は終わってるし、いくら騒いだって中には入れてもらえないよ」


「そんなものあるの?」


「ついこないだ出来たんだよ」



僕らが入国したときにね。

ベスティアはこれを口にはしなかった。


例え彼が手を回さずとも、ベスティアたちの入国を知った時点でお菓子の国は勇者の入国を拒絶しただろう。他国の問題を持ち込みたくないと思うのはどこの国も一緒だ。クルムが知人でなければ、ベスティアたちでさえ入国を断られていた可能性もある ( だとしても、彼は入国を果たしただろうが )。



「祭典が近いから警戒してるんじゃないかな」


「そういうもの?」


「うん」



中央都市に祭典はない。加えて旅行もしたことがないカナリアはこの手の話に大変疎い。おかげで言いたい放題である。餌を貰う雛鳥のごとく、与えられるがままに嘘を飲み込んだ。





************






シュガートースト城。甘く柔らかな名前とは裏腹に、重い城門と高すぎる城壁に囲まれたその城は国の端で静かに来訪者を待っていた。楽しげな街の雰囲気は遠く、聞こえるのは虫の声と木々のざわめきくらいだ。古めかしいそれは、城と言われなければ監獄のように見える。灯りが少ないせいか、はたまた別の理由か。カナリアには判断ができない。



「王は現在別棟にて執務を行っておりますので、客間にてお待ちに」


「いいや、僕らが行こう。突然訪問したのはこちらだからね」


「ご配慮に感謝を」



城門で待っていた使用人に案内される。

城内は簡素なものだった。

花瓶や絵画はあるが煌びやかな装飾は少ない。手摺や柱は凝った細工が目立つのに、白い壁に囲まれた廊下は赤いカーペットが敷かれているだけでもの寂しい。仄かに香る甘い香りは花壇からだろうか。別棟と居館を繋ぐ廊下から見えた花壇だけは華やかで自然と目を引いたが、残念ながら観賞を楽しむ者はこの場にはいない。廊下を行く使用人や兵士の興味は、来訪者へと向けられていた。


不躾な視線がふたりに絡みつく。

片方には尊敬・羨望・恋慕、片方には軽蔑・嫉妬・侮蔑。前者はベスティアに後者はカナリアに向けてのものである。

ベスティアの弟子という立ち位置はここでは通用しない。貢献していた中央都市と違い、カナリアはあくまでもベスティアのお付きでしかなかった。

ベスティア様を拐かす魔女だ。どうしてあんな女が側に.....。俺だって教えを請いたい。狡い、妬ましい。ひそひそと声を潜めて語る彼らの声は、誰も彼もこの調子。カナリアはこれをただ受け流した。

悪態など可愛いものだ。石や平手が飛んでこないだけで、彼らは充分に良心的である。この様子なら女王の人柄も聞いた通り悪いものではないだろう。何事もなく魔導書を回収できそうだと、カナリアは鼻に手を当てた。



「ベスティア様一行、ご到着されました!」



ひときわ豪華な扉が兵士の一言で開く。


ぎぃぃいっと古めかしい音と共に、むせ返るような甘い匂いがカナリアを襲った。扉の隙間から溢れ出したそれはクッキーを焼いた時に香る優しい甘さでも、ふわりと鼻孔を擽る甘酸っぱい匂いでもない。もっと毒々しく、堪え難い臭いであった。例えるならば香水一瓶を顔面に浴びせられたような強烈な甘さ.......刺激臭がカナリアを襲ったのだ。




ーーーーくっっっっっさ!



堪え難い臭いにカナリアは咄嗟に服の袖で鼻を覆うも、むせ返るような甘さを吸い込んでしまい咳き込んだ。

目が潤む、頭が痛い。花の匂いなどではなかった。なんの匂いだが強すぎて分からないが臭い、とにかく臭い。

あまりの悪臭に本能は逃げろと警告を発した。突然の身体の異常にカナリアの意思も同様の警告を発し、考える前にこの場から逃げようと足は一歩後ろに踏み出そうとして、グッと手を引かれた。

手を掴まれた。

強く、それこそ恋人同士で手を繋ぐように隙間なく指と指を絡めて強く強く。手の主は言わずもがな、隣にいるベスティアである。

なぜ、どうしていま手を繋ぐのだ。動揺するカナリアは名を呼ばれ、ロボットのように緩慢な動きで顔を上げた。先には満面の笑みを浮かべるベスティが、唇だけで 逃がさない と呟いて.......





扉が閉まる音だけが嫌に鮮明に聞こえた。







カナリアは足元から王座へと伸びる赤いカーペットだけを見ていた。渋面で整列する大臣たちも、訝しげにこちらを見る使用人たちも目に入らない。

頭の中は「臭い、早く出たい」でいっぱいだった。

悪臭の出所も具体的になんの臭いなのかも分からず、涙のせいで視界も悪い。慣れるどころか進むごとに強く鼻を殴る臭いに、カナリアはいよいよ呼吸が苦しくなっていた。鼻が曲がりそうで鼻呼吸はおろか口呼吸ですら躊躇われ、ろくに酸素を取り込めない。



ーーーー臭い.....ヴッ、吐きそう。香水?芳香剤? どれにしてもこの濃度は嫌がらせの域だ。友好的なんて嘘、全力で追い出そうとしてる。見てよ使用人たち、面構えが違う。少しも歪んでない......絶対に特殊な訓練を受けてるよ。え、ベスも平気なの??



そりゃあねぇ、僕は魔法を使ったからとカナリアの心情を穏やかに見守りつつベスティアは内心で返事をした。周りから降り注ぐ賛辞の雨を全て右から左に受け流し、明らかに顔色の悪い愛子の当たらずも遠からずな思考に耳を傾けていた。


この臭いはある魔法の副産物だ。

魔力を持つ者のみが感知できる代物であり、香水でも芳香剤でもましてや特殊な訓練を受けた人間もいない。ただ魔力量が少なく、彼らには臭っていることさえ分からないだけだ。

常であればすぐに正体を突き止めただろう。だが、先に臭いにやられた今のカナリアは正常な判断を下せない。まだまだ爪が甘いなぁとベスティアは思った。



ーーーー見知らぬ土地の、それも偉い人間と会うときは警戒するようにって教えたのに。



臭いを感じた時点で防衛魔法を展開しなかったカナリアのミスに、ベスティアは目を細める。お仕置きを、とも思ったが嘔吐き始めたのでいまは止めておいた。代わりに浄化と防衛魔法を施してやる。

浄化の魔法がカナリアを包み込む。

匂いも強すぎれば身体の害となるため、一定濃度以上であれば防御魔法で防ぐことができるのだ。

次第にカナリアの顔色は良くなっていった。



「.....ありがとう。出来れば外に置いてきて欲しかったけど、本当にありがとう」


「どういたしまして。でも、お礼を言うのはまだ早いかな」


「え?」


「後でお仕置きね」


「ゲッ」


「ここから上手に脱出できたら許してあげる」



ベスティアが足を止めた。カナリアも慌てて足を止める。来たばかりなのに脱出とはどういうことなのか。唐突な挑戦状に困惑するが、それ以上答えるつもりはないのかベスティアは顔を上げてしまう。

視線を追えば、そこは既に女王の御前であった。



「頭を垂れる必要はないよ。今日は友人として招いて貰ってるからね」


「え、でも」


「そのままで構わないわ。恩人の伴侶に頭を下げさせるほど、私の神経は図太くはないから」



ふたりからの思わぬ制止に、カナリアの頭は中途半端な位置で止まる。戸惑い狼狽えるが、続いて聞こえた伴侶という言葉に困惑は憤怒へと色を変えた。


誰が誰の伴侶か!認めてないわ!

事実を捏造したベスティアを睨みつけ、続いて猫足椅子に並ぶボンレスハムに鋭い視線を向ける。距離があるせいか、顔を無理に上げないとクルムの顔は見えないのでその代わりだ。足とはいえ不機嫌そうに目を細めて見れば、不満くらいは伝わる.....だろ.......う....?



「..........ん?」



そこで気がつく。私は何を言っているんだと。

率直に浮かんだ感想が飲み込めない。

伴侶ではないと否定することも忘れ、カナリアは目を擦り今度は無理して顔を上げた。


赤いカーペットの敷かれた階段のその先には王座がある。家臣たちに囲まれた王座にはひとりの女性。繊細な作りのドレスから覗く白魚のような肌は太とましく、美しいレースで飾り付けされた腹部は今にもはちきれそうだ。手すりに置いた腕はまるで、切られるのを今か今かと待つウィンナー。カナリアは頭を抱えた。



「私の名はクルム。クルム・オリュティア。王族とはいえ元は平民出身、気負う必要はないわ」


「あ、はぃ.........」


「緊張しているの?随分と可愛らしいけど.......本当にベスティア様の伴侶なのかしら?」


「それはどういう意味かな?」



会話の内容などまったく入ってこない。疲れているのだろうか。それとも、ドッキリ....いや、幻覚の可能性もと、カナリアは忙しくなく脳を回転させていた。

目頭を押さえ、解除の呪文を施す。変わらない。なんども目を擦り瞬きを繰り返す。変わらない。一向に目の前の光景に変化はなく、王座にはあまりにも膨よかな30代前後のご婦人が消えることなく鎮座していた。写真で見た赤毛の美少女はなんだったのか。



ーーーー写真を加工....いや、できる範囲を超えてる。もはや別人ていうか、ただ太っているだけじゃすまないんだけど。失礼かもしれないがあれじゃあ肉の塊だよ。



カナリアの物言いは決して大袈裟なものではない。むしろ端的に表したという方がこの場合は正しい。クルム女王の身体は、通常ではありえない量の肉に支配されていた。

顔、指、膝から足首にかけて、服で覆われていない場所は肉の重みで全てが崩れている。目は瞼の重みで潰れ鼻や首は肉に埋もれて見えない。呼吸をし辛いのか半開きの口からは絶えず荒い呼吸音が聞こえた。

骨格が既に歪んでいるのか、肩は有り得ない位置にある。服が無ければ人型を保つことすら危うい状態だ。そしてその原因を、彼女は背負っていた。



ーーーー髑髏!しかも凄いデカイ!



クルムの背中には大きな髑髏が漂っていた。

彼女をすっぽり覆い隠せるほど大きな骨の手でクルムを囲っている。口からは妙に甘ったるい煙を吐いていた。あれが臭いの正体か。

自分はとんだ勘違いをしていたらしい。特殊な訓練ではなく魔法関係だったから、使用人たちは無反応だったようだ。


あの髑髏は呪いの象徴だ。

呪われた人間の身体には、その呪いの強さに応じた大きさや濃さの髑髏が現れる。指先から家までサイズは様々だ。

クルムの背後にいるそれは家サイズ、それもはっきりと髑髏だと認識できるほどに濃い。並の魔法使いではかけられない強力な呪いがクルムを蝕んでいた。



ーーーーわぁ、絶対これ魔導書使ったやつぅ


この規模の呪いは、異臭にも気がつかない程度の魔法使いが持つ魔力で掛けられる代物ではない。魔導書を扱えるクルムが自身に呪いをかけたとは考えにくいので、誰かが魔導書をバッテリーにして魔法を発動させたのだろう。誰が掛けたかは知らないが、厄介な呪いをかけてくれたなとカナリアは顔を引きつらせた。



「状況は概ね把握できたみたいだね」


「うん、はは.....困ったね」


「頑張って」


「この状況で脱出とか無理でしょ......」


「クルム、経緯を説明してもらってもいいかな。きみだってそれがただの肥満でないことは、重々承知しているんだろう?」


無視かい


「もちろん、私も最初からそのつもりよ。今回の依頼にも関係があることだし。でもその前に、私の依頼を受けるとの確約が欲しいの。依頼が達成されるまで魔導書を回収しないことも含めて」


「依頼?」


「それの開発を手伝ってちょうだい」



それ、と言われメイドからカナリアが手渡されたのは透明な小瓶。傾けると粘土質な青い液体がドロリと動き、中で紫色の光が煌めいていた。これは闇魔法を使った薬だ。未完成のためか見ただけでは効能は分からない。薬の正体が気になるし、瓶の中の時間を進めて熟成させてみよう。カナリアはふたりの会話を話半分に、瓶を握り込む。時間の魔法は光魔法だったかな。



「これは痩せる薬、飲むだけでどんな脂肪ともおさらばできる魔法薬だそうよ。大臣たちに開発を任せていたんだけど、祭典までに間に合いそうにないの。完成させてくれれば、魔導書は喜んで返却させてもらうわ」


「随分と勝手な言い分だね」


「勝手なのはあなたも同じではなくて?返却期限も猶予も設けずに手紙一枚で承諾しろだなんて、納得できると思う?」


「返却期限は国が栄えるまで、貸し出した時にそう伝えたはずだよ」


「この国にはまだ」


()()十分に栄えた。これ以上は僕の管轄外、やるなら僕の力には頼らないでおくれ」



ベスティアの反論にクルムは顔を歪める。辛うじて開いている目が更に細まり、形のいい眉が釣り上がった。不満を露わにしているのは彼女だけではない。大臣たちは同様に眉を潜め、使用人たちは真っ青な顔でこの国を見捨てるのかと嘆く。誰も彼もが玩具を取り上げられた子どものような目をしていた。

薬の開発に魔導書を使っているのか。それとも開発が進んでおらず、魔導書をダシにベスティアに手伝わせる魂胆なのかは分からない。どちらにしても、面倒なことになったなぁとカナリアは視線を瓶へと戻した。



ーーーー痩せる薬。へぇ、これが痩せる薬ねぇ。



完成した薬を振りながらカナリアは溜息を吐いた。

口振りや反応からして、クルムがこの薬について無知にも等しいことは明らかだ。そうでなければ痩せる目的で使うなどあり得ない。おおかた、薬を用意した大臣たちが彼女に嘘をついたのだろうが......。確信が無いのも事実。なので、端的に確かめることにしよう。



「女王さまは、死にたいのですか?」


「........は?急になにを言い出すの。自分から死にたい人間なんているわけないでしょう」



やはり、彼女はなにも知らない。

視線の端で露骨に反応を示す大臣たちを、お前らが犯人かと睨みつければ顔色が一気に悪くなる。

確定だ。彼らは情報を意図的に偽りクルムに薬を飲ませようとしている。

嫌な人たち。本当に嫌な人たち。人に毒を盛ろうとするなんて、どんな教育を受けているのだ。

あの様子では呪いのことも知らないだろう。見殺しにするわけにもいかないし、知っている情報だけでも伝えよう。クルムが私の話を信用するかは怪しいが、大臣たちの信頼を少しは削げるはず。

手の中でくるりと瓶を回すと、カナリアは苛立ちを抑え込むように息を吐いた。

ああ、でもどうせなら脱出に利用したい。



「薬の完成品が欲しいなら差し上げます。それで魔導書を返して頂けますよね?」


「.........ええ、あなたにそれが出来るならね」



先ほどの質問のせいか、クルムは訝しむようにカナリアの問いに答えた。どこか嘲るような口ぶりなのは、薬の評価が高いせいだろうか。

この薬は彼女が思うほど難しい魔法薬ではないのだが。大臣たちは薬を大層な代物だと紹介したらしい。カナリアは曖昧に笑い、瓶を差し出した。はははっ、こんなの材料煮込むところから始めても1時間あればできるよ。



「……分かりました。では、お受け取りください」


「は?」


「どうなさいました?薬は完成していますよ」



あ、動けないのかとカナリアは近くに立っていたメイドに薬の小瓶を手渡した。クルムに持って行くように促せば、小走りで駆けて行く。



「冗談はよして、そう簡単に出来るわけが」


「いいえ、少し煮込むだけで完成しますよ」



ねぇ、とベスティアに問えば彼はこくりと頷いた。薬を見て、ひぃっとクルムは悲鳴をあげた。

届いたのは毒々しい紫色をした粘着質な物体だった。内側で輝いていた紫の光は消え、不気味な人の顔が浮かび上がっていた。

誰が見ても人が飲んで良い代物ではない。なにを考えているのだと、クルムは怒鳴り散らす。



「これで完成?全くの別物じゃない!」


「同じ薬ですよ。試しにもう一本作りましょうか? こんどは見えるように」


「結構よ!こんな毒みたいなの、飲めるわけないでしょ?!」


「みたいではなく、毒ですよそれ」


「はあ?!」


「ですから、最初から毒だと言っています」


「あなた、なに言ってるの......?」


「それは毒だと、そう言いました」



この女は先程からなにを言っているのだ。クルムは胡乱な瞳をカナリアに向けるが、その瞳は真剣で嘘をついているようには思えなかった。そんな馬鹿げた話があるわけがないと内心で嘲りながらも、口ではカナリアの言葉をなぞるように聴き返していた。

視界の端で肩を鳴らした大臣たちが見えた、気がした。



「最初から毒ですって? 冗談もほどほどになさい、いくらベスティア様の伴侶といえど一国の王を謀ってただで済むと思っているの?」


「謀る? 私が?なぜ?」


「それは私の台詞よ、こんな風に薬を毒に生成し直してまで、貴方はなにがしたいの?」


「その材料から出来る薬品はいくら生成し直しても、毒にしかなりませんよ?」


「........大臣たちが私に嘘をついていたと、貴方はそう言いたいの?」


「少なくともこの薬に関しては」


「ふざけないで!誰がそんな話」


「信じなくても構いませんよ。飲んでみれば分かることですから。見殺しにするのは私の良心が痛むので、お話しただけです」


「............っ!」



強くなるクルムの口調と対照的に、カナリアの言葉は軽やかでどこか楽しげだ。わざとオブラートに包まず話している。煽っているようにすらクルムには思えた。

ありえない話だ。大臣たちは私に嘘なんてつかない、ついたこともない。最初こそ揉めたが就任後は側で支え続けてくれた者たちだ。嘘に違いない、あれは嘘をついている。

繰り返すたびに、まるで自分にいい聴きせているような気分になった。信じたいのに、あの真っ直ぐな青い瞳がそうはさせてくれない。会ったばかりの人間なのに、いやだからこそ、彼女がそんな嘘をつくメリットが見つからず余計にクルムから反論の言葉を奪っていく。

確信を求めて視線を背の高い大臣に向けても、彼はハンカチで汗を拭うばかり。太った大臣も小柄な兵士も薬を運んできたメイトでさえ、落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。どうして、どうしてカナリアを咎めるように見ないの?それじゃあまるで......



「さあ、薬は完成させました。約束どうり魔導書の返却をお願いします」


「だからそんな話」


「では、いまここでそれを飲んで下さい。その後で魔導書は回収させていただきます」


「飲めるわけないでしょう!?」


「私が触れる前の未完成の物で構いません。それなら飲めますよね。効果は半減しますが、問題なく効くと思いますよ」


「それは.......っ!」


「飲んで痩せれば大臣たちの言葉が真実であると立証されます。反対に死ねば、私が嘘をついていなかったと証明できます」


「........でも、」


「薬が本物であれば、完成するまでいくらでもお付き合いしますよ。もちろんベスティアも一緒に」


「うん、いいよ」


「ベスティアからの了解も得ました。さあ、飲んで下さい女王さま」


「いや、」


「さあ」


「いやよ!」



パリンッ。

取り落とした小瓶がクルムの足元で割れる。黒に近い液体が広がりジュウと音をたててカーペットを溶かした。上がった細い煙に、小さく悲鳴が漏れる。



「........なんだ、やっぱり怖いんじゃない」



静まり返った空間にカナリアの声だけが響いた。それは暗に大臣たちを信用していないのねと告げていた。クルムは答えない。歪な形に溶けたカーペットを黙って凝視するだけだった。薬はカーペットを溶かさない。それが答えだ。

これでクルムが薬を痩せる薬として服用する可能性は無くなったはずだ。

詰めていた息を吐いて肩の力を抜く。逆上して投獄となることを期待して煽っていたのだが、思った以上に追い詰めてしまったようだ。ぴくりとも動かない姿に反省し、今度は柔らかい口調を心掛けて話し始める。



「その薬は、取り込むことで細胞を攻撃し急速に腐食させ死に至らしめるものです。 死にたくないなら飲まないで下さい」


「................」


「それから身体のことで」


「いい加減にせぬか!黙って聞いていれば勝手なことばかり言いおって.......小娘風情が無礼にもほどがある!」



カナリアの声が怒鳴り声に掻き消された。遮ったのはクルムの横に立っていた細身の大臣。彼は酷い脂汗をかきながらも、カナリアを睨みつけ声を荒げる。するとどうだろう。まるで息を吹き返したかのように黙りこんで青い顔をしていた大臣たちが、ひとりまたひとりと口々にカナリアを罵り始めた。



「我々を不正直者と罵るだけでなく、王に毒を飲ませようとするとは!極刑に値する!」


「王よ!ベスティア様の連れとは言えこのようなホラ吹きは即刻追い出すべきです!」


「そうですぞ!この薬が毒などとあり得ぬ!相手はベスティア様の弟子、材料が違うからと生成し直すことなど朝飯前に違いありません!」


「我々が王に偽りなどありえません!全て小娘の戯言にございます!」


「私は嘘など」


「口を開くな!ベスティア様の連れだからと大目に見ていれば調子付きおって.....黙らぬとその口、二度と聞けぬよう舌を落とすぞ!」


「いいや、いま直ぐにでも牢屋にぶち込んでやる!」


「私を嘘つき呼ばわりするなら、未完成の薬でいいから飲んでくださいよ」


「き、貴重な薬だぞ?! そんなことができるわけがないだろう!」


「飲めないのですか? 貴方たちが作ったのに? おかしいですね」


「........っ!ええい、なにをもたもたしておるのだ!即刻この者を捕らえよ!」



大臣の怒鳴り声に狼狽えていた兵士たちが動き出す。剣を抜き、取り囲むように円形を組む。

使用人たちが悲鳴をあげ、壁際へと逃げ出した。

一気に距離を詰め力でねじ伏せるような真似はしなかった。ベスティアが隣で不機嫌そうに杖を構えたからだ。

まずい、そろそろブチ切れそうだ。

我慢の限界が近いベスティアを起爆させないようにと、カナリアは慌ててクルムに向き直る。



「その身体は普通の肥満じゃありません。あなたは、貴方の身体は」


「まだ黙らぬか!」


「この場で斬り捨てられたくなくば口を閉じよ!」


「グズグズするでない!さっさと捕らえぬか!」


「と、捕らえよ!」


「はっ!」



大柄な大臣がカナリアの声を遮る。怒声で兵士たちの尻を蹴り上げた。狼狽えていた兵士たちが、カナリアを捕縛しようと動き出す。いくつもの無骨な手が、その華奢な身体を乱暴に捕らえようと伸ばされる。多勢に無勢と抜き身の剣を振り下ろす者はいなかったが、それだけでも充分な恐怖だった。

怯みカナリアは咄嗟に目を固く閉じた。



「触るな」



地の底から湧き上がるような低い声。続いて上がったのは痛々しい呻き声。恐る恐る目を開けた先には、腕を捻られ床に膝をつき痛みを訴える兵士がいた。腕の先には見慣れた白いローブの男、ベスティアがカナリアを庇うように立っていた。しまった、起爆させてしまった。



「悪いんだけど、この子はきみたちが触っていい人じゃあない。どうしてもというなら、その命と引き換えになるけど」



それでも触れる覚悟はあるかい?

ベスティアの問いに答えるものはいなかった。一斉にピタリとその動きを止める。離れることすら許されなかった。動けば覚悟ありと見なされて殺される、そんな気迫が今のベスティアにはあった。



「うん、そうそう。そのままね」



ベスティアは掴んでいた兵士の手を勢いよく放ると、背中から抱き込むようにカナリアをローブの中に仕舞った。勢いで兵士が数人倒れこむ。

視界が閉ざされ柔らかな体温に包み込まれると同時に、どっこいしょと年寄りくさい掛け声でその身体を横抱きにされた。



「い、いけませんベスティア様!そのような者を」


「文句があるなら僕ごと投獄すればいい」


「そのようなこと出来るはずがありません!お願いです、聞き分けて下さい!」


「なんと言われようと、カナリアから離れるつもりはないよ」


「このような小娘に惑わされては」


「それ以上カナリアを侮辱するようなら口を縫い付けるよ」


「..........っ!」



ベスティアの声が抑揚のないものへと変わっていく。大臣たちがカナリアを罵り始めた辺りから機嫌は悪かったが、ここに来て一気に急降下を始めていた。いつもカナリアに見せているような不機嫌そうな顔の彼はいない。もっと固く、底冷えするような瞳をしていた。



「クルム、僕からも情報をあげる。肥満の原因は呪いだ。早く解術することをお勧めするよ」


「あなた様までそのような......!」


「既に毒されいる.....やむおえまい、ふたりを牢獄へ!決して外に出すでないぞ!」


「..............」


「グズグズするでない!早くしろ!」


「................はぃ」



今にも消え入りそうな声を筆頭に、兵士たちは動き出す。ベスティアを取り囲む体勢のまま、彼らは静かに部屋を後にした。




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