妖精たち
妖精とは最も神霊に近い精霊のことである。
その身体は美しい、誰に認識されようとも性癖や好みに関わらず美しいと認識される。
その瞳はこの世界の輝きを一心に集め硝子玉に閉じ込めたようである。
その髪は一筋の光、天空から降り注ぐあまたの光を束ね出来ていた。
その羽根は神から与えられた唯一のモノ、神が住む都へ自由に行き帰できることを許された証。決して、触れることは許されない至高の芸術品。
伝承にそう書かれるほどに美しい姿をしている彼らは、その姿ゆえに乱獲された過去がある。
羽根は装飾品に、髪は糸、眼は宝石として指輪やネックレスとして高値で売買された。
生け捕りにし部屋で鑑賞し人形のように愛でる者もいた。
妖精は森でしか生きられない。知らずに鳥かごに閉じ込められた妖精は数日もしないうちに亡くなった。人間はそうしてやっと妖精が森でしか生きられないと理解した。
「それを理由に乱獲は加速した。生きて素材を採取できないと知った人間は、数に限りがあると思いこぞってこの森に侵入し、妖精たちを捕え殺した。殺されるのはまだいい方だ。本当に可哀想なのは剥製にされた子たちさ。生きたまま人形にされ、毎日毎日気持ちの悪い人間に撫でまわされ鑑賞され続けた。泣くことも怒ることも出来ずにね。せめて死ねれば森に帰ってくることが出来たのに、本当に可哀想だった」
文献で読んでことはあったが、実際に当事者から聴くとその重みは変わってくる。
飄々と話してはいるが言葉の節々に苛立ちが感じられた。それが自らの欲を満たすための行為であるならなおさらだ。当時の権力者たちが呪いで死んでいなければ、すぐにでもエルフに突き出しただろう。
だから疑問だった。彼らはどうして人間界との戦争を止めたのだろう。
「こう言ったらなんだけど、滅ぼされたって文句は言えなかった。関わりたくないにしても精霊は世界中にいるから呪いの配布だって出来た、ねえ、どうして止めたの?」
「分からないかい?」
「うん」
話を聴いただけの自分でさえ憤りを隠しきれないのに、被害者である妖精たちが踏みとどまった理由などカナリアには見当もつかない。いったいどれほどの理由があれば、家族を友人を奪われた怒りや悲しみを水に流そうと思えるのだろうか。
皆目見当もつきませんと手を上げれば、なぜだかベスティアは変な顔をしていた。呆れたような困ったような悲しいような。ごちゃまぜにした一言では現しづらい複雑な表情を浮かべていた。
ため息が深いあたり、呆れの感情が一番強いような気がする。
「きみが産まれると知ったからさ」
「え、わたし?」
「そうだよ、きみが今の中央都市に生まれると知ったから妖精たちは森に隠れることを選んだんだ。きみに会うために」
「え、ちょっとまって。私の出生を予言されてるのも怖いけど、なんで私に会いたいって理由で戦争が止まるの?ちょっと意味が分からないんだけど」
そういうのって魔王を身体に封印し亡くなった巫女とか、平民出なのに国のために軍を率いて最終的に処されちゃった聖女とか、歌で世界を救う系のヒロインとかの生誕式に発生するイベントじゃないの。ほら、もう一回世界を救う使命を背負てるとか、前世の恋人と来世で幸せになるためにとか。まあ、思い切りが良すぎるとは思うけど。
確実に生誕式予言で発生するイベンドではないとカナリアは笑った。冗談でしょうと。
前世の記憶とか保持してないけど確信をもって言える。私は占い師に貴方の前世はスライムですとか言われるタイプの人間だよ。
すぐに手で顔を覆ってしまうが、その返答は彼には不満しかないようだった。不機嫌そうに瞳が細まるのをカナリアは見逃さなかった。
「きみ自身に対する評価が異様に低いのは知ってたけど、まさかこれほどとは………やっぱり旅に出て良かった。いろいろと問題点が見えてくる」
絞り出すように吐き出された言葉には後悔の念が滲んでいるようだ。
お説教コースの気配をいち早く察知したカナリアはそっと距離を取ろうとして、服に食い込むほど強めに肩を掴まれ動きを封じられる。あのね、と呟く彼の顔は真剣だ。
「謙虚なのは礼儀としてはいいけど、基本的にそんなこと思わなくていいから。相手のことをあたかも尊重しているんですよって思わせるための手段として使えばいいの、実際には自尊心を高く持つべきだと僕は思う。なんで自分を卑下するのが美徳として認識されているのか意味が分からないから。特にカナリアは、もっと自分に自信をもって。きみほど魔法に精通した人間はいないし美人で可愛いし器用だし頭良いし料理美味いし、BL妄想抜いたら本当に完璧超人なんだって自覚して」
「お、おう………」
「返事」
「は、はい!」
うぬぼれるのはもちろん駄目だけどね、と付け加えるベスティアに顔が引きつる。
褒めてくれるのは嬉しいが、それがワンブレスで言われるとただただ怖い。内容の半分も飲み込めないままカナリアは本能で頷いた。逆らってはいけないと経験が告げている。
よしよしと満悦気に頭を撫でてくるその手が心地よく身を任せる。ふと、芸に成功し飼い主に褒められている犬のはこんな心境なのかと考えてしまい顔を顰めた。げせぬ。
「僕にとっても、妖精たちにとっても、きみはそれほど特別な存在なんだよ」
「ただの人間なんですけど」
「妖精が懐くってことはそれなりに意味があるってこと」
「よく分からないなぁ」
彼は説明する気はないようで、背を向けてしまう。
ようやく目印らしき光るキノコを発見し、あれが入り口だと指を指す。
特別、特別。ベスティアや妖精に自分という存在が特別だと言われてもいまいちピンとこない。
私はただの人間だ。
妖精に気にいられたり一風変わった家庭教師はいるが、それ以外に特徴のない田舎貴族の娘。それ以上でもそれ以下でもない。ベスティアはきっと、自分が産まれた年にタイミングよく起こった出来事を都合よく捉えている。告げたところで返ってくるのは否定とお説教、決して認めはしないだろうけど。
ひいき目で見る癖を直して欲しい。頼めないまま、カナリアは曖昧に返事をした。
「難しい話は追々ね」
「ベスの追々はいちどもやってきたことないから信用ならない」
「安心して、きみが全部知るときは近い」
なにそれ、噛みつく前に手を引かれた。
光るキノコの向こう側へ強引に踏み入れた瞬間、音が消える。
「え」
足の先から頭のてっぺんまでを地面からなにかが走り抜け、ぞわりとした気配だけが背中に残る。
興奮や感動と言う感覚とは明らかに違う、身体の中を直接覗きこまれたような言い難い感覚に息が止まった。力を抜けばそのまま浮いてしまいそうなほど、身体にある全ての不純物が溶けて消えたような無駄に軽くなったような。真逆に、地に足を縫い付けられたように重く感じる不思議な感覚にカナリアは捕らわれていた。
「カナリア」
恐ろしくなり固く目を結ぶと、柔らかな声で名を呼ばれた。
「安心して、ゆっくり呼吸してごらん」
吸って吐いて、ベスティアの声に合わせて呼吸を意識的に行う。吸って吐いて、次第に身体が軽くなり形容しがたい感覚が消えていく。吸って吐いて、カナリアはようやく落ち着いた。
促されるままにゆっくりと瞼を持ち上げるとそこには、
「ようこそ妖精の森深層 ガーデンへ」
まず、最初に見えたのは大木だ。
カナリアの身長をはるかに凌駕するほど、いいやそれ以上の、今にも空に届きそうなほどに大きな木がそびえ立っていた。木は空へとその大きな枝を伸ばし、淡く光る葉を広げこの場所を覆っていた。まるで妖精たちの住みかを外界から隠すように。大樹に寄り添うように木々が生えているためか、足元には木々たちの根っこが飛び出し隙間を縫うように色とりどりの花々が咲き乱れている。絡まる根っこはまるで手を取り合っているようだ。カナリアは直感的にそれらが外の世界と違うものだと理解した。
見慣れぬ木の実に珍しい花々、中央都市では決して目にかかれないようなそれらを発見したからではない。木々の一本、枝の葉に一枚にいたるまで生きていると強く感じ取れたからだ。感じ取れるほどの生命力を宿す植物は、きっとここ以外にないだろう。
「あの木は神樹、この森の生命力の源だ」
魅入っていたカナリアの頬に綿毛上の生き物を押し付けたベスティアは、愉快そうに言葉を紡いだ。この森の植物はあの神樹と繋がっているのだと。
「妖精たちは神樹から生まれ神樹へと還る。だから妖精たちもこの森の木々も言ってしまえば同じ生物なんだ、きみが違うと感じた要因はそこにある。で、肝心の妖精はあそこ」
指さす先にはひとりの妖精が葉の上でくつろいでいた。
空を映した髪に瞳を持ち、背中で氷の羽根が揺れている。キラキラと日の光を反射し輝く。不用意に触れれば砕けてしまいそうなほど細くて薄い。まるで宝石を薄く伸ばしたようだ。
視界の端に過ったのは、燃える緋色の髪を持つ妖精。髪は本当に燃えているのか、はらはらと火の粉が零れ落ちていた。だが、それが葉に乗っても燃えずにふわりと消える。いったいどういう仕組みになっているのだろう。
キノコの後ろに隠れていたのは、新雪のように白い身体を持つ妖精。光の加減で青く見える白い髪に肌、透けた七色の羽根が見せつけるように広がった。穏やかな目尻から覗く瞳は蛍のように淡いが、どこか爛々と輝いていた。あれは獲物を狙う肉食獣の目だ。
湖には若葉の羽根を持つ妖精が優雅に泳いでいた。柔らかそうな新芽色の髪が水を弾いて輝いている。こちらに気が付き、振り返った雨水色の瞳と目があう。零れそうなほどに開いて、誰かの声を合図に妖精たちが一斉に飛び上がった。
「やぁだ!姫よ!姫!」
「久しぶりじゃない!もうこんなに大きくなっちゃって!」
「すっかり女性、って感じ?!」
「あのぺったんが数年でボインよボイン!人間って凄いわよね!」
「モテるでしょ?男は胸の大きな女性に弱いから!」
「ペッタン好きもいたわよ?」
「それは特殊事例よ!」
「ぇぇえ……私、ぺったん好きなんだけどぉ」
「あたしは足派」
「私は尻ね」
「馬鹿、女の魅力は匂いよ」
「誰も胸派いないじゃない!」
「お、おう……」
これが外見詐欺か。
身体中に妖精たちを纏わりつかせながらカナリアは思う。
麗しい外見からは想像も出来ない俗物的な会話をまるでマシンガンのように繰り出す姿は、井戸端会議をするおばちゃんそのものであった。言葉の勢いに押され、問答無用で身体中を蹂躙され抵抗も返答も許されずもみくちゃにされる。
神様からの贈物とさえ称される妖精たちは、その繊細で美しい外見とは裏腹に誰も彼も図太い性格だ。図太いというか、おっさんというか。長年、人間から隠れて窮屈な生活をしていた反動(自称)というが、少なくとも幼少期に初めてこの森で出会った頃から性格は変わっていない。年端もいかない頃に幼女だつるぺただなんだと騒ぎ、ベスティアに怒られていたのをよく覚えている。
「それくらいにして、女王の元に案内してほしいのだけど」
「相変わらず無粋ね、魔法使い」
「そうよ、女子トークに水を差さないでちょうだい!」
「四六時中一緒のあんたと違って、こっちは1カ月ぶりなのよ!」
「もっと話したいの!もっと触りたいの!寧ろ舐めたい」
「空気を呼んで頂戴よ!」
「KY!KY!」
「外ではほとんど死語だから、それ」
文句を言いつつも離れていく妖精たち。
助かった、息を深く吸う。呼吸をするだけでうっかり吹き飛ばしてしまいそうで息を止めていたのだ。
ターゲットを切り替えベスティアの髪を掴みに掛かっている妖精たち。ぎゃあぎゃあと騒いで彼も反撃しているが多勢に無勢、言葉の猛攻にベスティアがたじろぎ始めていた。情けないとは言えない。
「そうだ魔法使い!ついに国賊扱いになったのね!」
「聴いたわ聴いた!植物たちが話していたわよ」
「どんなポカをやらかしたですか?」
「どうせ、王室の花瓶を割ったとかそんな程度の話よ」
やだ、人間って短気。くすくすと上品な笑い声を上げる。
「これを期に森に住まない姫、平和よここは」
「なにそれ、すごーく良い考え!」
「姫と毎日会えるなんて夢みたいね!」
姫とはカナリアの愛称である。幼少期ならいざ知らず、16の娘に姫は止めて欲しい。なんど言っても聴かないので、半ば諦めている。
「それなら女王様に相談しなくちゃ、家も服も私たちサイズしかないもの!」
「仕立ててあげましょうか?私、得意よ」
「今日中には無理でしょ!ひとまず今夜の寝床を用意しなきゃ、布も無いし」
「女王様の所に行きましょう?あそこはなんでも揃っているから」
「女王様の寝台ならカナリアも眠れるわね」
「行きましょう」
「行きましょう」
寸法しなくては、生地は、フリルはどうしよう、動きやすい方が……先導するように飛び立った妖精たちが好き勝手に言いあっては盛り上がる。ようやく解放されたと隣に視線を送ると、三つ編みツインテールにされたベスティアが疲れた顔で座っていた。ご丁寧にリボンを編み込まれ、てっぺんで蝶々結びにされている。プロの犯行かな。
「似合ってるよ、ふふっ」
「………アリガトウ」
解く気力もないのか手招きされる。可哀想に思いその時ばかりは素直にカナリアは従った。勿体ないが天辺のリボンを丁寧に解いていく。
「……妖精たちは相変わらず話が長いね」
「長いって言うか、押しが強い」
「至高の芸術品なんて嘘だよ、猛獣だよ猛獣。獰猛なモンスターだよあれは」
「外見詐欺な面は否めない」
「もうやだ……カナリア、僕を癒して」
「はいはい、どうどう」
「ううっ、足りない。もっと撫でて抱きしめて膝枕して結婚して」
「調子に乗ってると妖精たちに突きだすぞ」
「ごめんなさい」
外見が可愛くて元気な子が好きです。