舞踏会とその先と
「覚えておいでですか。私、西の領土を治める男爵」
――――覚えてないです
「あなた様の瞳はどんな宝石よりも美しく」
――――身体中の宝石を外してから言ってね
「その節はお世話になりました、今後の取引のためにお部屋の方に」
――――資料ないんで無理です
「お疲れではないですか?ぜひお部屋でお話を」
――――きてからまだ10分も立ってないです
「随分と美しく成長さなされた!ぜひうちの息子の嫁に」
――――ならないです
王室お抱えの楽団が奏でるオーケストラをBGMに壁に張り付き、貼り付けた笑顔で押し寄せてきた男性の相手をしている異質な状況。後ろは壁、前は男性の壁。どちらにも逃げ道はなく、助けてくれと縋った魔法使いは先ほど「王様に用事があるから」と笑顔で私を置いていった。
次第に引きつりそうになる顔を必死に保つ。男性の隙間から時折覗く気の毒そうな顔の女性にSOSの視線を送るが、ウインクをかまされるだけで終わった。面倒だと社交界での人脈作りをサボったツケがこんなところで回ってくるとは。
うっとおしい、今すぐ氷結魔法で自分の半径1メートルを凍らせて誰も自分に近寄れないようにしたい!お腹が空いた、ご飯食べたい!遠くに見える天然たらし系のイケメンさんと王子で妄想したいよぉ!
どんなに願っても入れ代わり立ち代わりするおっさん共の列は途切れる気配はなく、カナリアは引きつった笑みを浮かべ続けた。
*********
「いやぁ、大変だったね」
「………そうだね、誰かさんが逃げたから余計にね」
おっさん共を笑顔で交わし続けて2時間、ようやく解放されたカナリアは非情にも自分を見捨てた男を睨みつけていた。困った顔のベスティアから苺ケーキの乗った皿をふんだくる。
ああ!と悲しそうな声をあげたが知ったことではない。
乱暴にフォークで突き刺し口の中に放り込んだ。ああ、美味しい。
「ううっ……カナリアは人気があるのに舞踏会には滅多に足を運ばないから、ここぞとばかりにワンチャン狙って押し寄せたんだろう」
「そうだね、でも後半は誰かさんを紹介しろって御婦人方に詰め寄られたね」
「ほ、ほらたまには女性同士のコミュニケーションも大切だっていうし」
「へえぇ」
「うぐぅ」
最後に残しておいた苺を、これ見よがしに見せつけながらゆっくりと口内に収めていく。
おっさんの方は私の客だから仕方がないと諦めもつくが、御婦人方はベスティアの客だ。恋に目がくらんだ女性は本当に恐ろしいのだ。自分で対処してほしかった。
腕を掴まれ「今日はベスティア様がきてるの知っているんだからね!?」「何処に隠したのよ!」「早く紹介しなさいよ!」と詰め寄られる人の気持ちが分かるだろうか。あの勢いと遠慮の無さは、どんなモンスターよりも恐ろしい。彼が戻ってこなければ未だにあの女子トークという名の尋問は続いていたことだろう。あ、思い出しただけでも鳥肌が……。
「まさか僕のことで囲まれるとは思わなくて、本当にごめんよ」
「随分と人気なようで、弟子は嬉しい限りですぅ」
「あうう……君は弟子じゃないし、僕はきみだけなんだよぉ」
べそっと子どもみたいな泣き顔を浮かべるベスティアは大型犬みたいだ。反省していると全身で顕にしてくるゴールデンレトリバー。
揶揄うのもそろそろ可哀想だし止めてやろうと、カナリアは口元を緩める。
「もういいよ、ケーキ持ってきてくれたし」
「え、いいの?」
「忙しかったんでしょ?分かってる」
「ううっ、ごめんよ!」
「はいはい、分かったから泣くな」
止めろ抱き着つくな、後ろから刺されるだろ!
ここじゃあ落ち着かないからと、ベスティアは恭しくカナリアの手を取るとテラスに誘導した。
女性陣の殺気のこもった刺すような視線は大変痛かったが、長時間あの場所で獲物を狙う肉食獣の視線に堪えるのを考えたら移動した方がずっと良かった。
恐ろしさをアルコールで誤魔化そうとシャンパンばかり煽っていたせいか、少々酔っていたらしい。
頬に夜風が冷たくて気持ちがいい。
「酔いは冷めたかい?」
「もともと酔わない方だもん」
「そうは言っても、かなり飲んでいただろう」
「あー、一本くらい?」
「飲みすぎだよ」
「樽単位で飲める人に言われたくないでーす」
無駄な接待で凝った身体を解そうと肩を回す。ついでに腕を上にして背中を反らせた。
あー、スカート重いしヒール高いから疲れる。
そう言えば、いつまでここに居ればいいのか聴いていない。最低限の顔合わせは済ませたからいつもなら帰っても良いのだが、今回は王宮から直々の呼び出しだ。勝手には帰れない。
王宮関係の人間と農具についてのそれらしい話はしたが、商談と言うか話のタネとして使われたようにも思える。こんな話なら手紙一枚で済む、わざわざ呼び出した理由にはならないだろう。これから別室でお話コースは、先ほど王様に謁見したからないだろう。
まさか今頃になって嫁探しに本腰を入れ始めたとかじゃないよな。
疑問を解消しようともそもそとケーキを頬張っていたベスティアに向き直る。
懐からケーキが出てきたように見えたが、気のせいだろうか。
「ねえ、今回はどうして呼び出されたの?」
「ん?んふふ」
「飲み込んでからでいいよ」
「んふ………ぷはっ、えっとね、それが国賊になっちゃった」
「こくぞく?それなんて役職?」
「国の賊だよ、役職じゃなくて害になると判断された方だね」
………………???
「え、いや、冗談きついってベスティアさん」
「残念だけど冗談じゃないんだよね」
「ははははは、まっさか!そんな、一時間席を外しただけで国賊認定なんてありえないでしょ。苺食べられたからって揶揄わないで」
「いたぞ!国賊だ!」
「動くな!逃げ道はないぞ!」
「………………」
「…………………」
え、嘘でしょ、まじで?
強張る顔をベスティアに向ける。にっこりと微笑んだ彼がそこにはいた。そこで初めてこれが冗談ではないのだとカナリアは飲み込んだ。
なら、やることはひとつしかない。
「…………走るよ!」
「はーい」
カナリアの声にベスティアはすぐに反応した。
ケーキを口に突っ込みカナリアを抱え上げ、バルコニーから飛び降りる。
ふわりと浮いた身体に咄嗟に首に手を回す。経緯は理解できないが、状況は理解できた。相手が武器を持っていて、己は丸腰で追われている。なら例えそれが誤解であれ、逃げるしかない。自分より強い相手に悠長に誤解を解こうと話すだけ無駄だと、カナリアはよく知っていた。
「下に降りたぞ!」
「森に入った、灯り持ってこい!」
兵士たちの怒声が頭上から聞こえる中、ベスティアは走り出す。
目の前は真っ暗だ。一寸先も見ることは難しく、木葉が生い茂っているためか月明かりも少ない。カナリアは手早く暗視の魔法を自分とベスティアにかけた。これで少しは目が利くだろうが、整えられていない森を走り抜けるのは困難だ。いくら兵士たちより見えてもむこうは数がいる。回り込まれれば自分を抱えたまま振りきることは難しいはずだと、カナリアは慌てて木々の精霊に呼びかける。
「ごめん、ベスティアを通して!」
「――――? ―――、―――!」
眠っていた精霊たちを無理矢理起こしてしまったようだが、切迫した声に反応したのか彼らは素直に従ってくれる。ふわりと薄い黄緑色を纏った彼らが左右に揺れると、遮っていた草木が不規則に曲がりやがて道となった。
ありがとうと伝えると精霊たちはうにゃうにゃと眠たそうな声をあげ、木々の隙間に消えていく。
これで一先ず走りやすくなった、後は状況確認だとカナリアはベスティアの背を叩く。
いつまで咀嚼してんだこのやろう。
「ちょっと、どういうこと!?」
「んふ、んぐっ………おう、さまに呼び出されたときに、末の娘さんとの結婚を迫られたんだ。それであまりにもしつこいから「次に同じことを言ったら国ごと消し飛ばす」って脅しかけたらビビっちゃって。国賊認定されちゃった」
「あんた何してんの!?」
「だってしつこくて」
「もっと穏便に解決しなさいよ!」
「にじり寄ってきて気持ち悪かったんだもん」
確かにすり寄ってこられるのは気持ちが悪いとは思うが、普通に断ってくれよ。しつこいから国を亡ぼすってどこの暴君だよ、魔王かよ。
「そんなことはどうでもいいんだけど」
「そんなことじゃないし、どうでもよくない」
「僕が逃げるにあたって、心苦しいんだけどカナリアも連れて行かなくちゃいけないんだ」
「は?一人で逃げなよ、私がいたら足手まといになるでしょ」
「やだ!カナリアと離れたら僕死んじゃう!」
「今まさに死にそうな目にあってんでしょ!?」
追い回されるより一緒に居たいとは、いったいどんな神経をしているんだ。
離れたら寂しくて死んでしまうと兎のような事を言いだした彼の頭を叩くと、真面目な話ね?と口を開く。
「事実はどうあれ、カナリアは僕の唯一の弟子ってことになってるよね?」
「そうね」
「僕は国賊、僕の弟子ってことは国賊の弟子。僕を捕まえるにはカナリアに聴くのが手っ取り早いよね」
「なるほど大事な情報源だ」
「僕が消えたら、カナリアを捕えるだろうね」
「たしかに!って、駄目じゃない!」
「あの王様は臆病だからね。僕を捕まえるためならなんでもやるだろうさ。
だからね、一緒に国外逃亡しよう」
選択肢の無い提案にカナリアは頭を抱えた。
嬉しそうにいうベスティアに腹は立つが、彼のいうことは確かだ。
あの王様なら自らの保身のために自分を捕えかねない。なんとしてでも便利な小間使いを国に引き戻そうと動くだろう。拷問など非人道的な扱いをされるとは思えないが、ベスティアが帰ってくるまで監禁くらいならされかねない。下手をすれば村にまで被害が及ぶだろうが、その辺りの対策は取っているのだろうか。
「父さんたちはどうするの」
「彼は平気だよ。発明はいまいちだけど領主としては優秀だし、君のおかげであの土地は国の食糧生産の半分を担ってる。そう簡単には捕まえられない」
なるほど、完全に人任せなのね。
追跡を避けるためか街とは逆の方向に走るベスティアの肩を殴った。
夜目の利かない彼らはランタンを持って走っているのか、オレンジ色がちらちらと揺れている。大小さまざまなそれは次第にその光を強めていく、思った以上に追っての足が速い。
兵士が城は囲まれていると言っていたし、今回も断られることを予想済みだったように思える。断られてもとっ捕まえて結婚を勧める気で兵士を配置していた思えば、ここまで手が早いのも頷ける。馬鹿なくせに用意の良い王様である。
「居たぞ!あそこだ!」
「生かして捕えろとのご命令だ!」
「きてるきてる!」
「痛い痛い、そんなに急かさないでおくれよぅ」
考え事をしている間に随分と近くまで兵士たちが迫っていた。
焦って背中を強めに叩けば、ヘタレた声が聞こえてくる。急かさないでくれではない、いま急がずにいつ急げというのか。牢屋で仲良く臭い飯を食うなんてなんてまっぴらごめんである。
「ていうか何処に逃げるつもり?」
「うーん、どうしようか」
「どうしようかじゃないよ!村には戻れないし、隣国に逃亡しようにも門は反対側!」
「そうだねぇ」
「どうしてそう呑気なの!?」
緊急事態に喚くヒロインは煩いと思っていたが、いま彼女らの気持ちが痛いほど分かった。
ああ、これは騒がずにはいられない。自らの体力がある分、無駄に思考してしまい最悪の状況が次々と頭の中に浮かぶのだ。押し寄せる不安にこの能天気な物言いをされたら、誰だって怒鳴りたくもなる。
カナリアは蔦で兵士の足を取りながら今まで嫌悪していたヒロインたちに頭を下げた。
もう絶対に公式ヒロイン乙とか言わない。
と、耳が水の音を拾う。
足元から感じる振動に頬が引きつった。
「え、この音って、ちょちょっと待って、この先って――」
ドドドドドッ、
「崖、待って、止まって!ベスティア!」
悲鳴交じりの声にベスティアがようやく足を止めた。
恐る恐る肩口から下を覗く。爪先の前、あと一歩先に道は無い。崖だ。
しまったとカナリアは唇を噛む。逃げる方向を間違えた、この先は激流だ。
下から地面を揺らすように響く音の正体は、中央王都を流れる川のものだった。騎士の国からカナリアの村までその恩恵を届けるこの川の流れは速い。特にこの土地は傾斜が多いせいか中流であるにも関わらず勢いは上流よりも激しい、生身で飛び込んでいればひとたまりもなかっただろう。落ちた時のことを想像しカナリアは震えた。
「ベス、ベス引き返そう。別の道を」
「居たぞ、こっちだ!」
「あっ、」
男の声を皮切りに、森から次々と兵士たちが顔を出した。
息を切らしている者が殆どだが、数が数だ。これを振りきるのは難しいだろう。それに森の奥で月明かりに反射する物がある。飛び道具の可能性を考えると、迂闊には動けなかった。
「もう逃げられませんよ!」
「大人しく投降してください!」
顔も知らない兵士がそんなことを言う。
武器を片手ににじり寄り、抵抗しなければなにもしないと手を差し出す。
誰がそれを信じるというのだろか。例えそれが本当だとして明日は?抵抗せずとも傷つけない保証はどこにも無い。捕まれば結果は見えている、なら進まなくては。どっちに?後ろは崖、前は人。どちらに進むかは明白だ。カナリアは後ろ手に人差し指を立て、水の精霊に話しかけた。
「げきりゅうを」
「ここまでか」
ぽそりと呟いたのはベスティアだった。
激流一時的に止めようとしたカナリアの声を遮るように、深く息を吐くように言う。
驚いて顔を上げるカナリアに、申し訳なさそうに眉を下げて微笑みかけた。
その顔はどこか諦めたように見える。兵士たちも同じことを感じ取ったのだろう、警戒を解いたように武器を下げ促すようにベスティアの名を呼んだ。
カナリアを背から降ろし、手を握られる。
このままカ兵士たちの後に続いて城に戻るのだろうか。王族の末の娘と結婚して王族となりこき使われて、村に戻ってくることもない。自由気ままに遊び回ることも、毎日くだらない我儘を言って人を困らせることもなくなるのだろうか。私を置いて、
「べす」
「もう逃げ道はない、諦めるよ」
「まって、べす。駄目だよ、だって!」
「いいんだカナリア。今ままで楽しかったよ、ありがとう」
「そんなのおかしい!だって、そんな、それじゃあ生贄とおんなじで」
「君たちに捕まるくらいなら、僕は彼女との永遠の愛を選ぶよ」
「………、……え、なんて?」
強めに肩を抱かれる。困惑するカナリアに返答はない。永遠の愛ってなんだ。
「さようなら兵士たち、無能な王の元で死ぬまで働き続けると良い」
「え、ちょ、聴いてない、聴いてないよ?」
「行こうカナリア、来世でも愛している」
「うそ、うそうそうそ!なんでぇぇぇぇえええええええええええええ!?」
グッと後ろへと引かれ重心が傾いた。
爪先が地を離れ咄嗟に手を伸ばすが、その手を筆頭にベスティアに優しく抱きこまれてしまう。その顔は腹が立つほどの笑顔だ。
あ、死んだな。
脳のどこかで冷静な自分が彼の発言が嘘ではないと理解する頃には、崖は遥か遠くにあって、悲鳴は川の中へと吸い込まれていった。
ドボン!
派手に水しぶきを上げて二人の身体が激流に飲まれていく。
慌てて兵士が駆け寄り下を覗きこむが、その時にはもう姿すら目で追うことは敵わなかった。完全に飲まれてしまった。兵士たちは唖然とし、やがて崩れ落ちた。
この激流を探索することは魔法が不得手な自分たちには不可能だった。
事故で落ちたのならベスティア様なら助かるだろうという一抹の希望に縋ることは出来たが、今回は違う。故意に落ちたのだ。助かる見込みはないだろう。
英雄とその愛弟子を追いつめて殺してしまった。
「う、そだろ?」
「なんて報告すればいいんだよ」
崖を覗きこんでいた兵士は互いに零すが、答えられるような状態ではなかった。
人を殺した罪悪感。
だが、それ以上に兵士たちは別の恐怖に支配され始めていた。ふたりが死ぬ、それは同時に国に張り巡らされた結界が解けることを意味している。
国にモンスターが侵入してくればどうなるか、親から語られ続けた過去の中央都市を想像し兵士は頭を抱える。これからどうすればいいのか、答えられる者などいない。